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吉本芸人ふたりに思う「松本氏と粗品氏の違い」 マドモアゼル・愛YouTube

吉本芸人ふたりに思う「松本氏と粗品氏の違い」 – YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=ekiMdgpM2bE

(愛先生による概要)
正月初めからの地震、事故は、まだまだ終息せずに混迷を深めている印象があります。

官房機密費の秘密を語りだしたとたんに家が火事になった元政治家もいて、線香の消し忘れとはいえ、薄ら寒い怖いものを感じる人も多いことでしょう。

今、責められているのは、実は上なのです。上の問題、上の犯罪的行為、上の本質が、様々な形で表れてきています。

EU委員会の公式会見では、国民は上に騙されていた的な発表があるなど、世界的に攻められているのは、これまでの上であることが、これまでの歴史と異なります。

上とは企業トップであり政治家であり政府であり国家です。おかしいことをしていたのではないか、、、、国民をだましていたのではないか、、、それを隠すために、メディアや芸能の世界すら活用していたのではないか、、、様々な不信が出てきて、責められる立場に立っています。

この流れは2024年、25年と続き、やがて確信的なものになっていくと予想されます。

その際、上が機能しなくなることで私たちの世界や生活も混乱に導かれることは確かだと思われます。しかし、私たちが裁かれる流れではなく、上が裁かれる可能性を持つ流れですので、私たちにとっては、心理的には救われる状態になっていくでしょう。大変だけれど心配はいらない、ということです。

思わぬ火事で家を焼失した家主もショックを受けているというより、何かさばさばしている印象でした。

芸能界では大御所である松本人志氏が問題となり、活動を停止することになりました。これから追及される立場だと思われます。疑義は自分の強い立場を使った性的強要という問題。一方、一部でしか注目されていませんが、同じ吉本の芸人に粗品という人がいます。

彼は競馬で先日2400万円の大穴をゲットしましたが、その全額を義援金に寄付しました。2400万円の大穴をゲットするために、彼自身210万円も投資していたのに、その210万円を回収することもなく全配当金の2400万円を寄付したのです。普通にできることではありません。

2400万円の配当と言えば、生涯に1度だってありつけることがないような大当たりです。借金に追われている粗品氏にとってもそれは同じだったでしょう。喉から手が出るくらい2400万円が欲しかったはずです。一方、松本氏は自分の地位の高さを何に使おうとしたのでしょうか。二人の生き方というか、心意気の違いが違いすぎます。人の価値というのは、心意気に負う部分が多いことを、教えてもらえた話しでした。

これまでの時代、私たちは恐怖による支配を受け、自己愛から言いたいことも言わず、やりたいこともやらず、上に忖度する日々を送っていました。それが、地球的に終えようとしています。良いことが起こりだしているのです。

お知らせ 動画の最後の部分が切れてしまっております。30分を過ぎると次の動画に自動的に移るためなのですが、次動画はわずか15秒程度の最後の挨拶のみでしたので、割愛させていただきます。当動画は最後が知り切れトンボに終わり、きちんと挨拶できませんでしたが、ご容赦のほどお願いいたします。

#2400万円男#フォッサマグナ#EU委員会

「2024年1月日本で火災など”燃える”事に関する報道が増えた意味は? ? 輪島朝市から田中角栄邸まで」

心理職のよっしーさん(人気ブロガーありすママさんの息子さん)のブログよりシェアさせていただきました。

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2024年1月日本で火災など”燃える”事に関する報道が増えた意味は? ? 輪島朝市から田中角栄邸まで

2024年1月の1週間で報道された主な火災や爆発

2024年の1月第1週から多くの火災や爆発などの事案が起きています。主に大きく報道されたものを中心に整理しておきましょう。
まずは1月1日に起きた能登半島地震に伴う、輪島朝市での火災です。日本三大朝市に挙げられる輪島朝市の約200棟の建物が焼失し、「まるで戦後のよう」とも言われる惨状となってしまいました。
※北國新聞:輪島朝市、半日で焼失 再建道のり見えず 能登半島地震
輪島朝市、半日で焼失再建道のり見えず能登半島地震|社会|紙面より|北國新聞
水も人手も足りず、広がる火の手になすすべはなかった。輪島市で…
www.hokkoku.co.jp

