今日は、のんちゃんの命日である。
白に黒のポイント柄、黒い尻尾は太く真っ直ぐで、
鳴き声のキュートな、ツンデレな美猫であった。
金魚やインコは飼ったことがあったが、初めての犬猫である。
あまりの可愛さに、高校生だった私の成績は急降下、
その後の進路を変えた運命の猫である。
…というのは言いがかりだが、
すっかり猫というものに夢中になってしまったことは確かである。
よくある話だが、
姉と私がもらってきた猫だけど、完全に母の猫になっていた。
自分の子どもにはあまり干渉しない母だが、
意外や、のんちゃんにはメロメロの過剰な愛を注ぎ、
これが「猫かわいがり」というものかと、私は思ったのだった。
のんちゃんの顔にはよく、母のキスマークがペイントされていた。
のんちゃんは18年の天寿を全うした。
わたしたち姉妹が学生から社会人になり、家を出て暮らし、
姉の結婚と出産、父が単身赴任し定年を迎え、私の闘病と、
のんちゃんは家族の歴史の変動期を共にしていたのだ。
のんちゃん亡き後、家族の「のんっちゃんロス」は大変なものだった。
北関東に住む姉はオイオイ泣き、
もちろん私も泣き暮らす日々が続いた。
父は父なりに寂しがっていた。
とくに母は、のんちゃんと二人きりで生活する時期があったので尚更だ。
母は、サンダーが来た当初、
しばしばサンダーのことを、「のんちゃん」と言いまつがっていた。
死んでから何年もたつのにね、と、サンダーに詫びていたものだ。
たしか、大島弓子先生のマンガに、
同じように先代の名前を新入りに呼んでしまい、詫びるのだけれども、
「次にやってくる猫は幸せだ。亡き先代の分も愛される」と気づく話があった。
サンダーは猫ではないけれど、
きっとそういうことなのだろう。
さすがにアイメイトのサンダーには、
のんちゃんのように「猫かわいがり」しなくなった母だが、
私のことが羨ましくて仕方ないと言う。
「そんなにサンダーに愛されていいわねー。」
…お言葉であるが、
アナタ、のんちゃんの愛情を一身にだったではないですか。