再掲*「うさぎ!」第2話 小沢健二・著

〔おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめていた者たちと、
「仕方がないよ。そういう仕組みなんだから」
と従いつづけていた者たちは、
ある日、とつぜん町の中が騒がしくなったと思うと、
次の日には、
かならずパンツ一丁で逃げまどうことになるのでした。
灰色は、その歴史を、
なるべく人びとに見せないようにしていました。
それは、あまりにも大きな、楽しさとか、喜びとか、
希望とか、優しさとか、おもしろさを、
人びとに与えてしまうからでした。〕
(小沢健二さんの連載小説「うさぎ!」より)

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2020年4月14日の記事を再掲します。
このお話の中の「靴をはかない女の子」や、
「みんなが毎日ヘルメットをかぶっている世界」をは、
靴とヘルメットを「マスク」に置き換えて読んでみてください。

***ここから再掲

「うさぎ!」第2話 小沢健二・著
2020年4月14日Book, 世界の真実編集

小沢健二さんの連載小説「うさぎ!」より。
10年以上前に、音楽活動から離れていた小沢さんが書いた、
童話のかたちをした「世界でおきている本当の話」。

長い間、闇の支配者層が世界を牛耳ってきた。
やつらや、やつらの作った仕組みを、
小沢さんは作品のなかで「灰色」として描いてきた。

その「灰色」をやっつける革命が、
いま世界中で静かに進行中(らしい)。

*登場人物
うさぎ
「豊かな」国に住む、すこし太った、十五才の少年。

きらら
「豊かな」国に住む、やせた、黒い瞳をした、十五才の少女。

トゥラルパン
「豊かな」国に住む、ぼさぼさの髪をした、十五才の少女。

珈琲と本・あひる社
うさぎ、きらら、トゥラルパンが住む「豊かな」国の街にある、珈琲屋。
いろいろの人がたむろする店。
勉強会、料理会、映画会、誰かを招いて話を聞くなどの活動をしている。
手づくりの雑誌やいろいろな本が置いてある。
あひる号というパソコンもある。
(検閲のない検索エンジン「ダックダック・ゴー」のモジリなのよ フムフムより)
ここで、うさぎときららは出会った。

灰色
人ではない。
「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲む。
あらゆる方法を使って、人を動かし、その「大きなお金の塊」を大きくすることだけを考えている。

「うさぎ!」 第2話
(略)

おおくの人は、ふだんは靴を履いていて、
特別なときだけ、
例えば砂浜を歩くときには、裸足になるようでした。
きららは、ふだんは裸足で、たとえば重いものを運ぶときには、
足の上に落としてけがをしないように。
つま先に鉄の覆いの入った、大きなブーツを履くのでした。

足の裏は、耳や、鼻や、脳みそのように、
体の中で、特別な働きをする部分だと、きららは思っていました。

耳が音を聞いたり、鼻が匂いをかぐように、足の裏は、
地面に負けないように厚くなって、
熱さや冷たさにも強くて、きららがどこを歩いているのか、
しっかりと伝えてくれるのでした。

きららの足の裏は、馬の背中につける鞍の革のように、
りっぱに硬くなっていました。
その足で、雨のなか、
丘をのぼったり、さわやかな芝生の上を歩いたりすると、
まわりの人が、なんだか重そうな靴を履いているのが、
とてもふしぎに見えるのでした。

(略)

危ないものを踏まないように靴を履いているのだ、という人は、
ふつうの道には、本当に危ないものなんて、
めったに落ちていないことも知らないようでした。

それに、本当に危ないものが落ちていたら、
それに気がついて片づけたり、
それがどこから来たのか、調べたりした方がよさそうでした。

裸足なんて汚くて、衛生に悪いから、
とレストランの人に言われたこともありました。
けれど、きららが毎日足の裏を洗うように、
毎日靴の裏を洗っている人は、まずいないようでした。
何年も洗っていない靴の裏には、
きららの足の裏より、
ずっと恐ろしいものがはびこっているはずでした。

(略)

足だって、毎日きゅうくつな靴下をかぶせられて、
その上きゅうくつな靴に押しこめられていたら、
くさくもなるし、病気にもなるだろう、と悲しくなりました。

(略)

きららから見ると、靴を履いているたいていの人たちは、
土踏まずのばねを生かさずに、
かかとやひざや腰にショックが直接つたわる、
乱暴な歩き方をしているようでした。

(略)

