再掲*「覚醒のネットワーク」上田紀行・著

2017年7月14日の記事を再掲します。

スリランカの伝統儀式が教えてくれるのは、
人々が互いに顔見知りで、歌ったり踊ったりして笑っていると、
悪魔が嫌がって逃げ出しちゃうよ、ってこと。

神様はみんなが自由に歌って踊って集まるのを見るのが好きなんだと思う。祭とかね。
反対に悪魔が喜ぶのは、
人々の顔が見えない
人と人の距離がとても遠い
歌とダンスがなくて笑いのない世界。
(命の鍵は自然免疫じゃないかしら)

***ここから再掲
「覚醒のネットワーク」上田紀行・著
2017年7月14日

30年近く前になるだろうか、私が持ち歩いては読んでいた本。
物が多いと、幸せになるどころか不幸になっていくことを教えてくれた。
世間や誰かのせいにばかりしていると、自分がどんどん無力になる仕組みも知った。
いま思えば、私の暮らしや考えの原点になっている本かもしれない。
なかでも興味深いのが、スリランカのある伝統儀式の話。

出社拒否のサラリーマンのお父さんや、突如ふさぎこんでしまった若者など、
病院に行ったけどどうも…、という症状は、
スリランカでは、昔からこう考えられてきたという。
「人々の眼差しの中から外れてしまった人は、悪魔の視線に捕まってしまう」。
再び人々の中に患者を戻す作業が、悪魔払いの儀式だ。
悪魔祓いという言葉から恐ろしそうな儀式に思えるんだけど、
実際はイメージとは反対で、実に楽しそうなのだ!
この儀式は二部構成になっていて、重要なのは一部よりも二部ね。
一部は、
シャーマンが鐘や太鼓を鳴らして患者をクタクタになるまで一晩じゅう踊らせる。
二部は、
村中が総出の「かくし芸大会」なのだ。
患者を前に、替え歌あり、漫才ありの爆笑お楽しみ会で、
患者も村の人も大笑い。いつしか患者が人々を笑わせては皆が大喜びする。
こうして地域の人と互いに顔見知りになり、患者の症状は回復していく。

互いの眼差しの中に入るということは、共同体の中に入るということ。
これは、なにも大げさなことじゃなくていい、と私は思っている。
近所の人とエレベーターで一緒になったなら「おはよう」と挨拶したり、
道行く知らない人と目が合ったなら、微笑んだり。
街で困っていそうな人に出くわしたら「どうしましたか?」と声をかけてみる。
他の誰かに眼差しを向けることは、誰かの為だけじゃない。
自ら眼差しの中に入っていくことで、自分も元気になるのでした。
「覚醒のネットワーク」上田紀行・著
カタツムリ社/1989年(現在は絶版)

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