カテゴリー別アーカイブ: ひとりごと

時間

親しい人を失うということは、
その人との習慣も失うということだ。

親友から毎日かかってきた電話も無くなって、
あてていた時間がポッカリと空いてしまった。
よく「心にポッカリと穴が空いたようだ」と言うけれど、
共有していた時間が抜けてしまうのもあるのだろう。

かかってこない電話に少しづつ慣れてはきたけれど、
あてていた時間の使い道が、ちょっと分からないでいるのです。

野山を駆け回ってた子ども

親友が逝ってしまった。
…こう書いていても、まだ信じられないような気持ちがどこかある。
冷たくなってしまった親友の頬に触れ、
焼かれたばかりで熱の残る骨も拾ったというのに。

いや、無理もないことだ、と思う。
親友は、私のこの20年そのものだったのだ。
つきあいの深さだけ、
想いの強さの分、
何かしら時間がかかるのは当たり前のこと。

…オーライ、ゆっくりいこうね。
そう私は、内なる自分に言うのでした。

出会う前から、二人とも大好きだった曲。
私たちが主催した「矢野顕子 出前コンサート」で、
アッコちゃんが演奏してくれて大感激したのでした。
(ご冥福をお祈りします。)

矢野顕子 – GREENFIELDS – YouTube

Q:梅と桜と桃の見分け方は?

きょうは旧暦の三月三日で、桃の節句だった。
名古屋は桜が満開を迎えている。

「もう間違えない!梅と桜と桃の見分け方」
という記事のタイトルを耳にして、
「間違えるわけないでしょう」と私は思ったのだけれど、
都会育ちの人や、花木にあんまり関心のない人だったら有り得る事なのだろう。

「もう間違えない!○○○48の見分け方」だったら、
目が見えていたとしても、私は同じにしか見えない自信がある。
関心もなければ、見分けたいとも思ってない。

でも、知り合いの娘さんとか、親戚の子が48グループに入ってたとしたら、
その一人の子を通して見分けがつくようになるのだろう。
それで、梅でも桜でも桃でも他の木でもいいのだけれど、
まず、一本の木と仲良くなると分かるようになるよ、というお話でした。
(Э:梅の花びらの先は丸、桜は先割れ、桃は尖ってる)

アタシの好きな先生

RCサクセションの歌に、「僕の好きな先生」があったけど、
清志郎が、高校の美術の先生からとても大きな影響を受けたように、
私は、担任でもあった高校の世界史の先生から大きな影響を受けている。

その高校の担任で世界史の先生は、
歌手で俳優の石橋凌さんが2割、
残りの8割は、小木ママこと教育評論家の小木直樹さんをブレンドした感じ。
先生の世界史の授業では、普通の教科書は使わなくて、
先生が執筆して編集したオリジナルテキストブックがメインだったのだけれども、
紙面には、粋な歴史こぼれ話や、面白いコラムもあったと思う。

「高橋、そんなことでは良い市民になれませんよ?」
が、劣等生だった私を注意するお決まりのフレーズだった。
先生は、市民革命であるフランス革命が大好きなのだ。
より良い社会は一市民から、がモットーでいらしたので、
自分は何だったら社会のためにできそうか考えてみなさい、と言うのだ。
物腰が柔らかで、叱られているというよりは諭されている感じ。
余りにもアタシがアンポンタンだったので、
もしかしたら、他の生徒とは違う叱られ方だったのかもしれない。

そういえば、先生と進路について話していた時、
私はなんとなく「文章に関わる人になりたい」と言ったことがあった。
思いつきで言ったのに、
先生は、そうですかと聞いてくれたのだ。
なにしろ思いつきだったので、私はすぐに忘れてしまい、
新たな思いつきの、小学校の先生を目指したのだが、
結局、見事に大学に落ちて、グラフィックデザインの専門学校へ。
文章に関わる人、と言っても、
物書きになった訳でもないのだが、
広告の写植(活字のデザインのようなもの)や、
雑誌の校正・入稿作業だったり、
漢字がいっぱい書いてある掛軸の仕立て屋だったりと、
思えば、どれも文章に関わる仕事に就いていたのだった。
目が見えなくなった今は、
仕事じゃないけれど、こうしてブログを書いている。
(下手なのに、読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。)

それから、教員になれなかったけど、体験学習の講師として、
小中学校で授業もさせてもらったりして、
ほんと、人生って分からないし不思議。

もし、先生に再会できたなら、
職業や志望校がどうのじゃなくて、
「良い市民」になりなさいと言ってくれたことに、
私はお礼を言いたい。
先生が言うところの良い市民になれたか自信はないけれど、
よりよい社会になったらいいなぁと、ずっと思ってきた。

