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「うさぎ!」第4話 小沢健二・著

「探偵は、うさぎ達に言いました。
「本当には何が起ったか、本当には何が起っているのか、見えてくるんだよ。
灰色の存在に気がつくと、
偽造された歴史、捏造された『普通の感覚』、というものが見えてくる。」
小沢健二さんの連載小説「うさぎ!」より。

童話仕立ての、やさしい文章で、
陰謀論ではすまされない、世界の真実を描いている。
民主主義や資本主義とは名ばかりで、
実は存在しないことが、よーくわかる。

ライバル企業のオーナーをたどっていくと同族だった、
これはよくある話だ。
ところで、
地雷を作って売る戦争屋と、
地雷を除去する人道的機関は、
どちらも辿っていけば、はるか上のいちばんてっぺんは、おんなじ組織、というのはご存じだろうか?
地雷は、設置するより除去するほうが何倍も費用がかかる。
戦争で大儲けして、
戦争処理でもさらに儲かる仕組みができあがっている。
こういうことは、大きなメディアや教育を使って巧みに隠されていることを知ろう。
(世界保健機関WHOの実態も調べてみてね)

*登場人物
うさぎ
「豊かな」国に住む、すこし太った、十五才の少年。

きらら
「豊かな」国に住む、やせた、黒い瞳をした、十五才の少女。
トゥラルパン
「豊かな」国に住む、ぼさぼさの髪をした、十五才の少女。

珈琲と本・あひる社
うさぎ、きらら、トゥラルパンが住む「豊かな」国の街にある、珈琲屋。
いろいろの人がたむろする店。
勉強会、料理会、映画会、誰かを招いて話を聞くなどの活動をしている。
手づくりの雑誌やいろいろな本が置いてある。
あひる号というパソコンもある。
ここで、うさぎときららは出会った。

灰色
人ではない。
「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲む。
あらゆる方法を使って、人を動かし、その「大きなお金の塊」を大きくすることだけを考えている。

「うさぎ!」第4話

(中略)
待てよ? うさぎは思いました。イメージ?

うさぎは、「イメージ」の気配がすると、
動物のうさぎの耳がピンと立つように、
警戒心が目覚めてくるのでした。

「イメージ」というのは、人が、
よく知らないものについてもっている、
ぼんやりとした印象でした。
そして、灰色のつくり出す世界は、
「イメージ」で満ちあふれていました。
人は、イメージで買い物をして、イメージで政治家に投票して、
イメージで他の国の人たちに憧れたり、
反感を持ったりしました。

あるいは、「豊かな」国々では、
新しいイメージの化粧品やシャンプーが、
毎年毎年発売されるようでした。

そして、新しいイメージの化粧品たちをよく見ると、
どれも同じ工場で作られた、
同じ内容のものが、
何度も容器の形や、匂いや、宣伝するタレントさんを変えて
売られているだけのようでした。

そういう新しいイメージの品物を、
せっせと買っている「豊かな」国々の人たちは、言い張りました。

「けれど、微妙な違いを気にして、
 選ぶのが楽しいんだよ。
 どれも同じだなんて、違いがわからないから、
 そんなことを言うんだよ。」

そうやって「豊かな」国々の人たちは、
イメージの世界に閉じこもるように買い物をしました。

しかし、そこには大きな問題がありました。
それは、何を買うにも、
たくさんの品物の中から選ばなければならないので、
選ぶ時間がつもりつもって、

まったく他のことをする時間がなくなってしまうのでした。

このお話の頃、「豊かな」国々の人たちは、
「選んで買う」ことに、恐ろしいほどの時間を費やしていました。
ずらりと並んだ歯ブラシの前で、
ジュース売り場で、…
そんなことをしていれば、
もちろんホシゾラを見上げて考えごとをする時間などは
なくなってしまうのでした。

灰色は、寝転んで星空を見上げているような子どもや、
種を植えてその芽がでるのを楽しみに待っているような子どもが、
大嫌いでした。
そんなことをしている子どもの口には、
薬を突っ込んで黙らせてしまえ、と思うのでした。

そして、いつも感情を抑えこんで、
絶対に失敗をしないように生きようとする、
おびえた子どもたちが育てばいい、と思うのでした。
心ががんじがらめになって、
自由に動くことのできない子どもたちが、
たくさん育てばいいと思うのでした。

灰色は、「自由な人の心」を怖れていました。

なぜなら、灰色は、人の心の持つ大きな力を
よくわかっていたからでした。
そして、その大きな力が自由に動きだして、
今にも灰色をぶち殺しにくるのではないかと、
密かに怖れているのでした。

人の心が自由に動き出さないためには、
人をいつも忙しくさせておくことが必要でした。
忙しくて忙しくて、
自由に考えたり、何かを思ったりすることなど
できない状態にしておく必要がありました。

「微妙にイメージの違う品物を、
 たくさんつくり出せ!」
灰色は手下達に命令をしました。
「あのブランドはこんなイメージだ、
 このブランドはこんなイメージだ、
 という、ぼんやりとした考えを、世の中にまき散らせ!
 そうすれば人は、どうでもいいものを買うにも、
 5分も十分も考えなければならなくなる。
 ボールペンを一本買うにも、
 あれこれ比べて選ばなければならなくなる。
 そして物を選んでいるうちに、
 クタクタに疲れてしまうにちがいない!」

「さて」
手下は、真剣な顔で言いました。
「厄介なのは、あのいまいましい、小さな店の主人たちです。
 小さな店では、たくさんの品物を並べることができません。
 そのために、店の主人たちは、
 大量に発売されている品物の中から
『うちで売るハサミはいつもこれ』などと、
 品物を選んでしまうのです。
 主人たちは、品物には詳しいですから、
『あれは高いけどあんまり良くない』
『これは安いけど単純で使いやすい』と、
 それなりに良いものを選んでしまいます。
 お客たちが、主人に意見を言うこともしばしばです。」

「それは非常に危険だ。」
灰色は、手下が何を心配しているか、すぐに気がつきました。
「そうなんです。こちらを見てください。」
そういうと手下は、他の手下たちのために用意した資料を、
大きなスクリーンに映し出しました。

小さな店が、灰色にとって危険である理由
1 並んでいる品物が少ないので、
 お客が品物を選んでいる時間が短く、疲れない。
 そのために、一日の中で、人が自由に考えたり、
 他の人の心配をする時間が増えてしまう。

「1は、簡単におわかりだと思います。
 おそろしいのは、次の2なのです。」

2 市場の力が働いてしまう。

会議室に、どよめきが起こりました。

小さな店では、お客たちが、
「あの品物は安いけれど良かった」とか、
「あの品物は高い上に、すぐ壊れた」などと、
店の主人と話をします。
主人の方は、
「こんなひどい作りの安物を売るのは心がひける」とか、
自分の知識や、良心や、利益や、
近所の人たちの意見を考えに入れて、品物を仕入れます。

そういう店では、それなりに、良いものが売られて、
良くないものは売られなくなっていきます。
それが、「市場の力が働く」ということでした。
しかし、良いものが売られて、
良くないものが売られなくなるのは、
灰色にとっては、大変都合が悪いのです。

なぜなら、灰色のつくり出す世界では、
人々がまったく欲しくもない、余計な機能がどっさりついた、
壊れやすい品物が、
つぎつぎと売られなければならないからでした。

たとえば、人びとがほしいファックスの機能は、
単純に送信と受信ができる、壊れにくいものでした。

しかし、送るスピードが速いとか、
電話番号が500件覚えられるとか、
どうでもいい、めったに使わない機能が
たくさんついたファックスの機械が売られているのでした。
そして、なおそうとすると、
「新しいのを買った方が安いよ」と言われ、
さらにどうでもいい機能が満載になった
ファックスの機械を買うはめになるのでした。

「市場の力」が働けば、
プリンターのインクは、インクを注ぎ足して使える方が良い、
ということになるはずでした。
インクのカートリッジは値段が高いし、
たくさんのカートリッジを製造すると、
水や空気が汚れて、とても効率が悪いからでした。

