月別アーカイブ: 2016年7月

チームですもの/まずは「自分自身にあいさつ」から

名古屋は梅雨が明けて夏本番だ。
さぁ夏だよ、と
私とサンダーは手と手を取り合って、
いや、手と前足を取り合って
なにやら誓うのだった。
夏はサンダーに、より心を向けることになる。

私とアイメイトのサンダーは、最少単位のチームである。
家から一歩出れば、互いに協力して街を歩く。
時には励まし合い、
時にはいたわり合うのだった。

さて、私には、もうひとつの最少単位のチームがある。
内なる自分、である。
時には励まし合い、
時にはいたわりあう。

内なる自分との「おつきあい」の第一歩は、
まず「あいさつ」から。
朝、目が覚めたら誰よりも先に、
自分自身へ「おはよう」と言い、
夜、眠るときは誰よりも最後に、
自分自身へ「おやすみ」を言う。

え?こんなことで?なのだけど、
一番身近なチームである、
自分自身との信頼は案外、
「こんなことから?」と思えるようなものから始まるのだった。

自分自身へ「私は、あなたに心を向けています」という、
毎日の行為の積み重ねが、信頼を育むのだった。

このコミュニケーションは過去から? 「今ここ」から?

今夜は名古屋港の花火大会だ。
毎年いそいそと母は出かけている。
私とサンダーはお留守番である。

出かけはしなくても、家から花火の音は聴こえる。
我が家にやってきたばかりの頃のサンダーは、
かわいそうなくらい花火の音に怖がっていた。
しかし、昨年からは眠っていたり、私とじゃれていたりして、
年々、気にならなくなってきているようなのだ。

サンダーが花火の音に慣れてきた、というのもあるけれど、
私の捉え方も変わってきたのかもしれない。
サンダーが怖がるのを期待しなくなったのだ。

怖がる以外の反応が現れることを
オッケーにしたと言うほうがしっくりくるだろうか。
「この人はいつもこう」と相手に、
「私ったらいつもこう」と自分にも、
過去に起きたレッテルを貼り付けていると、
ご期待に応えてくれるのが無意識の素直で従順なところ。

どんな姿を見せてくれるのかなぁ、とワクワクしていると、
過去から出発ではない、
「今ここ」から出発する、
今の純粋な姿を見せてくれるものなのだった。

このコミュニケーションは安心から? 恐れから?

相当に前のことになる。
私が通っていたスポーツジムのスタッフさんの話だ。

えっと、ここでそれを言っちゃマズイよ?!というようなことを、
その人は相手に言ってしまうことが多かった。
端から見ていてヒヤヒヤするし、
私も言われてモヤモヤした。

その人は悪気があるわけでも、状況が分からないのでもなく、
親しみを深めたい、その一心だということは肌で感じるのだが、
聞き流すにも、受け流すにも、
笑ってスルーするにもコンディションというものがある。
限りなく失言に近い、ギリギリのコース球だ。
私が疲れているときは避けきれず、もろに命中した。
リフレッシュするつもりでジムに通っていたのに、
なんだか気疲れしてしまい、いつしか足が遠のいたのだった。

その人は明るく饒舌な社交家なのに、
何故か違和感を感じてしまうのが不思議だった。
その後にスピリチュアルや心理学を学んで、
「安心」から出発する、「充たしあうコミュニケーション」と、
「恐れ」から出発する、「奪い合うコミュニケーション」があることを知った。

二つの違いは「自己肯定感」によるところが大きい。
自己肯定とは、自分に対する愛や信頼のことで、
自分への愛や信頼が貯まったタンクが、ひとりひとりの心にある。

このタンクの所蔵量を増やし、キープする方法は、
安心から出発する、満たしあうコミュニケーション。
恐れから出発する、奪い合うコミュニケーションを自分が採用する限り、
心のタンクは目減りするばかり。
だから、他人のエネルギーを奪うことに必死になってしまう。
(当ブログ「コントロールドラマ」をご参照ください)

そうか。あのスタッフさんは恐れていたのかも。
親しみを深めたいというのは、
親しまれていないのでは…という不安の裏返しだったのか。
今だったら、どう言えるかな。
そして、自分にも似た要素があるなぁ…と気がついたのだった。

いま私のコミュニケーションは、
安心から出発しているだろうか?
恐れから出発しているだろうか?

