月別アーカイブ: 2018年4月

しぼんだり ふくらんだり

大通りの交差点でのこと。
信号待ちで男の人に声をかけられたのだけれど、
どうにも言葉が聞き取れない。
こういう時は、目が見えてないと困ってしまう。

その人の口調と、
何かを繰り返して言っている様子から、
私は(からまれちゃった)と思って、
「すみません…」と言い、
信号が早く変わるのを祈りながら、
下を向いてサンダーと立っていた。

空気のしぼんだ風船みたいにションボリしていたら、
次の瞬間に言葉を聞きとれた。
振り絞ってやっとな音で、
「わ・た・れ・ま・す・よ」と。
その人は私に、
信号が変わったことを教えてくれたのだ。

アッ!と、
自分の早とちりに気づいて、
何度も「ありがとうございます!」と、
お礼を言って道を渡った。
なんだ、いい人だったじゃないか。
しぼんだ風船は急に元に戻る。

しばらく歩いていて気づく。
発声の機能に難しさがある人だったんだ。
さっきは「まだ渡れません」的なことを言ってくれてたのかな?
聞き取れなかった口調は、
発声や呼吸の問題からなのかもしれないし
しつこく思えたのは、
私が聞こえてない(聞き取れてない)のを見てのことだったのだろうか。
新美南吉の「ごん狐」の、
ごんに謝る兵十のような気持ちになって、
シュンと下を向いてしまう。

おそらく、あの人、
発声が難しい故に、誤解されたりしちゃってるんだろうな。
というか、私、誤解しちゃってたし…。
さらにシュンとなる。

もちろん、私の臆測でしかなくて、
確かなことは、その人にしか分からないし、
思い込みと実際は、
かように食い違うもの。
確かなことは、
声をかけられて聞取れなかったけど、
最終的には聞き取れた」ということだけ。

しかし、
声が出しにくくても、
たとえ誤解されちゃいそうでも、
その人は声をかけてくれたんだと思うと、
ありがたさで一杯になって、
プウウと、
しぼんでいた私の心は、また膨らんだのでした。
(感謝は、まるで魔法)

「シンデレラボーイ シンデレラガール」橋本治・著

もし若い頃に、橋本治の本を読んでいなかったら?
どうにかこうにか、今まで私が持ちこたえてこれたのは、
橋本治のおかげ、と言っても言い過ぎじゃない。
名著「シンデレラボーイ シンデレラガール」で、
自分をやっと分かってくれる人がいたと、
二十歳そこそこだった私はボロボロ泣いて、
しばらくは橋本治の評論ばかり読んでいた。

世の中や物事は、実はこういう仕組みで、
キミのモヤモヤの本質は、こういうことじゃない?
橋本治は、とても難しいことを、
易しい言葉で手トリ足トリ説明してくれるのだけれど、
滋養のある食べ物は、よーく噛まないといけないように、
橋本治の本は、読むのに何かしらの筋力が要る。

道に例えて言えば、
クネクネ道だったり、
ちょっと脇道に入ってみたり、
一旦また路を遡ったりする。
うわ、迷子になった…と心細くなっていたら、
スパーンと目の前が開けるドンデン返しだ。
心と頭のサーキットトレーニングのようで、
読むのにフウフウ、
ついていくのがやっとな感じ。

でも、自分で考えたり答えが出るって、
こういう面倒に思える道のりで、
プロセスだって大切なんだ、と気づかされる。

だから、橋本治は一貫して安易に答えは教えてくれない。
近著「負けない力」でも同じこと言ってる。
いいかい?
自分への問いが生まれたら、こっちのものさ。
キニの答えはキミの中にあるんだからね。
そんな橋本治のいいつけを、
忘れた頃に思い出しては、自問自答していたけれど、
久しぶりに「シンデレラボーイ シンデレラガール」を
視覚障害者音声図書で読み返してみると、
ぎゃあ! すんごいこと書いてあったんや!
カウンセリングの内容じゃないんだけど、
神髄としか思えないことが書いてあって、
橋本治も、私のカウンセリングの恩師だったのねと思ったのでした。
(いま読んでる「負けない力」も、すんごいこと書いてある)

「シンデレラボーイ シンデレラガール」
橋本治・著/河出文庫(現在は絶版)

「負けない力」
橋本治・著/大和書房

草餅と蕨餅で旧暦の雛祭の巻

今日は旧暦の三月三日。
沖縄では、本州の雛祭にあたる、
浜下り(ハマウリ)の日だ。

旧暦三月三日は、いつも大潮なので、
絶好の潮干狩りチャンスだ。
沖縄では女性たちが浜辺に繰りだし、
潮干狩りを楽しみつつ、
海水に足を浸し邪気をはらう。
今風に言うとデトックス? 海水でエネルギーの浄化だ。
本州の雛祭でもハマグリやアサリを食べるけれど、
沖縄の場合は、女性が貝を拾いにいって調達してくるわけね。
沖縄の御姫様(おひいさま)たちは、
お部屋でかしこまってなんかない。
ビーチへgo go
重箱に詰めた赤飯やムーチー(餅)を食べ、
皆でわいわいビーチピクニックなのだ。

沖縄が羨ましいのは、
海と生活がとても近いことと、
季節と伝統行事がズレていないこと。
新暦の三月三日の桃の節句は、
いくらなんでも寒いもんね。

今日は旧暦の三月三日だったと気付くのが遅かったけれど、
偶然にもご近所さんが草餅と蕨餅を持ってきてくれたので、
これにて雛祭としました。

*古くは、桃の節句を「草餅の節句」とも言っていたそうです
なお、草餅に使われていたのはヨモギではなく母子草。春の七草のゴギョウです。
餅に草を練り込むのは、
草の匂いが邪気をはらうと考えられていたからだとか。
(ヨモギにもゴギョウにも、整腸作用があるね)

