月別アーカイブ: 2017年11月

ホリデー

街路樹の匂いが変わってきた。
空気が乾いてきて、街の音も軽い。
ホリデーシーズンがやってきた。

なにも感謝祭やクリスマスだからってことじゃなくて、
どうもこの時期はホリデーな感じがする。
温かな食べ物や飲み物が、
そして、家族や友人との温かなやりとりが、私の「ホリデー」なのだろう。

目覚ましが鳴っても、朝ベッドの中でグズグズしている私に、
しびれを切らしたサンダーが何度も起こしに来るのだけれど、
ちべたい鼻先に ひやあああ!となる。
ついに待ちくたびれたサンダーは、犬ベッドでまた眠ってしまい、
やっと起きた私に起こされる冬。

オットリサン

ラブラドールレトリバーは、ハイパーなタイプとオットリなタイプがあるという。
前に読んだ犬の事典のような本に、そう書いてあった。
顔や目の表情が豊か、ラブラドールは無駄吠えも少ない犬種だとも。
へぇー、うちのサンダーは、間違いなくオットリなタイプなのだろうなぁ。

家で私が食事している時に、トコトコやってきて足元で眠ることがあるけれど、
ラタトゥイユのナスがサンダーの腹の上にボタと落ちても起きなかった。
私がナスを拾い、やっとワワワ!とサンダーは慌てて起きて、
降ってきた幸運を逃したことに気がついたくらいだ。
なんちゅうオットリさんなの!?

人間の食べもの、犬のオヤツの類も
今までサンダーは与えられたことがない。
サンダーが食べているのは、ドックフードと食後のビオフェルミンだけ。

これには理由があって、
拾い食いや盗み食いを覚えないように、
何か食べて腹を壊すことのないように、
メタボや虫歯にさせて、犬の健康を損なわないようになのだ。
おかげでサンダーは健やかさを保っている。

まいにち同じドックフードで、サンダーは満足なのだろうか?
と私は思ったこともあったけれど…。
イエーイ! ヒャッホー!
毎食、サンダーは喜びを全身で表してペロリ。
犬ゴハン前だけは、オットリサンもオットリ返上なのでした。

特効薬

不覚にも風邪をひいて寝込んでいる。
母に鶏の赤ワイン煮をリクエストした。
じゃがいも、かぶら、人参、セロリ、きのこ、トマト缶も入って栄養満点、
食べるとほかほかと足先までも温まる。とっても美味しいのだ。

お料理名人の友人が母に授けたレシピで、
友人が叔母上とイタリアに旅行したときに、
これを宿で作って食べさせて、叔母上の風邪を吹き飛ばした実績がある。

ポイントは、ボディのしっかりした濃い赤ワインを使う事なのだそう。
煮込まれた赤ワインの芳醇な香りが家にひろがり、
香りだけで風邪が良くなりそう…!
と言いたいところだけど、今日は風邪で鼻が利かないのが残念。

すると母が台所で叫んだ。
えええー!?
近所のパン屋で買ってきたフランスパンが、フッカフカでやわらかーいのだ。
パリっと硬いフランスパンを好む母と私は、もうビックリした。
フランスパンがオジギするなんて?!(しかも戻る)
代わる代わるフッカフカなフランスパンを触ってゲラゲラ笑った。
イメージと実際の落差が大きすぎると、なんだか笑っちゃうという話でした。
(食べること、眠ること、そして笑うことも心と身体の特効薬だね)

その後のルンバとサンダーは

お掃除ロボのルンバのルーツは地雷探査機なのだとか。
生活の道具として活躍する我が家のルンバちゃんに
ああ、平和なんだな~と思う。

ルンバにチョッピリぎこちない態度だったサンダーは、
いまやルンバにすっかり慣れた。
ルンバが何度も近づいてきてツンツンされても平気で眠っているサンダーの姿に、
こりゃ平和だなああ~、!!と、
しみじみ嬉しくありがたく思うのでした。

いちばん大事なものは?

