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再掲*「覚醒のネットワーク」上田紀行・著

2017年7月14日の記事を再掲します。

スリランカの伝統儀式が教えてくれるのは、
人々が互いに顔見知りで、歌ったり踊ったりして笑っていると、
悪魔が嫌がって逃げ出しちゃうよ、ってこと。

神様はみんなが自由に歌って踊って集まるのを見るのが好きなんだと思う。祭とかね。
反対に悪魔が喜ぶのは、
人々の顔が見えない
人と人の距離がとても遠い
歌とダンスがなくて笑いのない世界。
(命の鍵は自然免疫じゃないかしら)

***ここから再掲
「覚醒のネットワーク」上田紀行・著
2017年7月14日

30年近く前になるだろうか、私が持ち歩いては読んでいた本。
物が多いと、幸せになるどころか不幸になっていくことを教えてくれた。
世間や誰かのせいにばかりしていると、自分がどんどん無力になる仕組みも知った。
いま思えば、私の暮らしや考えの原点になっている本かもしれない。
なかでも興味深いのが、スリランカのある伝統儀式の話。

出社拒否のサラリーマンのお父さんや、突如ふさぎこんでしまった若者など、
病院に行ったけどどうも…、という症状は、
スリランカでは、昔からこう考えられてきたという。
「人々の眼差しの中から外れてしまった人は、悪魔の視線に捕まってしまう」。
再び人々の中に患者を戻す作業が、悪魔払いの儀式だ。
悪魔祓いという言葉から恐ろしそうな儀式に思えるんだけど、
実際はイメージとは反対で、実に楽しそうなのだ!
この儀式は二部構成になっていて、重要なのは一部よりも二部ね。
一部は、
シャーマンが鐘や太鼓を鳴らして患者をクタクタになるまで一晩じゅう踊らせる。
二部は、
村中が総出の「かくし芸大会」なのだ。
患者を前に、替え歌あり、漫才ありの爆笑お楽しみ会で、
患者も村の人も大笑い。いつしか患者が人々を笑わせては皆が大喜びする。
こうして地域の人と互いに顔見知りになり、患者の症状は回復していく。

互いの眼差しの中に入るということは、共同体の中に入るということ。
これは、なにも大げさなことじゃなくていい、と私は思っている。
近所の人とエレベーターで一緒になったなら「おはよう」と挨拶したり、
道行く知らない人と目が合ったなら、微笑んだり。
街で困っていそうな人に出くわしたら「どうしましたか?」と声をかけてみる。
他の誰かに眼差しを向けることは、誰かの為だけじゃない。
自ら眼差しの中に入っていくことで、自分も元気になるのでした。
「覚醒のネットワーク」上田紀行・著
カタツムリ社/1989年(現在は絶版)

本日発売「新型コロナワクチンの光と影」大石邦彦(CBCアナウンサー)・著

「覚悟を決めて書きました」。。。
どうか大石アンカーが守られますように

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おはようございます。
今日、いよいよ書籍が発売となります。覚悟を決めて書いた本です。
テレビでも、You Tubeでも、ラジオでも伝えきれなかった「事実の記録」。
一人でも多くの人の心に届きますように。
#新型コロナワクチンの光と影

「あの時代はアホが威張りくさって、良識ある人は黙って引っ込んで、もうどうにもならん世の中やったわねえ」 佐藤愛子さん『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』より

沖縄在住のラミーコさんのブログで、佐藤愛子さんの本を紹介されていたので転載させていただきます。
戦時下の愚かしさは、いまの状況とそっくりです。

***以下は『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』より抜粋シェアスタート***

【ブルンブルン体操】
今から三、四十年前、いやよく考えると五十年前になるかもしれない。
それくらい遠い日のことだ。 その日私(愛子さん)は、今は亡き詩人の牧羊子さんと、テレビ局の出演者控室で時間待ちをしながらおしゃべりをしていた。

初対面であったが、 話すうちに同じ大正12年生まれ、 誕生も育ちも同じ大阪。
女学校時代は戦時下学生として 同じ経験をしたことがわかって、急に話が弾んだのだった。

「あの時代はアホが威張りくさって、良識ある人は黙って引っ込んで、もうどうにもならん世の中やったわねえ」 と牧さんはいい、
私は防空演習なるもののバカげていたこと。
バケツに水を汲んで、 それを町内の主婦らがリレーして、最後に受けた人が、
その水を焼夷弾(しょういだん)に見立てるために盛大に燃えているたき火の上にぶち撒ける……
それで爆発した焼夷弾が消えるわけはない、と本当は思ってるくせに、 誰もが真剣になって 必死の形相で……
と話に熱がこもるあまりに、立ち上ってその様をやってみせる、というあんばい。
「竹槍(タケヤリ)訓練もそう。ルーズベルトの似顔を貼り付けた藁(わら)人形を立てて、エィッ?ヤアッ?……金切り声上げて走って行って竹槍を突き刺す」

「みんな、アホになってたんやねえ」
「アホは伝染するんやね え」
私たちの息はぴったり合って、興奮のあまり、お互いに大阪弁になったのだったが、そのうち牧さんが、トドメを刺すように言った。