ファミリーヒストリー

「封をしたままの手紙」が手渡されていく、
と書いていたのはリルケだったろうか。

その家系のテーマや役目のようなものが、
解読されないまま、子孫に手渡されてゆく。
それは封をしたままの手紙のよう。

やがて、子孫のなかには
勇敢にも自らの苦難や困難によって、
その封を切る者が出てくるものだ。

先日オンエアされた、「ファミリーヒストリー/矢野顕子」を見た。
もう、勇敢なる先祖の話が満載。
母方のテーマと、父方のテーマの、
統合型が矢野さんということが、
よーく分かる。
生きるテーマや役目を知った、
矢野さんのご先祖様達、
なんとスカッとしていることか。

そして、いま苦悩や困難のなかにいる方は、
「手紙」の封を切る役割の勇者であると、
私は信じているのです。

モーニングサービス雑感

名古屋は喫茶店のモーニングサービスが有名であるが、
モーニングサービス発祥の地は、尾張の一宮である。
(一宮の理由については、有名な話なので割愛)

私は一宮に五年ほど暮らしていたのだが、
さすが発祥の地、モーニングサービスが充実していた。
ホットドッグにポテトチップスだったり、
トーストに味噌汁が付いていたり。

しかし、それが名古屋のある愛知県から、私の実家があった岐阜県に入ると、
モーニングサービスはさらにヘンテコな発展を遂げた。
トーストに味噌汁が付いてくるのはノーマルで、
茶わん蒸しが付いてきたり、
うどんが付いてきたり、
みたらし団子が付いてきたり、
なぜか幕の内弁当が付いてきたりした。

もちろんコーヒー一杯だけの値段である。
「終日モーニングサービス制」のお店もあったりして、
もはやモーニングなのか、コーヒーのほうがサービスなのか、
よく分からない領域に突入していた。

私はモーニングサービス変容の地で育ったので、
これが普通と思っていた。
関西から来た友人が驚くのを見て、
「なんで?」とポカンとした。
東海地方以外ではモーニングサービス自体が珍しいと知って、
ひどく驚愕したのだった。

自分の普通がグラグラするのは面白い。
例えば海外旅行だったら自分の価値観も相当グラグラする。
しかし旅行でなくても、自分以外の人と話をすることも、
また相当にグラグラで、それが面白いものだ。

しかし、「私って変わってるんです」とアピールする人よりも、
「私は普通で…」と言う人のほうが、
よっぽどじゃないか!と思うことがある。
そしてモーニングサービスのことなど思い浮かべたりするのだった。

そのイメージから自由になるのか?

もうすぐリオ五輪が始まる。
五輪招致の最終選考で、落選した過去がある名古屋。
たしか私が中学生の頃だ。
この時に決定したのはソウルである。

五輪招致の前には、
あのタモリさんが「名古屋いじめ」をネタにしていた。
この名古屋ネタは、全国的に大流行した。
大都市ぶっているが、大いなる田舎で、
夜は繁華街が閉まるのが早い。
言葉が汚く、名物は味が濃い。
エビフライを最高のご馳走と思っていて、
しかも、えびふりゃあーと言う。etc

言うまでもなく、トヨタを筆頭に、
名古屋や東海地区の製造業が日本を支えている。
なので、下請け工場で働く人が多いのだ。
あまり知られていないが、愛知県には農家さんも多い。
だから夜おそくまで遊んでいられないのだ。
そして、汗水たらして働くので、味付けも濃くなる。
真面目な、手を動かす働き者の街。
ちなみに、えびふりゃあーとは言わんがね。

幻の名古屋オリンピックの年、
名古屋では世界デザイン博覧会が開催された。
私は当時デザイン事務所で働いていて、
仕事で会場に使い走りしていた。
デザイン博は大成功したというのに、
「オリンピックじゃなくて惜しかったね」感があったことを憶えている。

五輪招致失敗と、名古屋いじめが全国ネタになり、
名古屋人(と周辺に住む人たち)は、
なんだか自信を失ったような、
というか、開直ってしまったというか…。
すっかり誤解されてしまった、名古屋のイマイチなイメージを、
逆手にとる「ちゃっかりしたところ」もある。
ああ、土産物を何でも赤味噌味で開発しなくていいのに!

