月別アーカイブ: 2017年8月

ハム子

テニスの伊達さん、マラソンの有森さん、アメマ~の寛平ちゃん
このお三方、「あなた似てますよね」と私が人から言われたことのある有名人だ。

しかし、伊達さんと有森さんを並べると、お二人は似ていないことに気がついた。
そこに寛平ちゃん的な要素を配合すると、あら不思議、
私が誕生したのである。
うわぁ、教えてくれた人よ、ありがとう!と妙に感心したものだ。

お三方共に素晴らしいアスリートで、
プレーやランをテレビ越しではあったけれど、この目で見たのは誇らしい。
特に伊達さんの第一次現役時代は、
私は伊達さんを、公子の公を分解して「ハム子」と呼んで、
にわかテニスファンになったものだ。いや、にわかハム子ファンと言うべきか。
しかし、にわかなので、未だに点の数え方がよく分かってない。

そんなハム子が、
いや、伊達公子さんが二度目の引退をされるというニュースを知った。
現役に復帰された時は、ハム子が頑張ってるんだから私も、なんて思ったりして、
そして今は、修造氏のコメントのようにホッとしたりして。
家族でも親戚でも、友達でも知り合いでもないのに、
そんな気持ちにさせてしまうアスリートって、私の永遠の憧れなんだろうなぁ。
(伊達公子さん、おつかれさま)

考え方を変えると身体はどう対応するの?/ストレスと上手くつきあう

私が出かける準備を始めると、のんびりしていたサンダーはそれに気がつく。
ンーと伸びをしたり、ブルルと振るえたり、ちょこまか動いたり、
ピッチに走り出す直前のサッカー選手みたい。
アッシは準備万端ですぜ!って様子が可愛い。

昔からすぐに緊張しちゃう自分を、「嫌だなぁ」と私はずっと思っていた。
胸がドキドキしたり、呼吸が速くなったり、顔が赤くなったり。
そんな反応を、私は悪いことだと思っていた。
(検査もしたし、お年頃のせいでもない。昔からあったからね。)

ある時、こんな見方を知った。
胸がどきどきするのは、身体に血やパワーを送り、行動に備えているから。
呼吸が速くなるのは、脳により多くの酸素を送ろうとしてるから。
ドキドキもハアハアも、身体にエネルギーをチャージしていて、
チャレンジに立ち向かう「自分を助けてくれる反応」と考えてみたらどうなる?
へぇ~、勇気が出ている証ってこと?
目からウロコが落ちた。

考え方を変えると、ストレスに身体はどう対応するのか?
とても興味深い、ハーバード大学の研究がある。
通常、ストレスを感じると、
心拍数が上がり、血管も収縮し、長年続くと心臓病のリスクがある。
そこで、社会的ストレス実験をする前、被験者にこう伝える。
胸がドキドキしたり呼吸が速くなっても、それは悪いことではない、と。
自分を助けてくれる有難いものなのだと考えるように指示をした。
すると、被験者はストレスを感じてもより少なく感じていて、
そして自信を持ち、血管はリラックスしていた。
楽しい時や、勇気が出ている時と同じ状態が現れたのだ。

こんな新しい研究報告もある。
アメリカ人3万人を8年追跡調査をしたところ、
ストレスを感じていて、それは健康に良くないと信じていた人の死亡率が高く、
ストレスを感じていても、悪いことだと考えていなかった人の死亡率は低かった。
寿命が縮まったのは、ストレスのせいではなく、
ストレスが健康に良くないと信じていたことによると、研究チームは考えている
(心理学者ケリー・マクゴニガルの講義「ストレスを友達にする方法」より)
…考え方が変わると、体も変わるんだなぁ。

ところで、私はドキドキとハアハアは今も感じるけれども、
ピッチに出るイレブンのように、サンダーのように、
アタシはチャレンジに準備万端なの、と思えるようになった。
(さ、出かけよっと)

言い表す言葉

語彙というか、言い表す言葉が乏しかった、若い頃の話。
その頃の私は、何かとだるさや疲れを感じていたのだけれど、
あるとき気がついた。

このだるさは、だるさと言うよりは、
「身体が緩んでる」じゃないの?
そういえば、なにか一仕事終えた後とか、済んだな終わったなって時にだわ。
これは、気が抜けたとか、安堵したとか、ホッっとしてるんだ…。
そう気がついたら、同じ身体の感じでも、
「ちょっといいな」に変わったことを憶えている。
そして、そうだったのか!なーんだ、と過去形で思った。

「そうだったのか」と過去形で
プラス「同じ感じなのに、捉え方が変わった」がセットになった気づきを
心理学で一致と言うのだけれど、
これ、言い表す言葉が増えていくと加速していくのでした。
(そういえば、だるいが口癖だったモン)

優しくしたい 優しくされたい/ストレスと上手くつきあう

幸せホルモンとか、愛情ホルモンなんて呼ばれることもあるオキシトシン。
この脳内ホルモンは、人や動物との触れあいで分泌されることが知られている。
このオキシトシンの素敵なところは、優しくされた側、優しくした側、
どっちにもジワーーと穏やかな幸せ感が続くこと。
このジワーで、心が安らぐようになったり、
ストレスで傷付いた心臓が元気になったりする。

オキシトシンは、ストレスから心と身体を守り、健やかに保つ働きがあるけれど、
実は、ストレスホルモンのひとつなのだとか。
ん? 一体どういうことなのか?

