月別アーカイブ: 2018年2月

オリンピックは終わっても

オリンピックのある2月は、過ぎるのが早い気がする。
感動して泣いて笑ってる間に、
え? もう3月?
2月には悪いんだけど、
3月が早く来て、ちょっと得した気分になったりして。

楽しかったなぁ、オリンピック。
というか、
「ほぼ日刊イトイ新聞」サイトの恒例の五輪企画、
「観たぞ、平昌オリンピック!」が、毎度のことながら楽しかった。

この「観たぞ(以下略)」は、アテネから始まったのだけれども、
オリンピックを自分はどう見たか感じたかを、皆で楽しむコンテンツ。
投稿された文章を、担当の永田さんが編集してコメントするシンプルな作りだ。
いまどき動画も写真も無く、
だからこそ、言葉で説明したり表現する必要があって、
見えない私も、読んでいて映像が目に浮かんでくるのだ。
余談だけれど、
「観たぞ」2日目に、
「オリンピックのある風景」コーナーで私の投稿が掲載、嬉しかったな。

なぜに「観たぞ」はこうも面白く、
しかも感動するのか。
面白いことだったり、素敵なことだったり、
本質的な美しさや、心が揺れて感動することを、
日常で見つけている人達が投稿しているからだろう。
見逃してしまいそうな、ほんの小さなこと、
ふとした選手や観客の振る舞いにも、光を当てる。
たとえば、女子カーリング三位決定戦、
敗れた英国は落胆することなく、すぐさま手袋を脱ぎ、
日本チームに祝福の握手をした。
女子フィギュア、カナダの選手、ジャンプが決まらない。
果敢にまた跳ぶ。失敗。
また果敢に跳ぶ、また失敗。
会場からは大きな拍手が起きる。
フィニッシュで胸を張る選手。
観客席にいたカナダフィギュアチーム一同は、
ためらいなしにスタンディングオベーションで彼女を最大級に讃えた。

面白いことや素敵な事、本質的な美しさや感動は、
見つける目を日々トレーニングしていないと、
咄嗟には見つけることはできない。
考えも物の見方も、筋肉と同じだ。
たとえば、
人のいいところを見つけることが上手いひとは、
人のいいところを探す習慣を持っているように。

オリンピックの間、
感動して泣いたり、小ネタに面白くて笑ったり、
心が動く、そんな数週間を過ごす。
なにもオリンピックやスポーツに限ったことじゃないけれど、
オリンピックは、感動するという習慣が身に着くね。

オリンピックで動きまくった感動筋肉を携えて、
いつもの日常に戻っていくのだけれど、
見える世界はどう?

やっぱり冬のオリンピックが好き

夏より冬のオリンピックが好きな私。
雪と氷の上だからなのかしら?
スリリングで、
ロマンチックで、
なんだかドラマチック。

私が目で見た記憶は、
カルガリーからトリノ、バンクーバーの直前まで。
当時も「とんでもない人たちだなー」と思っていたのに、
タイムや点数がオリンピック新記録です!と聞くと、
「ええええ!?もっとかい!」と、
私の脳内は、「あれ以上の映像」のアップデートに忙しい。

難易度の上がった技、
速くなっていくタイム、
選手は、怪我や恐怖心とも闘うレベルも上がっていると想像して、
軟弱スキーヤーだった私は、
「なんてことだ」と、選手を心配しちゃう。

そういえば、
私が冬のオリンピックが好きなのは、
スポーツの試合で、珍しく思える光景を見たからだ。
ライバルなのに、相手の技の成功に心から喜んでいたり、
レース直後に、ライバルが互いを讃えあったり。
もし私が選手だったら、できるだろうか?
すごいなぁ、どうしてなの?

スキー女子ハーフパイプの解説者、
三浦豪太さんの発言にハッとした。
「だから、この競技が好きなんです」と、
ある女性選手が語った言葉を借りて、三浦さんは言う。
「競技が危険を伴うからこそ、
ライバルの素晴らしいパフォーマンスに素直に賞賛できる。」と。

…うわあ。そうだったのか。
やっぱり好きだな、冬のオリンピック。

オリンピックで編み物?

「手作業は瞑想と同じエネルギーである」とは、
ネイティブアメリカンの言葉だ。
心を落ち着かせ、
今この瞬間を生きる。
黙々と手を動かすことは、瞑想と同じ効果がある。

さて、
ソチ五輪に続きピョンチャン五輪でも、
フィンランドチームが競技会場で編み物をしているのが話題だ。
これは、不安のコントロールのためになのだそう。
空の下で編み物…。
寒そうだけど、なんか素敵!