ところが、プラスチックでできたインクのカートリッジを、
いくつもいくつも買って捨てなくてはならないのでした。

そうやって、灰色と灰色の手下たちは、
無駄なものばかりが売られて捨てられる、
効率の悪い世の中をつくっていました。

たまに、カートリッジにインクをつぎたす品物が発売されていて、
「これはやすくて、ゴミも減って、なかなか良い」
と気に入って使っていると、その品物は、
いつのまにか店先から消えてしまうのでした。
どうやら、大きな企業が、
「そんなものを売られると商売にならない」
と、文句をつけたらしいのでした。

そうやって手下たちは、
良いものを売り出す、
本当の競争相手が生まれないようにしているのでした。
そして。お互いに「競争相手だ」という
「ライバル企業」をよく見ると、
持ち主は、どうも同じ企業や同じ人たちのようでした。

手下たちは、自分たちの言っていることと
やっていることが正反対だと、
よくわかっていました。
というのは。彼らは口では
「自由競争によって、市場の力で、
 世の中の効率を良くする」
と言いながら、本当は、

「自由競争が起こらないようにして、
 市場の力をねじ曲げて、
 世の中の効率を悪くする」
ことに一生懸命だからでした。
そうしないと、灰色の棲む「お金の塊」を
大きくし続けることができないのです。

しかも、コンピューターやハイテクの製品が開発されたお金は、
よく見ると、人びとが払った税金でした。

税金で開発したのだから、
製品を売った利益が、大きな企業が払う税金として、
人びとに返ってくるかと思うと、
大企業や大株主たちの税金はやすくなるばかりで、
全然返ってきません。
お金を出した人に利益を返さないのでは、
「資本主義」もへったくれもありません。

灰色の世界を注意して見る人は、
「市場の力」も「自由競争」も「資本主義」も、
まともに存在していないことに気がつくのでした。

けれども、不思議なことに、このお話の頃の
「豊かな」国々の人たちが持っている世の中のイメージは、
「市場原理によって、
 自由競争で、強いものが生き残る、
 資本主義の社会」
というものなのでした。

「みなさんお静かに!」
灰色の手下は、騒がしくなった会議室に向かって言いました。
「私たちはもちろん、小さな店の主人たちが品物を選ぶことなど、
 許しません。
 そのために今までは、リベートなどによって、
 『この品物を店に置けば、これだけのお金をあげるよ』
 とやさしく対応してきました。
 しかし、そもそも小さな店など全部つぶして、
 大きなチェーン店にしてしまえばよいのです。」

他の手下たちは、ほっとしたようでした。
大きなチェーンになった店では、
働く人たちは、言うこともやることも
本部によって決められています。
小さな店の主人たちのように、
近所の人たちの意見を聞いて、
良いものを仕入れることなどできません。

また、店員たちは短い期間だけ雇われるので、
お客さんに品物について質問されても、
答えることができません。
その割に、喋り方と表情の訓練だけはされているので、
顔はニコニコとして、
ことば遣いはロボットのようになっています。

店員としても、人間に戻って、
「いやー正直やってらんねーっすよ」
と言いたいのですが、
そんなところが監視カメラにでもうつって、
クビになったら大変です。

丁寧な喋り方と笑顔の裏で、
じわじわと意地悪な性格になっていくような気がして、
本人もつらいのです。
お客の方は、ニコニコ顔のロボットと話すよりも自分で探そうと、
巨大な売り場を歩き回ることになります。

そうやってお客たちは、
一人一人ばらばらに、
ぼんやりしたイメージに頼って、
たくさんの品物を選び続けることになるのでした。

大きなチェーン店の店内では、
お客が見るものも聞くものも、
チェーンの本部からコントロールすることができました。
本部は、
「どの商品棚で、どの品物を、いくつ、どの順番で見るか」
をコントロールすることで、
お客たちが何を買うか、大体予測することができました。

人びとの行動を予測する。
それは、灰色にとって大事なことでした。
灰色は、人の社会に、自分がコントロールできない、
予測のできないことが起こるのが大嫌いでした。
それは灰色に、
夏の空に突然かかる大きな虹のようなものを思わせました。

灰色は、虹というものが嫌いでした。
楽しそうで、やわらかで、人を微笑ませる虹は、
灰色のつくり出したい、苦しくて、硬くて、暗い顔の人が
ゾロゾロ歩くような世界とは、全く正反対なのでした。

灰色の手下は、演説を続けました。
「それから、人が自ら進んで、
 売り場で品物を選んでいる時間を増やすようにすることが
 必要です。」
「どうすればいいのだ?」
灰色は、手下に聞きました。

「ほとんど同じ品物の中から、どれかを選び出すのが、
 星空を見上げたり、踊ったり、
 他の人と真剣に話すよりも楽しい、
 と思いこませればいいのです。
 こんなうたい文句を、人の心に叩き込むのはどうでしょう?」

選べて楽しい!

第4話 : うさぎ

http://usagiozawa.doorblog.jp/archives/23810698.html

*「うさぎ!」小沢健二・著
雑誌「子どもと昔話」で連載

「うさぎ!」第3話 小沢健二・著

小沢健二さんの連載小説「うさぎ!」より。
10年以上前から続いている作品で、
いまだからこそ読んでいただけたらな、と思いアップさせていただきます。

*登場人物

うさぎ
「豊かな」国に住む、すこし太った、十五才の少年。

きらら
「豊かな」国に住む、やせた、黒い瞳をした、十五才の少女。
トゥラルパン
「豊かな」国に住む、ぼさぼさの髪をした、十五才の少女。

珈琲と本・あひる社
うさぎ、きらら、トゥラルパンが住む「豊かな」国の街にある、珈琲屋。
いろいろの人がたむろする店。
勉強会、料理会、映画会、誰かを招いて話を聞くなどの活動をしている。
手づくりの雑誌やいろいろな本が置いてある。
あひる号というパソコンもある。
ここで、うさぎときららは出会った。

灰色
人ではない。
「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲む。
あらゆる方法を使って、人を動かし、その「大きなお金の塊」を大きくすることだけを考えている。

「うさぎ!」第3話
このお話の頃の世界では、働く人たちは、
毎年どんどん忙しくなっていくような気がしていました。

そして、忙しくなるわりには、みんなの給料が、
毎年だんだん安くなっているような気がするのでした。

もしやと思って、統計を取ってみた学者たちは、
9割の働き手たちが手にするお金は、物価と比べると、
少なくなりつづけていることに気がつくのでした。

その一方で、およそ1万人に一人は、
ふと気がつくと6倍くらいお金持ちになっていることも
わかりました。

そして、この、ひとりぼっちでお金持ちになって行く人たちは、
お金持ちになるにつれて、
「おれたちは、競争に勝ってきた、強いものたちなのだ」
という、変な考えに取り憑かれていくのでした。

「競争の中で強いものが勝ち残り、
 弱いものは蹴落とされる。
 そして蹴落とされるのは、その人の自己責任である。」

灰色は、テレ・ヴィジョンの会社や
大きな新聞を所有する手下たちを使って、
そんなメッセージを送り込みました。

けれども、このメッセージには、
隠された、大きな仕掛けがあるのでした。

人には、動物たちや、山や、神々の痛みさえ、
「そんなもの関係ないよ」
と切り捨てるのではなく、
「自然を大切にしましょう」
とアタマで考えるのでもなく、
自分のお腹の中にある、正直な痛みとして、
「ああ、これはひどい」
と感じとる。

そんな、太古の昔までつながる、人の不思議な能力が、
「親切」という行いの源にあるようでした。

そして、その「親切」によって、
人は、まわりの者や自然と、つながっているらしいのでした。

つまり、ある人が、貧しいものなどをみて、
「ああ、見ているこっちのお腹の中まで痛むようだ。
 どうにかしなくては。」
と思うと、手を差しのべずにはいられなくなって、
その差しのべられた手によって、
人と、まわりの者や自然が、つながっていくのでした。