火災の状況について、BBCがいち早く報道したことでも話題となりました。
またロシアがドローンを用いた撮影により、焼け跡を克明にとらえています。
不自然な爆発や焼け跡から、マウイ島での火災と同様、「DEW(directed-energy weapon)」と呼ばれる兵器が用いられたのではないか、という話も出ています。

そして能登半島地震の翌日、1月2日には羽田空港で旅客機と海上保安庁の航空機が衝突したとされる事故が発生しました。
旅客機に乗っていた乗客は全員無事であり、海上保安庁の機体に乗っていた6人のうち5人が死亡しています。

こちらの事故も、管制官は海保機の進入を許可していなかったのに、機長は許可を得ていたと語っており、食い違いが生じています。
そもそも衝突もしていないという話もあり、真相は明らかになっていません。

年始の2日間に立て続いた地震・事故に伴う火災は不審な点が多数ありました。さらに3日以降も各地で様々な形で火災や爆発が起きています。
主だったものは以下の通りです。
北九州市の飲食店街火災(1月3日):飲食店の店主が「油が入った鍋を火にかけたまま店の外に出ていた」と説明。
東京西新宿のビル火災(1月4日):12階建ての建物から火災、11人がけが。
札幌市の居酒屋で爆発(1月5日):魚をあぶるオーブンの上に置いたカセットボンベが爆発、従業員がけが。
浜松市の金属工場で火災(1月5日):敷地内の倉庫から出火した。
東京都板橋区の薬品工場で火災(1月9日):王子化学研究所の従業員から「溶剤が漏れて燃えている」と110番通報。
さらには、1月8日には文京区目白台にある田中角栄元首相の旧邸で火災が発生しました。敷地内には田中真紀子氏と夫の田中直紀氏がいましたが、けがはなかったと言います。
真紀子氏は「仏壇に線香をあげていた」と語り、線香をあげた後、ガラスが割れる音が聞こえて、火災が発生していたと語っているそうです。
報道の当初は、あたかも”線香の消し忘れ”から火災が発生したかのような印象でしたが、「ガラスが割れるような音」など、不審な火災である可能性が出てきました。

田中真紀子氏と言えば、国会議員の報酬を暴露したことで、「脅されたのでは?」という見解も登場しています。

このように多数の火災が報道されている状況であり、国外でも8日にはアメリカでホテルの爆発があるなど、国内にとどまらず火災や爆発などの事案が起きています。

”燃える”事に関する報道が増えた意味は?

2024年の1月が始まって1週間ほどの間に、これほどまでの火災や爆発などが起きていることには、何か引っかかるものがあります。
もちろん1月は火災が多めの時期であり、不始末によるものから何かしらの企てがあったものまで、一緒くたにすることはできません。

しかし、なぜこうした報道が目立っているのか、という表に出てきていることの意味については考えてみても良いかもしれません。
各事案の詳細を掘り下げるのではなく、俯瞰して見た時に、何を意味しているのかについて個人的な見解を述べてみました。

残党の断末魔?

2024年に入った途端に、立て続いた不審な事故や災害について、闇側残党の自爆や断末魔ではないか、という見解があります。
年始というおめでたいはずのタイミングを狙って、災害や事故を引き起こし、一気に不安・恐怖のどん底に叩き落そう、という意図を感じます。

もちろんそうした災害や事故の当事者の方は大変な思いをされており、悲しいことではあります。しかし当事者以外の人をネガティブな波動に寄せようとするのもまた彼らの目的です。
波動を下げないよう、感情的に下がらないことには注意が必要です。

また「まだ闇側の力が残っているのですか」と言うコメントを見かけましたが、完全にいなくなっていたら、日本は労働から解放され、政府もなくなっているでしょう。
いわゆる”残党”と言っているのは、人間レベルでの支配層やその背後で動いている人たちも含まれるのであり、まだ攻防が続いているという認識で私はいます。
ただ宇宙レベルでの”大ボス”は敗北しているので、残党による”すてみタックル”であり、それも小難で済んでいる方なのではないか、と考えます。

