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心理学Matthias Desmet教授インタビュー「なぜ未だに多くの人がコロナ物語を信じているのか?」

海外在住のJ Sato@j_satoさんが、
とても大事な動画の日本語訳をツイートされていたので転載させていただきます。

いま世界ではコロナを利用して全体主義へと進んでいます。
コロナ対策が間違っていても何故とめることができずにいるのか。
それは精神的中毒症状と言える群衆心理にあると、心理学者マシアス教授がインタビューで答えています。
しかし、全体主義はやがて自然に崩壊し、
群衆心理に呑まれなかった3割の人が世界を再建していくとも言っています。
3割のはみだしっ子さん、希望の星なんですよ実は。

***ここから転載
世界中で全体主義が着々と進んでいる今、最も重要なインタビュー動画と感じた。

心理学Matthias Desmet教授インタビュー
「なぜ未だに多くの人がコロナ物語を信じているのか?」
youtube.com/watch?v=uLDpZ8
odysee.com/@pandemicpodca
聞きながら夢中でメモ取ったのを共有


バラバラの大衆が、共通の群衆心理へと変容するには、変容する前の大衆が次の4条件を満たしている必要がある

1)社会的絆の希薄さ
2)生きていることの意味の希薄さ
3)漠然とした不安感
4)漠然とした不満や向かう先のない攻撃性
→コロナ前の現代社会はその状態だった

上記4条件が成立している大衆に
・不安の対象→ウイルス
・その対象への対応戦略→感染症対策
を提示する物語を、繰り返しマス・メディア等を通じて大衆に語りかけると、大衆は群集心理状態へ変化する

群集心理状態となった大衆は、団結して対応戦略を遂行しようとする。犠牲を払うことも厭わない

その団結が、新たな種類の社会的絆を生み、生きている意味を人に与える

孤立感のあるネガティブな精神状態から、社会的絆が非常に強いハイな状態へと変化し、社会的絆への精神的中毒状態になる

この精神的中毒状態が、どんなに馬鹿げているコロナ物語でも群衆が支持し続ける理由。気持ちいいのだ

物語に合理性は求められない。むしろ馬鹿げている方が社会的絆を確認する「儀式」として機能する

群集心理状態となった大衆は、物語の対象となっている非常に狭い範囲のこと(→コロナ)にしか、認知的・感情的リソースが向かわなくなる
他のより重要なことで問題や痛みが起きても気づかなくなる

群集心理になると、個人の自由よりも集団を優先させ、進んで自己犠牲を払うようになる

スターリンは、自らの共産党メンバーの50%を粛清・殺害したが、驚くべきことに、その粛清された共産党メンバーは反対や抗議をすることなく、集団のために粛清を受け入れていた

群集心理となった人々は、危機管理モードであり、生きる目的・意味を見出した状態である

政治家は群集心理に合わせると支持率が高くなり、合理的な政策でも群集心理にそぐわないものを取ると支持率が下がると理解し、群集心理・団結をより強める方向=煽る方向に行動する

群衆には今の状態が前の状態よりも気持ち良いわけであり、群集心理から目を覚ましてもらう時に、「前の状態(the old normal)に戻ろう」と呼びかけても効果がない。下手したら逆効果になる

そうではなく、前の状態(the old normal)ではない、よりよい状態に変化することを呼びかけなければいけない

物語にそぐわないことを言う人は、侮辱され非難され別扱いされるようになる

群集心理の一つの特徴は、異なる意見に対して、極めて不寛容となることだ

群集心理下では、正・善・得等の価値基準よりも、集団の団結を守ることが最優先事項となるから、こうなる。団結さえ守れれば何でもよいのだ

群集心理および全体主義が存在・存続するには、敵(不安の対象)を必要とする

敵(不安の対象)がいなくなると、群衆は目を覚まし、膨大な損害に気づき、リーダーを殺害する

リーダーは群衆が目を覚まさないように、敵(不安の対象)を残すように動く

古典的独裁体制と全体主義は異なる

古典的独裁体制は、大衆を怖がらせるだけで、反対がなければリーダーは大衆に優しくなる

一方、全体主義は大衆が洗脳された群衆化状態であり、反対がなくなると暴走が加速し最も残虐な行いをするようになる。1930年代のソ連、1935年のナチスがその状態だった