「それにそうや、あの、「ブルンブルン体操」
前置きが長くなった。
今日のテーマはこの「ブルンブルン体操」なのである。

牧さんの説明によると 、ブルンブルン体操とは 、上半身裸でするラジオ体操のことで、下はモンペでもスカートでもはいていてよい。
上はどんなに寒くても肌着のシャツ1枚も残さず脱ぐ。
その姿でラジオ体操をすると、 一クラス40人の乙女の胸で80の乳房が一斉にブルンブルンと揺れたという。
私(愛子さん)は経験していない。
牧さんの経験である。

その体操は各自の教室で行われた。牧さんの担任教師は20代の青年教師だった。
教師も上半身裸になっていたかどうかは聞きそびれたが、青年教師は教壇の上で、
「イッチ ニイ サン シイ ニイニイ サン シイ」
と大音声の号令をかけるそのマナコは、カッと見開かれ、天井を睨(にら)みつけていたと牧さんはいい、
青年教師にしてみれば天井を睨むしかなかっただろう、と付け加えた。

そのうちその先生にも 出征令状が来て、どこの戦線に連れて行かれたものやら、駅頭に見送ったままその後の消息はわからないそうだ。
敵襲にさらされる最前線の露営の夢に、40人の乙女のおっぱいがブルンブルンと揺れる様が現れて、命がけの戦線ではいっそ悪夢に近いものではなかったか。

私と牧さんはそんな感想を言い合ってるうちに時間が来て、私たちはスタジオに入った。

(中略)

それからしばらくして私はある雑誌に「ブルンブルン体操」の話を書いた。
するとそれを読んだ女性から手紙が来た。
その人の姉は私(愛子さん)と同い年で、同じ頃神戸にいて、神戸の女学校に通っていたので、
ブルンブルン体操は本当の話かと姉に訊いた。
すると姉は、そんなこと嘘だ、と言った。
自分にはそんな経験はない。念のために友達に訊いたが、友達もそんなバカなことはしなかったと言ったそうですよ。
そういう手紙である。

それを読んで私はカチンときた。
「そんなバカなことはしなかったと言ったそうですよ」の、その
「ですよ」の「よ」にこもっているものにカチンときたのだと言っても、
他人にはわからないこともわかってるのだが、カチンときてしまったのだからしょうがない。
一口に言ってしまうと「私を小バカにしてる」と感じさせる「よ」だったのだ。

どうやら手紙の主は、私(愛子さん)が読者を面白がらせるために、造り話を書いたと思い決めているようだった。
そんなあり得ない造り話、誰が面白がるかね、という気持ちなのだ。
私はそう悪く推量した。

戦争というものがいかに人間を愚かにするものか。
それを批判しながら、抵抗できずに同調してしまうことのおかしさ、滑稽さ、弱さ、不思議さ、
そして国家権力の強力さ、それを言いたいという私の意図は宙に浮いて、
イチャモンをつける楽しみ(?)の標的にされたことが、何とも腹立たしかったのである。

ブルンブルン体操についてのイチャモンはもう一通来た。?
かねてより私の愛読者だと言って私の書いたものを読むと必ず論評してくる同年輩の作家志望者である。
「ブルンブルン体操、面白く拝読しましたが、多少異議があります。
ブルンブルン体操とは
牧羊子さんがつけられたネーミングだそうですが 、あの時代の私たちは皆栄養失調気味で、
とてもブルンブルンとはいかなかったように考察します。
いいところで、プルンプルンくらいは言えたかもしれないけれど、それでもリアリティは感じられません。
あの頃に想いを馳(は)せると、私たちのおっぱいは胸に張り付いて、少し膨らんでいるといったペチャパイだったと思います。
思い切ってペチャパイ体操というのはいかがでしょうか。
佐藤先生ほどの言葉にうるさいお方が 、ブルンブルンをそのまま通されたことに、私は失望しました」?
このイチャモンには思わず私は笑ったのであった 。

それから更に月日が流れた。
必要があって書庫で古本を探していると、ふと目についたのが『昭和の歴史』という大判の写真集である。?
6巻のうち、3巻目で帯に「太平洋戦争始まる。昭和16年」というタイトルがある。?
何気なく手に取って埃(ほこり)を払いページを繰ると、大空を背景に笑顔の少女が立っている写真が現れた。

今し大地から抜き取ったばかりと思われる、土のついた大根を右手で高くさし上げて……
あッと思わず私は声を上げた。
彼女の上半身は裸だ。
その胸の二つのほのかな膨らみからは爽やかな乙女の香りが匂い立ってくるようだった。
腰から下はモンペに包まれている。
やった あった、あった……
これが証拠だ。

人目のある戸外で農作業を裸でやるくらいだから、教室内の裸体操など何の問題もなかっただろう。
「ザマァミロ」と言いたかった。
誰に向かって?
あのイチャモン読者に向かってである。思えばあれからもう50年ほども経っている。
牧さんはとっくに亡くなった。
イチャモン読者はどんなばあさんになっているだろう。
この輝く笑顔の、まだ膨らみ切れない可憐(かれん)な乳房の少女は幸せな老後を送っているだろうか?

