月別アーカイブ: 2016年8月

街の景色のひとつ

サンダーと歩いていて、
何人かの道行く人に「お久しぶりですね」と声をかけられた。

まだ名古屋は暑いけど、朝から暑いということは無くなってきた。
サンダーと歩く時間帯も、早朝から朝へとシフトして、
ロングコースを再開なのだ。

私とサンダーの目撃時間と範囲が
季節によって変わるので、
季節毎に「お久しぶり」なのだった。

「しばらく見かけなかったから、今日は声をかけてみた」
と、おっしゃるオジサンオバサンもいた。
お互い知らない人なんだけど、
そういうことってあるよなぁ。
私は相手の姿は分からないけれどね。

アイメイト協会のスタッフさんに言われたものだ。
サンダーとどんどん歩いてください。
アイメイトや盲導犬と歩くのが、
珍しくもない普通のことになるまでに。

明日は学校の始業式。
久しぶりの集団登校の風景だな。

噛む8つの効用/身体と心が喜ぶ食べ方

夏は、冷たい物や消化の良い物を食べることが増えるものだ。
冷たい物ばかり食べるのはセーブしよう、と気をつける人は多いけれど、
消化のいい食べ物ばかり食べるのをセーブしよう、と思う人は少ない。

例えば、お粥さんを食べる時、どうしているだろうか?
よく噛まずに飲み込んでしまうのではないだろうか。
実は、お粥さんだって噛まないと逆効果なのだ。

では、噛まないとどうなるのだろう。
ある実験で、そのままの人参やリンゴを与え続けた猿と、
ミキサーでドロドロにした人参やリンゴを与え続けた猿の健康を比較したのだが、
噛む作業の無いミキサー食の猿は、歯に歯垢が着き歯周病になったり、
歯茎から出血がみられるようになった。

噛むことは、葉や歯茎に良いだけではない。
その「8つの効用」は以下の通り。
(転載元)
8020推進財団

http://www.8020zaidan.or.jp/info/effect8.html

***転載始め
噛む8大効用
噛む効用を標語にしました 「ひみこの歯がいーぜ」
よく噛むことは、単に食べものを体に取り入れるためだけではなく、
全身を活性化させるのにたいへん重要な働きをしているのです。
この噛む効用について、学校食事研究会がわかりやすい標語を作りました。
「ひみこの歯がいーぜ」です。
弥生時代の人は現代人に比べて、
噛む回数が何倍も多かったと考えられていますから、
卑弥呼(邪馬台国の女王)だって、
きっとしっかりよく噛んで食べていたのではないでしょうか。

ひみこの歯がいーぜ

ひ 肥満を防ぐ
よく噛むと脳にある満腹中枢が働いて、私たちは満腹を感じます。
よく噛まずに早く食べると、満腹中枢が働く前に食べ過ぎてしまい、
その結果太ります。
よく噛むことこそダイエットの基本です。

み 味覚の発達
よく噛むと、食べもの本来の味がわかります。
人は濃い味にはすぐに慣れてしまいます。
できるだけ薄味にし、
よく噛んで食材そのものの持ち味を味わうよう、心がけましょう。

こ 言葉の発音がはっきり
歯並びがよく、口をはっきり開けて話すと、きれいな発音ができます。
よく噛むことは、口のまわりの筋肉を使いますから、
表情がとても豊かになります。
元気な顔、若々しい笑顔は、あなたのかけがえのない財産です。

の 脳の発達
よく噛む運動は脳細胞の動きを活発化します。
あごを開けたり閉じたりすることで、 脳に酸素と栄養を送り、活性化するのです。
子どもの知育を助け、 高齢者は認知症の予防に大いに役立ちます。

は 歯の病気を防ぐ
よく噛むと唾液がたくさん出て、口の中をきれいにします。
この唾液の働きが、 虫歯になりかかった歯の表面をもとに戻したり、
細菌感染を防いだりして、 虫歯や歯周病を防ぐのです。

が がんを防ぐ
唾液に含まれる酵素には、発がん物質の発がん作用を消す働きがあるといわれ、
それには食物を30秒以上唾液に浸すのが効果的なのだとか。
「ひと口で30回以上噛みましょう」 とよく言いますが、
よく噛むことで、がんも防げるのです。

い 胃腸の働きを促進する
「歯丈夫、胃丈夫、大丈夫」と言われるように、
よく噛むと消化酵素がたくさん出ますが、
食べものがきちんと咀嚼されないと、
胃腸障害や栄養の偏りの原因となりがちです。
偏食なく、 なんでも食べることが、生活習慣病予防にはいちばんです。

