月別アーカイブ: 2017年3月

そのときめきは、ときめきなのか

こんなワードローブ、こんな毎日にしたくて片付けは続いている。
無雑作にパッと手にした服を着ても様になって、
そのまま出かけることができて、心地よくその日を穏やかに過ごす。

なぜなら、その反対だったからねー。
毎日なにを着るのか悩んで、そのわりに気に入らなくて、
なんだか落ち着かない一日を過ごすこともあった。

まず、選ぶのに悩むほど服をたくさん持っていた。
暗闇でパッと手にした服を着たら、とんでもないことになる確率が高かった。
なぜなら私は柄物が好きだったのだ。シャツはチェックかボーダー。
ボトムに柄パンツもあったし、スニーカーは珍しい色柄をコレクションしていた。

目が悪くなって、あるグッズを買おうか考えたことがあった。
便利グッズに色を音声でおしえてくれるマシンがある。
服に当てると色を判別して「青デス」なんておしゃべりしてくれるのだけど、
チェック柄のシャツなら、当てるところによって青だったり白だったりする。

そうまでして柄物を着たい? 心の声はノー。
そもそも洋服を「ときめく」で選ぶと柄物ばかりになっていたのだけれども
そのときめきは、ときめきだったのか今にして思うと少々あやしい。
単純に柄物って、目に入る情報量や刺激が多いからね、
その刺激によるドキドキが「ときめいてる!→好き」になっていたような。

そんなわけで、柄物は厳選して少なくなり、服の量も減った。
すると「おー!いいじゃん!」なのでした。(これが、ときめきかも!)

春はポップコーン

どういうわけか、今くらいの時期にポップコーンが食べたくなる。
塩気がほしいのか、軽い食感がいいのか分からないのだけれど、
ポンとはじけるポップコーンは、どこか春っぽいような気もする。

友人によると、ポップコーンには「きのこ」と「ちょうちょ」があるという。
ポップコーン用のトウモロコシの種類を爆裂種(そのまんま)といって、
ポンと炸裂するカタチが大きく二種類あるのだ。
「きのこ」のように丸っこくはじけるマッシュルーム種と、
「ちょうちょ」が羽をひろげたようにはじけるバタフライ種。

マッシュルーム種は、きのこ型に。
バタフライ種は、ちょうちょ型に。
パウダーのようなサラサラのフレーバーが均一に付くのはマッシュルーム、
キャラメルのようなトロリとしたフレーバーがからみやすいのはバタフライ。
それぞれはじけ方が違えば、
それぞれ相性のいい味付けも違うってこと。

人は、トウモロコシほどシンプルにはいかない。
自分の「らしさ」だったり「むいていること」を「いいじゃん!」と思えない。
マッシュルーム種がバタフライのように華麗にはじけようとしたり、
バタフライ種がマッシュルームのように丸っこくなろうとしたり。

…ポン!
そんな私のあれやこれやの考えを吹き飛ばすかのように、
ポップコーンははじけまくるのさ!
(さ、つくろうっと)

魔法の言葉 名古屋ウイメンズマラソン(後編)

今年がいちばん楽しかった!と母が言う。
母は毎年、名古屋ウイメンズマラソンを観戦しているのだけれど、
今年は大会ボランティアで参加したのだ。

母のチームの受け持ちは31キロ地点。
このあたりとなると歩いているランナーも増えてきて、
歩いているランナーに、自転車にのったスタッフがリタイアをうながしはじめる。
時間制限もあるけれど、なにより無理をさせてはいけない。
あちこちに医療スタッフが配置され、
後ろから、ランナーを収容する名鉄バスが4~5台ついてくる。

31キロ付近に、ランナーの会のサービスブースがあって、
そこから「とっておきのひとこと」がランナーに飛ぶ。
その言葉を聞いて、再び走り出すランナーのいることいること。
「ティファニーが!」
「まだティファニーが間に合うよ!」
そう、大会を完走した全員プレゼントは、
ティファニーの大会オリジナルペンダント。

