「うさぎ!」第2話 小沢健二・著

小沢健二さんの連載小説「うさぎ!」より。
10年以上前に、音楽活動から離れていた小沢さんが書いた、
童話のかたちをした「世界でおきている本当の話」。

長い間、闇の支配者層が世界を牛耳ってきた。
やつらや、やつらの作った仕組みを、
小沢さんは作品のなかで「灰色」として描いてきた。

その「灰色」をやっつける革命が、
いま世界中で静かに進行中(らしい)。

*登場人物

うさぎ
「豊かな」国に住む、すこし太った、十五才の少年。

きらら
「豊かな」国に住む、やせた、黒い瞳をした、十五才の少女。

トゥラルパン
「豊かな」国に住む、ぼさぼさの髪をした、十五才の少女。

珈琲と本・あひる社
うさぎ、きらら、トゥラルパンが住む「豊かな」国の街にある、珈琲屋。
いろいろの人がたむろする店。
勉強会、料理会、映画会、誰かを招いて話を聞くなどの活動をしている。
手づくりの雑誌やいろいろな本が置いてある。
あひる号というパソコンもある。
ここで、うさぎときららは出会った。

灰色
人ではない。
「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲む。
あらゆる方法を使って、人を動かし、その「大きなお金の塊」を大きくすることだけを考えている。

「うさぎ!」 第2話

(略)
おおくの人は、ふだんは靴を履いていて、
特別なときだけ、
例えば砂浜を歩くときには、裸足になるようでした。

きららは、ふだんは裸足で、たとえば重いものを運ぶときには、
足の上に落としてけがをしないように。
つま先に鉄の覆いの入った、大きなブーツを履くのでした。

足の裏は、耳や、鼻や、脳みそのように、
体の中で、特別な働きをする部分だと、きららは思っていました。
耳が音を聞いたり、鼻が匂いをかぐように、足の裏は、
地面に負けないように厚くなって、
熱さや冷たさにも強くて、きららがどこを歩いているのか、
しっかりと伝えてくれるのでした。

きららの足の裏は、馬の背中につける鞍の革のように、
りっぱに硬くなっていました。
その足で、雨のなか、
丘をのぼったり、さわやかな芝生の上を歩いたりすると、
まわりの人が、なんだか重そうな靴を履いているのが、
とてもふしぎに見えるのでした。

(略)

危ないものを踏まないように靴を履いているのだ、という人は、
ふつうの道には、本当に危ないものなんて、
めったに落ちていないことも知らないようでした。
それに、本当に危ないものが落ちていたら、
それに気がついて片づけたり、
それがどこから来たのか、調べたりした方がよさそうでした。

裸足なんて汚くて、衛生に悪いから、
とレストランの人に言われたこともありました。
けれど、きららが毎日足の裏を洗うように、
毎日靴の裏を洗っている人は、まずいないようでした。
何年も洗っていない靴の裏には、
きららの足の裏より、
ずっと恐ろしいものがはびこっているはずでした。

(略)
足だって、毎日きゅうくつな靴下をかぶせられて、
その上きゅうくつな靴に押しこめられていたら、
くさくもなるし、病気にもなるだろう、と悲しくなりました。
(略)

きららから見ると、靴を履いているたいていの人たちは、
土踏まずのばねを生かさずに、
かかとやひざや腰にショックが直接つたわる、
乱暴な歩き方をしているようでした。
(略)

きららは他の人に、裸足で歩くようにすすめたりしませんでした。
なぜかというと、まず、どんなことだって、
その人が、自分でやろうと思ってやらなければ、
意味がないのでした。

それに、裸足で歩くのが正しくても、
灰色がつくり出す社会がこんなにまちがっていては、
裸足でいるのは、たしかに難しいのでした。

それから、人には、
「まわりの人みんながやっていることは、
 正しいことにちがいない」
と、自分自身に思い込ませる性質がありました。

たとえば、みんなが毎日靴を履いて歩いているのは、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いているようなものだ、
ときららは思っていました。

けれど、もし、
みんなが毎日ヘルメットをかぶって歩いている世界があったら、
その中の一人が、
「これはもしかしたら脱いだ方がいいかもしれない」
と思うのは、とても大変なことなのでした。