備忘録 春のスローガン

先週の暑さが嘘のように寒い。
薄手のセーターを着て、
マフラーを首に巻き、
腰にホッカイロを貼る。

「桜が終わるまで冬物は残しておきましょう」は、
私の春のスローガンなのだけれど、
結局のところ、
「4月いっぱいは冬物を残しておきなさい」になる。
彼岸が過ぎても、
桜が終わっても、
急に冷え込んだりするのが、4月というもの。
でも、
この「結局のところ」を、いつも忘れちゃう。

そこで救世主になるのが、
高かった薄手のセーターとか、
カシミヤのマフラーとか、
パシュミナのストールとか、
家で洗うにはためらってしまう冬物の皆さん。
まだクリーニング屋に持って行かなくて良かったー!

結局のところ、
「5月にクリーニング屋の割引ハガキが届いてから、
冬物はクリーニングに出しましょう」だったのだけれども、
これは言われなくても守れているのでした。

さて、
春の陽気で、血管が開きつつある身体は、
言ってみれば「むきだし」になっている。
冬よりも寒さを感じやすいので、
急な冷えこみには、衣類や小物で調節を。

そして、
春は気温の変動で、隠れ脱水になりやすい。
身体以上に水分が必要なのは脳。
水分の不足が、身体だけでなく精神的な疲れの原因になることも。
白湯や温かいハーブティーをどうぞ。
(ついつい忘れちゃうので書いておきました)

知っていたら、できることはある

大相撲春巡業で、
舞鶴市長を救命中の女性に、「土俵おりて」のアナウンスが。
このニュースを聞いて私が思ったのは、
咄嗟に救命措置できる人、そんなに少ないの?!だった。

20年ほど前に、両親と消防署で救命講習を受けたことがあった。
当時はまだЭИDは普及しておらず、ЭИDを使った内容は無かったけれど
人工呼吸と心臓マッサージのやり方を教えてもらった。
講習は盛況で、
揃いのウエアを着たスポーツサークルの人たちや、
中学生兄弟とその家族や、ママさん達が参加していた。

なので、講習の人気ぶりや、
あれから20年経っていることを考えると、
石を投げれば、救命講習を受けた人に当たるんじゃないかくらいには思っていた。
しかし、土俵上で倒れた市長さんを見て、
何もできず、ただ立っている男の人ばっかりだったとは。

もしかして、中には救命措置を知っている人はいたかもしれない。
何千人が見ている前では、とても勇気がいることだろう。
「「「誰かやるんじゃないか」
「誰もやっていないから、やらないでおこう」
そんな集団心理も働くもの。

サンダーと歩いていて、私も経験があるけれど、
たとえば、東京駅や名古屋駅のコンコースなど、
あまりにも大勢の人がいる場所のほうが、
助けを求めた時に、なかなか捕まらなかったりする。

それから、
あの場内アナウンスが問題だと思うのは、
救命措置をしている人は、周りの人に指示をする必要があって、
その声を邪魔してしまうからだ。

心臓マッサージを交代してもらったり、
マッサージの時間やテンポを測ってもらったり、
他に人を呼んでもらったり、
もちろん、119に電話してもらったりと、
そこに居合わせた人たちと、なんとかしなくちゃいけない。
ちなみに、私は救命講習で、居合わせた人への声掛けの仕方も教わった。

「知らなかったら、咄嗟にはできないけれど、
知っていたら、できることはあるよ。」
サンダーと体験学習をしている私は、
小学生や中学生に言うのだけれど、
ホント、そうだわ!

「入店お断り」に思う事

盲導犬を育成するアイメイト協会(東京練馬)によると、
現在アイメイトを使っている235名を対象に、アンケートを実施した結果、
回答のあった119名のうち、6割を超す人が、
昨年4月から今年2月までの期間、アイメイトを連れていることを理由に、
入店や施設の利用、乗車を拒否された経験があることが分かった。

私の場合だけれども、
入店等を拒否された経験は、今まで何度もある。
もちろん、入店できた店は、それ以上に沢山ある。
行きつけのマッサージ屋や美容室、飲食店には、
もう6年になるだろうか、サンダー同伴で通っている。

じゃあ、私が安心して利用するケースは?と言うと、
いくつか特徴があるような。
まず、有名だったり、公共性の高い施設。
(たとえば、帝国ホテルや神戸ポートピアホテル)
それから、外資系の店。
(たとえば、コストコやイケア)
また、大手のチェーン。
(たとえば、マクドナルドやモスバーガー、ミスタードーナツなど)
ズバリ分かりやすいのは、盲導犬の募金箱が置いてある店。

もちろん、有名じゃなくても、外資じゃなくても、
それに、大手でなくて、募金箱がなくたって、安心して入れる目安はある。
個人経営なら、「地域の人に愛されている」店だ。

サンダー同伴の入店を拒否されてしまった店が、
その後に、閉店や撤退が続いたことがあった。
これは単なる偶然なのだけれど、
店に客の気配はなく、入店を酷い口調で断られたことを思うと、
単なる偶然なのかどうか分からなくなる。

余談だけれど、
県外の協会の盲導犬なので、愛知県の補助が受けられなかった私は、
サンダーの育成支援を高野山にサポートしていただいたのだけれども、
アイメイト協会によると、モスバーガーの選択もあったとか。
もしかすると、サンダーの正式名は、
「モスバーガー・サンダー号」になったかもしれないのだ。

こういう社会活動を、「売名だ」と言う人がいたけれど、
愛されている店や企業には、理由があるんじゃないかな、
そう私は思うのでした。