普通は「あと10キロ 頑張れ!と言うと思うんだけどね、
「ティファニーが!」なのよ、と母。
ティファニーの魅力ももちろんだけど、どこかユーモラスで笑いを誘う、
このひとことの効き目といったら、まるで魔法みたいだったとか。

トップ集団の走りは本当にアッ!というまなのだそう。
もう来たの?! え、もう行っちゃったの?!で、
それから後は延々と市民ランナーが賑やかに、
コスプレをしたランナーやランニングドクターも走り抜け、
歩いているランナーは、魔法の言葉で走り出す。
そっか、たくさんのドラマ、たくさんの女神たちが来ては去っていったんだね。

こんな楽しい体験、観ているだけじゃなかったわ!
そう言って母は、いつもより元気に帰ってきたのでした。
(あなたの魔法の言葉はなんですか?)

名古屋ウイメンズマラソン(前編)

母が名古屋ウイメンズマラソンへ。
もちろんランナーではなく、例年のように観客でもない。
今年は大会ボランティアとして参加なのだった。
母が通う名古屋市高年大学は、大会をお手伝いするのが習わしという。

マラソンは30キロから
なんてマラソンの解説で聞いたりする。
私はハーフの20キロを、高校のマラソン大会で走ったことがあるくらいで、
その30キロからの世界は想像するしかないのだけれど、
ここからスパートしたり失速したりのドラマは、オリンピックでも記憶にあって、
30キロって、マラソンの女神がいる地点なのだろう。

さて、今回の母の役目はというと、
その30キロ地点の看板を、ランナーに掲げてお知らせするボランティアである。
(追記・帰宅した母によると31キロ看板でした。)
いや、女神なんて言うつもりはなくて、
いかにも「おっかさん」たちがお手伝いしているのも名古屋らしいなってこと。

今年も母はいつものように、
「見ているだけで走った気分」と言って帰ってくるのかな?
完走してもしなくても、ランナーもランナーじゃなくても、
ようやったがね!の名古屋なのでした。

見ているだけで走った気分になるのはなぜか? | ブログでフムフム

http://hum-hum.jp/wp/?p=2152

「共感疲れ」を考えてみる

東日本大震災から「共感疲れ」が知られるようになった。
自分が直接に被災したのではないのに、
被災した方の痛みや悲しみを感じて、心や身体に不調がでる現象だ。
長いあいだ、共感する感性が大切にされてきた日本の社会では、
「感じる能力」が備わっている人も多く、共感疲れをおこしやすいという。
(ちなみに、共感力が要る職業のひとつであるカウンセラーやセラピストは、
この共感疲れを防ぐためのトレーニングを受けます)

毎日のように、事件や災害の映像を目にする社会に生きている私たち。
自分の心のなかに「幼い子」がいることをイメージしてほしい。
私たちが映像を見て平気でも、心のなかの幼い子はどうだろうか?
幼い子は「今おきていること」と「過去おきたこと」は区別できるだろうか?
また、「ここでおきたこと」と「遠くでおきたこと」の区別は?
それから、「自分におきたこと」と「他人におきたこと」の区別もどうだろうか?

まるで幼い子のような自分の無意識は、
今と過去、ココとソコ、自分と他人の区別がはっきりしていない。
たとえば、こんな風に言い聞かせて区別をしてあげてもいい。
「過去に遠いところでおきたことで、自分に直接あったことではないんだよ」と。
そして、心を「いま・ここ・自分」に戻して、
ほら、安全でしょ?と落ち着かせてあげよう。

もし、理由の分からない疲れを感じている人がいたら、
試しにテレビやネットニュースから一か月ほど距離を置いてみては?

困った食いしんぼうさんたち

あぶらと炭水化物の組みあわせは旨い
バタートースト バターごはん 卵かけごはん…
またも糸井重里さんがブログで力説してる。
困るのだ。
もうね、読んでいて腹が減るじゃないか!

