月別アーカイブ: 2017年9月

カリメロ

むかしカリメロという黒いヒヨコのアニメがあったのだけれども、
元々カリメロは、イタリアの洗剤のCMキャラクターだったそうだ。

60年代のイタリアでのCMは、こんなストーリー。
白いヒヨコのカリメロは、産まれる時に卵の殻が割れにくくて足だけ出た瞬間、
巣から水たまりに落ちて、泥で汚れて黒くなっちゃった。
お母さんを探すも「あたしには黒い子はいないわ」と言われてしまう。
ボクが白いヒヨコだったら…。
カリメロは途方に暮れていると人間に助けられる。
あなたが黒いのは汚れているからよ、
洗濯桶でジャブジャブ洗ってもらったら、元の白いヒヨコに!
そこでカリメロの決めセリフ「なんてキレイな洗いあがり!」

…白い子だったの?!そして、こんな切ない話だったとは。
ヨーロッパでは、アニメ化されたイタリア版が大人気、
たくさんの人が悩めるカリメロに共感して、
オランダではカリメロ症候群という用語までできたという。

日本で放映されていたのは、日本版の別物のカリメロで、
私は、かわいい健気なヒヨコ、って印象しかない。
カリメロはチビといじめられるけど、
いつか飛べるんだと、走って走って練習してたっけ。

さて、時代とともに、この洗剤のCMも変化が。
洗濯機の中でぐるぐる洗われてるカリメロは、
「なんてキレイな洗いあがり!」のセリフは変わらないけど、
洗濯後も黒いヒヨコのまま。
これは、人種差別のメッセージと誤解されてはいけないという考えかららしい。

誤解されなくても、差別する心が無意識下で育つことってある。
毎日目にする、耳にするものは、
そんなつもりはないのに? でも影響があるもの。

スイーツ親方 スイーツ女子

台風一課の敬老の日、
母とサンダーと、近所のチョコレートカフェでランチ。
「スイーツ親方」の芝田山親方が、テレビのロケで来たこともある店だ。

コラムニストの中野翠さんの「大乃国様ハラハラ日記」を読んで、
錦絵のような姿に、ガチンコ相撲の大乃国が好きになった。
エプロン姿でスポンジ焼いてロールケーキ巻く親方を見た私は、
驚いたような、嬉しいような、思わずテレビに向かって手を叩いていた。
横綱の時は、無口で生真面目な印象でいらしたので、
お喋り上手で茶目っ気たっぷりな素顔にも驚いた。

その立場や役割のために、素顔全開とはいかないこともあったろうけど、
立場や役割を生きるうちに身に着けた要素が、
人の魅力の幅や奥行になっていくんだろうな。
いや、もともと人は多面的な要素があって、
歳や経験を重ねて、「あら、こんな私が?!」と掘り出されるのかも?

さて、敬老コーナーに差し掛かりつつある母だが、
敬老の日は他人事といった感じだ。
でも、「お祝いにランチ行く?」と私が誘うと、
行く! 
と、いつも二つ返事なのでした。

日向ぼっこ はじめました/鮭と猫が戻ってくる秋

サンダーが窓際で日向ぼっこするようになった。
夜は、フローリングよりもドッグベッドや敷物の上で眠っている。
秋がやってきたんだねー。
私は麻のシャツと綿のシャツを入れ替える。

10年間まいにち、日記をつけていた。
日記といっても手帳にチョコチョコっと、
その日あったこと(食べたもの)を書き込む程度だったのだけれども、
枚シーズンで必ず書き込むソレがあった。
暮らしていた猫と私の関係である。

猫が私の布団の中から出て寝るようになったら春で、
猫が布団に寄りつかなくなったら夏で、
猫が布団の上に戻ってきたら秋、
猫が布団の中に入ってきたら冬なんである。

これが旧暦並みに当たるものだから、
季節の到来は猫判断とするようになった。
今は犬判断、今日はサンダーの「日向ぼっこ はじめました」の日だ。

秋は嬉しかった。
鮭が河に戻ってくるように、
猫がアタシノ布団に戻ってくるんだから。
そして今でも秋は嬉しい。(冬はもっと嬉しい)

目下のループ

テレビで、グラチャンというバレーボールの国際大会がやっているらしい。
私の中でバレーボールは、江上・三屋・中田で時が止まっている。
当時は試合を観に行ったし、三屋さんの講演会では握手してもらったのに。

世代交代やルールの変遷についていけなかったのもあるけれど、
あの、バボバボうるさい棒とDJスタイルの応援が苦手なのよね…。
中田ジャパンの響きに、そりゃもうソワソワしてるんだけど。

見たいような、
見たくないような
ま、見えてないから聴くなんだけど、
聴くとなるとバボバボも聴こえるわけで
(4行上に戻る)