中でも、せっせと編んでいるコーチは、
編み物男子と注目の的。
そういえば、たしかフィンランドだったと思うのだけれども、
「スキー板をはいて、編み棒を握って生まれてくる」だったかしら?
男の子も女の子も、
小さな頃からスキーと編み物を覚える、と聞いたことがあったっけ。
そりゃ強いし、編み物だってできちゃうわけだ!

ちなみに、
前回は、つなげて大きなマフラーになり、
今回は、フィンランド大統領夫妻の
生まれたばかりのベビーにブランケットを編んでいるそう。
わああ、これも素敵!

寒いけど明るい 明るいけど寒い

いつも感心してしまうのは、
毎年、立春を境にサンダーの換毛が始まることだ。

換毛とは、春に冬毛から夏毛に生え変わること、
秋だったら、夏毛から冬毛に生え変わることなのだけれども、
日照量が、犬の換毛のスイッチになるそうな。

たしかに、立春あたりから外は随分と明るくなってる。
まさに、「光の春」の到来だ。

春は、光が最初、
次に音。
鳥の声とか、外に出てくる人の声で賑やかになる。
そして最後が気温。
いま春は、光の第一コーナーを滑走してるところだ。

さて、今年の旧暦のお正月は2月16日。
年によって旧正月の日がバラバラなのは、太陽と月のリズムの関係なのだけれど、
今年の旧正月は立春から10日以上も遅い。
ここから読めることは、
今年は「気温の春」が遅れる、ということだ。
サンダーよ、衣替えはゆっくりで良さそうなんだけど…。

小さなことなんだけど

ようやくわが家は物が減り統一感が出てきた、と思う。
たとえば我が家の場合だけれども、
タオルやシーツを白や生成りの白色系の無地にすることだったりする。

…いやぁ、長い道のりだった!
なにしろ我が家は物が多かったからねぇ。
特にタオル。贈り物や引き出物でいただくことが多かった。
ある時期、毎月お届けしますという、タオルの頒布会にも入っていたので、
色や柄、織りや大きさ、バラエティ豊かにタオルが揃っていた。
これはこれで楽しかったし、どの家も所有物が今より少なかった時代だ。

しかし、さすが日本製のタオル、なかなかボロにならない!
サンダーのシャンプータオルや雑巾にまわしたりと、徐々に格下げさせて、
数年前にやっと、日常使いのフェイスタオルを統一して買えるようになったのだ。

タオルを統一すること、これが思った以上に良かった。
同じ銘柄のタオルだから洗濯の渇く速さも同じ、
厚みも同じだから収納に悩むこともなくなっているし、
使用感も一緒だから、どれにしようか迷うこともない。
あら快適。なんて心地いいのかしら。気分もいいな。
そうか、こういう小さなことも馬鹿にできないんだな、と思うのでした。

春に向かってムーブ!

尾張名古屋には四つの由緒ある観音寺がある。
荒子観音、甚目寺観音、竜泉寺観音、笠寺観音だ。
この四観音、名古屋城を四方から守るかのように建っているので、
「あの名古屋城を守っとるくらいだで、どえらいご利益あるがね!」と、
名古屋には、節分の日に四観音を巡る習わしがあるそうな。
なんで節分の日かというと、「明日が立春だからじゃないかしら」と私は思う。

四観音のひとつ荒子観音が近所にあって、
毎年のことだけど、お参りに来る人で荒子界隈は賑やかだ。
四観音を巡るツアー観光バスも次から次からやって来て、
さほど広くない境内は、お参りだ屋台だ豆まきだと祭のよう。
いや、一年で一番大きな祭なんだけどね。
近くのスーパーの恵方巻き特設売り場は、境内の豆まき並みに混んでいる。

お参りで来る人も、恵方巻きを買う人も、
朗らかというか、ちょっと浮かれてるというか、楽しそうな雰囲気なんだな。
なんだか、「ご利益ありましたね!」って言ってあげたい感じ。
お参りすること自体が、恵方巻きを食べること自体が吉というのではなくて、
ご利益やら幸せやら恵みやらに向かって動くことが吉なのだろう。

さて、明日は立春。春の兆しの始まりの旗印が立つ日だ。
旧暦でみると、今年は本格的な春の訪れは遅いのだけれど、
そんな年は、「春の兆しを積極的に見つけると吉」なのだとか。
(お部屋に花を飾るも良し)