実は名古屋は先進的な街なのだ。
日本で二番目に「フェアトレードタウン」の認定を受け、
世界で1800あるフェアトレード都市の仲間入りをした。
そして、米ポートランドのような街を目指す、
「ポートランドリビング」ムーブメントも広がっているそうだ。

先日、名古屋で悲しいことがあった。
名古屋のラジオパーソナリティが逮捕されて、
19年間続いた人気番組が打ち切りになった。
番組には生電話でのクイズコーナーがあって、
たまに解答者が、農作業の合間の農家さんだったりした。
いまハウスの中です、なんて電話の声がしたりした。

幻の名古屋オリンピック以来のショックが名古屋に走ったが、
もしかしたら、と思う。
名古屋的イメージの呪縛からの解放の風が吹いているのでは…。

逮捕された宮地さんも被害を受けた神野さんも、
地元にとても愛されていた。
私も自分で思った以上に悲しくて、少し戸惑っている。

あなたは知らない 私も知らない

「目が見えているみたい」と言われることが多い。
言ってくださる方から、驚きや賞賛のようなものを肌で感じるので、
私は素直に嬉しい。

親切な人や優しい人の多い名古屋だけれど、
ごく稀に、ン?と思ってしまう方に出会うことがある。
「見えているんじゃないか」と疑惑を持たれたり、
「見えているくせに」と非難されたり。

実は昨日の朝、
「見えているくせに犬(盲導犬)連れやがってバッキャロー」
と、すれ違い様に暴言を言われたのだった。
そんなに歩く姿が自然に見えたのか!?と嬉しい反面、
それがとんだ誤解になるなんて…、と複雑な心境になった。

その人のイメージに合わないからなのだろうか。
例えば極端な話、
勝新太郎の座頭市が視覚障害者のイメージになっているとしたら、
実際の視覚障害者は、おそらく誰もイメージに合わないだろう。

私は網膜の障害なので、一見して健常者の目と変わらない。
中途失明なので、見えていた頃のふるまいや所作が残っている。
もちろん多くの視覚障害者がそうであるように、
努力や工夫、訓練や手助けで、ありふれた日常生活を送っている。
そんなこと知らない人は知らない。
でも、それも当然なことなのだ。

言われのない誤解や非難、暴言や陰口、
やはり傷ついたり、腹も立つけれど、
これはコントロールドラマかもしれない、と気がついた時は、
「土俵から降りる」ことも早くなってきた。

しかし、「どうってことない」と思えるようになってきたのには訳がある。
だって、家族や親しい人たちは、私の道のりを知っている。
そして、いちばん自分自身が道のりを知っているもんね。

陰口や暴言の人は、見ず知らずの人だったりするものだ。
その人たちが私の道のりを知らないように、
私も、その人たちの道のりは知らないのだ。

はみ出した私

(口腔内の話ですので、
食事中の方は閲覧注意なさってください)

ある日の出来事。
朝食を食べている時、口のなかにポチッと、
粟つぶサイズのデキモノがあることに気がついた。

それは数時間でプックリ膨らんで、
飴玉サイズに大きくなった。
お昼ご飯を食べている間にも、普通の飴玉サイズから、
大玉の飴玉サイズにグングン大きくなった。

口の中半分で大玉の飴玉をしゃぶっているみたい。
喋るも食べるも支障はないけど、邪魔だなぁ。
病気だったら?なんて考えると少し心配になってきた。

午後から最寄りの病院で診てもらったのだが、
ただの血豆(良性の血腫)だったのでした。
切開をしなくても自然に吸収するからね、と、
診察はすぐに終了し、ドクターと犬談義をして帰って来たのだった。

ふと、「はみ出している」という言葉が浮かんだ。
っちょっぴり私から「はみ出しちゃった」だけで、
私の一部に違いないよなぁ…。
すると、妙に納得したような、
どこかホッとしたような気分になったのだった。

ドクターは、自然に吸収されると言っていたけど…。
ねぇ、はみ出し屋さん。ちょっと日数かかるの?

血豆を噛まないように、口の片側で晩御飯を食べていたら、
しゅるるる
と瞬時にその血豆はペッタンコに。
血豆は破れることなく、
一瞬で、中の血は毛細血管に吸収されたのでした。