(略)
灰色は、人のこの性質に注目しました。
そして、人に、
「まわりの人みんながそう言っている」と思いこませれば、
かんたんに人の心をあやつることができる、と気がつきました。

そこで、灰色は、試行錯誤のすえに、あるシステムを完成させて、
それが、たくさんの家庭に行きわたるようにしました。

それは、「テレ・ヴィジョン」と呼ばれていました。

(略)

時どき、一回も、
かかとさえ取りかえた様子のない革靴が捨ててあることがあるが、あれはひどい。

革靴は、かかとを取りかえて、靴底を取りかえて、
上の革を取りかえて、
ながく履いていくように、つくられている。
(略)

革靴は、
「この上の革は、あの靴屋のおやじがつけてくれたな」とか、
「そろそろかかとを取りかえるかな?」とか、
考えながら履くように、つくられているのだ。
そうでなければ、こういうつくりにはならない。
(略)

人は、なおす気がないのか。なおすことを、放棄しているのか。

しかし、自然は、なおすことで成り立っているのだ。
水が汚れたら、海がなおして、空にのぼって、
雨が降って、土を通って、きれいになる。
水なんか、この星にはちょっとしかないから、
なおすことができなかったら、すぐになくなってしまう。
空気だって、森がきれいになおさなかったら、
すぐになくなって、みんな窒息してしまう。

しかし、人が、なおさないで捨てているものが、
絶望するほどあるのだ。
僕はそういうものを拾って来てなおすのだが、
僕がなおす量は、木が一本、空気をきれいにするとか、
プランクトンが一匹、水をきれいにするとか、
そのくらいの量である。
毎日、ごみではないものが、どっさり「ごみ」になっている。

しかもよくみると、つくる企業のほうが、
わざと、さっさと「ごみ」になるように、
品物をデザインしているのである。
靴なんか、(略)「なおして履ける」という革靴の性質を、
わざわざ、切って捨てているのである。

(略)
どうしてこんなことになるのだろう?

うさぎの質問は、
灰色が六十年くらい前に大きな戦争が終わった後にはじめた、
「もう古いの計画」と関係がありました。
「買え、買え、もっと買え。」
灰色は、毎日、人びとの心に、ささやきはじめました。
「お前の持っているものは、もう古い。
 そんな古いものを持っていたら、馬鹿にされる。
 そんな古いものを持っていたら、貧乏くさい。
 そんな古いものを持っていたら、女の子にもてないぞ!」

灰色は、とにかく人に、
「あれはもう古い、これはもう古い」
と思わせたいのでした。
そうすれば、人はどんどんものを買って、
人がどんどんものを買えば、灰色の棲む、
「大きなお金の塊」が、
さらに大きくなるからでした。

それが灰色の、「もう古いの計画」でした。

灰色の手下たちは、たくさんの会議を開いて、
「もう古いの計画」を話し合いました。
「人がいつも、自分の持っているものはもう古い、
 と感じるように、プレッシャーをかけよう。
 そして新製品を、いつも売りつけよう。」
(略)
そんな灰色にとって、万年筆や、
靴屋のおやじがなおせる革靴は、ながく使えて、
なかなかごみにならないので、こまるのでした。
「もっとはやく、どんどんごみになるペンや、
 どんどんごみになる靴を、つくることはできないだろうか?」
灰色は考えました。

使いすてのペン、使いすての、なおすことのできない靴。
使いすての、あらゆるものが生まれました。

うさぎは、使いすてのお皿、使いすてのカメラなどは、
「狂気の沙汰」だと思っていました。
(略)

「テレ・ヴィジョン」というのは、
映像と音を流すシステムでした。
人はそれを見たり聞いたりしていると、
それが現実の一部であるような、
ふしぎな錯覚におちいって、そこに映る人を、
自分が知っている人のように思いはじめるのでした。

(略)
人には、「みんなが言っているのだから、正しいにちがいない」
と自分に思いこませる性質がありました。
そういうふうにして、テレ・ヴィジョンが流し出すものが、
そのまま、見る人たちの考えになっていくのでした。
(略)

本当のみんなの意見は、
テレ・ヴィジョンが流し出すものとは、
大きくちがっているのでした。

なぜちがってしまうかというと、
テレ・ヴィジョンの「番組」と呼ばれるものを
計画している人たちは、全員が、ある決まった、
特別な性質を持った人たちだったからでした。
(略)
彼らは、全員が、教育とか学校とかいわれるものの中で、
長い年月をすごすうちに、
ある危険な性質を身につけてきた、変わった人たちでした。

