月別アーカイブ: 2017年2月

名前をつけてみる

愛車に名前をつけると長持ちするという。
これは実際にそうかもしれない。
名前をつけるということは、それを大切に扱ったり、
語りかけたりして、より親しみが増すということだ。

私も愛車に名前をつけていた。
はじめての車に「ワゴンちゃん」(初代ワゴンR)、
次の子は「ゴルフちゃん」(そのまんま)と、
ただ単に車種名に「ちゃん」をつけただけの名づけだったのだけれども、
やっぱり可愛かったなー。

今は当然ながら車を運転していないので、我が家には車がない。
名前がついているマシンといえば、お掃除ロボの「ルンバちゃん」(そのまんま)。
あいかわらずイージーな名前でごめんねって感じだけど、
名品や人気商品って、
もうそれ以外に呼びようがない名前がついているような気がする。

そうそう、毎日乗っているマシンがあった。
エレベーターだ。
ま、名前はつけないにしても(長いからね。自家用じゃないし)、
心の中で「おはよ」とか「ありがと」なんては言っている。
エレベーターが苦手なんだよね、という人がいたら試してほしいのだけど、
友達みたいにあいさつしたり、ねぎらってあげたりはげましてあげると、
エレベーターと仲良くなれるかも?(他にも応用できるよ)

似てると思ってたのよ

「お母さんも、お父さんが藤村俊二に似てると思ってたのよー。」
そう母が言った。
あ、やっぱり? 妻の目から見てもそうだったのねー。

続けて言う。
「えっとね、植木等にも似てた。」
んー、そうねー。そうだったねー。
母は山田昌に似ているので、植木さんと昌さんが夫婦役をしていたドラマ、
「名古屋嫁入り物語」ができちゃうね、と皆で笑ったことがあったっけ。

しかし似ているのは顔のつくりだけだ。(当然だけど)
父はオヒョイでもなければ、スーダラでもなかったのだ。
気の利いたことや洒落たことが言えるわけでもなく、
天真爛漫というわけでもなかったのだった。

父はたまに冗談を言っては、
…えっとね、お父さん(そこに座りなさい的に)と私に言われていた。
冗談には、笑える冗談と笑えない冗談があるんだよ?と言っても、
根が生真面目な父には、どうもそこが分かっていなかった節がある。
エヘ 言われちゃった、という顔をしてフラーと去っていくのだった。

吉本新喜劇が好きで、欠かさず番組を見ていた父だけど、
もしかして笑いの研究をしていたのかしらん。
寅さんの渥美清さんは、寅さんみたいなではなかったとか、
植木さんの素顔はとても生真面目な方だったと言うのは有名な話。
そういう点では、似てなくもない。

しかし、晩年には冗談が言えるようになっただけでも上出来だったよね、と
苦笑いしながら私は思うのでした

春の準備をはじめよう

ラブラドール・レトリバーの飼い主さんと立ち話。
「はじまりましたねー。」
…ええ、はじまりましたねー。
何が始まったかと言えば、換毛期である。

この時期、サンダーのブラシタイムで気持ちいいくらい古い毛が抜ける抜ける。
犬毛が秋冬モードから、春夏モードへとモデルチェンジするのだけれど、
ラブラドールとはじめて暮らす私は、初めての換毛期にある疑問が浮かんだ。
こんなに抜けたらなくなっちゃわない?

心配はいらない。後から後から生えてくるのだ。
いや、下から生えてくるから押し出されると言うべきか。
夏毛が冬毛を押し出す「ロケット鉛筆方式」で生え変わるのだ。
ちなみに、短毛種は長毛種に比べて、
生え変わりロケットのサイクルが短いそうだ。

人も春の身体へと変わっていく。
いろんなものが「押し出されて」くるので、
だるかったり、眠かったり、痛くなったり、痒くなったり。
そして、季節が冬と春をいったりきたりするように、
心も何かと揺れたりしがち。

春の準備がはじまった心と身体のために、
水を飲もう。歩いたり、軽く体をうごかそう。
眠くなったらちょっと昼寝して、
夜は「今日あったチョッピリいいこと」を思い出しながら眠りにつこう。
(今日は、早咲きの梅の花が満開だったのよ)

はじめて見たものですから…

アイメイトのサンダーと一緒にいると、見知らぬ人からよく声をかけられる。
「はじめて見たものですから、話をきいてもいいですか?」
そういう人はたいてい、こちらの安全をみはからって声をかけてくれる。

今の時期くらいだったか、それとも桜の頃だったか、
名古屋駅の地下にあるショップで、パンツのお直しをしてもらっている間に、
北海道からやってきたという、旅の途中のナイスミドルに声をかけられた。
本土はあたたかいので、着てきた服が暑くてね、
たまらず妻と店に飛び込んだんですよ、と。