感情のうずまく状態

炎や”燃える”という出来事について、スピリチュアル的な視点を持ち込めば、感情が渦巻いている状態の表れ、とも言えるかもしれません。
とりわけ火災や爆発など、命にかかわるような事故が表に出てきていることは、不安や恐怖、また怒りなどの感情も含めて、蠢いているような感じです。

1つには能登半島地震を契機に、目覚めていない層の間では不安や恐怖が高まっているでしょうし、闇側はそちらに引っ張りたい思惑があります。

また目覚めている層の間でも、”なかなか世界が変わらない”とか”日本人はまだ気づかない”と言った焦りのような感情が渦巻いているようにも思えます。

2023年の後半は、特に何かが起きそうで、なかなか起きないというじりじりした感覚が続いていました。ここに来て、そうした感情がぶつかり合い、爆発しているのかもしれません。

目覚めを促す

ここまでは、ややネガティブな要素について触れましたが、一方でポジティブな要素もあります。

まずは目覚めを促すチャンスになるのではないか、ということです。闇側としては、捨て身で火災や事故を起こしているため、さすがに立て続け過ぎて、不審に思う人が出てくるのではないでしょうか。
年始にここまで立て続けに悲惨なことが起これば、さすがに「何かおかしい」と思うのではないか、と感じています。

さらには羽田空港の事故にしても、田中角栄氏の旧邸にしても、違和感を持つような点がたくさんあります。
少し調べれば違和感に気付けるような、”イージーモード”あるいは”強制お目覚めモード”と言っても良い状態に入っています。
そういった意味で、火災や爆発など、インパクトの大きな出来事は目覚めのきっかけになりやすいでしょう。

浄化の進行途中?

炎は浄化・転機のサインとも言われています。こうした報道が増えている背景には、闇の浄化が進んでいるサインとも読めるかもしれません。

火災や爆発などの報道以外を見ると、政治・芸能界などで粛清が進められているのが、表にもどんどん出てきています。
政治の世界では、「安倍派裏金事件で初 池田佳隆議員を逮捕」が話題となっています。
自民党の裏金事件で動きです。池田佳隆衆議院議員らが逮捕されました。強制捜査の開始から3週間足らずで初の逮捕者です。

また芸能界では、松本人志氏が芸能活動休止を発表しています。”「裁判に注力したい」と休止の強い申し入れ”が休止の理由だそうですが、これも違和感を覚える内容です。
こうした一連の動きから考えても、浄化が目に見える形で起きていることの象徴として、炎や”燃える”と言う現象が、私たちの意識に入ってきているのかもしれません。

まとめ

今回は2024年1月に入り、立て続けに起きている火災や爆発など、”燃える”ことに関連した報道の多さについて書いてみました。
まだ目覚めていない人たちにとっては、”恐怖の2024年の幕開け”と語られているのを目にします。確かにただ起きていることだけを、その通りに見れば、こんなに恐ろしいこともありません。
しかし裏で何が起きているのか、また現象世界で起きていることは私たちの意識の表れだ、という視点を持ってみていくと、異なる見え方ができるはずです。
今起きていることは、まさに日本の目覚めを促すための出来事とも言えますし、旧体制の崩壊がジェットコースターのように表に飛び出している状態とも言えるでしょう。
これらのイベントを、そのまま受け取ってしまえば波動は下がるばかりです。とにかく俯瞰した視点と、新世界を見据えて自分軸を大切に、このイベントを見守るのが良いでしょう。

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【報道と現実のずれ】

ラミーコさんのブログ軽油で、ちひろさんのメタをシェアさせていただきます。
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以下は、いつも素晴らしい分析をされるちひろさんのメタよりシェアしますね!