それは、
「先生が書いてほしい答えを先どりして、
 ささっとそれに従う」
という性質でした。

テレ・ヴィジョンの番組を計画している人たちは、
みんな、似たような大学を出ていました。
先生が書いてほしい答えを先どりして、
ささっとそれに従いつづけていると、
そういう大学や大学院を出ることができるのでした。

彼らは、その長い長い、従いつづける生活のために、
囚人のようなあきらめを身につけていました。
(略)
テレ・ヴィジョンの仕組みをよく知っている、
番組を計画している人たちは、
テレ・ヴィジョンから流れてくるものを。
そのまま信じることは、決してありませんでした。

それは何だか、悲しいことでした。
テレ・ヴィジョンに憧れて、
意気揚々と入った世界なのに、
仕組みを知るにつれて、
テレ・ヴィジョンの見方が変わっていくのです。
それがつらいので、彼らはこうつぶやいて、
自分をなぐさめようとしました。

「仕方がないよ」彼らは言いました。
「そういう仕組みなんだから。」

もともと、彼らは、仕組みに気がついて、
ささっとそれに従うことが、だれよりも得意な人たちなのでした。
そんな彼らが、長いあいだ従いつづけて、
せっかくついた地位でした。
しかも、今は、灰色のつくり出す、人の給料が安くなって、
どんどんまともな仕事がなくなる世の中です。
「先生」に文句を言ったり、
「先生」のご機嫌をそこなうようなニュースを流したりしたら、
クビになってしまうかもしれません。

しかし、学校はもう、とっくに卒業したのだから、
本当に先生がいるわけではありません。
この、彼らが怒られないようにしている「先生」とは、
いったいだれなのでしょう?

それは、そもそも、人なのでしょうか?

「仕方がないよ」と、彼らは言いました。
「そういう仕組みなんだから。」
(略)

灰色のつくり出す世界で、
「仕方がない」と言って、
「仕組み」に従っている人たちは、うすうす、
あることに気がついていました。

それは、自分たちのように「仕組み」に従って、
人をあやつっていた者たちは、
歴史の中で、いつも、倒されて、殺されてきたということでした。
(略)

おそろしい仕組みをつくって人びとをいじめていた者たちと、
「仕方がないよ。そういう仕組みなんだから」
と従いつづけていた者たちは、
ある日、とつぜん町の中が騒がしくなったと思うと、
次の日には、
かならずパンツ一丁で逃げまどうことになるのでした。

灰色は、その歴史を、
なるべく人びとに見せないようにしていました。
それは、あまりにも大きな、楽しさとか、喜びとか、
希望とか、優しさとか、おもしろさを、
人びとに与えてしまうからでした。
(略)

さっきまで、飛行機の中で、「いなせな男」という人が、
八十年くらい前に書いた本を読んでいた。
いなせな男は、広告業界の父として知られている。
その本は、最初のページから、こんなことを言っているのだ。

「民主主義の社会だからこそ、
 人びとの心を、軍隊をしつけるように、
 きびしくしつける必要がある。」
そして、
「そうやって、気づかれないように、
 人びとの心をあやつることが、
 民主主義の社会での、支配の仕方なのである。」と。

(略)
さて、そういう風にして生まれたシステムに、
心をきびしく、念入りにあやつられている
「豊かな」国々の人たちは、
自分たちが、人の歴史の中で、どこにいるのか、
見失っていくようでした。
(それは、とても不安なことでした。)

一方、「貧しい」国々の人たちは、
それを見失うことはありませんでした。
見失おうにも、それは毎日、目の前にあったからです。

たとえば、「貧しい」国々では、
(略)みんなでつくった、みんなのものが、
どんどん灰色に「プライヴェタイゼーション」されていました。

そのために水道料金が3倍になったり、
国がひとつ丸ごと破産して、
銀行からお金がおろせなくなったりするのでした。

そんなことが、毎日の生活に起これば、
灰色がどこから来て、何をしようとしているのか、
自分たちは人の歴史の、どの場面にいるのか、
はっきりすぎるほど見えるのでした。

