同じ食材なのに、料理する人が違うと美味しさが変わったりする。
いわゆる「緑の手」を持つ植物を育てることが上手な人、
弾いてるうちにホールやスタジオのピアノを育ててしまう矢野顕子とかね。
食材だったり植物だったりピアノだったりに、
それに対する敬意や愛情が、手から乗り移るのかもしれないし、
その人の持つ気のような、目には見えない何かが働きかけるのだろうか?
旅行記のような、難しい哲学書のような不思議な本、
「禅とオートバイ修理技術」にこんなエピソードがある。
語り手(著者)は自分のオートバイを修理工場に持ち込んだのだけれど、
オートバイは直るどころか台無しにされて戻ってきた。
嫌な予感はあった、
騒々しい音楽が鳴り響く工場、
若い修理工に乱雑に扱われている道具。
技術も工程も同じなのに、あがりが違うのは何故なのだろう?
世界には、目には見えない価値や質があるのかもしれない…。
以来、自らの手でオートバイを修理するようになる。
騒々しい他ごとで頭がいっぱいのとき、心が入る余地を作ってみよう。
目の前のことを乱雑に扱ってしまいがちな日常だけれども、
自分が手にするものに、自分の気のようなものが乗ることを意識するだけでも、
同じ日常でも、価値や質が代わってくる。
「禅とオートバイ修理技術 価値の探求」
ロバート・M・パーシグ
めるくまーる