高校卒業を記念して、
先生は、私たちクラスの生徒に、黄色の小さな紙切れをくれた。
それには、先制が模写した星の王子様のイラストと、
二つの送る言葉があった。
「It can be done」(できるモン)と、
「気がつけば頂上」。
この黄色の小さな紙切れは、
アタシのお守りみたいになっていて、
お財布のポケットが定位置になっている。

橋本 治さん

橋本治が亡くなった。
橋本治の評論やエッセイを、ずーっと心の支えにしてきた私は、
突然の訃報に、もう何がなんだか分からない。

作家で、イラストレーターで、編み物の達人。
頭がよくて、でも肌感覚のようなものにも敏感で、
世界の変化に、「おかしいよ」と真っ先に気が付くカナリアのような人。
これは美しいとか醜いとか、好きだとか嫌いだとか明確に基準があって、
だから、時には世間にプンプン怒るのだけれども、
あのニコニコ顔のように、いつだって機嫌がよくて(だと思う)
とってもチャーミングな人。

橋本治の文章は、読後に人柄の良さや優しさが残るのだけれど、
実際、とても優しい人だったようだ。
「愛のテーマ・序曲 橋本治研究読本」という、
橋本治について、作家仲間やマンガ家、編集者らが語る本があった。
(現在は絶版)
原稿を取りに行ったら、
っちょっと待っててくれるー?と橋本治は自ら茶を入れ菓子を出し、
編集者は炬燵に入って待ってると、
お腹すいてる?と手早くゴハンを作ってくれたりしたそうだ。
私は橋本治の文章だけじゃなく、
こういうところも大好きだった。

「橋本さんにかけてもらった言葉が忘れられない」と、
お悔みのツイートをする人が何人もいて、
なかでも印象的なのは、作家志望の若者たちを家にあげ、
長い時間語り合ったときに橋本治が言った言葉だ。
「もしも目の見えない人が社会に出て不自由を感じるとしたら、
それは社会が間違っているんだよ」

私もだったけど、
生きづらさを感じていた若者たちが、
橋本治にどれほど救われてきたことだろう。
とてもさびしい。

ナンテコッタイ!

とあるコンサート会場にて。
名ピアニストのピレシュは、オーケストラが演奏を始めた途端、
自分の大きな間違いに気がついた。
なんと、曲目を間違えて、違う曲を弾くつもりでいたのだ。
ナンテコッタイ!

ピアノの前で、頭を抱え左右にイヤイヤする姿はコドモのよう。
大慌ての不幸なピアニストに、
名指揮者のシャイーは「どしたん?」と聞くと、
「…間違えてしもた。違う曲をやるつもりやってん…。とピレシュ。
なのにシャイーは、タクトを振ったままオーケストラの演奏を止めない。
「アンタはんは、これ去年も演ってるさかい、
アンタはんならできるはずや!」
そんなこんなで、自分のピアノの出番が近づいてくる。
ハンベソのピレシュは、口をへの字にして渋々ピアノを弾きはじめると、
なんと最後まで完璧に美しく演奏したのだった…。
ナンテコッタイ!!

クラシック好きな友人から聞いた、
「ピレシュの悪夢(珍事?)」なのだけれども、
私は大抵のことだったら、「ピレシュよりはマシだ」と思えるようになった。
気の毒なことに、ピレシュは急な代役を引き受けたうえに、
曲目も、伝言ゲームのように伝わっていくうちに、
どこかで間違っってしまったのだとか。
しかし、それでも完璧に演奏しちゃうなんてシビレるなぁ。

そうそう、私も同じようなことがあったっけ。
高校の、期末試験だったと思うのだけど、
一日まるっと試験科目を間違えてしもたのだ。
「試験勉強は一夜漬け」が、当時のモットーだった私は、
もちろん、ピレシュのような完璧な出来とはいかず、
数学は赤点と、散々な結果に。
受験科目じゃない現代社会は最高点だったのは、
慰めになったような、ならなかったような。
それ以来、大抵のことは、
「あの時よりはマシだ!」と思えるようになったのでした。

Maria Joao Pires expecting another Mozart concerto during a lunch-concert in Amsterdam – YouTube

四葉のクローバー

ジム・ハットン著、
「フレディ・マーキュリーと私」を読んでいる。

なにもかも手に入れたスーパースターのフレディが、感激したプレゼント。
サヴォイ・ホテルで週給60ポンドで働く理容師のジムは、
フレディの友人たちのようには、高価な誕生日の贈り物はできなかった。
気が引けたジムは、皆がいない場所でフレディに贈り物を渡すことにした。
「すまない。僕には、これしか君にあげられるものがないんだ」と
ジムが申し訳なさそうに差し出したのは、
ティッシュにはさんで押し葉にした、四葉のクローバー。
それを受け取ったフレディは、もう嬉しくて嬉しくて、
「ねぇ!みんな見て!ジムがこんなに素敵なプレゼントをくれたんだ!」と、
四葉のクローバーを見せに、皆の所へ飛んで行ったのでした。
ジムは恥ずかしさで、顔が真っ赤になったとか。

