鬼に投げキッス

節分や昔話では悪役の鬼。
私はどうも鬼という存在に哀愁を感じてしまう。
豆で追われた鬼はどこいくんだろ?
小さい頃にぼんやりと考えたこともあったっけ。

ずいぶん前に奈良県の天川村にある天河神社を訪れたとき、
柿坂神酒之助(みきのすけ)宮司にこんな話をうかがいました。

天河神社では節分の豆まきは、
「福は内、鬼も内」というのが古くからの習わしなのだそう。
この日、宮司さんのお宅では、お湯を張った盥(たらい)と、
お布団を一式ご用意しておく。
追われて行き場のない鬼の宿というわけ。
盥のお湯は、足裏を濯いで寛いでね、という心遣いから。
そして翌朝、盥の水は量が減っていて、
盥の底に数粒の砂が沈んでいるのだとか。
お布団にもへこみがあって、
つまり、鬼が足を洗って布団で休んだ形跡があるんですって。
へぇえ~!(ちょっとコワイ)
…なんだか懐が広いなぁ。
鬼というのは自分の投影でもあるんだよ。
そんな意味のことも宮司さんはおっしゃっていた。

自分のなかの「鬼」を追い出したり否定したり無いことにしたり。
なくそうとすると継続して、
抑え込むと暴発したり、
無くなったと思ったらゾンビのように蘇って。
これはまさに鬼というに相応しいなぁ…。

しかし案外、豆投げて追い出すよりも、
盥の湯とお布団ご用意してしまうくらいの逆転の発想が、
心理学やスピリチュアルでも正解だったりします。

心の鬼は、いわば愛情と認知の飢餓状態。
あなたの存在を認めます。愛しています。
すると鬼の存在理由がなくなって、手放すことができるということ。
…愛して認める、これができれば苦労しないのですがね。

こんな時、スピリチュアルな精神科医で有名な越智啓子先生なら、
きっとこう言うでしょう。
鬼に豆を投げるのではなく、
投げキッスをするのよ!

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