「新潟県市之瀬国民学校では国防に必要な体力と精神力を目指して在学中は全員上半身裸。農作業も裸でやった」
写真の横のキャプションはそういっている。
すべては 茫漠(ぼうばく)の彼方に消えていった。
今はただこの無機質な文言が残っているだけである。

**『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』より抜粋終了**
(ここからラミーコさんの言葉)「あの時代はアホが威張りくさって……。」
それは今の時代も変わらないですよね~むしろ今がひどいと言う方達も????

また、竹槍(タケヤリ)は、マスクにかわっただけかしら?
だから、ワクチンも打ち、コオロギも食べてしまうのかもね
日本国民大丈夫??????もう目を覚ます時

21日発売*CBC大石アンカー「ついに、本が出来上がりました。魂を込めて書き上げました。」著者の利益はワクチン遺族と後遺症に苦しむ方へ寄付されます

現在、アマゾンのベストセラー1位です。
カテゴリ 感染症内科学

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大石です。
ついに、本が出来上がりました。
魂を込めて書き上げました。
尚、この出版における著者が得られる利益は、ワクチン接種後に後遺症で苦しんでいる方や接種後に死亡した遺族に送られます。

「新型コロナワクチンの光と影 誰も報じなかった事実の記録」 大石邦彦(CBCアナウンサー)・著

日本のテレビ局で、コロナワクチンの被害を報道してるのは名古屋にあるテレビ局だけなんだけど、
昨日、大村知事の応援演説に名古屋入りした河野「運び屋」太郎大臣は
もしかしたらご存知なかったのではないかしら?
というか、大村陣営はよく河野大臣にオファーしたね。
名古屋では逆効果に思えるんだけどなぁ。
案の定、河野大臣の応援演説に足を止める人もなく、
「謝罪しろ」のシュピレヒコールが自然発生的に起こったのだ。
河野大臣と目が合う真ん前に、抗議のプラカードを持ってじっと立っていたのは、
小さなお子さんを連れた若いお母さん。
大村陣営の隣では、末永陣営が演説していたのだけれども、
こちらは黒山の人だかりだったそう。
同じ場所、同じ時間帯に大村陣営がぶつけてきたけど、これも逆効果だったのでは…。
悪いけど、名古屋の人らは「知ってる」人が多いんだわ。
だって、CBCと大石アナウンサーがおるんだもん!
東海地区以外の方に説明すると、
CBC(中部日本放送)は名古屋のテレビ&ラジオ局で、
愛知・岐阜・三重の東海三権が受信エリアです。
このCBCの大石アナウンサーが、ワクチン後の死亡や後遺症について取材し報じているのでした。
大石くんは若い頃から突撃取材スタイルの社会派アナウンサーで、
私は歳も近いし、同じ東北出身というのもあって大好きだったんだけど、
ほとんどのジャーナリストが尻込みするワクチン被害に斬りこんでいて、
やっぱり大石くんはやるんだ!とうれしい。誇らしい。感謝。

さて、大石アナウンサーがワクチン被害の取材をまとめた本を出すそうです。
たくさんの方に読んで知ってほしいと思います。
お住いの図書館にリクエストして置いてもらうのもよいですね。
(1月30日追記)
アマゾンで予約販売開始してます。
ただいま「感染症内科学」カテゴリーでベストセラー1位です!

(大石アナウンサーのツイッターより)
「この事実をより多くの人に知ってほしい」だから書いています。「新型コロナワクチンの光と影」名ばかり文学部だったので苦労していますが、取材メモを確認しながら一生懸命やっています。
書籍化することで、より多くの苦しんでいる方にも届けたい。そんな思いを込めて、これまでの取材をまとめました。明日放送のラジオでもお話ししています。引き続き、取材を続けます。

(CBCテレビ公式サイトより)
新型コロナワクチン 影の事実!CBCアナウンサー・大石邦彦がワクチン後遺症に迫った取材・報道の記録が書籍化

新型コロナワクチン接種後の死亡や、後遺症に関する事実を地上波放送局で初めて長期にわたって報道したCBCテレビ。視聴者に全力で寄り添った取材チームの貴重な全記録

2023年2月21日(火)、CBCアナウンサー 大石邦彦が書き著した「新型コロナワクチンの光と影 誰も報じなかった事実の記録」(方丈社、1600円+税)が全国の書店、および電子書店で発売されます。

東海エリアの報道・情報番組「チャント!」で、アンカーマンを務める大石アナウンサーが、自ら取材し、番組やYouTube「大石解説!」で報じた新型コロナワクチン接種後の急死、重い後遺症事例の内容を書籍化。

