月別アーカイブ: 2016年9月

早生ミカンの季節がやってきた

私はこの青くて小ぶりなミカンが大好き。
ぎゅっとした甘さと、身震いするくらいの酸味が
夏の疲れが出ている身体に沁み渡る。
二つほどポンポン食べると、なんだか元気になってる。

旅行や出張が多い友人も、
旅先では生の果物を買ってきて、せっせと食べるという。
すると、疲れの回復が違うのだとか。

そういえば以前、母とデパートへショッピングに出かけた時、
二人とも疲れ果ててしまったことがあった。
足が止まった場所が、生フルーツのジューススタンドだったので、
柑橘レモンシトラスを搾ってもらって飲んだのだった。
すると、みるみる身体に活力が戻って、
母と私は、その即効性に仰天したのだった。
うわぁ、生の果物のビタミンCってすごいねー。

以来、私はますます柑橘類が好きになったのだった。
温暖な地方で見た、
どの家の庭にもオレンジ色がたわわな光景、
もう可愛らしいわ、興奮するわ。
この光景、思いだすだけで幸せな気分になる
私の「心の引出し」の中のひとつみもなっているのでした。

「お泊まりしたい」ほど好きな場所は?

ジュンク堂書店で「お泊り読書」ができる、
「ジュンク堂に住んでみる」ツアーが大人気とか。

ジュンク堂書店の私のイメージは、「エッジの効いた本屋さん」。
他の書店で見かけない本を、
「おっ!」と、見つけた経験が何度もあった。
このツアー、本の虫さんには堪らないだろうなぁと思うのだった。

芸術の秋、読書の秋、
その上、秋の夜長ときてる。
美術館、水族館、博物館などは既に企画がありそう。

普段は泊まることができないけど、
いっそ泊りたいほど好きな場所は、人それぞれあるんだろうな。
周りの人に聞いてみたら、
やっぱりねーとか、
そりゃ、意外だなーとか、
思わぬ「その人らしさ」が見つかるかも、と思ったのでした。
さて、あなただったら?

エウロパ/おばちゃんヨーダ

木星を周回する衛星のひとつ「エウロパ」。
氷で覆われた表面の下には、地球の二倍の水量の海があるとされ、
晴明も存在するのも不思議ではない、と言われてきた。

「NASAがエウロパの重大発表するんだって!」と友人から聞いて、
ついに生命体の発見なの?!と、
私はこの数日、ワクワクしながら待っていたのだけれども、
「氷の割れ目から、水らしきが噴き出していることを確認」という発表だった。

ちょっと肩すかしな気分になったけど、
理論や計算の上では「水があるはず」が、
実際にハップル望遠鏡でキャッチして「水、ありそうです!」
になったということは、きっともの凄い進歩、
いや、もう次元の違う話なのだろう

考えるだけならいくらでもできる、
感じたことがなかったらアカン!
いつも私の中で、関西のオバチャン風の「超訳」になっちゃうのだけれども、
ヨーダのあまりにも有名な言葉が浮かぶのでした。

テレビと疲労は関係あるの?

テレビを全く見なくなって5年になる。
(視覚障害者ですが、「テレビを見る」と言う表現が一般的なので)

報道や情報から距離を置こうかな、と
かれこれ10年は、ほとんどテレビは見なくなっていたのだけれど、
自分のテレビを捨ててからというものの、なんだか楽なのだった。
(ちなみに、母の部屋にはあります)

たまに出先でテレビに遭遇するのだけど、
テレビって、こんなに疲れるものだったかしら?
番組の効果音が、衝撃的でインパクトがありすぎたり、
バラエティーの芸人さんが、必要以上に騒々しかったり、
CMでは、急にボリュームやテンポがアップしたり。

無意識に息をのんだり、速くなったり、
自分の身体を観察してみると、呼吸が影響を受けてる…。
テレビを見なくなって楽になった理由が分かったのでした。

そんなテレビの疲労に気がついたときは、
「息を長く吐いてから、ゆっくり深い呼吸」を。
(テレビを消すという選択も、お忘れなく)

人は人で変わっていく

この夏、懐かしい仲間と歌声に再会した私。
…まるで昨日のことみたい。

ある時期、気づきをシェアしあう合宿に
参加したり、手伝いに行っていたことがあった。
子どもからお年寄りまで、参加者の年代は様々で、
職業や経験も、国籍や宗教もバラバラなのに、
不思議な「偶然の出会い」が発生することがしばしばあった。

参加者全員で、時には小さなグループで、
感じたことや思ったこと、自分の抱えている悩みや願いなどを分かち合うのだが、
「昔の私と一緒だわ」とか、
「私のお母さんはこんな気持ちだったのかな」とか、
「まるで息子の姿のようだ」とか、
「この悩みは他人事と思えない」etc。

他の参加者に、自分や誰かをオーバーラップしては、
誰かの気づきが、また誰かの気づきを呼び覚まして、
他人の変化を、自分のことのように喜ぶ瞬間があるのだった。

気づきが気づきを促して、人は人で変わっていく。
私の「癒しとは何か」の原点なのでした。

ブーバとキキ効果/ボンゴとコンガの見分け方

突然ですが質問です。
以下のAとBの図形に、あなたが名前をつけるとしたら、
どっちが「ブーバ」で、どっちが「キキ」ですか?

