月別アーカイブ: 2016年10月

サンダーと体験学習へ行ってきました

*追記 2017年よりプログラムを変えています。
この記事は2016年度のプログラムになります。

***
昨年も講師としてお招きいただいた、中川区の小学校です。
生徒さんにお話したのは二つのテーマ。
「アイメイト(盲導犬)ってなぁに?」と、
「街で目の不自由な人に出会った時、どうしたらいいの?」。

サンダーと電車に見立てた座席の空席を探すデモンストレーションや、
アイメイトについて説明した、アイメイト協会のDVDを見てもらい、
視覚障害者とアイメイトは、
協力して街を歩く「チーム」であることを知ってもらいました。

一人で街を歩く訓練を受けたアイメイト利用者でも、
お手伝いしてほしいことが時にあります。
白杖をお使いの視覚障害の方は勿論のこと、
誰かの助けが、本当にありがたいものです。

目の不自由な人をお手伝いするとは、
尋ねられた道を説明することであったり、
食事の時に、お皿やコップの位地を伝えたり、
腕を貸して誘導することだったり。

では、誘導するときのポイントは?
実際に生徒さんには、アイマスクを着けたお友達を誘導しながら
二人でドアを通り抜ける体験をしていただきました。

最初に「安心で安全に」を約束してもらい、
まず生徒さんなりに考えながらトライしていただきました。
そして、考えてやってみて、
それぞれのの感想や気づきを話し合い、グループで分かち合いました。
最期に私から「誘導の基本形」をお伝えするスタイルです。

昨年も私が感じたことですが、
生徒さん達の発想の柔らかなこと。
へぇーー!
視覚障害の私も、福祉の専門家の社会福祉協議会のスタッフさんも、
目からウロコの、新たな発見がいくつも。
私こそ、生徒さんに教わった授業だったのでした。

どんな雑誌を読んできましたか?

学習雑誌「小学二年生」が休刊、
残るは「小学一年生」のみに。

あら、うちのサンタはこの現状だったらどうしたかしら。
というのは、私が子どもの時のサンタからのクリスマスプレゼントは、
年によってサンタブーツだったり、筆記用具だったりしたけれど、
毎年小学○年生」の新年号は枕元にあったのだ。

姉と私は普段、学研の学年誌「学習」だったので、
「小学○年生」は、サンタからの新年号だけを読んでいたのだが、
「学習」に比べて内容や付録が違うのはもちろん、写真やイラストの感じも違い、
雑誌には違いがあるんだ、と子どもなりに思ったことを憶えている。

それぞれの雑誌との出会いは、私や姉の好みを形付け、
また、まわりの友達も同じく個性を育んでいた。
年代が上がったり、好みが変わると、
自然にその雑誌を「卒業」して、次なる新たな雑誌へと移行していった。

よくある例えだけれど、私にとって雑誌は学校だったと思う。
誰かが同じ雑誌の読者と知ると、なんだか同級生みたいな感覚があったものだ。
あまりメジャーではない雑誌なら、もう、手を取っ手踊るくらいの勢いである。

そんな雑誌のつきあいをしてきた私には、相次ぐ雑誌の休刊は淋しい限り。
しかし例えば、休刊になった「オリーブ」のかつての読者層が、
歴代の「オリーブ」編集長さんたちが、現在の編集長をつとめている
「クウネル」や「つるとはな」、「暮らしの手帖」に移行しているという。
そんな「続きかた」もあるんだと思ったら、なんだかホッとしたのでした。

もし名古屋が日本から独立したら

魅力のない都市ナンバーワンは名古屋なのだとか。
「そぉ?」と名古屋に住む東北系の私は思うのだった。

そんなに言うなら独立します
なんて、もし名古屋が日本から独立したら、
どの都市が独立しても困るけど、
どの都市よりも「それは困る!」と慌てるのでは?

例えば、トヨタ車が外車になって、
高速道路や新幹線にはパスポートが要るようになる。
まさに日本の心臓であり大動脈。
モノづくりと、人と物の流れを下支えする頼もしさといったら。
言う相手としては安心で、その間は色々なことに意識せずに済むし、
そして名古屋としても「そうですね」くらいの余裕もある。

表面的な魅力よりも、
日本一のフェアトレードタウンであることや、
米・ポートランド的な街づくりムーブメントといった、
これからのよりよい未来の姿に目を向けている。

…いいなぁ。
安定の頼もしさと、信念を兼ね備えた名古屋。
これが人だったら、私の理想とするところかも。
たしかに、そういう人の魅力は分かりにくいかもしれない。
羨ましさがひっくり返ってのジェラシーはあるのだろうけど、
それも、どこ吹く風の「セルフエスティームの高さ」が…。
そういう人に私はなりたい、と思うのでした。
(セルフエスティームについては、またの機会に書きます)

街も生き物

名古屋の繁華街・栄の中日ビルが建て替えになるという。
ちなみに、名古屋の繁華街は名駅地区と栄地区とある。

私はこの中日ビル界隈でデザインの学生だったり、勤め人だったのだけれども、
その時期の栄から矢場町にかけての変貌ぶりといったらなかった。
まずパルコが、松坂屋南館、後にLOFTなどが次々と建ち、
うなぎの寝床のような店や、小さなトラットリアや、
店の前の赤電話につながれた猫がお迎えしてくれる飯屋は消えた。
っちょっと怪しげだった路地が、若者がワンサカ訪れる場所へと。
しかし、今や人の流れは栄ではなく名駅へと変わっている。

人が新陳代謝するように、街や土地も新陳代謝をするという。
気をためる時期と、放出する時期があり、
例えば、伊勢神宮の隣の敷地にお引越しも、
その役割を代わりばんこにしているという説がある。
…もしかして、名駅と栄はそうやって互いの新陳代謝を助けてきたりして?

さて、中日ドラゴンズである。
監督が代わり、GMも去ることになり、親会社のビルの建て替えの発表が。
これは新陳代謝…だといいんだけどなぁー。

「そのまんま」の鏡

自分は匂いにはうるさい人なんです。
そう語る人の指先に、タバコと缶コーヒーがあって、
ムズムズするような、なんだか困ってしまったことが若い頃にあった。
こういう人、愛すべき人って言うのだろうなぁと思いながら、
まるで私の姿を見るようでムズムズしたのだった。

自分のことは、なかなか自分では気がつかないけれど、
他の人の姿を見て、自分を知ることがあるものだ。
こりゃ自分だ!と、イテテテテ!となったり、
反対に、自分が探していた何か美しい物に気がついたり。

良くも悪くも映し出す鏡は、他の人にとって自分もそうなのだけど、
じゃあ、お利口にしよう、とか、
ワルぶってみようか、とか、
なにも取り繕う必要はなくて、
「そのまんま」が、誰かにとって気づきの鏡になったりするものなのでした。
(愛すべき人って、そういうところがあるよなぁ)