矢野顕子さんもかなり困る。
山下達郎さんいわく「歌詞に最も食べ物が良く出てくる作詞家である」矢野さん。
だって曲名が「ラーメンたべたい」ですよ?
♪ラーメンたべたい うまいのたべたい いますぐたべたい
チャーシューはいらない なるともいらない ぜいたくいわない
けど けど
ねぎはいれてね にんにくもいれて 山盛りいれて(歌詞より)
この曲は、とくに今日みたいな寒の戻りに聴いてはならない。
思わず買い置きあったかな?なんて即席麺をさがしちゃう。

そして、いま友人がベトナムを旅行しているのだけれども、
この友人のメールがまた、読んでいて腹が減って困る。
なに?さっそく空港でフォー(ベトナム麺)を食べた?
「優しいスープに米の麺。刻みネギもいっぱい入ってるのに、
別のお皿に山盛りのミント、生のもやし、
生の赤とうがらしのスライス、ライムがついてきました!
いい国です♪」
きゃぁ、おいしそう!(名古屋は雪ふったのよ)

*春期生の募集中です* 日本カウンセラー学院 名古屋サテライト校

カウンセリングを学ぶことは、コミュニケーションを学ぶこと。
そう私の恩師である内海早織先生は言う。

意外に思われるかもしれないけれど、
はじめからコミュニケーションが得意な人や、
はじめから人付き合いが上手な人がカウンセラーを目指すわけでもない。

私も含め、私の知るカウンセラー達は、
それまでの人生で、コミュニケーションが苦手だったり、自信がなかったり、
人づきあいに何かしらつまづいた経験を持つ人ばかりだった。
とても素晴らしいことに、だからこそ、
カウンセリングを学ぶこと、学び続けることに大きな価値がある。

コミュニケーションは、自分以外の誰かとするもの。
そして、自分自身ともするもの。
自分自身とどう付き合うかは、実は人生の鍵になる。

***(内海早織先生のホームページより抜粋)
講義は、2017年4月22日(土) スタート 
隔週(2週間に1回)土曜日13:30~17:45
1コマ2時間の講義を、1日2コマのコースとなっています
計40コマの講義(専修科)を修了し、
資格取得のための試験を受けることが可能です

当オフィス(*内海先生のカウンセリングルーム)の入るビルの1階会議室にて開講
国際センター駅3番出口すぐ、名古屋駅からは徒歩10分の場所です

*詳細は、日本カウンセラー学院のHPをご覧ください
まずは、東京日本橋本校へお気軽にお問合せ下さい。

担当講師 内海早織(ピースフルマインド・オーシャン代表 心理カウンセラー)

*名古屋サテライト校│日本カウンセラー学院

https://www.therapy.jp/gakuin/campus/detail-nagoya/

*ピースフルマインド・オーシャン

http://peaceful-mind-ocean.com/top

シャトルデニム

世の中では、とくに若い人のジーンズ離れがすすんでいると友人から聞いた。
私はなんだか寂しい気がするけれど、そうかもしれないなぁとも思う。

ジーンズが好きだった私でも、最近ジーンズをはくことが減っている。
ジーンズは堅いし、重いし、腰によくなさそうだし、乾くのに時間がかかる。
年齢とともに体型も変わり、ほとんどのジーンズは手放したけれど、
それでも数本のシャトルデニムのジーンズは、現役で残っている。

織るのに時間のかかる、旧式の古いシャトル織り機で織られた伝統的なデニム地。
しじら織のようなその凹凸は、夏は涼しく冬はあたたかい。
その人の体に沿って、縮むところは縮み延びるところは伸びる。
はきこんで体になじんでいく様は、育てるという表現がぴったりだ。

亡き父は70を前にジーンズをはきはじめた。
ラッキーなことに(アンラッキーなことに)私とサイズが同じだったので、
私が持っていたシャトルデニムの中から、父に「お下がり」したのだ。

私は父の棺に、父がはきこんで育てたジーンズを入れた。
そして後で自分のジーンズに脚を通した時に、間違いに気づいたのだ。
…これは、アタシのジーンズではない!
なんと、私の育てたジーンズを父の棺に入れてしまったのだ。
ガーン!!