【報道と現実のずれ】

報道の人たちが「欲しい絵だけ撮っていく」という話は、昔からあった。取材の人たちが現場に来て、当事者に話を聞いていったりはするのだけれど、現状を見ようとするのではなくて、聞きたいような答えだけを聞こうとし、
見たいものだけを見て、欲しい絵を写真に撮って帰っていく、というのだ。
それで、取材に応じた人たちが、「こんなことは言っていないのに」と嘆くというようなことは、けっこうよく聞くような話だ。

私自身(ちひろさん)、著作のことで2回くらいインタビューを受けたことがあるのだけれど、まったく言った通りに書かれていたことはむしろまれな方で、だいたいどこかしら、言ったことが違っていたり、違う解釈をされていたりした。
ときには、いったいどうしたらあのインタビューから、こんな記事ができるのかと、驚くしかないような記事ができあがってくることもある。
そうした経験をすると、ジャーナリストというのは、実は、現実を忠実に伝える人たちなのではなくて、よさそうなことを創作する人たちなのだなと思ってしまうくらいだ。

わざわざ現場に出向いても、最初から頭の中にあったようなことしか報道しないなら、CGで画像をこしらえて話を創作したとしても、同じようなことなのかもしれない。
災害だとか事故だとかの画像では、実際そういう風に作っていると思えるようなものがたくさんある。

そうしたものは、まったく嘘だったりもするけれど、まったくの嘘ではないけれど、事実が歪曲してあったりして、いずれにしても、まったくの現実でもないというようなものだ。

911のときには、旅客機が鉄筋コンクリートの高層ビルに飲み込まれるように消えていく画像を見ても、ほとんど誰も疑う人はいなかった。
ビルに激突しているのに、翼がもげもせず、まるで建物がゼリーでできているかのように、機体の全体が飲み込まれていったのだ。
今だったら、あんな映像が出たら、すぐにSNSであれは作られた画像だという情報が出回って、翌日には世界中に広まっていることだろう。

911の当時も、建築関係の人たちは、あの映像を見て、すぐにおかしいと思ったそうだ。鉄筋コンクリートの構造を知っていたら、飛行機があんな風に鉄骨構造を翼で切り裂きながら突っ込んでいくことができるわけがないとわかるし、建物の崩れ方は、解体作業でダイナマイトを使うときとまったく同じ崩れ方だった。
それで、あれはおかしいと発言した人もいたけれど、そうした発言はすぐに消されてしまったということだった。

専門家でない人たちには、自然な現実の画像のように思えても、専門家から見たら、これは絶対あり得ないということは、たくさんある。
4年前にコロナ騒ぎが始まったときは、免疫学者の人たちが、こんなはずはないとすぐに発言していたけれど、情報は消され、動画も削除され、嘘つき呼ばわりされた。

それを見てきて、多くの人は、本当にメディアが嘘をつくのだということを知ることになったのだ。
しかし、同様なことは、SARSのときにも、鳥インフルエンザのときにもあったそうだ。
いつも免疫学者たちが、これはおかしいと言い、そのたびに情報が消されていったのだと。

報道された情報がおかしいという話は、専門家が見て、これはあり得ない、と思うことから始まっていく。
そのときには、誰が何の目的で、何をどう変えているのかはわからないにしても、とにかく何かが違う、ということをだ。
その手がかりから探っていった結果、恐るべき事実が見えてきたりもする。
こうしたことも、コロナのときに、私たちはリアルタイムで経験していった。

今回の能登の地震の報道についても、最初からおかしなことがたくさんあった。
輪島の朝市の一帯が200棟も焼失する火災が起きたというのだけれど、その画像が、何だかまるで空爆にでも遭ったかのようにペシャンコになって何なのかの判別もつかないような瓦礫が一面に散らばっているだけなのだ。
一体火事でこんなに完全に燃え尽きるものなのだろうか? 
火事というより、空爆の跡でも見るようだ。

ところで、そこから500メートル離れた神社で、炊き出しをやっている画像が出ていたけれど、その背景には倒壊した家も焼けた家も映っていなかった。
集まってきている人たちも、焼け出された人とは思えないような、きれいな服装をしていて、若い人が多かった。
翌日には、火が消えて焼け跡になっている光景が報道されていたけれど、そこには救助隊の人たちの姿は映っていなかった。

