月別アーカイブ: 2017年12月

ありがとさん

ひょんなことから朝から片付け。
我が家では物を処分することを、「ありがとさんする」と言う。
このシーツ、ありがとさんする?
そうね、ありがとさんしようか。次のリサイクルに出すね、なんてね。

なので、片付ける作業は「ありがとさん」の連発になる。
古くなったもの、使えなくなった物、使わなくなった物に、
今まで役にたってくれて、楽しませてくれて、ありがとう。

幼い頃にもらったプレゼントは、もう持ってはいないのだけれども、
その想い出はいつまでも消えないでいる。

The Three Wise Men – Thanks For Christmas YouTube

三太かい?

5年ほど前になるだろうか、
サンダーと地下鉄に乗っていたら、隣の席のおばあさんに声をかけられた。
奄美か九州の訛りの、穏やかな可愛いらしい声だ。

どこまで行きなさるのかね?
はぁ、そうかね、お気をつけて。
…ところで、この犬の名前は何ていうのかね?
サンダーです、と私が答えると、
おばあさんは、ほぉ、三太かい?と言った。
知り合いと同じ名前だとも。

か、かわいい…。
間違ってるんだけど、もぉなんか全て可愛くて、
おばあさんとサヨナラするまで、アタシはサンダーを三太と呼んだ。

師走の天使

サンダーとコンビニの前を通りかかったら、
おりこうちゃんねーと、知らないオジサンの声がして、
後からふわんとコーヒーの匂いがついてきた。
おりこうちゃんの前に、ズズズと音がしていたから、
オジサンはコンビニのドリップコーヒーをすすっていたのだろう。

ありがとうございますと返事をして、
アタシもホットコーヒーの入った紙コップを手にしたよに、
体が少し温かくなる。

神様は、オジサンやオバチャンの姿を借りて、
天使を街にお遣わしになる。

オバッチャンの声が背後から「おーりー」と聞こえたと思ったら、
「こーうーねー」と声の主は前方に去って行った。
…お利口ねって、サンダーに言ってくれたんだわ。
自転車のオバチャンのドップラー現象を体感した師走の日。

同じなのに何かが違う/「禅とオートバイ修理技術」ロバート・M・パーシグ著

同じ食材なのに、料理する人が違うと美味しさが変わったりする。
いわゆる「緑の手」を持つ植物を育てることが上手な人、
弾いてるうちにホールやスタジオのピアノを育ててしまう矢野顕子とかね。

食材だったり植物だったりピアノだったりに、
それに対する敬意や愛情が、手から乗り移るのかもしれないし、
その人の持つ気のような、目には見えない何かが働きかけるのだろうか?

旅行記のような、難しい哲学書のような不思議な本、
「禅とオートバイ修理技術」にこんなエピソードがある。

語り手(著者)は自分のオートバイを修理工場に持ち込んだのだけれど、
オートバイは直るどころか台無しにされて戻ってきた。
嫌な予感はあった、
騒々しい音楽が鳴り響く工場、
若い修理工に乱雑に扱われている道具。
技術も工程も同じなのに、あがりが違うのは何故なのだろう?
世界には、目には見えない価値や質があるのかもしれない…。
以来、自らの手でオートバイを修理するようになる。

騒々しい他ごとで頭がいっぱいのとき、心が入る余地を作ってみよう。
目の前のことを乱雑に扱ってしまいがちな日常だけれども、
自分が手にするものに、自分の気のようなものが乗ることを意識するだけでも、
同じ日常でも、価値や質が代わってくる。

「禅とオートバイ修理技術 価値の探求」
ロバート・M・パーシグ
めるくまーる