私は読んでいてクスクス笑ってしまったのだけれども、
アイルランドからロンドンにやって来たジムは、
四葉のクローバーをお守りにして大事にしてたろうと想像した。
ああ、そうだ。フレディの言う通りだわ。
こんなに素敵な贈り物はないんじゃないかと、私も思ったのでした。

この本の初版が本屋に並んでいた頃、私は視力がまだあって、
フレディとジムが並んで座っている写真が、本の表紙だったと思うのだけれど、
朴訥とした感じのジムの隣に、
とても穏やかな表情のフレディが写っていたことを憶えている。

声の色

先週のことになるのだけれども、
「今日は一日、クイーン三昧」のラジオオンエアを聴いた。
…いい曲いっぱい。
なんか、最近にない音がしてると思ったら、オンエア全てがレコード音源だった。
ふくらみのある豊かな音。
レコードに馴染みのない、若いリスナーなのか苦情があったようだけど、
レコードならではの針飛びや、
針の回る、プチプチ聴こえる雑音も懐かしい。
そして、
素晴らしいフレディの歌唱に、私は惚れ惚れとしたのだった。

4オクターブの声域と言われたフレディだが、
数年前に、驚きの研究結果が発表された。
最新の技術を駆使した、科学的な解析によると、
「やっぱりフレディ、普通じゃないわ!」と思いきや、
なんと、一般的な成人男性並みの声域だったと判明したのだ。

エーッ!?
短髪のマッチョ姿のフレディしか知らなかった私が、
長髪の王子様だった頃のフレディの姿お見た時も、
それはそれは驚いたものだけれども、
フレディが、ごくごくフツーの声域の持ち主だったなんて!?

じゃあ、どうやって、あの超人的な歌唱が実現したの?
研究チームによると、フレディの喉の使い方に秘密があって、
ビブラートの揺れがかなり特殊で、高速かつ複雑なものだという。
また、フレディの話す声や歌う声は、
高い声でも低音も同時に鳴っていることが分かった。
これは、ホーミーの歌唱法と同じで、
地声の他に、倍音が加わっているということ。
通常は発声に使われない、声帯のヒダの部分さえも音を発しているというのだ。

…そうだったのかー!
野球のピッチャーみたいに、球が速けりゃいいってもんでもなくて、
意外と声域や声量に恵まれた歌手が、
一本調子で、聴いていて面白くないってことがある。
声が綺麗なだけでは、物足りなくなったりもするし、
上手いだけの歌、感心するけど、それだけ。

反対に、美声とはお世辞にも言えないシンディ・ローパーの声が、
妙に心に響いたりするし、
上手いソウルシンガーが山ほどいたのに、
ダイアナ・ロスの、ハスキーなんだけどサラっとしてる蜂蜜声は他にない。
フレディも、正式に声楽を学んだ人のほうが上手いのかもしれないけど、
あの色彩豊かな歌は、ちょっと異質だ。

…と、いま書いて気がついたのだけれど、
たしか、シンディは、アート専攻だったはず。
ダイアナは、幼いマイケル・ジャクソンに絵の手ほどきをしていた話は有名で、
フレディは、アートカレッジでデザインを学んでいた。
声と言う色で、歌を描いているのかな。
なんか、そういう感覚を感じるアーティストの歌、
茶目っ気っていうのか、
チャーミングな感じがするのは何故だろう?

秋の散歩道

昼下がりに、サンダーと並木道を歩く。
カラコロと何かが近づいてくる音がして止まったら、落ち葉だった。
秋の落ち葉は、愉快なイタズラっ子みたいだ。
大きな枯葉がベタと、
私の顔やサンダーの頭に見事に命中したりもする。

落ち葉掃きをしているご町内のオジサンに、
顔見知りらしきオバチャンが、
「葉っぱが落ちるあいだはイカンねー」なんて、
のんびりした口調で話しかけている。
オジサンは箒とチリトリを動かす手を停めて、
「いやもう、ほんとイカンのだわー」と、
同じくのんびりとした口調で答えていた。
掃いた次の瞬間に落ち葉が降ってくるのよね。
やっぱり、落ち葉はイタズラっ子だな。

今日は季節外れの陽気で、
Tシャツにネルシャツという薄着だったのに暑かった。
マフラーを巻いて、
ダッフルコート着て歩くのは、いつになるやら。