そうやって人をまわりの者や自然とつなげている「親切」を、
人の心の中から追い出していくために、
灰色は、言葉をつくるのが上手い手下たちを使って、
1つの言葉をつくり上げました。

それは、「自己責任」という言葉でした。

「自己責任」という言葉を心に叩きこまれると、
人は、苦しんでいる人を見かけても、
「あそこに苦しんでいる人がいるが、
 あれは自己責任で、私が感じる必要はない苦しみだ」
と思うようでした。

ということは、
「自己責任」という考え方を人の心に叩き込むことによって、
まるで除草剤を撒くように、
雑草のように生えてくる「親切」という行いを、
根絶やしにすることができるはずでした。

けれど、人は、長いあいだ、
貧しい人や、死者や、動物たちの痛みを、
いつも感じとって、親切をして、生きてきたのでした。
その親切を失って、人がどうやって生きていくかは、
「自己責任」という言葉をつくった手下たちにも
わかりませんでした。

この手下たちは、自分たちのつくった言葉で、
人びとが右へ左へ動く様子を見るのが、
何より楽しいのでした。
そのことには、何だか異様な快感があるのでした。

さて、親切にかぎらず、灰色は、
人をまわりの者や自然とつなげてゆくものが、大嫌いでした。

「貧しい」国々でも、「豊かな」国々でも、
お金持ちたちの心こそ、念入りにあやつって、
「人がまわりの者や自然とつながっていること」を、
忘れさせなければならないと考えていました。

もし、「豊かな」彼女らや彼らが、
「生きとし生ける者は、みんなつながっている。
 それどころか、人は昔から、死んだ者たちとだってつながって、
 おなかの中で痛みを感じとって、
 助けあって生きてきた。」
と考えてしまったら…
「貧しい人や、死者や、動物への親切。
 ああ、本当に、腹が立つ!」
「人も、一人一人バラバラに切り離されて、
 人という集まりについての、
 本当の物語が、読めなくなってしまえばいい!」

そのためには、やはり、お金持ちや、
エリートたちの心から、
念を入れて、あやつるのが良いようでした。

灰色は、ひとりぼっちでおかねもちになっていく、
1万人に一人の人たちは集めては、
演説が得意な手下を使って、力強く語りかけました。

「お前たちは、勝利者なのだ!能力の高い人間なのだ!」

「豊かな」人たちは、外国語をちりばめた演説に、
熱心に聴き入っています。
それは、まるで、
あやしげな宗教にはまっている人たちの集まりのようでした。

「お前たちは、勝利者として、
 できる人間として、世界をリードしていく、
 選ばれた人間たちなのだ!」

演説をしている人は、人間の顔をしていましたが、
響いてくる声は、灰色の声なのでした。

「それが自然の法則というものなのだ。
 適者生存の法則、自然淘汰の法則といっている。
 種の保存のために、強いものだけが生き残るのだ。
 そして、お前たちが、未来をになう、強いものたちなのだ!」

熱心に聴いていたお金持ちたちから、
おそろしい音の拍手が鳴り響いて、
灰色はその様子を、満足そうに見守るのでした。

しかし、この演説が、
本当は大きなまやかしのもとに成り立っていることは、
演説を考え出した灰色自身が、一番よくわかっていました。

さて、この演説が行なわれていたホテルでは、
たくさんの人が働いていて、
その中の一人は、演説があった宴会場でお皿を片づけながら、
気味の悪い人たちの集まりだった、と思っていました。
そして帰り道に、さっき小耳にはさんだことを、
考えてみるのでした。

ダーウィンという人は、たしか
「生存に適したものが生き残る」
ということを言っていた人でした。

では人の場合、
「どういう人が生存に適しているのか?」
と考えると、どうもあの演説は、
とんでもないまやかしを語っていたような気がしてくるのでした。

気になって、ダーウィンという人の書いた本をめくってみました。
するとこの学者は、
「アリの脳は、おそらくこの世で、
 もっともすばらしいものである。
 おそらく、人間の脳よりもすばらしい。」
と記しているのでした。

それならば、そのすばらしい脳を持つアリたちが
どう生きているか、考えてみてもよさそうでした。

そこで、アリについての本をめくってみると、
驚いたことに、この星の上には、
ものすごい数のアリが住んでいて、
星に住む全部のアリの体重を足すと、
星に住む全部の人間の体重を足した重さよりも、
重いらしいのでした。

そんなにたくさんのアリたちが、この星の上で働いていて、
この星の環境を壊しているかというと、全く反対で、
アリたちが働くと、土や、他の動物たちや、植物たちの、
ためになっているのらしいのでした。

アリたちの働き方について考えてみました。
ある種類のアリたちは、
仲間から栄養分を求められると、
かならず、自分が半分消化した栄養分をあげて、
お互いを助けあって生きているらしいのでした。

少なくともアリの脳は、
「他のアリがお腹を空かせているのは、
 そのアリの自己責任」
などという考え方はしないようでした。

そうやってアリたちは、
何百万年も星と共存共栄してきたのでした。
「俺たちの数が増えすぎてしまったから、
 星の環境を壊すのが当たり前なのだ」などと、
人間たちのように開き直る様子もありません。

そんなアリの脳を、ダーウィンという人は、
「すばらしい」と言っているのでした。

そこで、給仕さんは、アリの脳が
「この世で一番すばらしいもの」
だというダーウィンの考えと、彼の言う
「適者生存の法則」「自然淘汰の法則」
を合わせて考えてみました。

ダーウィンの思う「すばらしい」方向に、
人の脳が進化したとすると、
人は、アリたちのように、
まわりの者や自然のためになって、お互いを助けあう、
そんな生き方・働き方ができるようになっていくはずでした。

そして、そんな人たちが、
お互いを助けあう気持ちのない、
まわりの者や自然につけこむことばかりに長けたひとたちを、
やっつけていく、というのが、
人にとっての、本当の「ダーウィン流の進化」
のように思えるのでした。

そうなると、
あの宴会場に集まっていた「勝利者」たちと、その一味こそ、
「種の保存」の妨げになる、
質の悪い、劣った、淘汰されるべき者たち…。
その彼らを退治していくのが、
人にとっての
「ダーウィン流の進化」…。

給仕さんは、ここまで考えると、
「いかんいかん、ひどいことを考えている。
 あの宴会場に集まった人たちは、
 まるで催眠術にかかったような眼をしていた。
 きっと、何かに取り憑かれているだけで、
 本当は他の人と、似たり寄ったりの人たちに違いない。」
と、やさしい心にもどって、家に帰ろうとするのでした。

しかし、家に帰る途中で、あの演説を思い出していると、
またまた腹が立ってくるのでした。

あの宴会場で演説をしていた人は、
「強いものが勝つのだ」
「弱肉強食が自然のおきてなのだ」と、
ライオンや虎や鷹の例をさかんにあげていました。
しかし、ライオンも虎も鷹も、みんな絶滅寸前ではありませんか。
そんな動物たちの生き方を真似してはいけません。

争いよりも協力することの得意なカモなどは、
たくさんの子どもを連れて泳いでいるのを、
世界のどこの池でも見かけるのでした。

給仕さんの中には、
謎が解けるような気持ちもありました。
それは、革命というのはこうやって起こってきたのだろう
という気持ちでした。

「革命家」とよばれる人たちの中には、残酷な支配者を倒そうと、銃を持って立ち上がった人たちがいました。

あるいは、戦争ばかり仕掛けていた国に、
もうそんなことはやめろと、
体を張って立ち上がった人たちがいました。

あるいは、核爆弾や、化学兵器による暴力を止めるには、
毎日の暮らしのなかにある、
差別や偏見の暴力から止めなければならないと、
真剣に、熱心に、あきらめずに考える人たちがいました。