プライヴェタイゼーションは、国によって、
「私有化」とか、「民営化」とか、「社会化」とか、
呼ばれていました。(略)
しかし起こることは、どの国でも同じでした。
一言で言うと、それは、
「人のことを人が決める」やり方から、
「人のことを灰色が決める」やり方になることでした。

たとえばみんなのもの、たとえば水道を、
政府が運営している場合、水道料金がどんどん上がったら、
みんなが反対して、次の選挙ですぐに、
料金をどんどんあげた大統領は、おろされてしまいます。
(略)
ところが、水道を、大きな企業が運営していたら、
水道料金がどんどん上がっても、人びとが投票で、
大きな企業の社長をおろすことはできません。(略)

政府を中心とした「民主主義」は、
したから、人びとが怒って、
やることを変えられる仕組みでした。
灰色は、そんな仕組みは、気に入らないのでした。

だから、灰色は、どこの国でも、テレ・ヴィジョンを使って、
「政府が悪い」「役人が悪い」と、キャンペーンをしました。
それを、毎日くり返して、人の心に叩きこむ必要がありました。

悪い役人は、悪い社長がいるように、どこにでもいます。
その悪い人間を、下から怒って、追い出すことができるのが、
「民主主義」のはずでした。
(略)

企業では、下から、人びとが投票することはないから、
灰色は、投票を恐れる必要がなくなるのだ。

灰色は、人びとの心をコントロールするのさえ、
めんどうくさいのだ。
下から、人びとが怒ることができる
「民主主義」「政府」なんて仕組みは、
さっさと捨ててしまいたいのだ。

(略)
その本当の意味は、
「人や生き物が住むことのできない世界を造ること」
だと気がついているのは、
「豊かな」国々では、
灰色の手下たちと、
きららやうさぎのような人たちだけのようでした。
(略)

無農薬だと、利益が上がるからといって、
輸出用の無農薬野菜をつくる大きな企業が、
どんどん畑を買って、その国の人たちが食べる野菜を
育てる畑がなくなっている国々がある。
世界の飢えている人たちの半数は、農民なのだ。
灰色のやりかたでは、農民は、生きていけないのだ。

(略)
ある国では、もし、
その土地でとれた食べ物を国の人たちが食べたら、
家庭でつかうエネルギーを、二十パーセント節約したのと
同じことになるという。

それなのにその国では、
「土地のものを食べよう」とか「食べ物の無駄をなくそう」
ではなくて、
「夏はネクタイをするな」という騒ぎになったらしい。
笑えるが、笑えない。笑ってはいけないと思う。
みんな純粋に「何かしたい」と思っているのだ。
(略)

さて、銅山の国は、「南の大陸」にあります。
南の大陸では、灰色にとって、
とてもまずいことが起こっていました。
そこでは、五百年もいじめられてきた人びとが、
それでもくじけずに、いまや、灰色に対して、
次々と勝利をおさめはじめていました。
それはまさに、潮が引いて、
大きな砂浜が浮かび上がってくるようでした。

(略)
「豊かな」国々では、南の大陸でどんなことが起こっても、
そのニュースは「クマが町に出ました」とか、
(略)そんな「ニュース」のあいだで、
よくわからないように、チラッと流されるだけでした。

「仕方がないよ、そういう仕組みなんだから。」
ニュースを流す人は、そう言いながらも、
なんだか怖くなってくるのでした。

(略)

灰色は、このごろ、いやな夢を見るようになっていました。
それは、灰色が、人の耳あかのような、
甘い匂いのする町にいる夢でした。
人びとはのんびり、巻き煙草をすったり、
お茶を飲んだりしています。
その明るい町の、土の道をすすんで行くと、
向こうから一人の女の人が歩いてきて、
二つの、閃光のような眼で、灰色をぎらっと見るのでした。
そのとたん、視界が真っ白になって、
灰色は、自分が消えてしまったことがわかるのでした。

(略)
「人の社会をなおそう…。星をなおそう…。」
毛布に埋もれて、うさぎはぶつぶつつぶやいているのでした。
(つづく)

第2話 : うさぎ

http://usagiozawa.doorblog.jp/archives/23810676.html

「うさぎ!」
小沢健二・著
雑誌「子どもと昔話」で連載

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