A・ふっくらモコモコの曲線で囲まれたソフトな図形
B・ギザギザの突起で囲まれたシャープな図形

これは「ブーバ/キキ効果」と呼ばれる有名な心理テストで、
人種・性別・年齢・言語に関係なく、ほとんど大多数の人が、
「Aのモコモコがブーバで、Bのギザギザがキキ」と答えています。
人には、音と図形に類似性を持とうとする心の働きがあるのですね。

脳や感性の研究家の黒川伊保子さんによると、
口腔内の息の速さや、唇の感覚とリンクしているからでは、と。
たしかに、「ブーバ」と「キキ」と発音すると、
口の中で、ブーバはふくよかな膨らみが、キキは鋭利で固い感覚を覚えます。
音から受けるイメージって面白い…。

さて、15年ぶりにひょんなことから、
自分が使っていた打楽器が、手元に戻ってくることに。
あったことすら忘れていたのですが、
もう名前がどっちだったかも忘れてる…。
ボンゴだったかな?コンガだったかな?

そこで調べてみたら、
ボンゴっぽいほうがコンガで、
コンガっぽいほうがボンゴ。

つまり、叩くとボンと重い音がするのがコンガで、
叩くとコンと軽い音がするのがボンゴなのでした。
(あ、ボンゴだ!)

ジドリボーって

スマホで自らを撮影する補助スティックだったのか…。
私は「地鶏棒」かと思っていた。
棒状のチキンナゲット? うまい棒のような駄菓子?
名古屋コーチンとか比内鶏とかの地鶏の。

なので、友人から詳しい説明を聞いて、もうびっくりした。
そんなアイテムがあって、しかも売れているの?
そして自分の頭のなかの漢字変換にもあきれたのだった。
しかし、自撮り棒ってネーミング、漢字も響きもムズムズするなぁ。

ドローンのことを聞いたときもムズムズしたものだ。
蜘蛛か蝙蝠みたいな形状で、どろーん。
…ムズムズ。

それから、イケメンゴリラのシャバーニ。
名前からしてイケメンな感じ。
しかし、私はゴリラのイメージのストックが貧弱なのか、
浮かぶヴィジュアルがなぜかゴリラーマンになってしまう。
涼しい目元ということなので、イメージしてみるもなんか変…。
ゴリラのお顔に、ゴルゴ13の目をモンタージュしたみたいな違和感が。
なんだかクスクス笑った。(造りだけでなく、きっと表情もイケメンなのね)

こんな風にムズムズしたりクスクスしたり、
時にはジーンとしたりホロりとしたり。
目の見えない日常はけっこう退屈しないのだった。

東京は夜の七時

リオ・パラ五輪の閉会式の、東京プレゼンショーで、
ピチカート・ファイヴの「東京は夜の7時」のカバーが流れてきた。
渋谷系世代でピチカートも好きだった私は、とっても嬉しい
10代を渋谷系音楽で過ごしたという椎名林檎さん、
こんなに大きな舞台で、洗練された素敵なショウを…また感慨深い。
そして、「もうひとつの東京は夜の七時」を思う。
なんて偶然なんだろう…。

このピチカートファイヴの曲がリリースされた当時、
リーダーの小西さんのインタビューが、「ポップインズ」誌に載っていた。
矢野顕子さんの初期作「東京は夜の七時」が好きなんですけど、
同じなのはタイトルだけ、ピチカートの世界で作った、という内容だった。

さて、その矢野さんの「東京は夜の七時」は、今から40年前の作品なのだが、
出だしの歌詞はこうだ。
「東京は夜の七時 リオデジャネイロは朝の七時」
…40年の時をこえての偶然が。すごいなぁ。

曲中で他にアンカレッジやカイロやニューヨークの時間が出てくるのだが、
「行ったことないとこ、会ったことない人」に思いを馳せ、
いつか行ってみたいなぁ…で、私の初海外はカイロだった。

「手をのばしてごらん 届いた」
今や世界は近くなった。たぶん心の距離も。

矢野顕子 – 東京は夜の七時 (LP version) – YouTube

(結成前のイエロー・マジック・オーケストラ、
コーラスに山下達郎さんと吉田美奈子さんが)

今年はまだ終わってないけれど

時代の節目を感じさせるようなエンタメニュースが続く。
smap、こち亀、笑点、さんまのまんま、永さん、巨泉さん…
国民的なだったり、象徴だったり、お茶の間のいつものだったりの。
この先の喪失に戸惑ったり、
自分の「あの頃」までも思い返すような、
あらゆる世代から、まぜこぜの感情のこもった息が聴こえてきそう。

テレビもアイドルもマンガも縁がないけど…、
そんな人にも、デヴィッド・ボウイ、プリンス、冨田勲さんがいる。

たいていの終了や解散、訃報は、
さほど知られずひっそりとしているけれど、
それぞれの人に、家族や周囲にも、節目をもたらすものだ。

まぜこぜの感情のなかから、希望なんかを見い出しては、
その先の幹を伸ばしていく。
節目って比喩、よく言ったものだな…と思ったのでした。

伝説のターン

母が50の誕生日を迎えた時、真顔で言った。
「折り返しかぁ…。」
聞いていた私たち姉妹は、同時にのけ反ったのだった。
これはわが家で語り継がれる「母 折り返し伝説」である。

実際、母の祖父(私たちの曽祖父)は
百歳の大往生だったのだ。
身近な家族がロールモデル(規範や目標になる人)に無意識になるものだが、
元気で達者、シャンと革ジャン姿で裸眼で新聞を隅々読んでいた曽祖父は、
「折り返し」のこの上ないロールもでるだったのだろう。

私の初めの身近なロールモデルと言えば、やはり二歳上の姉だ。
例えば、本や音楽が好きなのは姉の影響が大きい。
ある時期に自分らしさを見つけるまでは、
途中まで姉の後ろを泳いでいたのは間違いない。
姉がこの上ないロールモデルで、
また義兄もそうであることは、
姪と甥を見てもわかる。

四半世紀弱前に二人してのけ反っていた姉も、
わが家の伝説のターンを迎える。
(おめでとう!)