そうやって、人びとは確かに、
種の保存のために、生存に適した行動を考えて、
みんなではげましあてきたようでした。

そして、生存に適さない、暴力が好きな人たちを淘汰しようと、
いつも頑張ってきたように思えるのでした。

すると、ふと、どこかの町にいたときに、
時間をつぶしに入った珈琲屋のことを思い出すのでした。

「あれは、どこの町だっけ。
 確か、灰色がどうとか、
 太った男の子と、靴を履いていない女の子が話していた。
 今度の休みの日には、あの店を探して、行ってみよう。」

この男の子と、女の子が誰だかは、もうおわかりかもしれません。

そのうさぎときららは、飛行機に乗って、
南の大陸にある、銅山の国の首都の「平和市」に
着いたところです。

きららが、大きな旅行用の竹籠をしょって、
裸足で、元気よく、平和市の目抜き通りを歩いていきます。
うさぎはその後ろから、緑色の大きなリュックサックをしょって、
履き込んだ黒い革靴を履いて、ついていきます。

二人は、久しぶりに、大好きな友達のクィルに会えるので、
うれしくて、どんどん歩いていきます。
知らない国の町についた人は、みんなが、
いつもより3割くらい速いスピードで
歩いてしまうのかもしれません。

クィルという女の子は、
うさぎやきららと同じ町に住む、
「珈琲と本・あひる社」というお店を
溜まり場にしている仲間でした。

あひる社の常連たちが、クィルの姿を見かけなくなったのは、
何週間も前のことでした。
クィルはどこに行ったの、
ときららやうさぎに尋ねた常連たちは、
あのぼさぼさの、砂色の髪の毛をした女の子は、
銅山の国にいるということを知るのでした。

「ああ、銅山の国か。
 沼の原では、もうすぐ水のことで、
 大きな動きがあるかもしれないね。」

あひる社の常連たちは、
店においてある、手づくりの雑誌や、手づくりの本を広げては、
お茶や珈琲を飲みながら、
いつもお喋りをしています。
そのせいで、大きな新聞やテレ・ヴィジョンが伝えない、
世界の人びとの動きを、
みんながよく知っているのでした。

「クィルは平和市にいるんだ。
 平和市なんて町の名前、胸が痛いよ。
 きっともともとは、違う名前で呼ばれていたのに、
 占領した人たちが、平和とか自由とか希望とか、
 土地の風景も思いつかない名前をつけた町…。」

何日かたって、クィルからあひる社に届いた手紙には、
きららの推測したとおり、
平和市という名前は、四百五十年ほど前に、
当時の大帝国からやってきた侵略者たちによってつけられたこと、
それまでは「黄金の谷」とよばれていた土地であったこと、
そこは本当に、谷を流れる川から、
黄金が採れる土地だったことなどが書かれていました。

侵略や占領は、いつも、
その土地の言葉に対する侵略や占領でもあって、
侵略された土地の言葉は、切り裂かれて、
犯されて、血祭りに上げられてしまうのだ、と続けていました。

「けれど、いのちのない名前がつけられたとしても、
 そこで子どもたちが生まれて、友だちができて、
 商店街で恋をして、病院で亡くなって、
 という風に時が流れる。
 すると、いのちのない、冷たい名前にも、
 土地の霊が、いのちを与えていくのだと思う。」

読み終わると、
最近ボトルにつめられてうられている水の名前が
気になっているのだが、ときららに話しはじめるのでした。

ああいう水のボトルには、
「天国の水」とか、
水をくみ上げた場所の自然を謳い上げるような名前がついている、
というのでした。

けれども、そんな場所なら、
休みの日にその水のくみ上げ工場に行ってきて、
「あのボトルのくみ上げ工場に行ってきた。
 いや自然がすごいのなんのって。」
という人がいるかというと、
まずいない、というのでした。

そして、どうもあの水の名前は、
知ってか知らずか、結果的に、
「水をくむためにぶち壊したものの名前」に
なっている気がする、というのでした。

つまり、天国のような自然をぶち壊してくみ上げ工場をつくったら
「天国の水」、
そしてそれと同じように、
人びとが平和に暮らしているところに攻めこんでいって、
平和をぶち壊すと「平和市」になるような気がしてならない、
まちがっていて欲しいのだが、
と言うのでした。

さて、今、きららとうさぎは、クィルが待っているはずの、
平和市の商店街の通りをめざして、歩いていきます。

平和市は、谷あいの町でした。
この町の人たちは、みんな背が小さくて、
顔には、小さな、すてきな笑顔が浮かんでいます。

その笑顔は、ただすてきなのではなくて、
なにか、秘密の合図と暗号があって、
一つの合図で、みんなが一斉に銃を持って立ち上がりそうな、
そんな、危険なすてきさなのでした。

きららとうさぎが、
目的の商店街のある通りを見つけて、角を曲がっていきます。

「あっ!」

きららが声をあげて、立ち止まります。
うさぎも、すぐ同じものを見て、

「すごいっ!」

とびっくりしています。
(つづく)

「うさぎ!」第2話 小沢健二・著

小沢健二さんの連載小説「うさぎ!」より。
10年以上前に、音楽活動から離れていた小沢さんが書いた、
童話のかたちをした「世界でおきている本当の話」。

長い間、闇の支配者層が世界を牛耳ってきた。
やつらや、やつらの作った仕組みを、
小沢さんは作品のなかで「灰色」として描いてきた。

その「灰色」をやっつける革命が、
いま世界中で静かに進行中(らしい)。

*登場人物

うさぎ
「豊かな」国に住む、すこし太った、十五才の少年。

きらら
「豊かな」国に住む、やせた、黒い瞳をした、十五才の少女。

トゥラルパン
「豊かな」国に住む、ぼさぼさの髪をした、十五才の少女。

珈琲と本・あひる社
うさぎ、きらら、トゥラルパンが住む「豊かな」国の街にある、珈琲屋。
いろいろの人がたむろする店。
勉強会、料理会、映画会、誰かを招いて話を聞くなどの活動をしている。
手づくりの雑誌やいろいろな本が置いてある。
あひる号というパソコンもある。
ここで、うさぎときららは出会った。

灰色
人ではない。
「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲む。
あらゆる方法を使って、人を動かし、その「大きなお金の塊」を大きくすることだけを考えている。

「うさぎ!」 第2話

(略)
おおくの人は、ふだんは靴を履いていて、
特別なときだけ、
例えば砂浜を歩くときには、裸足になるようでした。

きららは、ふだんは裸足で、たとえば重いものを運ぶときには、
足の上に落としてけがをしないように。
つま先に鉄の覆いの入った、大きなブーツを履くのでした。

足の裏は、耳や、鼻や、脳みそのように、
体の中で、特別な働きをする部分だと、きららは思っていました。
耳が音を聞いたり、鼻が匂いをかぐように、足の裏は、
地面に負けないように厚くなって、
熱さや冷たさにも強くて、きららがどこを歩いているのか、
しっかりと伝えてくれるのでした。

きららの足の裏は、馬の背中につける鞍の革のように、
りっぱに硬くなっていました。
その足で、雨のなか、
丘をのぼったり、さわやかな芝生の上を歩いたりすると、
まわりの人が、なんだか重そうな靴を履いているのが、
とてもふしぎに見えるのでした。

(略)

危ないものを踏まないように靴を履いているのだ、という人は、
ふつうの道には、本当に危ないものなんて、
めったに落ちていないことも知らないようでした。
それに、本当に危ないものが落ちていたら、
それに気がついて片づけたり、
それがどこから来たのか、調べたりした方がよさそうでした。

裸足なんて汚くて、衛生に悪いから、
とレストランの人に言われたこともありました。
けれど、きららが毎日足の裏を洗うように、
毎日靴の裏を洗っている人は、まずいないようでした。
何年も洗っていない靴の裏には、
きららの足の裏より、
ずっと恐ろしいものがはびこっているはずでした。

(略)
足だって、毎日きゅうくつな靴下をかぶせられて、
その上きゅうくつな靴に押しこめられていたら、
くさくもなるし、病気にもなるだろう、と悲しくなりました。
(略)

きららから見ると、靴を履いているたいていの人たちは、
土踏まずのばねを生かさずに、
かかとやひざや腰にショックが直接つたわる、
乱暴な歩き方をしているようでした。
(略)