報じ切ることができなかった詳細な取材内容や涙の真実、そして希望につながる道などを含め、大石邦彦の取材ノートをもとにまとめた1冊です。

書籍紹介
コロナ禍となって3年が経過した現在。新型コロナウイルスはもちろん、新型コロナに対するワクチン接種を起因とした死亡事例、重篤な後遺症事例にも多くの人が強い関心を寄せています。CBCテレビの公式YouTubeチャンネルで配信している「大石解説!」は、“出どころのはっきりしているデータ”と“独自取材”を交えて真摯に伝える内容が反響を呼び、アーカイブ動画の再生回数は延べ4100万回にのぼり、全国からたくさんのコメントが寄せられています。

番組取材当初、ワクチン接種後の急死や後遺症についての情報は、SNSを中心に話題にあげられていたものの、地上波番組で取り上げられるケースはまだ多くありませんでした。

そのなかで、大石邦彦をはじめとする番組スタッフは、“反ワクチン派”でも“ワクチン推進派”でもないスタンスで、後遺症に悩む患者や、突然家族の命を奪われて心に深い傷を負った遺族への取材を敢行し、“リアル”を伝えることに挑みました。

「新型コロナワクチンの光と影 誰も報じなかった事実の記録」では、大石邦彦が彼らと向き合ったリアルな取材の記録と、放送には乗せられなかった取材の裏側を含めた“時代の事実”を記しています。

ワクチン接種後の後遺症に悩んでいる人や、大切な家族の命を奪われた遺族の一助となり、ワクチン後遺症の救済と解明に繋がれば幸いです。

著者 プロフィール

大石 邦彦 (おおいし くにひこ)
CBCテレビ (本社・名古屋市) アナウンサー、専任部長。1970年山形県生まれ。慶応義塾大学を卒業後、1994年に入社。新型コロナウイルス関連の取材過程でワクチン接種後の後遺症に悩む人々や、接種後の死亡事例に直面し、全国の地上波放送局として初めて、自らがアンカーマンを務める番組「チャント!」内で、長期にわたり取材・報道を行った。地上波放送だけでなくYouTubeなど動画配信も大きな反響を呼び、全国で同様の症状に苦しんでいた人たちからも大きな注目を集めている。

関連動画のご紹介
YouTubeチャンネル:CBCニュース【CBCテレビ公式】

https://www.youtube.com/@cbctv_news

・夫がワクチン接種後3日後に急死 残された妻は4児のシングルマザーに…「夫の無念を晴らしたい」【大石が聞く】

https://youtu.be/fUL4XwtT2ZA

・【厚労省ワクチンデータ修正問題(1)】国がワクチンの効果を示すデータを修正! 一体なぜ?【大石が深掘り解説】

https://youtu.be/TI0AmG-N7f4

・なぜ息子は死亡したのか?ワクチン接種後の状況を両親が告白【大石が深掘り解説】

https://youtu.be/e8gGvRV7eWk

・「死んだ方が楽」ワクチンで“急性散在性脳脊髄炎”下半身不随に…医師は「治らない」【大石が聞く】

https://youtu.be/3pZB59lHqyU

***
「新型コロナワクチンの光と影 誰も報じなかった事実の記録」
2023年2月21日発売
大石邦彦・著
方丈社

「無人島レコード」レコード・コレクターズ増刊

無人島に一枚だけレコードを持っていけるとしたら何を選ぶか。
そんなお題の本(ムック)が、「無人島レコード」。
「3度の飯よりレコが好き」な、
音楽家、ミュージシャンや作家など錚々たる面々が、
「一枚だなんて無茶な!」と言いながらも選んだ理由と愛を語るのが楽しかった。

無人島に行くのなら
レコードよりもナイフを一本持っていくとか、
彼氏や彼女を連れて行くとか、
電源はあるのか、とか余計なことを考える凡人は、この本の中にはいない。
私はと言うと、先に書いた「ナイフを持っていく」派。
無人島というシチュエーションが、元キャンパーの私を本気にさせるからであって、
他の設定だったらすっごく悩むと思う。
昔、ビデオデッキの故障で、
エジェクトボタンを押してもビデオテープが出てこなくなり、
入っていたアダルトビデオしか再生できなくなった人の話を聞いて
気の毒と思いながらも大笑いしたことがあったけど、
再生デッキやターンテーブルの不具合で、この一枚しか聴くことができない設定はどうだ。
私は普段の生活では音楽を聴きたいけど、
無人島だったら、波の音や鳥や虫の声を聴いていたい。

…いやいやいや、こんなゴタゴタ言ってないで、
「無人島に持って行きたいくらい大好きな」レコードはどれか?なんだけど、
私でさえ一枚だけなんて選べないと思うのだから、
大瀧詠一さん、細野晴臣さん、小西康陽さん等、
とてつもない音楽の巨匠の方々が三日寝ないで選んだ一枚は興味不快。
しかし、レコード自体を選ばなかった人が一人いた。
大瀧詠一さんは、「1962年から66年までの米ビルボードトップチャートのリスト」だった。
理由は、「曲名と歌手のリストさえあれば脳内で再生できるから」。
反則じゃん!と私も誰しも思ったに違いないが、
たしかに本当に大好きなレコードって、脳内で曲順通りに再生できる。