この秋、二つの小学校で体験学習の講師をさせていただいた。
Э小学校の全5年生、B小学校の全4年生だ。

ゲーム感覚の目隠し体験をしたり、
私が日常で使っている、目の不自由な人の便利グッズに触れてもらったり、
サンダーと私が力を合わせ椅子をさがすデモンストレーションを見てもらったり。
そして今年は、私とサンダーの暮らしの様子を収めたムービーも初披露した。

小学校の体験学習で私が楽しみにしているのは、生徒さんからの質問タイム。
子どもらしい素直な質問は、心が洗われるよう。ほんと大好き。

たとえば、
「友達とどんなことをして遊びますか?」。
そうだよねー、目の見えない人は友達とどんな遊びするのか知りたいよね~。

「サンダーが病気になったらどうしますか?」。
私の目になっているサンダーに何かあったら…と、
私の身も案じてくれてるのも、よーく分かる。

そしてドキリとしたのは、
「いちばん大事なものは何ですか?」。
うわああ!そうねー、サンダーですと私は答えた。
そして、一番キミの大事なものは何ですか?と逆質問をしたら、
質問の主はしばらく考えてから、こう言った。
家族です

そうね、大事だよね。家族。
やられたなー、まいっちゃったなぁ。ジーンとしちゃった。

アタシも家族って答えたら良かったかなー?
家に帰って母に言ったら、
「次からは、家族とサンダーですって言えば?」ですと。
母よ、それじゃあ一番の答えになっていないのでは…。
(サンダーは家族です)

サンダーを見て一言

「四六時中アナタと一緒で幸せそう」と言われたことがあった。
誰かと一緒にいることが、この方の幸せなんだろうな。

「なんだかアナタのお子さんみたいですね」と言った方、
まわりの人を、子のように大事にされているのでしょう。

サンダーに向かって、
「ボクうれしいね、オカーサンの役にたてて」と言ったオバチャン、
誰かの役にたてることが、何よりの喜びなんだろうな。

もしかしてもしかして?
私はサンダーといる時、知らない人に声をかけてもらうことが多いのだけれども、
サンダーにご自身を重ねあわせているんだろうか??
いつもじゃないんだけど、
ふと、そんな思いがよぎる時があるのでした。

マイ チャイナ

とかく日本は生きづらい?
白杖で歩いていた頃、左右に振る杖が危ないと怒られたことも、
サンダーと外出すれば、犬が可哀そうとなじられたこともあった。

私は10年前に訪れた北京を思い出す。
電車やバスに乗り込むや、
こっちゃ座れとオバアチャンやオッチャンから席を譲られた。

外を歩く、白杖を持った私を見つけるや否や、
店員さんが店の中から飛んできて、
店の外に出ている商品の入った箱を蹴り飛ばし、
あっという間に、私が歩くスペースを空けた。

10年前のことだから今はどうか分からないけれど、
道行く北京の人は前を見て、歩き携帯の人もいなかった。

地元の人に人気の海鮮レストランでは、
ウエイトレスのお嬢さんたちが私と友人のテーブルを取り囲み、
私の口に、アーンとばかりに肉包みパンを運ぼうとした。
店の玄関階段をお嬢さんたちに抱えられるように降り、
チップを渡そうとしたら、ダメダメ!と受け取ってくれない。
私が謝々 再見 と言うと、
彼女たちの覚えたての英語、you are welcome!と
はじけるように、皆で一斉に言っては、
キャキャと笑いbye bye!と手を振った。

ウイグル料理店では、給仕で働いていたウイグルの子どもが、
食事を済ませた私が、店のドアに向かおうとしたとき、
いつでも私を抱きとめられるようになのか、
私を見つめ腕をひろげては、私の前を後ずさりしていた。