きららは他の人に、裸足で歩くようにすすめたりしませんでした。
なぜかというと、まず、どんなことだって、
その人が、自分でやろうと思ってやらなければ、
意味がないのでした。

それに、裸足で歩くのが正しくても、
灰色がつくり出す社会がこんなにまちがっていては、
裸足でいるのは、たしかに難しいのでした。

それから、人には、
「まわりの人みんながやっていることは、
 正しいことにちがいない」
と、自分自身に思い込ませる性質がありました。

たとえば、みんなが毎日靴を履いて歩いているのは、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いているようなものだ、
ときららは思っていました。

けれど、もし、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いている世界があったら、
その中の一人が、
「これはもしかしたら脱いだ方がいいかもしれない」
と思うのは、とても大変なことなのでした。

(略)
灰色は、人のこの性質に注目しました。
そして、人に、
「まわりの人みんながそう言っている」と思いこませれば、
かんたんに人の心をあやつることができる、と気がつきました。

そこで、灰色は、試行錯誤のすえに、あるシステムを完成させて、
それが、たくさんの家庭に行きわたるようにしました。

それは、「テレ・ヴィジョン」と呼ばれていました。

(略)

時どき、一回も、
かかとさえ取りかえた様子のない革靴が捨ててあることがあるが、あれはひどい。

革靴は、かかとを取りかえて、靴底を取りかえて、
上の革を取りかえて、
ながく履いていくように、つくられている。
(略)

革靴は、
「この上の革は、あの靴屋のおやじがつけてくれたな」とか、
「そろそろかかとを取りかえるかな?」とか、
考えながら履くように、つくられているのだ。
そうでなければ、こういうつくりにはならない。
(略)

人は、なおす気がないのか。なおすことを、放棄しているのか。

しかし、自然は、なおすことで成り立っているのだ。
水が汚れたら、海がなおして、空にのぼって、
雨が降って、土を通って、きれいになる。
水なんか、この星にはちょっとしかないから、
なおすことができなかったら、すぐになくなってしまう。
空気だって、森がきれいになおさなかったら、
すぐになくなって、みんな窒息してしまう。

しかし、人が、なおさないで捨てているものが、
絶望するほどあるのだ。
僕はそういうものを拾って来てなおすのだが、
僕がなおす量は、木が一本、空気をきれいにするとか、
プランクトンが一匹、水をきれいにするとか、
そのくらいの量である。
毎日、ごみではないものが、どっさり「ごみ」になっている。

しかもよくみると、つくる企業のほうが、
わざと、さっさと「ごみ」になるように、
品物をデザインしているのである。
靴なんか、(略)「なおして履ける」という革靴の性質を、
わざわざ、切って捨てているのである。

(略)
どうしてこんなことになるのだろう?

うさぎの質問は、
灰色が六十年くらい前に大きな戦争が終わった後にはじめた、
「もう古いの計画」と関係がありました。
「買え、買え、もっと買え。」
灰色は、毎日、人びとの心に、ささやきはじめました。
「お前の持っているものは、もう古い。
 そんな古いものを持っていたら、馬鹿にされる。
 そんな古いものを持っていたら、貧乏くさい。
 そんな古いものを持っていたら、女の子にもてないぞ!」

灰色は、とにかく人に、
「あれはもう古い、これはもう古い」
と思わせたいのでした。
そうすれば、人はどんどんものを買って、
人がどんどんものを買えば、灰色の棲む、
「大きなお金の塊」が、
さらに大きくなるからでした。

それが灰色の、「もう古いの計画」でした。

灰色の手下たちは、たくさんの会議を開いて、
「もう古いの計画」を話し合いました。
「人がいつも、自分の持っているものはもう古い、
 と感じるように、プレッシャーをかけよう。
 そして新製品を、いつも売りつけよう。」
(略)
そんな灰色にとって、万年筆や、
靴屋のおやじがなおせる革靴は、ながく使えて、
なかなかごみにならないので、こまるのでした。
「もっとはやく、どんどんごみになるペンや、
 どんどんごみになる靴を、つくることはできないだろうか?」
灰色は考えました。

使いすてのペン、使いすての、なおすことのできない靴。
使いすての、あらゆるものが生まれました。

うさぎは、使いすてのお皿、使いすてのカメラなどは、
「狂気の沙汰」だと思っていました。
(略)

「テレ・ヴィジョン」というのは、
映像と音を流すシステムでした。
人はそれを見たり聞いたりしていると、
それが現実の一部であるような、
ふしぎな錯覚におちいって、そこに映る人を、
自分が知っている人のように思いはじめるのでした。

(略)
人には、「みんなが言っているのだから、正しいにちがいない」
と自分に思いこませる性質がありました。
そういうふうにして、テレ・ヴィジョンが流し出すものが、
そのまま、見る人たちの考えになっていくのでした。
(略)

本当のみんなの意見は、
テレ・ヴィジョンが流し出すものとは、
大きくちがっているのでした。

なぜちがってしまうかというと、
テレ・ヴィジョンの「番組」と呼ばれるものを
計画している人たちは、全員が、ある決まった、
特別な性質を持った人たちだったからでした。
(略)
彼らは、全員が、教育とか学校とかいわれるものの中で、
長い年月をすごすうちに、
ある危険な性質を身につけてきた、変わった人たちでした。

それは、
「先生が書いてほしい答えを先どりして、
 ささっとそれに従う」
という性質でした。

テレ・ヴィジョンの番組を計画している人たちは、
みんな、似たような大学を出ていました。
先生が書いてほしい答えを先どりして、
ささっとそれに従いつづけていると、
そういう大学や大学院を出ることができるのでした。

彼らは、その長い長い、従いつづける生活のために、
囚人のようなあきらめを身につけていました。
(略)
テレ・ヴィジョンの仕組みをよく知っている、
番組を計画している人たちは、
テレ・ヴィジョンから流れてくるものを。
そのまま信じることは、決してありませんでした。

それは何だか、悲しいことでした。
テレ・ヴィジョンに憧れて、
意気揚々と入った世界なのに、
仕組みを知るにつれて、
テレ・ヴィジョンの見方が変わっていくのです。
それがつらいので、彼らはこうつぶやいて、
自分をなぐさめようとしました。

「仕方がないよ」彼らは言いました。
「そういう仕組みなんだから。」

もともと、彼らは、仕組みに気がついて、
ささっとそれに従うことが、だれよりも得意な人たちなのでした。
そんな彼らが、長いあいだ従いつづけて、
せっかくついた地位でした。
しかも、今は、灰色のつくり出す、人の給料が安くなって、
どんどんまともな仕事がなくなる世の中です。
「先生」に文句を言ったり、
「先生」のご機嫌をそこなうようなニュースを流したりしたら、
クビになってしまうかもしれません。

しかし、学校はもう、とっくに卒業したのだから、
本当に先生がいるわけではありません。
この、彼らが怒られないようにしている「先生」とは、
いったいだれなのでしょう?

それは、そもそも、人なのでしょうか?

