月別アーカイブ: 2016年5月

お片付けと脳年代

お片付け仲間の友人と話していて、
ああ、そうだなぁと思ったことがある。
「物と空間、
どちらにより価値を置くかで、違ってくるね。」

物を大切にしていると物が減らないけれど、
空間を大切にするようになったら、物が減ってきたよね、
これは私も実感するところ。
どちらにフォーカスするのかで、物の量は随分と変わってくる。

20代、30代だった頃の私は、
物がたくさん並んでいることに喜びを感じていたけれど、
40代の今は、空間って贅沢だなぁ、と思う。
価値観がまるで変わってしまったことに自分でも驚く。
なにせ愛読誌はモノ・マガジンだったのだ。

この私の価値観の変化、脳の年代変化かもしれない。
脳研究の黒川伊保子さんによると、
10代、20代は、なんでも吸収・インプットする脳で、
30代からは、そのインプットしたものを取捨選択し始める脳に。
40代になると、本質に興味を持つ脳になるそうだ。
…なるほど。
これは私のお片付けの道のりとピッタリくるなぁ。

ちなみに、50代半ばの脳は、
本質の答えや、人の資質など、
本質的な事を見抜く力がピークになるという。
老化によって、脳が「手抜き」するようになるからで、
経験から必要ないデータは折り畳み、
本質へとまっしぐら、ということらしい。

…いいな。
そうなりたい。なれるようにしたいな。
自分が老化していくのを嫌だなー、と思っていたけれど、
ちょっといいかもと思える、
自分の誕生月が終わる今日なのでした。

はな子

先日、ゾウの「はな子」が死んだとニュースで知った。
はな子の一生や、悲しい事件については割愛(悲しすぎて書けない)。

はな子は漫画家の大島弓子先生の作品に登場していた。
セーラー服を着た、おさげ髪姿の少女に擬人化されて、
コンクリートの壁に向かって、ただ立っていた。
巨大な体の「少女」は後姿のカットしかなかったような。

はな子の繊細な性格や、
それ故に起きた二度の事件は説明はなかったが(たぶん)、
ただ数コマに描かれているだけの、
「後姿のうつむいた少女」の姿に、
私は胸がしめつけられるような思いがした。
(そのカットには「タイの密林」という言葉が、
はな子の独白のように何行も並んでいたような)
はな子の死の報道に、
そのカットを思い出しては泣きそうになっている。

そして、はな子に心を傾ける
当時の大島先生の心情にも、
私はせつなくなったことを覚えている。
(はな子 安らかに)

*「サバの秋の夜長」
大島 弓子・著
白泉社

なんだっけ?

キジバトの声がする。
デーデ ポッポ ポーの、
首にスカーフを巻いているような、おしゃれな鳩だ。
ラブコールの歌声は、夏が近くなったと教えてくれる。

そこで、サンダーとおしくらまんじゅうをしながら衣替え。
何故おしくらまんじゅうかというと、
サンダーが至近でぎゅうぎゅうと覗くから。(せまいんだけど)
コレナニ?
…な、なんだっけ?

私は服をたくさん持ってはいないのだけれど、
それでも、こんなの持っていたっけ?と、
しばし考え込むことがある。

私は目が見えないので、
触って「ああ、これね」となるのだった。
ああ、君、またよろしく。
という感じ。

ちなみに同じ服の色違いの場合は、
たとえば洗濯表示のタグに、切り込みを入れたり、ステッチを入れて
自分で触って区別できるようにしているのだった。

しかし、「ああ、これね」となるのは、
よく着ている服で、
結局、先シーズンに袖を通すことのなかった服や、
もう何年も着ていない服は、
「なんだっけ?」なのだった。

使われることなく「なんだっけ?」は、
どうも心苦しいものだなぁ。
しかも「こんなの持っていたっけ?」とは。
そして見ないふりでもされようものなら。

すべてが「ああ、これね」になるのも無理だけど、
「なんだっけ?」の割合が下がっていくと、
心が軽くなるものだなぁ。

風薫る五月ですよ

初夏の匂いがしてきました。
春先は土のぬるい匂いがした並木道も、
お香のような、苔のような匂いがします。

風で葉と葉が揉み手をするのか、
一瞬、森林にいるような匂いが。
ああ、ここに大きなヒマラヤ杉があるんだったと思い出します。
…まさに風薫五月だわー!