きららは他の人に、裸足で歩くようにすすめたりしませんでした。
なぜかというと、まず、どんなことだって、
その人が、自分でやろうと思ってやらなければ、
意味がないのでした。

それに、裸足で歩くのが正しくても、
灰色がつくり出す社会がこんなにまちがっていては、
裸足でいるのは、たしかに難しいのでした。

それから、人には、
「まわりの人みんながやっていることは、
 正しいことにちがいない」
と、自分自身に思い込ませる性質がありました。

たとえば、みんなが毎日靴を履いて歩いているのは、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いているようなものだ、
ときららは思っていました。

けれど、もし、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いている世界があったら、
その中の一人が、
「これはもしかしたら脱いだ方がいいかもしれない」
と思うのは、とても大変なことなのでした。

(略)

灰色は、人のこの性質に注目しました。
そして、人に、
「まわりの人みんながそう言っている」と思いこませれば、
かんたんに人の心をあやつることができる、と気がつきました。

そこで、灰色は、試行錯誤のすえに、あるシステムを完成させて、
それが、たくさんの家庭に行きわたるようにしました。
それは、「テレ・ヴィジョン」と呼ばれていました。

(略)

時どき、一回も、
かかとさえ取りかえた様子のない革靴が捨ててあることがあるが、あれはひどい。
革靴は、かかとを取りかえて、靴底を取りかえて、
上の革を取りかえて、
ながく履いていくように、つくられている。

(略)

革靴は、
「この上の革は、あの靴屋のおやじがつけてくれたな」とか、
「そろそろかかとを取りかえるかな?」とか、
考えながら履くように、つくられているのだ。
そうでなければ、こういうつくりにはならない。

(略)

人は、なおす気がないのか。なおすことを、放棄しているのか。
しかし、自然は、なおすことで成り立っているのだ。
水が汚れたら、海がなおして、空にのぼって、
雨が降って、土を通って、きれいになる。
水なんか、この星にはちょっとしかないから、
なおすことができなかったら、すぐになくなってしまう。
空気だって、森がきれいになおさなかったら、
すぐになくなって、みんな窒息してしまう。

しかし、人が、なおさないで捨てているものが、
絶望するほどあるのだ。
僕はそういうものを拾って来てなおすのだが、
僕がなおす量は、木が一本、空気をきれいにするとか、
プランクトンが一匹、水をきれいにするとか、
そのくらいの量である。
毎日、ごみではないものが、どっさり「ごみ」になっている。
しかもよくみると、つくる企業のほうが、
わざと、さっさと「ごみ」になるように、
品物をデザインしているのである。

靴なんか、(略)「なおして履ける」という革靴の性質を、
わざわざ、切って捨てているのである。

(略)

どうしてこんなことになるのだろう?
うさぎの質問は、
灰色が六十年くらい前に大きな戦争が終わった後にはじめた、
「もう古いの計画」と関係がありました。
「買え、買え、もっと買え。」
灰色は、毎日、人びとの心に、ささやきはじめました。
「お前の持っているものは、もう古い。
 そんな古いものを持っていたら、馬鹿にされる。
 そんな古いものを持っていたら、貧乏くさい。
 そんな古いものを持っていたら、女の子にもてないぞ!」
灰色は、とにかく人に、
「あれはもう古い、これはもう古い」
と思わせたいのでした。
そうすれば、人はどんどんものを買って、
人がどんどんものを買えば、灰色の棲む、
「大きなお金の塊」が、
さらに大きくなるからでした。
それが灰色の、「もう古いの計画」でした。

灰色の手下たちは、たくさんの会議を開いて、
「もう古いの計画」を話し合いました。
「人がいつも、自分の持っているものはもう古い、
 と感じるように、プレッシャーをかけよう。
 そして新製品を、いつも売りつけよう。」

(略)

そんな灰色にとって、万年筆や、
靴屋のおやじがなおせる革靴は、ながく使えて、
なかなかごみにならないので、こまるのでした。

「もっとはやく、どんどんごみになるペンや、
 どんどんごみになる靴を、つくることはできないだろうか?」
灰色は考えました。
使いすてのペン、使いすての、なおすことのできない靴。
使いすての、あらゆるものが生まれました。
うさぎは、使いすてのお皿、使いすてのカメラなどは、
「狂気の沙汰」だと思っていました。

(略)

「テレ・ヴィジョン」というのは、
映像と音を流すシステムでした。
人はそれを見たり聞いたりしていると、
それが現実の一部であるような、
ふしぎな錯覚におちいって、そこに映る人を、
自分が知っている人のように思いはじめるのでした。

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