群集心理となった大衆は、以下3つのグループに分類される
・30%:催眠術にかけられ洗脳された人々
・40%:世論・多数派・群衆についていく人々
・30%:催眠術にかからず、異なる意見を述べ、何かをしようとする人々
3つ目のグループは、不均一な人々だ。あらゆる政治的信条、社会経済階級、人種。
このグループの共通項・傾向はわかっていない。なお、教育レベルが高いと群集心理に飲まれ洗脳されやすくなる。このバラバラな3つ目のグループがまとまって一つの勢力となれると、群集心理を止められる可能性がある。

Q:合理的な意見を聞いてくれない。群衆心理の人の目を覚ますのに、よい方法はないか??
A:新しい不安の対象を提示するのが効果的だ。全体主義となることの恐ろしさを提示し、コロナよりも全体主義の方が怖いと思える人は目を覚ます。
目を覚ましたら、合理的な意見を聞いてもらえるようになる。

Q:今のおかしな動きは今後どのようになっていくのか??
A:残念ながら、ある種の新しい全体主義に社会が陥ってしまうのは避けられない可能性が高いと見ている。20世紀前半の全体主義と異なるのは、世界規模で起きるという点、外に敵(不安の対象)がいないが内に敵(不安の対象)がいるという点だ。
全体主義は敵(不安の対象)を必要とする。敵が消えてしまうと崩壊するからだ。?
なので、内の敵を消すことはしないが、疎外し、社会の主流からはじき出すだろう。
予防接種未接種者が、内の敵(不安の対象)として扱われるだろう ※インタビューは2021年9月

コロナワクチンが感染を防がないことは科学的な事実だが、群集心理・全体主義では科学的な正しさなどどうでもよいことである。物語で大事なことは、不安の対象(コロナ)に向けた群衆の団結を強められるかどうかだけである。むしろ馬鹿げていることの方が、団結を強める「儀式」として機能する。

Q:洗脳されていない30%の人はどうしていくべきか?
A:現実的な戦略は以下の2つだ
・合理的な反対意見を公の場で言い続ける。
・全体主義に飲まれずに2~3年生き残る。全体主義を打ち負かそうとする必要はない。全体主義は必ず自壊する。 崩壊後、飲まれなかった人々が社会を再建する重要な役割を担う。

Q:今の全体主義はどこまで進んでいて、いつ崩壊するのか?
A:今回の全体主義は、20世紀前半のよりも短い期間で自壊すると見ている。
なぜなら、今回は予防接種等で体に侵入しているからだ。 
群集心理下で進める予防接種は、医療だけでなく、あらゆる分野における歴史上最も壮絶な惨事になる可能性が高い。(聴き取り内容END

Q:変なことが他国で起きた時に「自国では起きない」と思う人が多い。着々と広がっているのになぜこう思うのか?
A:これも群集心理に飲まれ、認知的・感情的に一つのことしか考えられず、それ以外のことは存在しないも同然になるからだ。群集心理から目覚められないと気づけない
***転載ここまで

*再掲・加筆あり*「共感疲れ」を考えてみる

(2017年の記事を加筆し再掲します)

***ここから
東日本大震災から「共感疲れ」が知られるようになった。
自分が直接に被災したのではないのに、
被災された方の痛みや悲しみを自分のことのように感じて、
心や身体に不調がでる現象だ。

長いあいだ、共感する感性が大切にされてきた日本の社会では、
「感じる能力」が備わっている人も多く、共感疲れをおこしやすいという。
(ちなみに、共感力が要る職業のひとつであるカウンセラーやセラピストは、
この共感疲れを防ぐ技術を身につけます)

毎日のように、事件や災害の映像を目にする社会に生きている私たち。
自分の心のなかに「幼い子」がいることをイメージしてほしい。
私たちが映像を見て平気でも、心のなかの幼い子はどうだろうか?
幼い子は「今おきていること」と「過去おきたこと」は区別できるだろうか?
また、「ここでおきたこと」と「遠くでおきたこと」の区別は?
それから、「自分におきたこと」と「他人におきたこと」の区別もどうだろうか?