だから本当はレコードそのものというよりは、
そのレコードを聴いていた頃の思い出とかエピソードが、
無人島での困難や孤独に負けない心の支えになってるとしたら…。

まぁ、一枚に選べないんだけど、
何度も音楽に助けられた身としては、
やっぱり持って行きたい。無人島だろうが荒野だろうが。

「レコード・コレクターズ増刊 無人島レコード」1と2
能地 祐子(編集)

上を向いて歩こう/「特攻兵器〔原爆〕」水原紫織・著

坂本九さんの「上を向いて歩こう」は、
原爆の追悼の歌らしい。
だから広島と長崎の原爆の日が近くなるとよく聴こえてくるのかな。
私は失恋の歌だと思っていた。

広島と長崎の原爆は、空から落とされた空中爆発ではなくて、
地上からの起爆という説がある。
私は半信半疑だったけど、
「もう一人の〔明治天皇〕箕作奎吾(みつくりけいご)」の著者、水原紫織さんが、
昨年に出版した「特攻兵器〔原爆〕」で
川を利用しての原爆水面爆破説を唱えていて、
それなら有り得るなと私は思う。
地上起爆は核実験のように地面にクレーターが出来てしまうけど、
水面爆発だったら地面にクレーターはない。

それに、
広島と長崎で降った黒い雨は、
水面爆発でなければ起きない現象だという。
水原紫織さんによると、
水面爆発は、放射性物質を含む人工降雨を起こすが、
空中爆発なら、放射性降下物が局所に落ちない。
これは、1000回以上の核実験を実施した米国の常識なのだとか。

地上起爆であったことを証言するのは、
爆発の瞬間を広島上空から目撃した日本軍パイロット。
元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏は、
「エノラゲイを見ていない」
「下から爆発した」と証言している。
なぜ空襲警報が出ていなかったのか不思議だったけど、
本田氏の紫電改一機だけが広島上空を飛行していたから。
多くの人が「エノラゲイを見た」と言っているのは、
本田氏の紫電改をエノラゲイだったと錯覚したのではないか。
エノラゲイの飛行機雲は4本、本田氏の紫電改は1本であり、
広島で被爆した中沢啓治さんの自伝的マンガ「はだしのゲン」で描かれている飛行機雲は1本だ。
「原爆炸裂の瞬間まで、晴れ渡った空を中国山脈沿いにやってきた1本の飛行機雲を目撃した」
中沢啓治さんは証言している。

・広島の爆発の写真は加工されている。
日本で公開している写真は消されているが、
国連掲載の写真は地表から炎が湧き上がっている。
長崎のピカドンの映像も明らかに加工されている。
爆発の瞬間のピカがスキップされてフィルムをつなぎ合わせており、
爆発の瞬間が確認ができない。

・原爆は上空では運ぶことができない。
宇宙から降り注ぐ中性子に反応して爆発してしまう
(原発も燃料棒を大量の水に浸していないと暴発するわね)
サイズが大きすぎて爆撃機に積むのは困難
日本軍の潜航艇が元安川(広島)、浦上川(長崎)で浮上し、
宇宙から降り注ぐ中性子で、ウランとプルトニウムを起爆させた。
(実際に川の側面がえぐられた後が、当時の写真で確認できる)
 
…うーん。
どうして自国民を殺戮するような酷い事を?
この最新の兵器は特許を取るために、
人の住んでいない砂漠ではなく、
実際に多くの人が住んでいる都市で殺傷実験をする必要があった。
放射能の影響も長年追跡できるけど、
自国民を人体実験できちゃう神経って一体…。
これが本当だったら?
ずっとだまされてきたとしたら?
真実は残酷で、知らないほうが幸せかもしれない。

さて、「上を向いて歩こう」に話を戻すと、
作詞の永六輔さん、
作曲の中村八大さん、
歌の坂本九さんは、
これらの原爆の真実を知っていたのでは?と囁かれている。
お三方の名前の6と8と9をシャッフルすると、
8月6日と9日、
つまり、広島と長崎に原爆が使われた日になる。
火薬箱の上に座っている坂本九さんという、
レコードジャケットの写真がなんとも意味深だ。

幸せは雲の上に
幸せは空の上に
つまり、幸せは天の人にしかなくて
地上の私たちにはない、と。

上を向いて歩こうの主人公が、
とぼとぼ夜道をひとりぼっちで歩くのを想像すると、
私は涙がこぼれそうになる。
(きょうは長崎の日)
「特攻兵器〔原爆〕」
水原紫織・著
ヒカルランド

再掲*「うさぎ!」第2話 小沢健二・著

〔おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめていた者たちと、
「仕方がないよ。そういう仕組みなんだから」
と従いつづけていた者たちは、
ある日、とつぜん町の中が騒がしくなったと思うと、
次の日には、
かならずパンツ一丁で逃げまどうことになるのでした。
灰色は、その歴史を、
なるべく人びとに見せないようにしていました。
それは、あまりにも大きな、楽しさとか、喜びとか、
希望とか、優しさとか、おもしろさを、
人びとに与えてしまうからでした。〕
(小沢健二さんの連載小説「うさぎ!」より)