ぜ 全身の体力向上と全力投球
「ここ一番」力が必要なとき、ぐっと力を入れて噛みしめたいときに、
丈夫な歯がなければ力が出ません。
よく噛んで歯を食いしばることで、力がわき、 日常生活への自信も生まれます。

***転載おわり

よく噛むことは、身体にも心にもいいとは分かってはいるけれど…。
私もそうなのだが、よく噛まずに食べてしまう人は多い。
ゆっくり食事をする時間がない、と言う人もいるだろう。
でも、三食のうち一食はできるかも、
休みの日ならできるかも、という人は多いはず。
(ちなみにファストフードやジャンクフードは、
「よく噛まないでも食べられる」ことも問題のひとつ。)

知っている人は知っているものだ。
茹でて塩をふっただけのジャガイモやトウモロコシの滋味を。
野菜はオリーブオイルと塩と胡椒、
素材を活かしたシンプルな味付けの料理の格別の美味しさを、
ゆっくり味わって食べる満足を。
そんな人は「頭で食べていない」。
身体と心が本気で喜んでいることを実感しているから、そう食べているのだ。

ふだんの くらしの しあわせ

先月、名古屋市社会福祉協議会主催の、
福祉学習サポーター養成講座を受講した時のこと。
日本福祉大学の先生が講演されたのだけれども、
印象的な言葉があった。

『福祉は、「お年寄りや障害者のためのもの」というイメージがあります。
自分とは関係がないと思われがちなのです。
実際は、あらゆる人のものなのですが。』
そんな前置きの後に、
漢字の福祉を、「ふくし」と平仮名にして、
福祉を、こう言い表すことができます、と説明くださったのだ。

「ふ」…ふだんの
「く」…くらしの
「し」…しあわせ
…なるほど。
福祉は「普段の暮らしの幸せ」全般なのか。

そして、こんな質問をされたのだ。
『では、福祉の「反対」、
それは何だと思いますか?』
…うーん、何だろう?
普段の暮らしの幸せが「無い」状況って?
皆が考え込んでいると、こうおっしゃったのだった。

『福祉の反対は戦争なのです。』
思わずハッとした。
参加者からも「ああ」とか「ふうーむ」と声が漏れた。
確かにそうだ。
戦争は、普段の暮らしの幸せとは最も遠い。

普段の暮らしの幸せは、ありふれているようでありふれていない。
自分とは関係がないことだと、目を離したり心を向けないでいると、
知らないうちに「どこにいってしまったのか」になりかねないのだ。

自分の普段の暮らしの幸せを守る。
制度や人権など具体的なことかもしれないし、
穏やかで心地いい暮らしという、抽象的なものかもしれない。
それを大切にすることは、自分のためだけではなく、
ひいては誰かの幸せをも大切に守ることなのかと思ったのでした。

視覚障害になってファッションは変わったのか?

これはイエスでもあり、ノーでもある。
変わったことと言えば、
冬は特に、黒や黒に近いダークカラーのアウターを着なくなったことだろうか。

目が弱くなり始めた時から、
合わせやすかろうと、黒のアウターを選んで着るようになった。
しかし、いざ悪くなるとめっきり着なくなったのだ。

なーんだ、である。
もともと私は、黒のアウターはあまり好きじゃなかったのだ。
視覚障害の人は色が分からなくなるのだから、
黒やダークカラーを着るのではないか?
そう勝手に思い込んでいたのだった。

なので、視覚障害になってファッションは変わったようで変わっていない。
私の場合は思い込みの黒コーデから、「元に戻った」のだけれども。

元に戻ったのではあるけれど、
新たな要素も加わったかもしれない。
「身を守る」要素だ。
アウトドアが趣味だったので、
身を守るための衣服という考えは持っていたけれど、
より意識するようになったかも。

陽射しも弱く日暮れも早い冬は、
視認性の良いアウターを着て歩いている。
また、雨の日でも目立つように、
私とサンダー、お揃いのモンベルの黄色いレインコートを着ている。
(汚れやすいレインパンツは黒。)
雨の日でも明るい気分になるサンフラワーイエローだ。

さて。視覚障害になったらファッションが楽しめないのでは?と思っていたけれど、
そんなことないな、と知り合いの視覚障害の方達と接して分かった。
カラフルな色が好きな人は変わらずカラフルな色を着るし。
もちろん、黒の好きな人は変わらず黒を着るし、
お気に入りのピンヒールを履いて盲導犬と歩いている知り合いもいる。
着付けを習って和装を楽しむ人もいる。
楽しんでいた人は、変わらず楽しんでいるのだ。