「仕方がないよ」と、彼らは言いました。
「そういう仕組みなんだから。」
(略)

灰色のつくり出す世界で、
「仕方がない」と言って、
「仕組み」に従っている人たちは、うすうす、
あることに気がついていました。

それは、自分たちのように「仕組み」に従って、
人をあやつっていた者たちは、
歴史の中で、いつも、倒されて、殺されてきたということでした。
(略)

おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめていた者たちと、
「仕方がないよ。そういう仕組みなんだから」
と従いつづけていた者たちは、
ある日、とつぜん町の中が騒がしくなったと思うと、
次の日には、
かならずパンツ一丁で逃げまどうことになるのでした。

灰色は、その歴史を、
なるべく人びとに見せないようにしていました。
それは、あまりにも大きな、楽しさとか、喜びとか、
希望とか、優しさとか、おもしろさを、
人びとに与えてしまうからでした。
(略)

さっきまで、飛行機の中で、「いなせな男」という人が、
八十年くらい前に書いた本を読んでいた。
いなせな男は、広告業界の父として知られている。
その本は、最初のページから、こんなことを言っているのだ。

「民主主義の社会だからこそ、
 人びとの心を、軍隊をしつけるように、
 きびしくしつける必要がある。」
そして、
「そうやって、気づかれないように、
 人びとの心をあやつることが、
 民主主義の社会での、支配の仕方なのである。」と。

(略)
さて、そういう風にして生まれたシステムに、
心をきびしく、念入りにあやつられている
「豊かな」国々の人たちは、
自分たちが、人の歴史の中で、どこにいるのか、
見失っていくようでした。
(それは、とても不安なことでした。)

一方、「貧しい」国々の人たちは、
それを見失うことはありませんでした。
見失おうにも、それは毎日、目の前にあったからです。

たとえば、「貧しい」国々では、
(略)みんなでつくった、みんなのものが、
どんどん灰色に「プライヴェタイゼーション」されていました。

そのために水道料金が3倍になったり、
国がひとつ丸ごと破産して、
銀行からお金がおろせなくなったりするのでした。

そんなことが、毎日の生活に起これば、
灰色がどこから来て、何をしようとしているのか、
自分たちは人の歴史の、どの場面にいるのか、
はっきりすぎるほど見えるのでした。

プライヴェタイゼーションは、国によって、
「私有化」とか、「民営化」とか、「社会化」とか、
呼ばれていました。(略)
しかし起こることは、どの国でも同じでした。
一言で言うと、それは、
「人のことを人が決める」やり方から、
「人のことを灰色が決める」やり方になることでした。

たとえばみんなのもの、たとえば水道を、
政府が運営している場合、水道料金がどんどん上がったら、
みんなが反対して、次の選挙ですぐに、
料金をどんどんあげた大統領は、おろされてしまいます。
(略)
ところが、水道を、大きな企業が運営していたら、
水道料金がどんどん上がっても、人びとが投票で、
大きな企業の社長をおろすことはできません。(略)

政府を中心とした「民主主義」は、
したから、人びとが怒って、
やることを変えられる仕組みでした。
灰色は、そんな仕組みは、気に入らないのでした。

だから、灰色は、どこの国でも、テレ・ヴィジョンを使って、
「政府が悪い」「役人が悪い」と、キャンペーンをしました。
それを、毎日くり返して、人の心に叩きこむ必要がありました。

悪い役人は、悪い社長がいるように、どこにでもいます。
その悪い人間を、下から怒って、追い出すことができるのが、
「民主主義」のはずでした。
(略)

企業では、下から、人びとが投票することはないから、
灰色は、投票を恐れる必要がなくなるのだ。

灰色は、人びとの心をコントロールするのさえ、
めんどうくさいのだ。
下から、人びとが怒ることができる
「民主主義」「政府」なんて仕組みは、
さっさと捨ててしまいたいのだ。

(略)
その本当の意味は、
「人や生き物が住むことのできない世界を造ること」
だと気がついているのは、
「豊かな」国々では、
灰色の手下たちと、
きららやうさぎのような人たちだけのようでした。
(略)

無農薬だと、利益が上がるからといって、
輸出用の無農薬野菜をつくる大きな企業が、
どんどん畑を買って、その国の人たちが食べる野菜を
育てる畑がなくなっている国々がある。
世界の飢えている人たちの半数は、農民なのだ。
灰色のやりかたでは、農民は、生きていけないのだ。

(略)
ある国では、もし、
その土地でとれた食べ物を国の人たちが食べたら、
家庭でつかうエネルギーを、二十パーセント節約したのと
同じことになるという。

それなのにその国では、
「土地のものを食べよう」とか「食べ物の無駄をなくそう」
ではなくて、
「夏はネクタイをするな」という騒ぎになったらしい。
笑えるが、笑えない。笑ってはいけないと思う。
みんな純粋に「何かしたい」と思っているのだ。
(略)

さて、銅山の国は、「南の大陸」にあります。
南の大陸では、灰色にとって、
とてもまずいことが起こっていました。
そこでは、五百年もいじめられてきた人びとが、
それでもくじけずに、いまや、灰色に対して、
次々と勝利をおさめはじめていました。
それはまさに、潮が引いて、
大きな砂浜が浮かび上がってくるようでした。

(略)
「豊かな」国々では、南の大陸でどんなことが起こっても、
そのニュースは「クマが町に出ました」とか、
(略)そんな「ニュース」のあいだで、
よくわからないように、チラッと流されるだけでした。

「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから。」
ニュースを流す人は、そう言いながらも、
なんだか怖くなってくるのでした。

(略)

灰色は、このごろ、いやな夢を見るようになっていました。
それは、灰色が、人の耳あかのような、
甘い匂いのする町にいる夢でした。
人びとはのんびり、巻き煙草をすったり、
お茶を飲んだりしています。
その明るい町の、土の道をすすんで行くと、
向こうから一人の女の人が歩いてきて、
二つの、閃光のような眼で、灰色をぎらっと見るのでした。
そのとたん、視界が真っ白になって、
灰色は、自分が消えてしまったことがわかるのでした。

(略)
「人の社会をなおそう…。星をなおそう…。」
毛布に埋もれて、うさぎはぶつぶつつぶやいているのでした。
(つづく)

第2話 : うさぎ

http://usagiozawa.doorblog.jp/archives/23810676.html

「うさぎ!」
小沢健二・著
雑誌「子どもと昔話」で連載

僕らが旅に出る理由

秋のはじめだったと思う。
姉がラジオをつけると、小沢健二の「僕らが旅に出る理由」が流れて来て、
聞いていたら不意に泣いてしまったのだとか。
オザケンで泣くとは思ってなかったから驚いちゃった、
こんなにいい曲だったかしら?と言っていた。

この曲は、旅に出る恋人の幸せを祈る曲だ。
いや、始めは恋人のことで、ごくパーソナルなんだけど、
曲が進むにつれ「遠くまで旅する人達」ぜんぶになっちゃって、
終いには宇宙まで飛躍しちゃうんだから、オザケンは天才だと思う。

それに「旅に出る理由」ってタイトルなのに、
理由はこれこれこうです、って明らかにされてもいない。

人生は旅のようなもの、とよく耳にする。
マインドフルネスの源流と言ってもいい、名著「ビー・ヒア・ナウ」の著者でもあり、
元・心理学者で、思想家のラム・ダス(先日、移住先のハワイで逝去)も、
「私たちはみな、
家までの道のりを歩いて帰る途中だ。」と言っていた。
天国から出発して、
再び天国に帰る旅路が人生だ、と。

オザケンがそこまで考えて作ったのかどうかは知らないけれど、
天国から「いっておいで!」って、
子らを送り出す神様みたいな視点も感じられるのだ。
かわいい子には旅をさせよ、と言う。
旅に出る理由は、
神様に愛されているから、なのだろうか?