まるで幼い子のような自分の無意識は、
今と過去、ココとソコ、自分と他人の区別がはっきりしていない。

たとえば、こういい聞かせるのもいいだろう。
「過去に遠いところで起きたことで、自分に直接あったことではないんだよ。
この痛みや悲しみは自分ではないんだ」と、
他と自己の区別をつけてあげるのだ。
そして、心を「いま・ここ・自分」に戻して、
ほら、安全でしょ?と落ち着かせてあげよう。

もし、理由の分からない疲れを感じている人がいたら、
テレビやネットニュースから距離を置いて、
自分の心と身体をケアする時間を持とう。
じゃあ、事件や災害のニュースから距離を置けない環境だったら?
スピリチュアルな精神科医で有名な越智啓子先生が、
2011年のメルマガで、たしか、こんな風にアドバイスされていた。
記憶を辿って書いてみるので、参考にしてみてください。

見るのが辛いのに、災害のニュースと距離が取れない時は、
復興や再生が現実化するイメージを持って、
被災された方(物)や、支援している人々に向けて、
祈りを送りながらニュースに接してみましょう。
祈りは相手に届くだけではなく、自分をも守ってくれます。
(おわり)

考え方を変えると身体はどう対応するの?/ストレスと上手くつきあう

私が出かける準備を始めると、のんびりしていたサンダーはそれに気がつく。
ンーと伸びをしたり、ブルルと振るえたり、ちょこまか動いたり、
ピッチに走り出す直前のサッカー選手みたい。
アッシは準備万端ですぜ!って様子が可愛い。

昔からすぐに緊張しちゃう自分を、「嫌だなぁ」と私はずっと思っていた。
胸がドキドキしたり、呼吸が速くなったり、顔が赤くなったり。
そんな反応を、私は悪いことだと思っていた。
(検査もしたし、お年頃のせいでもない。昔からあったからね。)

ある時、こんな見方を知った。
胸がどきどきするのは、身体に血やパワーを送り、行動に備えているから。
呼吸が速くなるのは、脳により多くの酸素を送ろうとしてるから。
ドキドキもハアハアも、身体にエネルギーをチャージしていて、
チャレンジに立ち向かう「自分を助けてくれる反応」と考えてみたらどうなる?
へぇ~、勇気が出ている証ってこと?
目からウロコが落ちた。

考え方を変えると、ストレスに身体はどう対応するのか?
とても興味深い、ハーバード大学の研究がある。
通常、ストレスを感じると、
心拍数が上がり、血管も収縮し、長年続くと心臓病のリスクがある。
そこで、社会的ストレス実験をする前、被験者にこう伝える。
胸がドキドキしたり呼吸が速くなっても、それは悪いことではない、と。
自分を助けてくれる有難いものなのだと考えるように指示をした。
すると、被験者はストレスを感じてもより少なく感じていて、
そして自信を持ち、血管はリラックスしていた。
楽しい時や、勇気が出ている時と同じ状態が現れたのだ。

こんな新しい研究報告もある。
アメリカ人3万人を8年追跡調査をしたところ、
ストレスを感じていて、それは健康に良くないと信じていた人の死亡率が高く、
ストレスを感じていても、悪いことだと考えていなかった人の死亡率は低かった。
寿命が縮まったのは、ストレスのせいではなく、
ストレスが健康に良くないと信じていたことによると、研究チームは考えている
(心理学者ケリー・マクゴニガルの講義「ストレスを友達にする方法」より)
…考え方が変わると、体も変わるんだなぁ。

ところで、私はドキドキとハアハアは今も感じるけれども、
ピッチに出るイレブンのように、サンダーのように、
アタシはチャレンジに準備万端なの、と思えるようになった。
(さ、出かけよっと)