そして、こうおっしゃる。
「あの恥ずかしながら、私はじめて盲導犬を使っている人を見たのです。
会社の若い者に話をしてやりたいので、っちょっと聞いてもいいですか?」
こんな申し出はうれしい。互いの待ち時間に話をした。
この人は会社の若い人思いなんだなぁ。やりとりをして伝わってくる。
着替えを済ませた奥さんとも話をして、「それじゃあ」と去っていったのでした。

そして、のんびりムードの休日の公園でのこと。
母と散歩をしていたら、見知らぬ人から声をかけられた。
「え?! 盲導犬?ほんと? えええ!
あのさ、言うこときくんだってね? 噛まないってほんとかい?」
はじめて盲導犬をご覧になりました?と私が聞くと「ウン。」
うわああ、俺、はじめて見たものだからさぁぁ…。
ドーナツを肴に一杯やってるオジサンが、目をまんまるにしていたそうだ(母談)。
そりゃ驚いちゃうよねぇ~。(かわいいね)

出かけるときに「港に帰ってくる」イメージをする/「ウニヒピリ」イハレワカラ・ヒューレン他・著

風のとても強い日が続いて、
アイメイトのサンダーと歩く私は頭がいたい。

…いや、実際に頭がいたいわけじゃなくて、
雨の日と同じくらい、風のとても強い日はいつもよりも気をつかうということだ。

耳を頼りに、匂いを地図にして歩いているというのに、
強い風で音が混ざっちゃって、匂いもどっかいっちゃう。
聴覚や嗅覚が人間より優れているサンダーだけど、
行先を示して操縦しているのは、耳も鼻も断然劣る人間のアタシだからねぇ。
こんな日は、出かける前からキンチョーするんだよな…。

…オーライ。
途中で風が危なくなったら帰ってきたらいいしさぁ。
道行く人が「信号変わったよ」なんて教えて助けてくれる街、
なんたって、私たちには頼もしいサンダーがいる。
もし何かあったらアタシに教えてくれる?
私は「内なる私(潜在意識ともいう)」と対話するのだった。
私とサンダーはチームであり、
私と内なる私も、またチームなのだ。

これから歩く道のりを思い浮かべて、「内なる私」に伝える。
だって考えてもみてよ、
幼い子が行先を聞かされないままどこかへ連れていかれたら可哀そうでしょ?
そして、「港に帰ってくる」イメージをして玄関を出る。
家は港のようなもので、毎日わたしたちは出航するのだ。

すると、私たちはまるで何事もなかったように、
「ただいま」と港に戻ってくるのでした。
イメージを省略して、「シーポート」(港のこと)とつぶやくだけでもオッケー。
Von・Voyage!(いってらっしゃい)

*参考書籍
・ウニヒピリ ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」
イハレアカラ・ヒューレン/サンマーク出版

ブルーナさんはどんな思いでミッフィーをつくったのだろう

ディック・ブルーナさんが亡くなった。
ミッフィーは私の年代だったら「うさこちゃん」である。

あのジャバラに折りたたんである絵本を一直線にひろげて、
一時期は部屋のインテリアにしていたっけ。
ブルーナカラーと言われる限られた色数と、フリーハンドで描かれた曲線、
ああ、ほんとに素敵なデザイン。

関係ないけれど、
むかしミッフィーをキャラクターに起用したモデルハウスがあって、
深夜にそのライトアップされたモデルハウスの前を車で通ったら、
二階の大きなガラス窓のむこうに、
大きいミッフィーがこちらを向いてボーッと立っていた。
「…ウサギ小屋?」と思ったものだ。(小屋じゃないけど)

そしてである。
おなじ頃にバーバ・パパをキャラクターに起用したモデルハウスもあって、
「こっちはオバケ屋敷か…」と思ったものだ。

それだけ世界中で愛されているミッフィー。(バーバ・パパもね)
あのミッフィーの、チョンッチョンの目と、バッテンの口は、
(公式には、バッテンは鼻と口が合わさっているもの、だそう)
「どうしてキティには口がないの?」と同じ理由で、
幼い子のイマジネーションを育てるのだろう。

笑っているようにも、泣いているようにも、
喜んでいるようにも、怒っているようにも見える。
ミッフィーは、「あのね」と語りかけてくれるというよりは、
だまって話を聴いてくれているようだ。

きっと、幼い子は、
ミッフィーが、「たのしいね」と一緒に笑ってくれるように感じたり、
無口だけど話を聴くのが得意な、お耳の大きなミッフィーに、
何か聴いてもらって慰められているのかもしれない。
そして、これからもミッフィーは幼い子のそばにいるだろう。

まずは自分から

人を元気にする人、というのもすごいなぁと思うのだけれども、
人を安堵させる人というのが、
実はとんでもなくすごい人なんじゃないか、と私は思っている。

いまから数年前のこと。
精神科医の越智啓子先生の講演会を聞きに行った。
ボイスヒーリングや、アロマやクリスタル療法をされている、
講演会では爆笑トークのパワーあふれる先生だ。

