沖縄在住のラミーコさんのブログで、佐藤愛子さんの本を紹介されていたので転載させていただきます。
戦時下の愚かしさは、いまの状況とそっくりです。
***以下は『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』より抜粋シェアスタート***
【ブルンブルン体操】
今から三、四十年前、いやよく考えると五十年前になるかもしれない。
それくらい遠い日のことだ。 その日私(愛子さん)は、今は亡き詩人の牧羊子さんと、テレビ局の出演者控室で時間待ちをしながらおしゃべりをしていた。
初対面であったが、 話すうちに同じ大正12年生まれ、 誕生も育ちも同じ大阪。
女学校時代は戦時下学生として 同じ経験をしたことがわかって、急に話が弾んだのだった。
「あの時代はアホが威張りくさって、良識ある人は黙って引っ込んで、もうどうにもならん世の中やったわねえ」 と牧さんはいい、
私は防空演習なるもののバカげていたこと。
バケツに水を汲んで、 それを町内の主婦らがリレーして、最後に受けた人が、
その水を焼夷弾(しょういだん)に見立てるために盛大に燃えているたき火の上にぶち撒ける……
それで爆発した焼夷弾が消えるわけはない、と本当は思ってるくせに、 誰もが真剣になって 必死の形相で……
と話に熱がこもるあまりに、立ち上ってその様をやってみせる、というあんばい。
「竹槍(タケヤリ)訓練もそう。ルーズベルトの似顔を貼り付けた藁(わら)人形を立てて、エィッ?ヤアッ?……金切り声上げて走って行って竹槍を突き刺す」
「みんな、アホになってたんやねえ」
「アホは伝染するんやね え」
私たちの息はぴったり合って、興奮のあまり、お互いに大阪弁になったのだったが、そのうち牧さんが、トドメを刺すように言った。
「それにそうや、あの、「ブルンブルン体操」
前置きが長くなった。
今日のテーマはこの「ブルンブルン体操」なのである。
牧さんの説明によると 、ブルンブルン体操とは 、上半身裸でするラジオ体操のことで、下はモンペでもスカートでもはいていてよい。
上はどんなに寒くても肌着のシャツ1枚も残さず脱ぐ。
その姿でラジオ体操をすると、 一クラス40人の乙女の胸で80の乳房が一斉にブルンブルンと揺れたという。
私(愛子さん)は経験していない。
牧さんの経験である。
その体操は各自の教室で行われた。牧さんの担任教師は20代の青年教師だった。
教師も上半身裸になっていたかどうかは聞きそびれたが、青年教師は教壇の上で、
「イッチ ニイ サン シイ ニイニイ サン シイ」
と大音声の号令をかけるそのマナコは、カッと見開かれ、天井を睨(にら)みつけていたと牧さんはいい、
青年教師にしてみれば天井を睨むしかなかっただろう、と付け加えた。
そのうちその先生にも 出征令状が来て、どこの戦線に連れて行かれたものやら、駅頭に見送ったままその後の消息はわからないそうだ。
敵襲にさらされる最前線の露営の夢に、40人の乙女のおっぱいがブルンブルンと揺れる様が現れて、命がけの戦線ではいっそ悪夢に近いものではなかったか。
私と牧さんはそんな感想を言い合ってるうちに時間が来て、私たちはスタジオに入った。
(中略)
それからしばらくして私はある雑誌に「ブルンブルン体操」の話を書いた。
するとそれを読んだ女性から手紙が来た。
その人の姉は私(愛子さん)と同い年で、同じ頃神戸にいて、神戸の女学校に通っていたので、
ブルンブルン体操は本当の話かと姉に訊いた。
すると姉は、そんなこと嘘だ、と言った。
自分にはそんな経験はない。念のために友達に訊いたが、友達もそんなバカなことはしなかったと言ったそうですよ。
そういう手紙である。
それを読んで私はカチンときた。
「そんなバカなことはしなかったと言ったそうですよ」の、その
「ですよ」の「よ」にこもっているものにカチンときたのだと言っても、
他人にはわからないこともわかってるのだが、カチンときてしまったのだからしょうがない。
一口に言ってしまうと「私を小バカにしてる」と感じさせる「よ」だったのだ。
どうやら手紙の主は、私(愛子さん)が読者を面白がらせるために、造り話を書いたと思い決めているようだった。
そんなあり得ない造り話、誰が面白がるかね、という気持ちなのだ。
私はそう悪く推量した。
戦争というものがいかに人間を愚かにするものか。
それを批判しながら、抵抗できずに同調してしまうことのおかしさ、滑稽さ、弱さ、不思議さ、
そして国家権力の強力さ、それを言いたいという私の意図は宙に浮いて、
イチャモンをつける楽しみ(?)の標的にされたことが、何とも腹立たしかったのである。
ブルンブルン体操についてのイチャモンはもう一通来た。?
かねてより私の愛読者だと言って私の書いたものを読むと必ず論評してくる同年輩の作家志望者である。
「ブルンブルン体操、面白く拝読しましたが、多少異議があります。
ブルンブルン体操とは
牧羊子さんがつけられたネーミングだそうですが 、あの時代の私たちは皆栄養失調気味で、
とてもブルンブルンとはいかなかったように考察します。
いいところで、プルンプルンくらいは言えたかもしれないけれど、それでもリアリティは感じられません。
あの頃に想いを馳(は)せると、私たちのおっぱいは胸に張り付いて、少し膨らんでいるといったペチャパイだったと思います。
思い切ってペチャパイ体操というのはいかがでしょうか。
佐藤先生ほどの言葉にうるさいお方が 、ブルンブルンをそのまま通されたことに、私は失望しました」?
このイチャモンには思わず私は笑ったのであった 。
それから更に月日が流れた。
必要があって書庫で古本を探していると、ふと目についたのが『昭和の歴史』という大判の写真集である。?
6巻のうち、3巻目で帯に「太平洋戦争始まる。昭和16年」というタイトルがある。?
何気なく手に取って埃(ほこり)を払いページを繰ると、大空を背景に笑顔の少女が立っている写真が現れた。
今し大地から抜き取ったばかりと思われる、土のついた大根を右手で高くさし上げて……
あッと思わず私は声を上げた。
彼女の上半身は裸だ。
その胸の二つのほのかな膨らみからは爽やかな乙女の香りが匂い立ってくるようだった。
腰から下はモンペに包まれている。
やった あった、あった……
これが証拠だ。
人目のある戸外で農作業を裸でやるくらいだから、教室内の裸体操など何の問題もなかっただろう。
「ザマァミロ」と言いたかった。
誰に向かって?
あのイチャモン読者に向かってである。思えばあれからもう50年ほども経っている。
牧さんはとっくに亡くなった。
イチャモン読者はどんなばあさんになっているだろう。
この輝く笑顔の、まだ膨らみ切れない可憐(かれん)な乳房の少女は幸せな老後を送っているだろうか?
「新潟県市之瀬国民学校では国防に必要な体力と精神力を目指して在学中は全員上半身裸。農作業も裸でやった」
写真の横のキャプションはそういっている。
すべては 茫漠(ぼうばく)の彼方に消えていった。
今はただこの無機質な文言が残っているだけである。
**『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』より抜粋終了**
(ここからラミーコさんの言葉)「あの時代はアホが威張りくさって……。」
それは今の時代も変わらないですよね~むしろ今がひどいと言う方達も????
また、竹槍(タケヤリ)は、マスクにかわっただけかしら?
だから、ワクチンも打ち、コオロギも食べてしまうのかもね
日本国民大丈夫??????もう目を覚ます時