ーーーーーーー

2020年4月14日の記事を再掲します。
このお話の中の「靴をはかない女の子」や、
「みんなが毎日ヘルメットをかぶっている世界」をは、
靴とヘルメットを「マスク」に置き換えて読んでみてください。

***ここから再掲

「うさぎ!」第2話 小沢健二・著
2020年4月14日Book, 世界の真実編集

小沢健二さんの連載小説「うさぎ!」より。
10年以上前に、音楽活動から離れていた小沢さんが書いた、
童話のかたちをした「世界でおきている本当の話」。

長い間、闇の支配者層が世界を牛耳ってきた。
やつらや、やつらの作った仕組みを、
小沢さんは作品のなかで「灰色」として描いてきた。

その「灰色」をやっつける革命が、
いま世界中で静かに進行中(らしい)。

*登場人物
うさぎ
「豊かな」国に住む、すこし太った、十五才の少年。

きらら
「豊かな」国に住む、やせた、黒い瞳をした、十五才の少女。

トゥラルパン
「豊かな」国に住む、ぼさぼさの髪をした、十五才の少女。

珈琲と本・あひる社
うさぎ、きらら、トゥラルパンが住む「豊かな」国の街にある、珈琲屋。
いろいろの人がたむろする店。
勉強会、料理会、映画会、誰かを招いて話を聞くなどの活動をしている。
手づくりの雑誌やいろいろな本が置いてある。
あひる号というパソコンもある。
(検閲のない検索エンジン「ダックダック・ゴー」のモジリなのよ フムフムより)
ここで、うさぎときららは出会った。

灰色
人ではない。
「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲む。
あらゆる方法を使って、人を動かし、その「大きなお金の塊」を大きくすることだけを考えている。

「うさぎ!」 第2話
(略)

おおくの人は、ふだんは靴を履いていて、
特別なときだけ、
例えば砂浜を歩くときには、裸足になるようでした。
きららは、ふだんは裸足で、たとえば重いものを運ぶときには、
足の上に落としてけがをしないように。
つま先に鉄の覆いの入った、大きなブーツを履くのでした。

足の裏は、耳や、鼻や、脳みそのように、
体の中で、特別な働きをする部分だと、きららは思っていました。

耳が音を聞いたり、鼻が匂いをかぐように、足の裏は、
地面に負けないように厚くなって、
熱さや冷たさにも強くて、きららがどこを歩いているのか、
しっかりと伝えてくれるのでした。

きららの足の裏は、馬の背中につける鞍の革のように、
りっぱに硬くなっていました。
その足で、雨のなか、
丘をのぼったり、さわやかな芝生の上を歩いたりすると、
まわりの人が、なんだか重そうな靴を履いているのが、
とてもふしぎに見えるのでした。

(略)

危ないものを踏まないように靴を履いているのだ、という人は、
ふつうの道には、本当に危ないものなんて、
めったに落ちていないことも知らないようでした。

それに、本当に危ないものが落ちていたら、
それに気がついて片づけたり、
それがどこから来たのか、調べたりした方がよさそうでした。

裸足なんて汚くて、衛生に悪いから、
とレストランの人に言われたこともありました。
けれど、きららが毎日足の裏を洗うように、
毎日靴の裏を洗っている人は、まずいないようでした。
何年も洗っていない靴の裏には、
きららの足の裏より、
ずっと恐ろしいものがはびこっているはずでした。

(略)

足だって、毎日きゅうくつな靴下をかぶせられて、
その上きゅうくつな靴に押しこめられていたら、
くさくもなるし、病気にもなるだろう、と悲しくなりました。

(略)

きららから見ると、靴を履いているたいていの人たちは、
土踏まずのばねを生かさずに、
かかとやひざや腰にショックが直接つたわる、
乱暴な歩き方をしているようでした。

(略)

きららは他の人に、裸足で歩くようにすすめたりしませんでした。
なぜかというと、まず、どんなことだって、
その人が、自分でやろうと思ってやらなければ、
意味がないのでした。

それに、裸足で歩くのが正しくても、
灰色がつくり出す社会がこんなにまちがっていては、
裸足でいるのは、たしかに難しいのでした。

それから、人には、
「まわりの人みんながやっていることは、
 正しいことにちがいない」
と、自分自身に思い込ませる性質がありました。

たとえば、みんなが毎日靴を履いて歩いているのは、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いているようなものだ、
ときららは思っていました。

けれど、もし、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いている世界があったら、
その中の一人が、
「これはもしかしたら脱いだ方がいいかもしれない」
と思うのは、とても大変なことなのでした。

(略)

灰色は、人のこの性質に注目しました。
そして、人に、
「まわりの人みんながそう言っている」と思いこませれば、
かんたんに人の心をあやつることができる、と気がつきました。

そこで、灰色は、試行錯誤のすえに、あるシステムを完成させて、
それが、たくさんの家庭に行きわたるようにしました。
それは、「テレ・ヴィジョン」と呼ばれていました。

