「サバイバルからリバイバルへ」 マドモアゼル・愛YouTube

ケンタッキーの大学内の教会でいま起きている「リバイバル」現象を、
愛先生が考察されています。とても不思議な現象です。
魂の、命の先祖返りとは?
必見の内容です。

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サバイバルからリバイバルへ – YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=zLAps6rLXAQ信じる神様を物差しとする人もいれ

(愛先生による概要)
人によって生き方のものさしは異なります。損得をものさしにする人もいれば、人情を基本に置きたいと思う人もいるでしょう。信じる神様を物差しとする人もいれば、両親の教えに忠実な人もいます。

何をものさしにするかで、私たちの生き方もそこで出くわす様々なもの、体験する内容などが変わっていきます。ものさしの基準を外部に置くことは一般的ですが、その基準を命に置くことはできないでしょうか。

命はすべてを知っていて、どのような場合にでも、最適な方向を示してくれるのが、本当は命ではないかと思います。

権威や神様に尋ねれば、おそらく間違いは少ないかもしれませんが、私たちがこの世に生まれてきた意味は、自分とは何者なのか、、自分を知ることに尽きると思うのです。

自分は命を持って生まれてきて、生かされている存在ですので、その命はすべてを知っているはずです。しかし、私たちは外部に依存しすぎて、外部の情報に振り回され気味です。

その結果、私たちは自分の命を生きる以上に周囲の思惑に使われて仕事人間になっているケースが多いです。それは、熾烈な生き方であり、まさにサバイバルのようなもの。

そこでもう一度、命に戻るとなれば、それはリバイバルになります。
実は、リバイバルという不思議な現象がケンタッキーの教会で起きているというのです。2月8日の10時に始まった礼拝は11時に終える予定でした。ところが、11時どころか本日22日になってもまだ続いているというのです。

家に戻らない、、、帰らない、、、精霊に満たされた教会空間で、人は歌い、語り、祈りながら、もう二週間になります。

この現象は1970年のやはり2月にも起きていて、リバイバルと言われました。53年たった今年、再び同じ教会でリバイバルが起こりました。私には、このリバイバルは宗教的なものというより、命に直結した現象に見えます。人はこの空間にただいたいのです。それは命が安らぐためです。自分と出会うからです。

サバイバルは仕事オンリーの暮らしで、巧みな強制によって生じ、命にそぐわない要素が強くて私たちを苦しめます。するとまるで先祖返りを起こすように、リバイバルが起き、それは色々なところに派生するようになっていきます。

自由は革命によって得られるものではなく、命のリバイバルが私たちを縛るあらゆるものから私たちを解放していくのかもしれません。
私たちが戻る場所は命以外になく、自分は何者なのかの回答も命にあります。自分自身と出会う必要が、終末に起きており、こうした現象がこれから至るところで起きてくると予想されます。

#リバイバル2週間目#1970年のリバイバル#自分との出会い

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