おっとペンキの匂いが。
ラッキョでも漬けるのか、酢を煮きるような匂いも。
晴れたぁーッ!
晴れたらやること色々あるわねー。

晴れてやることあって忙しくても、
なぜか口角が上がってしまう晴れた週末です。

「ひとりの主観が、もうひとりを呼び覚ます」糸井さんと矢野さん

先日ご紹介しました、
糸井重里さんと矢野顕子さんの対談連載が、
佳境に入ってきて、私はワーオ!ですよ。

矢野さんは糸井さんを、
矢野の脳の延長であり、
矢野の外部装置と例えるほどに信頼しています。

そもそも「これいいよねー」とか、
「これ美味しいよね」という感覚も似ているお二人。
言葉で表現するよりも音で表現するほうが得意な矢野さんが、
言葉で伝えきれないこと、感覚的にしか伝えられない何かを、
糸井さんは「こんな感じ?」と言葉で確認します。
矢野さんは「あー、そうそう、それそれ!」となるのです。
まさに私が思っていること、感じていることはそういうことなの
ときに矢野さんの言葉で、糸井さんが「それそれ!」となり、
共鳴して増幅するかのよう。
お互を引出しあう、なんて幸福な関係なのでしょう。

お二人は「誰とでもこんなわけにはいかないよね」と言います。
そもそもお二人の感覚(言語感覚も)が似ていますが、
それよりも「これは大きいな」と私が思うことは、
矢野さんが主観(自分の思ったこと・自分の感じていること)に、
一瞬一瞬にとても素直で正直だということ。
そういえば、矢野さんはライブで一度として同じ演奏はないなぁ。

思ったことや感じたことに素直で正直というのは、
じつはなかなかに難しいと私は思うのです。
感情だったら、たとえば悲しみを怒りと捉え違いをしたり、
いろんな感情が立ちあがっているのに、
ひとつに囚われて他を見逃してしまいがち。

そして、思ったこと感じたことを適切に表現するのも難しいもの。
矢野さんは「相手に失礼のない伝え方をします」とおっしゃるのですが、
相手に、というそれ以前に、
ご自身のなかの、内なる声や感覚に、失礼のないように接している。
こんな矢野さんを前にしたら糸井さんも、
内なる糸井さんの声や感覚に素直で正直にならざる得なのですね

さて、このお二人の関係は、
心理カウンセリングのエッセンス、すっごーくあるのです。

連載五回目・「ひとりの主観が、もうひとりを呼び覚ます」
矢野顕子は糸井重里の言葉をどうやって歌にするのか? – ほぼ日刊イトイ新聞

http://www.1101.com/yano40/2016-05-16.html

バラの咲く音は/まるで宇宙の音

近くの公園のバラ園が見頃です。
小さなバラ園ですが、色とりどりのバラが咲いています。

さて。蓮の花が咲く時は、
パカッと音がするとかしないとか。
実際に音がするのか、
比喩なのかは分かりませんが、
そうだったらいいなぁと思うのですよ。

そうだったらいいなぁと思うついでに、
いろんな花が咲く時にも音がしていたら、
それはまたいいなぁと思うのですよ。
バラだったら、どんな音だろう?なんて。

先日、冨田勲さんがお亡くなりになりました。
宇宙の音って聴いたことないけど、
宇宙の音みたいと、私は幼心に思ったのでした。

電子音で自然の音を再現したり、
ドビュッシーを全編シンセサイザーで編曲した冨田勲さん。
海外からの追悼コメントに、こんな言葉がありました。
「シンセサイザーの真の先駆者がこの世を去った。
彼が征く旅路には雪の華がひらひら舞っていることだろう」

糸井さんと矢野さん 音を連れてくる言葉

ほぼ日刊イトイ新聞サイトで、
糸井重里さんと矢野顕子さんの対談連載がはじまりました。

幾度も対談をされている糸井さんと矢野さん。
私はお二人の対談が大好き。
モヤッとしたまだ言葉にならない感覚を、
こうかな? 例えばこんな風?と、
互いに確かめあってゆく言葉のやりとりに、
私はいつもゾクゾクしてしまいます

さて、作詞・糸井さん、作曲・矢野さんの、
「春咲小紅」、「ごはんができたよ」などなど、
黄金コンビの名曲はいっぱいあるんです。

今回のシリーズは、黄金コンビの極ができるまでの話や、
言葉の力のお話など、
音楽好きの方だけでなく、
言葉のお仕事をされている方も興味深い内容ではないかと思います。

糸井さんが詞をFAXで(まだFAXの時代だった頃)
矢野さんに送るや否や、曲がほぼ同時にできあがるのは有名な話
矢野さんは語ります。
「言葉に力のあるものは、
言葉が音を連れてくるから、
*中略
最初のメロディーができると、
次の言葉が、波のように、
次の音を連れてやってきます。」

矢野顕子は糸井重里の言葉をどうやって歌にするのか? – ほぼ日刊イトイ新聞

http://www.1101.com/yano40/2016-05-10.html

ルンバにサンダーの反応は?