あの点字カレンダーは

「小鳩文化点字カレンダー」配布が始まっている。
この点字入りカレンダーは、視覚障害者の愛用者がたくさんいるのだけれども、
42年間、日本テレビ事業が無料で配布しているという。

日本テレビが何故?というのは、
テレビの恩恵を受けられない障害者の方々に、何か貢献できないだろうか?
そんな思いから始まったのだそう。
視覚障害者には、点字カレンダー無料配布、目の再生医療の助成などを、
聴覚障害者には、手話の普及活動の助成、聴覚障害児の学校の助成など、
目の不自由な人・耳の不自由な人の社会参加を、昔から支援している。

し、知らなかった!
私は、アイメイト協会の年に一度のアイメイトデーに参加した時に、
日本テレビの方のスピーチを聴いて、恥ずかしながら初めて知ったのでした。

日本テレビは、何十年も昔から福祉の理解を深めるラジオ番組を放送していて、
アイメイト協会とは、故・塩屋賢一(アイメイト協会創始者)が、
その番組にゲスト出演したことで長い御縁となったそう。
(アイメイト協会は、全国のたくさんの個人サポーターの皆様はもちろん、
いくつもの企業や団体さんからも支えられているのです。
ある団体さんからは卒業記念に、トーキング置時計と腕時計をいただきました)

欧米では、社会貢献の意識が高く、
積極的に社会へ貢献する企業や団体が多い。
日本でもそんな企業や団体さんは、人知れずあるのだけれども、
もっと知られていいのにと思う私なのでした。

秋の夜長

今くらいの時期だったと思うのだけれども、
本屋から出たら日が暮れていた。

もう外が真っ暗になってるなんて思ってなかったものだから、
ここどこ? 夜更け?それとも夜明け前? 
一瞬、夢から醒めたばかりの寝ぼけた人みたいになった。

冬の匂いに、秋の虫の音が混ざった駐車場を歩いて、
遠くに停めた自分の車に向かう。
ふと振り返ると、本屋のガラス窓から灯りが漏れていて、
やけに綺麗で、夢心地でポーと眺めていた。
おかしいな、いつもの本屋なんだけど?

秋の夜長は、ドリーミングな音楽が聴きたくなる。
そして思い出すのは、あの日の光景なのでした。

眼鏡

眼鏡をかけなくなって、今日で四年になる。
その何年か前には目が不自由になっていたので、
愛用の眼鏡達は、視力のための道具ではなくなっていたのだけれど、
物や障害物から目や顔をガードするためにも、そのまま眼鏡はかけていたのだ。

ちなみに、視覚障害の人がサングラスや眼鏡をかける理由は様々ある。
光の調節機能の関係や、眼をぶつける保護、眼球の見た目の変化の配慮、
花粉や塵や紫外線のガード、もちろんファッションとしても。

大村崑か、おぎやはぎ並みに眼鏡が似合っていた私は、
趣味と実用兼ねて、若い頃から眼鏡に凝っていた。
そんな愛する眼鏡をかけなくなったきっかけは、父の葬儀だ。
父との何らかの解放、というわけでもない。
眼鏡=コンプレックスというのも早計だ。
葬儀会館に寝泊まりすることになったので、眼鏡は家に置いていくことにした。
だって、枕元の眼鏡を踏んづけたりしたらワヤやがね!
それ以来だ、ピタリと眼鏡をかけなくなったのは。

いや、伏線はあった。
父の亡くなる前の年からサンダーと歩くようになり、
物や人にぶつかることがなくなった。
それで、目の見えない生活に慣れて、やがて自信がついてきて、
目が見えないってことも、ようやく受け入れることができた頃。
自信は、自分の受容を助けてくれるね。
今日は、父の四回目の命日だ。

何年かぶりに会った人に、
あれ? なんか雰囲気が違わくない? 
ちょっと変わった?と言われることがある。
やっぱり、眼鏡は顔の一部だったかしらん。