オキシトシンは、ストレスのかかった時に分泌され、
優しくしたい、優しくされたいという思いになる。
さびしいとか、分かってほしいなとかもね。
つまり、ストレスがかかった時は、
人に助けを求めたり、人を助けるよう仕向けているってこと。
そこで、人に優しくしたりされたりを実行すると、
よりオキシトシンの働きが強まっていく。
じゃあ、どうしたらいいのかと言えば、こんな身近な日常だ。

ストレスを感じている時、
家族や友人と、穏やかな時間を過ごしたり、
人に話を聴いてもらったり、話を聴いてあげたり、
見知らぬ人に小さな親切をしたり。
犬や猫のペットを可愛がったり。
セルフマッサージもいいね。自分に優しく接してみよう。

先に、オキシトシンはストレスホルモンのひとつだよ、と書いた。
一見マイナスに思えるストレスだけれども、
自分や他人に優しくなったり、助け合ったり、それで心と身体が健やかになる。
悪者だとばかり思っていたストレスが、友達みたいに思えてくるね。

「サンダードッグ 9.11 78階からの奇跡の脱出劇」マイケル ヒングソン著

崩壊寸前のワールドトレードセンタービルから生還した、マイケルとロゼール。
マイケルは、ビルの78階にある自分のオフィスでテロに遭遇する。
焦げた匂いが充満し、ビルの照明も消えてしまったなか、
暗闇の非常階段を、マイケルは多くの人を誘導し降りていく。

いかにマイケルとロゼールが、多くの人を助け奇跡の脱出を果たしたのか?
物語は、脱出の様子を縦軸に、マイケルの半生も織り交ぜ進む。
ちなみにロゼールは、マイケルの盲導犬。
そう、マイケルは全盲の視覚障害者なのだ。

マイケルがロゼールに指示する言葉「前へ!」(go)は、
彼の人生を物語るキーワードとして散りばめられている。
ビルの奇跡の脱出劇と、
彼がいかに生きてきたのか、まるで奇跡のような半生は、
どうなるの?とハラハラしたり感動したりと、臨場感たっぷりに語られる。
マイケルとロゼールが地上へと降り立った時に、二つの奇跡の物語は完結する。

私は読み終わった跡、マイケルとロゼールみたいに泥のように眠った。
そして、サンダーに指示する「go」に、しばらくマイケルを思い浮かべた。
君は、君なりにできることを、君のペースでやっていけばいいのさ。
階段を一段一段、前へ進んでいくようにさ…。
そうか、奇跡って、ひとつひとつの小さな勇気の積み重ねだったんだね。

さて、本のタイトル「サンダードッグ」の由来は、
ロゼールが雷が苦手な犬だから。
うちのサンダーもね、サンダーって名前だけど、
唯一苦手なのが雷なのよ。

*「サンダードッグ 9.11 78階からの奇跡の脱出劇」
マイケル ヒングソン・著
燦葉出版社/2011

サザエさんと すいとん

私は、「サザエさん」で字を覚えた、と言っても言い過ぎじゃない。
テレビアニメではなく、マンガの方だ。
母が長谷川町子先生の姉妹社の単行本を、昔からコツコツ集めていて、
私が高校生の頃には、たしか70くらいの全巻が揃ったと思う。

サザエさん原作は新聞連載、始まったのは終戦から間もない頃。
長谷川先生の回想録「サザエさん うちあけ話」なら、戦前から戦争中の話もある。
磯野家や長谷川家の日常を、ユーモラスに描いたコマの中に、
配給キップとか、闇米とか、GHQなんて単語が出てきた。
小さかった私は、意味がよく分からなかったけれど、
そういうことがあって今があるんだな、ってことは分かった。

中学生の頃、クラスのグループ展示で、
「戦中の暮らし」をテーマに企画したことがあった。
見よう見まねで調理してみた「すいとん」も試食してもらった。
意外と美味しいね、という評判だったのだけれども、
いろんな美味しさに慣れた私たちには、ちょっと珍しいのであって、
くる日もくる日もこれじゃ堪んないよね、やっぱりさ。
そんなクラスメイトとの会話を思い出す、終戦の日。

