月別アーカイブ: 2019年2月

カッコイイ人たち

迷子の5歳の女の子が保護されて、
無事に親と再会したというニュースを読む。

女の子を保護したのは女子中学生三人で、
部活の夜間練習に向かう途中に、路上で泣いている女の子を見つけたという。
夕暮れ時だ。
「どうしたの?」と、大泣きしている女の子に声をかけると、
「ママに置いてかれちゃった」とやっとのことで返事が返ってきた。
よくよく聴けば、どうやら買い物中に母親とはぐれたらしい。
三人は泣きじゃくる女の子をあやしながら交番に連れて行くと、
交番には母親がいた。
母親も探しまわったのだろう、交番で待っていたのだ。
…良かった良かった!
朝一番に読んだニュースだったこともあって
花粉のせいなのか分からないが目が潤む。

私は保護されるレベルの迷子にはなったことはなくて、
おチビだった頃の外出は、父といつも手をつないで歩いていたそうだ。
母によると、すこし成長してからの私は、
つかず離れず好きなところへアチコチ行っては戻って来る子だったらしい。
それでも、はぐれそうになる心細さは憶えている。

大人になって、親の心境も想像できるようになったこともあって、
迷子になった女の子の気持ちと、
探す母親の気持ちを想像して目と鼻の奥がツーンとなった。
この気持ち、私だけじゃなくて、かつて子どもだった大人はそうだろう。
実際にはぐれた経験はもちろん、心理的にもだけど、
はぐれた記憶のない子は、きっといない。

それから、無事に再開した場面を想像するだけで
私はもう、三人の娘っ子に、
この親子の家族でも親戚でもないのに感謝したい気持ちになった。
実際、お手柄の三人娘は感謝状を贈られたのだけれども、
「当たり前のことをしただけ」と、口を揃えて言ったのだ。
いやー、なかなかできることじゃないよ?
こんな時、遅刻したとしても、
「それは、いいことしたね」とほめてあげてほしいな。

私はサンダーと歩いていて、
親切にしてもらったり助けてもらったりすることがあるのだけれど、
お礼を言うと「当たり前のことをしただけ」と言う人は多い。
「だって、困ったときはお互い様だもの」と言うひともいた。

とっさの時に小さな親切ができる人の、なんとカッコイイことか。
私は講師をしている体験学習で、
街で出会ったカッコイイ人たちの話も必ずするようにしている。
そして、カッコイイ人って、
心細かったことも、困ったときに親切にされて嬉しかったことも
知っているからこそカッコよくなれるんだろうなと思うのでした。

多感な年頃

音楽の好みが形成される年齢のピークは、
女性が13歳、男性が14歳だそうだ。
出典(英文)
Opinion | The Songs That Bind – The New York Times

https://www.nytimes.com/2018/02/10/opinion/sunday/favorite-songs.html

多感な年ごろに聴いた音楽が、その後の人生の音楽の好みに影響を与えるらしい。
私は体験学習の講師をしているのだけれども、
ここのところ、中学二年生の子達とお喋りすることが続いた。
音楽を聴くのが好きだと言う子達に、どんな曲が好き?と聞いたりするのだけれど、
あー、このくらいの年齢に原形のようなものができるんだな、と思いながら、
そういや、自分はどうだったっけ?と想いだそうとしても想いだせない。
アニメに夢中だったことは憶えてるけれど、
当時は音楽あんまり聴いてなかった気がする。

でも、気になって、私が13歳だった1981年のヒット曲を検索してみた。
ルビーの指輪、奥飛騨慕情、トシちゃんに聖子ちゃん…。
うーん、ピンとこないなぁと思っていたら、
ヒット曲の中に、矢野顕子の「春咲小紅」があった。
うわぁ、そうだったそうだった!
テレビでアッコちゃんが歌ってる春咲小紅を、
息を止めてラジカセで録音したことも想いだした
それまで音楽に免疫がなかったこともあってガーン!
あんなに好きだったアニメに興味がなくなったのは、
アニメより音楽が好きになったからかもしれない。

しかし、だからと言って13歳で矢野顕子のファンになったわけでもなかった。
大ファンになったのは二十歳過ぎてからのことで、
蒔かれた種が咲くのは時間がかかるということかもしれない。

多感な頃に聴いた曲が、その後の人生に影響を与えるとしたら、
なにも、それは音楽だけではないだろう。
私は、体験学習で若い子達の前で話をする時、
何年か何十年か先に、
ふと想いだしてくれたらいいな、という気持ちでいるのでした。
(それが無意識のなせる業)

新しい春 新しい年

明日は節分、明後日は立春。
太陽の運行が基になっている二十四節季の立春を境に、
ぐーんと陽の光が増してくる。

しかし、春が始まるってことは、冬がピークだってことで、
節分は、冬の大クライマックスだ!
紅白のフィナーレみたいに盛大に豆を投げまくって、
次の日の立春に、新しい春がやってくる。

一方、新しい年の始まりと言ったら旧正月。
しかし、この旧正月、年によってバラバラなんである
旧暦は月の満ち欠けを基にした暦なので、
一か月が29か30日、一年が354日くらいの計算になる。
ということは、太陽サイクルだと一年が365日だから、
どうしたって毎年10日ほど、三年で一か月分がズレてしまう。

そこで三年に一度の割合で、
一か月分の「うるう月」を足した13ヶ月の年を作る。
その「うるう月」が季節のどこに入るのかってことが、
私にはさっぱり見当がつかないし、謎なのだけれど、
しかも、旧暦の通りに、その季節が実際に長かったり短かかったりするので、
私はもう驚いてしまって予言?魔法?って思うのだけれども、
適当に「うるう月」をここに入れとけ、じゃなくて、
何千年分の統計から編み出した科学的データだから、予言でも魔法でもないのだ。
昔の人って凄いなって思う。

さて、今年の旧正月は二月五日だ。
三日が節分、四日が立春なので、
今年は、春のスタートと新年のスタートが近い。
ということは、「二つの大晦日」がダブルなわけで、
夜明け前がいちばん暗いように、
旧暦の年末にあたる今年の一月は、嫌な事件のニュースが続いた気がするし、
もしかして、心身の調子がイマイチだなと思う人は多かったかもしれない。
人間も自然の一部なので、
自然のリズムに沿った旧暦と無縁ではないのだ。

うむ、新春と新年の前だからなぁ、色々あるさと思っていたら、
1月26日に作曲家のミシェル・ルグランが、
1月29日は作家の橋本治が、
今生を終えて、新しいステージへ旅だってしまった。
なんだか、「時代の天才」まで去っていく年末なのでした。
(新しくなるのは、春や年だけじゃなく時代もなのかしら)