今年は、私の大好きな橋本治が、
私の大切な親友が天国へ帰っていった。
神様にニコニコ顔で出迎えてもらったに違いない。

・「ビー・ヒア・ナウ 心の扉を開く本」
ラム・ダス 著/平河出版社

小沢健二「ぼくらが旅に出る理由」 PV – YouTube

フルバージョン

アムロとルークと、ろばの子/「ろばの子 昔話からのメッセージ」小沢俊夫・著

ガンダムが40周年だそうだ。
私はリアルタイムで見ていて、アニメーターにもなりたかったけれど、
その後に、本家というか元ネタのスター・ウォーズを好きになり、
アニメ自体も卒業してしまった。

ガンダムもスター・ウォーズも、作品そのものが好きだったというよりは、
作品に込めた願いや伝えたい意図のようなものに、私は魅かれていたのだと思う。
どちらも若者の成長の物語でもあって、
ルークは、すんでのところでダークサイドに落ちてしまいそうになるし、
アムロにいたっては、ひ弱で内気で暗い。
二人はヒーローらしくないのだけれど、成長していく姿がリアルヒーローだ。

さて、日本の昔話にも、一見頼りなさそうな若者の話がいっぱいある。
ドイツ文学者で、日本の昔話の研究者、小澤俊夫さん
(ミュージシャンの小沢健二さんの父上)によると、
日本の昔話が道徳的で教育的なものに改ざんされてしまったのは明治からで、
それ以前の昔話は、今とは違うものだったという。

たとえば、あの桃太郎。
小沢さんの著書、「ろばの子 昔話からのメッセージ」には、
オリジナルの桃太郎が収録されているのだが、
桃太郎はチャランポランな子で、鬼が島に鬼退治にも行っていない。
小沢俊夫さんによると、
若者が主人公の昔話で、若者の描かれ方といったら、
「いつも眠くてグータラで、ボーッとしている」のだとか。
でも、それが若者というものなんだから、と、
昔の人はお話を語り継ぐことで、若者を見守ってきた。
そして、さなぎが蝶に変容するように、
昔話には若者が成長していく姿が描かれる。
若者は変化の象徴でもあるのだ。

一方、若者との対比として描かれるのは爺さんや婆さんで、
たとえば、こぶとり爺さん。
良い爺はずーっと良い爺のままで、
悪い爺はずーっと悪い爺のままだ。
キャラクターが一切変わることなく物語は終わる。
頑固で、もう変わっていかない存在として描かれているのだ。
そういうものなんだから、と、
いわば昔話は「語り継ぐ知恵」だったのだろう。

さて、この本「ろばの子 昔話からのメッセージ」には、
桃太郎の他にも、シンデレラや白雪姫、わらしべ長者など、
有名な話の原典が収録されている。
それぞれの話に小沢さんによる解説が添えられているのだが、
「三度くりかえし法則」の解説が興味深い。
どの話にも共通して、同じようなエピソードが三度くり返されるのは、
成長したくても成長するのが怖い、
振り子のように揺れ動く若者の気持ちを表しているというのだ。
そんな若者たちに、一見マイナスに思えることが起きたり、
様々な出会いがあったりして、いつしか変わっていく。

しかし、大人になると、
そんな「もどかしさ」が自分にあったことなんか忘れてしまう。
昔話は、昔の自分もそうだったことを想い出させる装置でもあるのだ。
(タイトルにもあるグリム童話の「ろばの子」を読んでボロ泣きしたとです)

・「ろばの子 昔話からのメッセージ」
小沢俊夫・著
小沢昔ばなし研究所・刊

伝説のフェスから50年/「ベイビー レボリューション」浅井健一・奈良美智/著

米・ウッドストック・ミュージック・フェスティバルの開催から今年の夏で50年。
愛と平和と反戦を訴える若者やヒッピーたちが、全米から40万人集まった、
伝説の野外ロック&フォークフェスティバルだ。
ベトナム戦争、公民権運動、女性解放運動など、激動の60年代、
古い世界を変えたい若者たちの、フラワームーブメントの頂点だった出来事。

1969年当時、私は一歳の赤ん坊だったのだけれども、
自分の生まれた60年代の洋楽がとても好きだ。
そして、背景にあるヒッピーカルチャーやニューエイジムーブメントも大好き。
赤ん坊だったから、当時の世界のことは憶えてはいないのだけれども、
赤ん坊は、世の中に充満した何かを吸って育つのかもしれない。

さて、ミュージシャンの浅井健一さんと、
美術家で、大のロック好きで知られる奈良美智(なら よしとも)さんの
お二人による絵本が出ている。
あのベンジー(浅井さん)と、あの奈良さんが!
浅井さんは、元・ブランキー・ジェット・シティ、現在はシャーベッツで活躍、
奈良さんは、よしもとばななさんの本の表紙の女の子の絵が印象的だ。
文は、浅井さんの作詞した歌の歌詞がそのままで、
絵は奈良さんの描き下ろしなのだそう。

お二人は元々お互いのファンだったそうで、しかも愛知県に縁がある。
いまでも名古屋弁でしゃべる浅井さんは、名古屋の出身で、
奈良さんは、奈良じゃなくて青森出身だけど、愛知県立芸大の卒業なのだ。
奇遇なのは、お二人が以前はじめて対談した時のこと。
名古屋は藤が丘にあるレコード屋で奈良さんがバイトしてた頃、
学生だった浅井さんが通っていたことが判明したのだとか。
音楽は知らないうちに人と人をつなげるね。

「かわいい奇跡を起こしたい」
と、絵本の出版インタビューで語っていた浅井さん。
あの夏、先陣たちが蒔いた種が、いつか奇跡を起こしますように。

「Baby Revolution」
作詞 KENICHI ASAI
作曲 KENICHI ASAI
唄 SHERBETS

青い空の下をはう 3万人のBabyが
裸の生まれたそのまま 3万人のBabyが
野を越え山越え谷を越え 3万人のBabyが
そのうち半分チュッパを 吸ってる人のBabyが
平和と愛のメッセンジャー 突然起こった出来事
大人達はみんなびっくり 3万人のBabyに
ラジオもテレビもトップニュース 報道機関は大パニック
世界中のBaby達 突然集まりはいだす
3万人のBabyが 30万のBabyが ひたすらはいはいして行く
なんという出来事なんだ 危険も省みないで
ひたすらはいはいして行く Baby Revolution

青い空の下をはう 30万のBabyが
中には泣きだすやつもいる 30万のBabyが
ビルの谷間も海の上も何にも思わずはってく
ジャングル奥地も氷河も 元気にはいはいして行く
世界中のBaby達 平和と愛のメッセンジャー
30万のBabyが 300万のBabyが ひたすらはいはいして行く
みんなはその姿を見て 何かを気づかされるのさ
ヘリコプターが中継 Baby Revolution

青い空の下をはう 3千万のBabyが
宗教 条約 法律 何のことだかわからない
まもなく戦争地帯だ おかまいなしに進んでく
兵士も戦車もミサイルも みんな拍子抜けしてるよ
3億人のBabyが みんなの憎しみ消してく
みんなの争い消してく
30億のBabyが ひたすらはいはいして行く
危険も省みないで みんなはその姿を見て
きっと心変わるだろう みんな我に返るだろう
僕達何やってるのか 爆弾落として僕達
悲しみつくって僕達 いったい何やってるのか
何のために殺しあうの 何でこんなことしてるの
30億のBabyが ひたすらはいはいして行く
みんなの憎しみ消してく Baby Revolution
たったひとりの Baby が
c2001~ Interrise Inc. All Rights Reserved

・「ベイビーレボリューション」
浅井健一・文
奈良美智・絵
クレヨンハウス/2019年

人は他人からエネルギーを受け取れる事が科学的に証明されるかも/「聖なる予言」のこと

ドイツ研究チームによると、
植物は、他の植物からエネルギーを受け取っていることが分かった。
緑藻クラミドモナスは、光合成によるエネルギー不足の際、
近隣の植物性セルロースからエネルギーを吸収して成長している事が判明した。
(2016年 学術誌「Nature」に発表)

私はこのニュースをさほど気にとめなかったのだけれども、
これは、とてつもない大発見らしい。
植物同志でエネルギー交換するのが分かったという事は、
いずれ人間と植物の間でも、
また、人間と人間の間、人間と動物の間で、
エネルギー交換していることも判明するだろう、という事なんですって。

つまり、
自然の中にいる時や、動物と過ごすと元気になること、
それに、人と過ごすと元気になるとか疲れてしまうなんてことさえも、
そう遠くない未来に、科学的に証明されるかも、ということなのだ。

おー!それはすごい!
世界的なベストセラーで、冒険小説仕立てのスピリチュアル書、
「聖なる予言」ジェームズ・レッドフィールド・著 山川紘矢+山川亜希子・訳
に書かれている内容が科学的に証明されるの?と思うと私はワクワクする。