もしアイメイトのサンダーが、
お掃除ロボット・ルンバの動きに怖がって怯えたり、
反対に、はしゃいで遊んでしまうようだったら、
困ったことになるなぁと思っていたのです。

しかしと言うのか、やっぱりと言うのか、
サンダーの反応はどちらでもなかったです。
特に怖がるでもなく、
はしゃいでしまうでもなく。
ルンバが迫ってきたらトコトコ逃げて道を譲り、
ルンバが姿を消したら、そっと遠くから見に行く。
なんとも可愛らしい反応でした。
サンダーが逃げた後にルンバが追いかける形になり、
行き止まりでおかしな追い込み漁みたいになったりしますけどね。

サンダーの順応力にまたも感心しましたよ。
さて、全盲の私はというと、
ルンバの操作に慣れたものの(ボタンをひとつ押すだけですからね)
ルンバ特有の予測のつかない動きには、
ちょっとまだ慣れていません。

ガーという走行音と、ゴンゴンあちこちにぶつかる音で、
そこにいましたか?と分かるのですがね。
ルンバはサンダーの様によけてくれないし。

そう、サンダーは私が家の中を歩くときは、
よけてくれるのですよ。
私が迫ってきたらトコトコ逃げて道を譲り、
私が姿を消したら、そっと遠くから見に行く。
…あら、私とルンバ
サンダーに同じ反応されているような気がしてきました。

「毎日の掃除を少しでも楽にしてあげたい」

…というのがキャッチフレーズの、
お掃除ロボット・ルンバの視覚障害者モデルを使っています。

このフレーズ、私は異議ありですよ。
だって、少しどころか、
毎日の掃除が大いに楽になりましたものね。

毎日の掃除が楽になったのは、
目の不自由な私だけではありません。
高齢の母も掃除が楽になりました。

はじめてルンバが掃除を終えたあとに、
「買ってくれて、ありがとおおお!」
と、母の言葉の語尾の勢いは相当なものでした。
…そ、それは、はやく買ったら良かったねぇ。

私や母が掃除機を使って掃除をするよりも
ルンバを使うと綺麗になることは分かっていたのですよ。
「まだ買ってないの?」と友人に言われていたのですよ。
気がついたら、ルンバを買うまで二年経っていました。
分かっているけど、なんだか気が乗らないことってあるもので、
反対に気が乗ったら、放っていても進むもの。

この春から母が、名古屋市の高年大学の学生になりました。
講義やクラブ活動、体育大会に修学旅行と、
キャンパスのスケジュールは目白押し。
いざ、いまこそルンバを!
というのが、買うことになった嬉しいきっかけだったりします。

そこで日本点字図書館の通販サイトをチェックしたら、
こちらでは視覚障害者モデルのルンバが、
発売当初の価格から随分と値下がりしているではないですか。
…ええっと、二年待った甲斐が少しはあったのかしら。

ルンバに視覚障害者モデルがあるんです

お掃除ロボット・ルンバの視覚障害者モデルが発売されて二年。
買いましたよ。
二年迷って買いました。(迷い過ぎ)
…もっと早く買えばよかった!

この視覚障害者向けのルンバは、
ベーシックな既存モデルに少し手を加えたもの。
主な操作ボタンに凸点ポッチが付き、
取扱い説明書が音声CDになっています。
弱視の方でも見えやすいように、
白い本体ボディに、操作ボタンは濃い色の配色がなされています。

もともとシンプルな操作で、ユニバーサルデザインの要素が強いルンバは、
このモデルが出る前からも、視覚障害者ユーザーさんはいらっしゃったそうです。
私の知り合いの視覚障害の方も、
ルンバの普通のモデルを使ってみえました。
なんで私、二年も迷っていたのやら?

ちなみにこの視覚障害者モデルは、
世界シェアのルンバの、初めての障害者向けモデルなのだそう。
日本点字図書館の監修の元、
世界ではじめての日本特別モデルが誕生したそうです。
あら、日本だけなのね。

実は日本の電化製品は、
視覚障害者向けとうたっていなくとも、
視覚障害のある方でも使えるように工夫されている物が多いように思います。
たとえば、温水洗浄便座のボタンにはポッチがついているし、
電話の受話機には、数字の5にポッチがありますね。
エアコンのリモコンでも、それとなく触って分かる工夫がされています。
海外に行った時に気がついたのですが、
外国製品にはこのポッチがついていないのよね。

だから、米国製ルンバに日本特別モデルを誕生させてしまったというのは、
ちょっと誇らしいことではないかと思うのですよ。
使い勝手や、サンダーの反応はまたの回で。