4日になって、輪島の手前にある門前町の被災者を取材している映像が出ていたけれど、そこでは高齢者ばかりがいて、持ち寄りの物で避難所を作っていて、まだ救援の人たちも誰も来ていないと言っていた。
しかし、その前日には、そのさらに奥にある輪島で炊き出しをしている映像が出ていて、火災もすっかり鎮火して瓦礫だけがある光景が報道されていたのだ。
こうしたことも、専門家の人たちが見たら、おかしいのがはっきりとわかるのかもしれない。
建物や火災について専門的に知っている人ならば、こんなことは絶対にあり得ないというようなことがあるのかもしれない。

911の画像では、多くの人は「何かが不自然な感じがする」くらいの感覚しか持たなかったとしても、建築関係の人が見たら、はっきりとこれはあり得ない、とわかるようにだ。
こうした画像が作られたものだとするならば、事前から用意されていたということになる。
つまり、たまたま起こったことなのではなくて、計画されていたということだ。

だとすると、そこには大きな闇が関わっているということになる。
この頃では、AIで現実そのものの映像を作ることも容易にできてしまったりする。
コンピュータゲームで、リアルな戦闘の映像をシミュレーションしていたりするし、建物や街の映像を、爆破したり、火事にしたりといったことも、ヴァーチャルリアリティに近い形で作り出せたりするのだと思う。
そしてそれを、3Dでいろいろな角度から見たりすることもできるはずだ。

ところで、どうも何かが不自然だと思える画像がいくつも出てきたあとで、門前町の被災者の映像を見たときには、ちょっと見てすぐに、これは現実だとはっきりとわかった。
何がどうだからという理屈ではなくて、見たらすぐに、これは現実だとわかった。
いったい何がどう違うから、これは現実だとわかったのだろう? 

それで思ったのは、不自然だと思える画像は、完璧すぎるということだった。
つまり、報道側が「欲しい絵」そのままなのだ。
そこからのズレがまったくない。すべてが計算された通り、といった風だ。

だけど、現実というのは、想像したようなことからは、つねにズレていく要素がある。
そこに、意外性や驚きがある。それこそは、生きた現実というものの生々しさであり、多様性なのだ。
しかし、不自然だと感じる画像には、そうしたものがまったくない。

門前町の被災者のおばさんは、食糧はどうしているのかと聞かれて、「お正月だから、ご馳走ならいくらでもあるのよ」と笑っていた。
それを見て、なるほど、と思うものがあった。
そして、そんなことでも喜びながら、皆で励まし合って乗り越えていこうとしているのだなという感動を感じた。
まさにそこが、作られたらしい不自然な映像とは決定的に違うところなのだ。

現実には、つねに予想したことからずれるものがある。
なるほどそうなのだなと納得するものがある。それが生きた新鮮さであり、発見なのだ。

だけど、作られたような映像には、そうしたものがまったくない。
それは、コロナのときに、感染者がこの先どれだけ増えるとか、感染したらどうなるとかを計算して予測していたのと、似ているようだ。
人間の抵抗力とか、反応の多様性というものが、まったく存在しないかのように扱われていた。
人間というものは、ただパッシブに、接触したら感染し、病気になるかのようにだ。

しかし、生きている人間や、生きた自然の現実には、受けたインパクトに対して、それぞれに抵抗し、身を守る力がある。
そして、その多様性こそは、生きた現実の姿だし、そこにはつねに意外性がある。

エキストラを使って演じさせるにしても、CGで合成するにしても、「欲しい絵」を作ろうとすると、そうした現実の意外性が入ってこないのだ。
さらに言うならば、作った人の想像を決して出ていない。

被災者というものは暗い顔をしているものだとか、被害の悲惨さを訴えているものだとか、苦しさを嘆いているものだとか、そういうありきたりのイメージで「欲しい絵」を作ろうとするから、エキストラも皆同じような表情をして、そこに映っているだけだ。
しかし、生きた人間がある特別な体験をしたとき、その表情、その身体からは、その体験の重さが感じられるものだ。

だから、大したことを言っていなくても、何かハッとするようなものがある。
それこそは、生きることの輝きのようなものだと言ってもいい。
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