休憩時間に、越智先生が私とサンダーの近くを通りかかったようで、
一緒にいた母が越智先生に声をかけたらしい。
私はむかし沖縄で、越智先生の前世療法を受けたことがあって、
それを母は、ただ伝えたかっただけなの、と後で言っていた。

すると、越智先生は黙ってそっと私の手を包んだのだった。
咄嗟のことで状況が飲みこめなかったのに、
不思議と私はぜんぜん怖くなかったのだ。

何分も黙って手を包んでいてくださったのだけれど、
こちらの居心地がもそもそしたり、困ったなとなりそうなものが、
それがぜんぜんない。もう、すごい安心感というか安堵感。
ふわりと包んだ手から、穏やかさや、くつろぎのようなものが伝わってくる。
それは純粋で透明な、とても細やかな粒子のよう。

言葉がなくても伝わるのよ、
そして、まず自分からくつろぐことね。
そんな会話を交わした訳ではないけど、
そう教えてもらったような気がする。

注文の多い洋服選び

洋服の片付けをしながら、私は心に誓った。
次から買う服は、じっくり選ぼう…。

毎日のことだもの、自分が心地よくなる服がいい。
…いや、それじゃあボンヤリしすぎてるか。
じゃあ、自分が心地よくなる服って?
自分にインタビューして、時空にリクエストしてみる。

まず家の雰囲気は、静かなカフェのようにしたい。
白を基調にして、ウッディで素朴なボートハウス風がいいな。
家にいる時間も長いから、部屋の景色に自然と溶けこむような服、
アイボリー色のサンダーと並んで馴染む色がいいな。

それに、お肌が敏感なお年頃だから天然の素材を選びたい。
洗濯担当のアタシとしては、洗濯が難しくない素材がいい。
リラックスした着心地で、しかもほどよくフィットして動きやすく、
流行はちょっぴり気になるし、変わらない良さも素敵なこと。
着ていてうれしくて、くつろげる服。
そうだ、私はくつろぎたいのだ!

…ところで、そんな服あるのかね?
それが、あったのだ。リクエストがぜんぶ適う服が。
去年の春に友人が教えてくれたのが、
仏デザイナーのルメール氏とユニクロがコラボしたコレクションだった。

同じ服でもこうも違うの? 私は驚いてしまった。
おしゃれや洋服に詳しくない私でも、着た瞬間で違うってことは分かる。
聞けばカッティングが素晴らしくて、絶妙なニュアンスカラーが素敵なんだとか。
デザインってすごい!

「インタビュー」と「リクエスト」って、してみるものだ。
そして、私はくつろぎたかったのね。

「英雄の書」 黒川 伊保子・著

かつて出会った私の人生の先輩はこう言った。
いろんな経験をしたらいい。
とくに、失敗や上手くいかなかった経験は、後で宝物になるから、と。

私は社会に出たばかりの頃だった。
にもかかわらず、というかだからこそなのか、
傲慢としか言いようがない万能感と、
その反動で、卑屈としか言いようがない無能感に悩んでいた。
それを見かねて言ってくれたのだろうけれど、当時はよく分からなかった。
(というか反発すらした)

しかし、若いうちに一見ネガティブに思える経験、
失敗だったり、上手くいかなかったり、
悩んだりもがいたり、理由のない疎外感で孤独だったことは、
今では私の宝物になっているのは確かなことだ。

さて、今回ご紹介するのは、
悩み多き若かった私に、「ホラ読んでごらんよ」と手渡したい本である。
「脳科学とやらではさ、それは言えてるらしいよ」と付け加えよう。

著者は脳の研究者である
昔から「失敗は成功の母」なんて言うけれど、
脳の研究からも同じことが言えるそうだ。
そして、失敗や孤独が、いかに脳の成熟に大切であるかも書かれている。
著者の言う英雄とは何なのか?

いま悩み傷つき孤独だとしたら、
それは、英雄が荒野を歩みはじめている証だと著者は言う。
若い人に読んでほしい一冊。
そして、かつて若者だった人に。

*「英雄の書」
黒川 伊保子・著/ポプラ社

「ねーちゃん頑張ってるね」のオバッチャン

毎日のように街で会っていたのに、
ここ半年ほど合わなかったので、「どうしたんだろう?と少し心配していたのだ。

その人は、自転車で空き缶をたくさん集めてまわっているオバチャンだ。
私とサンダーを見かけると、道路の向こうからでも大きな声で、
「ねーちゃん 頑張ってるねー!」と声をかけてくれるのだ。
私は「おはよー」とか「今日はいい天気だねー」だの、
声がする方向へ、負けずに叫びかえすのがお決まりだ。

雨や雪の日に、「ねーちゃんこんな日も頑張ってるね!」と聞くと、
オバチャンこそ、という気持ちなのだけど、
でも、それは言えない気がして言わない。

昨日は久々に道路の向こうからあの声を聞いて嬉しかった。
わー!久しぶりだねー!
そう叫んだけど、いつも風邪のように去っていくオバチャンなのでした。