言い表す言葉

語彙というか、言い表す言葉が乏しかった、若い頃の話。
その頃の私は、何かとだるさや疲れを感じていたのだけれど、
あるとき気がついた。

このだるさは、だるさと言うよりは、
「身体が緩んでる」じゃないの?
そういえば、なにか一仕事終えた後とか、済んだな終わったなって時にだわ。
これは、気が抜けたとか、安堵したとか、ホッっとしてるんだ…。
そう気がついたら、同じ身体の感じでも、
「ちょっといいな」に変わったことを憶えている。
そして、そうだったのか!なーんだ、と過去形で思った。

「そうだったのか」と過去形で
プラス「同じ感じなのに、捉え方が変わった」がセットになった気づきを
心理学で一致と言うのだけれど、
これ、言い表す言葉が増えていくと加速していくのでした。
(そういえば、だるいが口癖だったモン)

優しくしたい 優しくされたい/ストレスと上手くつきあう

幸せホルモンとか、愛情ホルモンなんて呼ばれることもあるオキシトシン。
この脳内ホルモンは、人や動物との触れあいで分泌されることが知られている。
このオキシトシンの素敵なところは、優しくされた側、優しくした側、
どっちにもジワーーと穏やかな幸せ感が続くこと。
このジワーで、心が安らぐようになったり、
ストレスで傷付いた心臓が元気になったりする。

オキシトシンは、ストレスから心と身体を守り、健やかに保つ働きがあるけれど、
実は、ストレスホルモンのひとつなのだとか。
ん? 一体どういうことなのか?

オキシトシンは、ストレスのかかった時に分泌され、
優しくしたい、優しくされたいという思いになる。
さびしいとか、分かってほしいなとかもね。
つまり、ストレスがかかった時は、
人に助けを求めたり、人を助けるよう仕向けているってこと。
そこで、人に優しくしたりされたりを実行すると、
よりオキシトシンの働きが強まっていく。
じゃあ、どうしたらいいのかと言えば、こんな身近な日常だ。

ストレスを感じている時、
家族や友人と、穏やかな時間を過ごしたり、
人に話を聴いてもらったり、話を聴いてあげたり、
見知らぬ人に小さな親切をしたり。
犬や猫のペットを可愛がったり。
セルフマッサージもいいね。自分に優しく接してみよう。

先に、オキシトシンはストレスホルモンのひとつだよ、と書いた。
一見マイナスに思えるストレスだけれども、
自分や他人に優しくなったり、助け合ったり、それで心と身体が健やかになる。
悪者だとばかり思っていたストレスが、友達みたいに思えてくるね。

もっと深いところ/皮膚は感情のセンサー?②

肌に合う、肌に合わない、という言葉がある。
なんか気が合うんだとか、これ向いてるとか、ちょっといい感じとか、
理屈をこえて「そうかも」と思える、皮膚感覚ってあるものだ。
頭で考えても、理屈で選ぼうとしても答えが出ない時は、
この皮膚感覚がヒントになる。

人なら接してみて、場所なら立ってみて、何かやってみて、
物なら触って、服なら着てみて「しっくりくる」感覚。

それでもモヤモヤするんだよなーという場合は、
皮膚感覚より深いところがヒントにもなる。
ストンと腑に落ちる、という言葉があるように、
体の内側、「内臓感覚」に聞いてみよう!
(そんな心理療法があるんです)

皮膚は感情のセンサー?①

その場の雰囲気やムードのようなものを、まっ先に捉えるのは皮膚。
ピリピリした空気とか、張りつめた空気なんて言うね。
怖さや驚きにブルブルしたり、
緊張感や感動にゾワゾワしたり。
ちなみに、怖いからブルブルしたのではなく、
ブルブルきた→怖い、という順序が正しい。
無意識な感情とも言える身体の感覚が、意識できる感情に変換されるってこと。

皮膚感覚のセンサーの目盛が「強」の人や、
なんか場に呑まれそうだなと思ったときには、
自分の手の甲や腕を優しくゆっくりとさすってみたり、
自分で自分をハグしてみよう(イメージでもいい)
肌の感覚が緩んで、身体の芯もほっとするよ。
(深呼吸もいいね)