どちらにフォーカスするのか

7月。
名古屋市社会福祉協議会の、福祉学習サポーター養成講座を受講してきた。
私は昨年も受講しているのだけれども、
講師の日本福祉大学 原田教授のお話は、毎年聴きたいほどなのだ。

さて、一般の人向けの福祉教育といえば、
障害を体験するタイプの、体験型学習が盛んに行われてきた。
高齢者疑似体験やアイマスク体験、車椅子体験を、
学校や職場、集まりなどで体験した人も多いのだけれども、
原田教授によると、思わぬことが進んでしまったという。
それは、高齢者や障害者への偏見や差別意識が、
水面下で静かに進んでしまったというのだ。

相手の立場を体験する、それは良いことじゃないの?
しかし、そればかりではないのも、人の意識の難しいところ。
高齢者疑似体験をして、「年寄りになりたくない」 「高齢者は役にたたない」
アイマスク体験をして、「見えないって不幸だ」 「盲人は何もできない」
そんな間違ったメッセージが刷り込まれていく危うさがある。
実施する側も、その危うさに気がつかないままに、
知ってか知らずか、困難さや怖さを強調してしまうこともあるだろう。
原田教授は、昨年の障害者施設で起きた痛ましい事件で
「よくぞやってくれた」という意見が少なからずあったことにも触れた。

福祉学習の新たなムーブメントを作っていきましょうと原田教授は語る。
たとえば、ひとりのお年寄りの、それまで歩んできた道のりを知ることだったり。
障害者と一緒に、趣味やスポーツを楽しんだり、共に何かを取り組んでみたり。
障害にフォーカスするのではなく、
「その人」にフォーカスする福祉学習だ。

これは、本当に大事なことだと私も思う。
不便だ、辛いという断片をただ知るのではなく、
その人が、どう生きているか 生きてきたのかに共感し、
自分の人生に、自分が生きている社会に、どう反映させるのか?
人にフォーカスするということは、
生きるということにフォーカスすることなのでした。

機嫌良くなりたいのなら

機械の調子がいまいちだなぁという時に、
機嫌なおしてよ~とばかりに、
ポンポンと(あるいはバンバンと)叩いてしまう私は昭和の生まれだ。

友人と話していて、「そうそう、そうなんだよな」と思うのは、
不思議と自分の機嫌が、機械に伝染しちゃうってこと。
あなたデスヨと言いたいのは、機械の方だったりしてね。

たとえば、パソコンが頻繁にフリーズするなんて時は、
かなりの確率で自分がイライラセカセカしてる時だったりする。
人も電気パルスを発しているから、機械と親和性があるんだろうなぁ。

ところで、お気に入りのドリップコーヒーマシンが壊れてしまった。
次なるマシンは、また同じモデルを買った。
実は、一年か二年で壊れたというケースの多いモデル。
でも、デザインは素敵! 使っていて私の機嫌がいい。
それが理由なのかは分からないけれど、ウチのマシンは4年もった。

誰だって機嫌が良い時ばかりじゃないけれど、機嫌を持ちこさない人がいる。
そういう人は、お気に入りの「機嫌がよくなる装置」を日常に作っている。
腰かけると、たちまち機嫌がよくなるソファとかね。
そんな魔法のソファがあるもんか、と言われてしまいそうだけど、
要は、機嫌がいい人は、「機嫌をなおすと決めた人」ってことなのでした。
(まずは自覚しなくちゃね。ストレスも同じだけど)

公園でビールはダメ?/ちょっと怖い話

松本城公園で開催予定の地ビールフェアが、
公園と言う公共の場で飲酒はいかがなものか、との理由で中止になったという。
私は、そんな堅いこと言わなくてもと思うけれど、
もっともかもなぁ、とも思う。

調べてみると、多くの国に飲酒場所の規制がある。
レストランやバー、ライブハウス等、家や敷地の中でしか飲酒は許されておらず、
公園や路上、バスや列車など公共の空間の飲酒はルール違反なのだ。
ビール片手にお花見、という日本の方が非常識なのだから驚いた。

それだけ海外では、酒の健康被害や犯罪被害が深刻だということなのだけれど、
それは日本とて同じこと。
日本では「酒の席のことだから」とか、「酒の力を借りて」とか、
大目にみたり、自分が自分でなくなったりとどこか危なっかしい。

暑い季節に寒くなる話をひとつ。
むかし一度だけ、お酒を飲んでいる知らない人のまわりに、
もわと気味の悪い何かが見えたことがあった。
真偽は分からないけれど、あとから知ったことは、
「酒を呑みたい魂が、生きている人の肉体を乗っ取って酒を呑む」そうな。
…ぞぉぉーっ
ちなみに、乗っとられないためには「自分が自分であること」。