「「「聖なる予言」に、エネルギーについて取り上げている内容はと言うと、
人は植物からエネルギーを受け取っていること、
人は他人とエネルギーを与え合えもするし、奪い合いもすること、
(当ブログ「コントロールドラマ」をご参照下さい)
そして、人は自然や宇宙からエネルギーを受け取ることができることも。
わー、証明されるのいまから楽しみだな~。

「聖なる予言」は1994年(アメリカはもっと前)の出版だから、
もう、25年前の本になる。
私は当時、「聖なる予言」の内容に沿ったレッスンガイドブックである、
「聖なる予言 実践ガイド」(角川書店)まで買ったのに、
私の理解力も意識の段階も追いついていなかったのか、チンプンカンプン…。
というか、
読もうと手に取るも、なぜか読み進めることさえできなかったのだ。
「聖なる予言」は、その人のベストタイミングでしか出会えない本として有名で、
私は5年前にようやくその時が来たのだろう、
読むのは盲人用音声図書になってしまったけど、20年越しの感動が。
科学も私もようやく「聖なる予言」に追いついた、ということなのでした。
(今こそ読むべき本)

・「聖なる予言」
ジェームズ・レッドフィールド・著
山川紘矢 山川亜希子・訳
角川文庫

・「聖なる予言 実践ガイド」
ジェームズ・レッドフィールド
キャロル・アドリエンヌ
角川書店(現在は絶版)

「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン著

大自然の中へ飛び込んだ人は、
その後の人生が変わってしまうことがある。
サーファーやダイバーやカヌーイストだったり、
登山者やハイカーやキャンパーが、
大自然のなかにいる時に抱く想いが、人を変容させるのだろう。

自然は時に荒々しい。
海は暴風は吹き大波は立つし、
山なら激流に切り立った崖もある。
テントから出ると降ってくるような満点の星、
はてしない荒野、
潜ると濃くなっていくグランブルーの前では、
ただただ圧倒されて、私は身ぶるいした。

この身ぶるいするような感覚は、
「センス・オブ・ワンダー」と呼ばれる、自然への畏敬の念だ。
驚きに満ちて、神秘的で、
どこか清々しくて、ピシっと背筋が伸びる感じ。

この、大自然への畏敬の念が、
人の心身の健康を一変させることが、最近の脳科学の研究で分かってきた。
トラウマや、人工的な刺激過多等による脳のストレスを取り除き、
本来のイキイキとした五感を取り戻すというのだ。

そういえば、私は若い頃、
一時的に離人症のような症状になったことがあった。
膜越しに世界を見ているようで、何を聞いても触っても現実感がない。
沖縄で言うところの「マブイが落ちた」だ。マブイとは、「たましい」のことね。
そんな私を再生してくれたのは、海であり山だったと思う。
白黒テレビがカラーになるように、
私の世界や五感はイキイキとしたものに変わっていった。
今は街暮らしなのだけれど、
公園の木々のざわめきや、
遊歩道の花壇の花の香り、
聴こえてくる小鳥のさえずりから、自然を感じては楽しんでいる。

さて。前書きが長くなった。
名著「沈黙の春」のカーソン女史の遺作である本書は、
本当に美しい贈り物のような一冊だ。
亡くなった姪の子である、幼いロジャーとともに森や海岸を散策するカーソンの、
自然の描写が詩のように美しい。
自然を前にしたロジャーの驚いたり喜んだりする様子は、
私たちが忘れている「センス・オブ・ワンダー」そのものだ。
「本当に美しいものは目に見えない」と、星の王子様は言ったけれど、
本当に美しいものは、美しさをみつける心だと、カーソンは教えてくれる。

・「センス・オブ・ワンダー」
レイチェル・カーソン著/新潮社

「イルカを追って 野生イルカとの交流記」ホラス・ドブス著

私がスキューバダイビングを始めたきっかけはイルカだった。
仏・映画「グラン・ブルー」を観たことと、
ドッブス博士の「イルカを追って 野生イルカとの交流記」を読んで、
イルカと一緒に泳ぎたいと思ったのだ。カナヅチなのに。

80年代に、何度目かのイルカブームがあって、
日本でも、イルカのスピリチュアル的な要素がクローズアップされた。
イルカセラピーとかアクアセラピーと呼ばれる、
心身に障害を持つ人への、イルカのヒーリング能力である。

実際に、海でドルフィンスイムを体験した方から聞いたのだが、
イルカは、心の傷ついた人や、身体に障害を持つ人に先に近づいていたそうだ。
そして、イルカみたいに潜ったり泳いでいる人のところへ行って一緒に遊び、
ふいに、じゃバイバーイと去っていったという。
イルカと過ごした後は、幸福感に満たされて、
皆の顔が笑顔で輝いていたそうだ。

なぜ、心の傷ついた人や身体の障害を持つ人が分かるのか?
イルカの発する超音波のせいなのか、
群れの仲間を気遣うイルカの習性によるものなのか、
いくつか説はあるけれど、実はよく分かっていない。

この、よく分かっていない、
違う星から来たような謎の生物であるイルカと、
人間との交流を記録したのが本書、
「イルカを追って 野生イルカとの交流記」だ。
英・マン島に現れた野生のイルカ「ドナルド」と、
人々との遭遇と交流を、ドッブス博士は淡々と描く。
ドナルドを快く思っていない住人もいて、
危ない目に遭い、無邪気だったドナルドが少しナーバスになるのもリアルだ。
それでも、一貫して人間を信頼し愛するドナルド…。

昔は違う出版社の単行本だったが、
現在は集英社で文庫化されているようだ。
何回も読み返したくらい好きな本だったけれど、
結末がどうだったのか、流石に何十年も前なので思い出せない。
想いだすのは、当時の私はひどく孤独だったこと、
いや、実際に孤立していたわけでもなくて、
孤独感を持っていた、ということだ。
映画「グラン・ブルー」のジャックのように、
イルカなら分かってくれるんじゃないか、とさえ思っていた。

さて、私がイルカと泳ぐことができたかどうかだが、
失明してダイビングをやめたこともあって、
ついに実現できなかった。
ただ、小型艇の乗船中に、
船と同じスピードで泳ぎ、ジャンプするイルカの群れに遭遇したことはあった。
間近で自分の目で目撃できたのだ。子どもみたいに皆が大はしゃぎ。
もうね、最高にハッピーだった!

・「イルカを追って 野生イルカとの交流記」
ホラス・ドブス著/集英社文庫

橋本 治さん

橋本治が亡くなった。
橋本治の評論やエッセイを、ずーっと心の支えにしてきた私は、
突然の訃報に、もう何がなんだか分からない。

作家で、イラストレーターで、編み物の達人。
頭がよくて、でも肌感覚のようなものにも敏感で、
世界の変化に、「おかしいよ」と真っ先に気が付くカナリアのような人。
これは美しいとか醜いとか、好きだとか嫌いだとか明確に基準があって、
だから、時には世間にプンプン怒るのだけれども、
あのニコニコ顔のように、いつだって機嫌がよくて(だと思う)
とってもチャーミングな人。

橋本治の文章は、読後に人柄の良さや優しさが残るのだけれど、
実際、とても優しい人だったようだ。
「愛のテーマ・序曲 橋本治研究読本」という、
橋本治について、作家仲間やマンガ家、編集者らが語る本があった。
(現在は絶版)
原稿を取りに行ったら、
っちょっと待っててくれるー?と橋本治は自ら茶を入れ菓子を出し、
編集者は炬燵に入って待ってると、
お腹すいてる?と手早くゴハンを作ってくれたりしたそうだ。
私は橋本治の文章だけじゃなく、
こういうところも大好きだった。

「橋本さんにかけてもらった言葉が忘れられない」と、
お悔みのツイートをする人が何人もいて、
なかでも印象的なのは、作家志望の若者たちを家にあげ、
長い時間語り合ったときに橋本治が言った言葉だ。
「もしも目の見えない人が社会に出て不自由を感じるとしたら、
それは社会が間違っているんだよ」

私もだったけど、
生きづらさを感じていた若者たちが、
橋本治にどれほど救われてきたことだろう。
とてもさびしい。