まっさらな目と耳で

「あなたは犬派? 猫派?」の可愛い論争は微笑ましい。
性格とか恋愛タイプとか、
犬と猫、どちらが好きかで分かる、なんていう説もあったりして、
へー、そうなんだと納得したり、
そうでもないよと思ったり、
ほんと、話のネタとして楽しい。

でも、意味付けが過ぎると、とたんに変なことになる。
「あなた猫を飼っているんですか、あなたの性格は云々」と、
たとえば、さほど知らない人に決めつけられたとしたら?
(もう、いいや。どうでも)と心の扉を閉めたくなる。

ときに意味付けは役にたつけれど、それをちょっと脇に置いて、
いつだって、まっさらな目と耳で向かい合いたいものだ。
(家族とか近い関係ほど、ね。自分自身にも)

「共感疲れ」を考えてみる

東日本大震災から「共感疲れ」が知られるようになった。
自分が直接に被災したのではないのに、
被災した方の痛みや悲しみを感じて、心や身体に不調がでる現象だ。
長いあいだ、共感する感性が大切にされてきた日本の社会では、
「感じる能力」が備わっている人も多く、共感疲れをおこしやすいという。
(ちなみに、共感力が要る職業のひとつであるカウンセラーやセラピストは、
この共感疲れを防ぐためのトレーニングを受けます)

毎日のように、事件や災害の映像を目にする社会に生きている私たち。
自分の心のなかに「幼い子」がいることをイメージしてほしい。
私たちが映像を見て平気でも、心のなかの幼い子はどうだろうか?
幼い子は「今おきていること」と「過去おきたこと」は区別できるだろうか?
また、「ここでおきたこと」と「遠くでおきたこと」の区別は?
それから、「自分におきたこと」と「他人におきたこと」の区別もどうだろうか?

まるで幼い子のような自分の無意識は、
今と過去、ココとソコ、自分と他人の区別がはっきりしていない。
たとえば、こんな風に言い聞かせて区別をしてあげてもいい。
「過去に遠いところでおきたことで、自分に直接あったことではないんだよ」と。
そして、心を「いま・ここ・自分」に戻して、
ほら、安全でしょ?と落ち着かせてあげよう。

もし、理由の分からない疲れを感じている人がいたら、
試しにテレビやネットニュースから一か月ほど距離を置いてみては?

*春期生の募集中です* 日本カウンセラー学院 名古屋サテライト校

カウンセリングを学ぶことは、コミュニケーションを学ぶこと。
そう私の恩師である内海早織先生は言う。

意外に思われるかもしれないけれど、
はじめからコミュニケーションが得意な人や、
はじめから人付き合いが上手な人がカウンセラーを目指すわけでもない。

私も含め、私の知るカウンセラー達は、
それまでの人生で、コミュニケーションが苦手だったり、自信がなかったり、
人づきあいに何かしらつまづいた経験を持つ人ばかりだった。
とても素晴らしいことに、だからこそ、
カウンセリングを学ぶこと、学び続けることに大きな価値がある。

コミュニケーションは、自分以外の誰かとするもの。
そして、自分自身ともするもの。
自分自身とどう付き合うかは、実は人生の鍵になる。

***(内海早織先生のホームページより抜粋)
講義は、2017年4月22日(土) スタート 
隔週(2週間に1回)土曜日13:30~17:45
1コマ2時間の講義を、1日2コマのコースとなっています
計40コマの講義(専修科)を修了し、
資格取得のための試験を受けることが可能です

当オフィス(*内海先生のカウンセリングルーム)の入るビルの1階会議室にて開講
国際センター駅3番出口すぐ、名古屋駅からは徒歩10分の場所です

*詳細は、日本カウンセラー学院のHPをご覧ください
まずは、東京日本橋本校へお気軽にお問合せ下さい。

担当講師 内海早織(ピースフルマインド・オーシャン代表 心理カウンセラー)

*名古屋サテライト校│日本カウンセラー学院

https://www.therapy.jp/gakuin/campus/detail-nagoya/

*ピースフルマインド・オーシャン

http://peaceful-mind-ocean.com/top