オリンピックは終わっても

オリンピックのある2月は、過ぎるのが早い気がする。
感動して泣いて笑ってる間に、
え? もう3月?
2月には悪いんだけど、
3月が早く来て、ちょっと得した気分になったりして。

楽しかったなぁ、オリンピック。
というか、
「ほぼ日刊イトイ新聞」サイトの恒例の五輪企画、
「観たぞ、平昌オリンピック!」が、毎度のことながら楽しかった。

この「観たぞ(以下略)」は、アテネから始まったのだけれども、
オリンピックを自分はどう見たか感じたかを、皆で楽しむコンテンツ。
投稿された文章を、担当の永田さんが編集してコメントするシンプルな作りだ。
いまどき動画も写真も無く、
だからこそ、言葉で説明したり表現する必要があって、
見えない私も、読んでいて映像が目に浮かんでくるのだ。
余談だけれど、
「観たぞ」2日目に、
「オリンピックのある風景」コーナーで私の投稿が掲載、嬉しかったな。

なぜに「観たぞ」はこうも面白く、
しかも感動するのか。
面白いことだったり、素敵なことだったり、
本質的な美しさや、心が揺れて感動することを、
日常で見つけている人達が投稿しているからだろう。
見逃してしまいそうな、ほんの小さなこと、
ふとした選手や観客の振る舞いにも、光を当てる。
たとえば、女子カーリング三位決定戦、
敗れた英国は落胆することなく、すぐさま手袋を脱ぎ、
日本チームに祝福の握手をした。
女子フィギュア、カナダの選手、ジャンプが決まらない。
果敢にまた跳ぶ。失敗。
また果敢に跳ぶ、また失敗。
会場からは大きな拍手が起きる。
フィニッシュで胸を張る選手。
観客席にいたカナダフィギュアチーム一同は、
ためらいなしにスタンディングオベーションで彼女を最大級に讃えた。

面白いことや素敵な事、本質的な美しさや感動は、
見つける目を日々トレーニングしていないと、
咄嗟には見つけることはできない。
考えも物の見方も、筋肉と同じだ。
たとえば、
人のいいところを見つけることが上手いひとは、
人のいいところを探す習慣を持っているように。

オリンピックの間、
感動して泣いたり、小ネタに面白くて笑ったり、
心が動く、そんな数週間を過ごす。
なにもオリンピックやスポーツに限ったことじゃないけれど、
オリンピックは、感動するという習慣が身に着くね。

オリンピックで動きまくった感動筋肉を携えて、
いつもの日常に戻っていくのだけれど、
見える世界はどう?

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