「フランス人は10着しか服を持たない」/「服を買うなら、捨てなさい」

どちらもベストセラーでロングセラーの本。
遅ればせながら、サピエ(音声図書)で読む。
そして、ただいま服をお片付け中である。

二冊に共通する内容はいくつかある。
たとえば、「お洒落な人は服が少ない」。
自分は何が好きで、何が似合うのか知っているので、
しっくりこない物は持とうと思わないから。

そこで服の整理を始めたのだけど、
誰ですか、あんまり服を持っていないってブログに書いたのは。
保管場所が分散しているから分からないけど、随分多いじゃないか。
これは認識違いだったなぁ。

そしてもう一つ気がついたことは、
気に入った服ほど着ていないこと。
まるで一軍を温存するために二軍を使うような、
もったいないから着るのは先延ばしというのか。
次第に「いま着たい」気持ちは薄れ、体型は変わり、
やがて服はさほど着ることなく寿命を迎えるのだった。
あれ?もったいないのはどっちなのかしら?
これって「いまを生きていない」感じがするなぁ…。

ここまで書いて思いだしたことがある。
二十代に校正の仕事をしていたときのことだ。
「いつも同じ服着てる」と同僚に言われたことがあった。
私は気に入った服を、週二回三回はを着ていたのだ。

この一言が原因だったのかは分からないけれど、
その後は服のバリエーションを気にするようになり、
かくして、お気に入りほど着る頻度が減っていった。
そして、お洒落に自信がなくなって、
どんどん服や靴ばかりが増え、
増えたというのに、お洒落とは遠ざかっていったのだった。

いま思えばなんてことない一言だけれど、
ひそかに「お洒落好敵手」と思っていた相手だけに、
余計にこたえてしまったのかも。
そして、あの頃はDCブランドブームを経て、
「お洒落な人は服をたくさん持っている」という風潮が始まった時代だったのだ。

…わぁ、そうだ、そうだったなぁ。
よかった。思いだせて。
なんだか気が楽になった感じ。

二冊の本に共通して書いてあることだけれど、
ミニマムなワードローブ、ミニマムな暮らしを目指すことは、
自分は何が好きで、何がしっくりくるのか見つめる作業だ。
よく言われることで、私も実感することだけれど、
お片付けはとてもパワフルな、「いまを生きる」レッスンだ。

ちなみに、フランスの一般的なクローゼットのサイズは、
幅が1メートル満たないのだとか。
私の部屋の作りつけのクローゼットと同じサイズではないですか。
引っ越した時、あまりのクローゼットのコンパクトさに途方に暮れたけど、
今では「なんてラッキー!」と喜んでいる。
このサイズのクローゼットに納まるほどの、
「一シーズンに10着」を目指してチャレンジだ。
ちなみに、上着類・下着や靴下・靴・バックなどはカウントしないそう。
この数、「実際にそうなのかも」というリアルさと、
「これならできるかも」という目安が感じられるのだった。

・「フランス人は10着しか服を持たない」
ジェニファー・L・スコット ・著/大和書房

・「服を買うなら、捨てなさい」
地曳 いく子・著/宝島社

「観たぞ、リオデジャネイロオリンピック!」でオリンピックを楽しむ

ほぼ日刊イトイ新聞の、「観たぞ、リオデジャネイロオリンピック!」が始まった。
私のリオデジャネイロオリンピックの幕開けである。
なにせ、オリンピック情報は「観たぞ」が頼りの私なのだ。

私は、オリンピックの時だけ盛り上がる「にわかスポーツファン」で、
もともと試合やプレーと関係ないことが楽しく思えるタイプ。
「にわかファン」が、オリンピックを観戦して、
感じたこと、思ったことを投稿するのが「観たぞ」だ。

なにせ、にわかファンが投稿するものだから、
「そこを見ていたのか!?」なのだ。
にわかならではの、柔らかで、真っ白な視点。
讀んでいて驚いたり感動したり大笑いするのは、そのせいだろう。

そして「観たぞ、オリンピック」シリーズの投稿に、
流れる空気のようなもの、眼差しは優しく穏やかだ。(しかも面白いなんて)
見ず知らずの人たちや、コーナー担当の永田さんの、
優しく穏やかな眼差しから生まれた言葉が、私の目の代わりになってくれる。
私はまた、こうしてオリンピックを観戦するのだった。
さぁ、楽しむぞおお!
(私の投稿が本日6日分に掲載されていた。うれしいな。)

観たぞ、リオデジャネイロオリンピック! – ほぼ日刊イトイ新聞

http://www.1101.com/rio2016/index.html