(略)

時どき、一回も、
かかとさえ取りかえた様子のない革靴が捨ててあることがあるが、あれはひどい。
革靴は、かかとを取りかえて、靴底を取りかえて、
上の革を取りかえて、
ながく履いていくように、つくられている。

(略)

革靴は、
「この上の革は、あの靴屋のおやじがつけてくれたな」とか、
「そろそろかかとを取りかえるかな?」とか、
考えながら履くように、つくられているのだ。
そうでなければ、こういうつくりにはならない。

(略)

人は、なおす気がないのか。なおすことを、放棄しているのか。
しかし、自然は、なおすことで成り立っているのだ。
水が汚れたら、海がなおして、空にのぼって、
雨が降って、土を通って、きれいになる。
水なんか、この星にはちょっとしかないから、
なおすことができなかったら、すぐになくなってしまう。
空気だって、森がきれいになおさなかったら、
すぐになくなって、みんな窒息してしまう。

しかし、人が、なおさないで捨てているものが、
絶望するほどあるのだ。
僕はそういうものを拾って来てなおすのだが、
僕がなおす量は、木が一本、空気をきれいにするとか、
プランクトンが一匹、水をきれいにするとか、
そのくらいの量である。
毎日、ごみではないものが、どっさり「ごみ」になっている。
しかもよくみると、つくる企業のほうが、
わざと、さっさと「ごみ」になるように、
品物をデザインしているのである。

靴なんか、(略)「なおして履ける」という革靴の性質を、
わざわざ、切って捨てているのである。

(略)

どうしてこんなことになるのだろう?
うさぎの質問は、
灰色が六十年くらい前に大きな戦争が終わった後にはじめた、
「もう古いの計画」と関係がありました。
「買え、買え、もっと買え。」
灰色は、毎日、人びとの心に、ささやきはじめました。
「お前の持っているものは、もう古い。
 そんな古いものを持っていたら、馬鹿にされる。
 そんな古いものを持っていたら、貧乏くさい。
 そんな古いものを持っていたら、女の子にもてないぞ!」
灰色は、とにかく人に、
「あれはもう古い、これはもう古い」
と思わせたいのでした。
そうすれば、人はどんどんものを買って、
人がどんどんものを買えば、灰色の棲む、
「大きなお金の塊」が、
さらに大きくなるからでした。
それが灰色の、「もう古いの計画」でした。

灰色の手下たちは、たくさんの会議を開いて、
「もう古いの計画」を話し合いました。
「人がいつも、自分の持っているものはもう古い、
 と感じるように、プレッシャーをかけよう。
 そして新製品を、いつも売りつけよう。」

(略)

そんな灰色にとって、万年筆や、
靴屋のおやじがなおせる革靴は、ながく使えて、
なかなかごみにならないので、こまるのでした。

「もっとはやく、どんどんごみになるペンや、
 どんどんごみになる靴を、つくることはできないだろうか?」
灰色は考えました。
使いすてのペン、使いすての、なおすことのできない靴。
使いすての、あらゆるものが生まれました。
うさぎは、使いすてのお皿、使いすてのカメラなどは、
「狂気の沙汰」だと思っていました。

(略)

「テレ・ヴィジョン」というのは、
映像と音を流すシステムでした。
人はそれを見たり聞いたりしていると、
それが現実の一部であるような、
ふしぎな錯覚におちいって、そこに映る人を、
自分が知っている人のように思いはじめるのでした。

アイメイトと歩く全盲の私が選ぶ靴底の話/「目の見えない人は世界をどう見ているのか」伊藤 亜紗(著)

新しいキャンバススニーカーをはいて、アイメイトと1時間ほど歩く。
歩きながらチェックしたのは、
新しいスニーカーの底の感覚なんだけど、
このジャックパーセルは路面の情報が「見える」ので合格。

目の見えない私にとって、足裏はセンサーだ。
このアスファルトに小石と砂の混じった箇所を過ぎると、まもなく信号だ。
石畳の次に土の道、
アイメイトが横断歩道のコーナーで止まったら道路を渡って右、
点字ブロックがある歩道の先は駅。
このようにして、路面の変化を地図にしているのであります。
なので、足裏の触覚を邪魔しない靴底が好ましく、
私はローテクなスニーカーを選んでいる。

ナイキのエアマックス系のハイテクなスニーカーは衝撃を吸収するけど、
肝心の感覚も吸収しちゃうし、
トレッキングやハイキングシューズに使われているビブラムなどの靴底は、
その硬さゆえに、触覚としての繊細さは欠ける。
大工さんや、足場を組む職人さんが、
薄くしなやかな地下足袋をはいているのは、
バランスをとりやすいのと、
足元を見なくても触覚で分かるから。

ということで、地下足袋チックなローテクスニーカーがいい。
適度に柔らかな薄底、
そして、底面が全体に平べったい。これ重要。
接地面が大きければ大きいほど、センサー部が広くなるから。