かくして私のジーンズは旅立ち、父のジーンズが残った。
ご丁寧にも、なにもこんなに大きく書かなくてもと思うくらい、
裏返した前ポケット部には、マジックで書かれた父の名前が。
だいぶ先なんだけど私の棺に入れてもらって、あっちで交換してもらうつもり。

3月4日5日 荒子公園 梅まつり

組み合わせのよいことの例えを、「梅にウグイス」と言う。
春にいちばん早く咲く花と、春を告げる鳥。
梅の香が漂い、ホーホケキョが聴こえる春がやってきた。(まだ寒いけどね)

ところで、ウグイスは鶯色をしていない。
意外と地味な茶色なのだ。(すこし緑入っているけど地味目)
なので、声はすれども目立たない。
ホーホケキョの声に見渡したら、アイツの方がきっと目に入る。
メジロだ。
鮮やかな緑に、白のアイライン。
かくしてメジロのボディカラーは鶯色として、
ウグイスに献上されてしまったとかしなかったとか。

さて、梅の木にとまっているとしたらウグイスよりはメジロかも。
メジロは花の蜜や果実を好む。
ウグイスは藪のなかで虫を食べる。
梅の木にとまっている鶯色のあいつを見つけて、
「鳴くまで待とう」と待っていても鳴かないからね!
(ホトトギスでもないからね)

「荒子公園 梅まつり」
4日5日 梅まつり
5日 荒子観音「円空市」
4日から12日 盆梅展
・地下鉄「高畑」駅から徒歩10分
・市営あおなみ線「荒子」駅より徒歩5分

おかえりオザケン/「ボクの音楽武者修行」小澤征爾・著

ミュージシャンの小沢健二さんが、日本で音楽活動を再びはじめた。
なんと19年ぶり。
ネットでは、オザケンがオジサンになってる!とざわめいているけれど、
私は小沢さんの見た目が年相応になっていることが、なんだか嬉しい。
ニューヨークに渡り、世界の治安のよくない国々でも暮らし、旅をした小沢さん。
つるつるのタマゴのような顔のままだったら、こんなに待った甲斐がないじゃない?

叔父上の小澤征爾さんの若い頃に、小沢健二さんはそっくりだった。
顔のつくりも、はにかんだ笑顔も、色白で細身の体型も。
だから、小沢健二さんがもっと年を重ねた姿は、マエストロみたいになるのかな?

そういえば、小澤征爾さんの本「ボクの音楽武者修行」が、
なぜか家の本棚から三冊でてきたことがあった。
古い版は、大学でオケに入っていた姉のもの。一冊は知らずに私が買ったもの。
残りの一冊は知らない。それくらい面白い本だってこと。
クラシックに詳しくない私でも夢中になった、とびきりの冒険旅行記だ。

若き指揮者の卵が、貨物船で海を渡り、
スクーターに乗って、クラシックの本場ヨーロッパを巡る。
あてがあったわけじゃない。行き当たりばったりの旅。(今から60年前だ)
いくつもの街で暮らし、街の人と仲良くなり、
ホームシックにもなり(この処方箋がユニーク)
ついに指揮者の卵は、立派な指揮者になって日本に戻ってくる。

突き動かしたのは好奇心だけ。しかし、それで遠くまで行けちゃう。
遠くまでとは実際の距離とは限らない。心のなかも旅だろう。

そして小沢健二さんは帰ってきた。
私はニヤニヤしちゃって大変なのでした。(バンドの頃から大ファンなんだもん)

「ボクの音楽武者修行」
小澤征爾・著/新潮文庫