足元を見ずに作業する(しかも不安定な場所で)といえば、
揺れる(しかも濡れている)デッキで作業するヨットマンや、
スケートボードの上でアクロバティックな技をくりだすスケーターを連想するけど、
デッキシューズやスケーターシューズの底は、ベタっと平たいではないですか。
滑らないというのもあるけど、
ノールッキングでボードのどこに足がかかっているかわかるから、
フラットソールのバンズのスニーカーを選ぶスケーターは多いそう。

デッキシューズやスケーターシューズのソールは昔ながらのゴム底で、
この昔ながらのゴム底製法(バルカナイズド製法)のスニーカーを、
見た目の古めかしさとかシンプルさから、
長年にわたり、私は愛してやまなかったのだけれども、
芽が見えなくなってから、こんなに役にたつとは。
余談ですが、ナイキのコルテッツや、アディダスのカントリーなどはローテクスニーカーに分類されますが、
バルカナイズド製法ではありません。コルテッツもカントリーも大好きなんだけどね。

さて、昔ながらのゴム底といえば、
おなじみコンバースのオールスター。
底が薄く平べったくていいけど、キャンバスモデルのクッション性は皆無。
レザーモデルのオールスターには、フカフカなカップインソールが標準装備されていて、
秋冬の靴は一生、オールスターレザーだと決めているんだけど、
ペラペラなインソールのキャンバスモデルのオールスターは、五十路の私にはつらくなってきた。
なので、改良版のキャンバスオールスターの軽量モデルを3年はいていた。
底がゴムではなくEVAだから、クッション性も最高で軽くて柔らかくて楽ではあるけど、
楽なのと、楽しいということは別なように、
次もコレにするかといえば、ちょっと違うかも…。

ということで、春夏のキャンバススニーカー買い替え時を機に選んだのが、
コンバースのジャックパーセルだったのでした。
同じくバルカナイズド製法のスペルガ2750と迷ったけど、
いいですよ、ジャックパーセル!
インソールがキャンバスオールスターより格段によいので、ごむ底の割りにはきやすい。
適度な柔らかさと屈曲性、何より底面が全体に平べったい。
宙に放り投げたら必ず底から着地するんじゃないか、
というくらいソールが重いですが、
はいてしまえば不思議と重さを感じない。
どれだけいらっしゃるか分かりませんが、
ニーズに合う方におすすめいたします。

さて、今回ご紹介するのは、
全盲の私が音声図書で読んで目からうろこが落ちた本。
この本がユニークなのは、
福祉的な切り口ではなく、感動を売り物にもしてなくて、
極上の身体論になっていること。
目が見えなくなって新たに獲得する身体の感覚と使い方って?
使われなくなった視覚脳の新たな仕事は?
いやぁ、エキサイティングに面白い本!

目が見えない人が、どう世界を「見て」いるのか。
見えないのに見るとは、これ如何に?
たしかに、私は足裏から感じ、世界を見ている。

***
「目の見えない人は世界をどう見ているのか」
伊藤 亜紗(著)
光文社新書/2015年

「’89」橋本 治・著

私の住む集合住宅のエレベーターは今年新しくなって、
液晶モニターに「今日は何の日」と表示されるのだが、
きょう買い物に出かけた母は、
〔今日は「虫の日」だったよ~〕と教えてくれて、
あ、6月4日だもんね!と笑いあったのだが、
今日で天安門事件から32年になると気づき、
虫の日とか表示してんじゃねーよと思う。

天安門事件の時、私は専門学校を卒業し社会人になったばかりで、
同世代の中国の学生たちが犠牲になったことに胸を痛めた。
あの、戦車の前に、手を広げて立ちはだかった男性はどうなったのだろう。
たしか、戦車の中にいたのは、若い軍人達だったはず。
32年たったけど、思い出すと胸がキュッとなる。
12年前に天安門広場に行ったことがあった。
観光客がいっぱいで、平和でのどかな光景だったので、
すっかり事件のことは忘れていたけど。
案内してくれた人に「ここの路面はすごく頑強にできている」と聞いて、
あ、戦車…と思い出して、小さく手を合わせて祈った。

前置きが長くなったけど、
天安門事件があった1989年は、
世界も日本もいろいろあったとんでもない年で、
そんな一年を総括した橋本治の時事コラム集「89」は、
転載・橋本治の数ある名著のひとつ。
初版本はタウンページくらい分厚い本で、
装丁のデザインはシンプルかつセンスよく、中の印字が赤だった。
コロナで世界が揺れる今、橋本治が生きていたら何と書くのか。

内容(「BOOK」データベースより)
昭和が終わり、天安門事件が起こり、リクルート事件がピークを迎え、
美空ひばりが死亡し、東西の壁が崩壊し、宮崎勤事件が発覚した一九八九年。
さまざまな時代の亀裂を見せたこのとんでもない一年に真向からぶつかり、
体を張ってラジカルに問いかけ、問題の中心をひっぱり出す。
“いま”という歴史をどう読み解くかを
すべての人に示してくれる恐るべき89年の総括。 

・「’89」
橋本 治/河出書房
現在は上下巻の河出文庫