「うさぎ!」第3話 小沢健二・著

小沢健二さんの連載小説「うさぎ!」より。
10年以上前から続いている作品で、
いまだからこそ読んでいただけたらな、と思いアップさせていただきます。

*登場人物

うさぎ
「豊かな」国に住む、すこし太った、十五才の少年。

きらら
「豊かな」国に住む、やせた、黒い瞳をした、十五才の少女。
トゥラルパン
「豊かな」国に住む、ぼさぼさの髪をした、十五才の少女。

珈琲と本・あひる社
うさぎ、きらら、トゥラルパンが住む「豊かな」国の街にある、珈琲屋。
いろいろの人がたむろする店。
勉強会、料理会、映画会、誰かを招いて話を聞くなどの活動をしている。
手づくりの雑誌やいろいろな本が置いてある。
あひる号というパソコンもある。
ここで、うさぎときららは出会った。

灰色
人ではない。
「大きなお金の塊」と呼ばれるものの中に棲む。
あらゆる方法を使って、人を動かし、その「大きなお金の塊」を大きくすることだけを考えている。

「うさぎ!」第3話
このお話の頃の世界では、働く人たちは、
毎年どんどん忙しくなっていくような気がしていました。

そして、忙しくなるわりには、みんなの給料が、
毎年だんだん安くなっているような気がするのでした。

もしやと思って、統計を取ってみた学者たちは、
9割の働き手たちが手にするお金は、物価と比べると、
少なくなりつづけていることに気がつくのでした。

その一方で、およそ1万人に一人は、
ふと気がつくと6倍くらいお金持ちになっていることも
わかりました。

そして、この、ひとりぼっちでお金持ちになって行く人たちは、
お金持ちになるにつれて、
「おれたちは、競争に勝ってきた、強いものたちなのだ」
という、変な考えに取り憑かれていくのでした。

「競争の中で強いものが勝ち残り、
 弱いものは蹴落とされる。
 そして蹴落とされるのは、その人の自己責任である。」

灰色は、テレ・ヴィジョンの会社や
大きな新聞を所有する手下たちを使って、
そんなメッセージを送り込みました。

けれども、このメッセージには、
隠された、大きな仕掛けがあるのでした。

人には、動物たちや、山や、神々の痛みさえ、
「そんなもの関係ないよ」
と切り捨てるのではなく、
「自然を大切にしましょう」
とアタマで考えるのでもなく、
自分のお腹の中にある、正直な痛みとして、
「ああ、これはひどい」
と感じとる。

そんな、太古の昔までつながる、人の不思議な能力が、
「親切」という行いの源にあるようでした。

そして、その「親切」によって、
人は、まわりの者や自然と、つながっているらしいのでした。

つまり、ある人が、貧しいものなどをみて、
「ああ、見ているこっちのお腹の中まで痛むようだ。
 どうにかしなくては。」
と思うと、手を差しのべずにはいられなくなって、
その差しのべられた手によって、
人と、まわりの者や自然が、つながっていくのでした。

そうやって人をまわりの者や自然とつなげている「親切」を、
人の心の中から追い出していくために、
灰色は、言葉をつくるのが上手い手下たちを使って、
1つの言葉をつくり上げました。

それは、「自己責任」という言葉でした。

「自己責任」という言葉を心に叩きこまれると、
人は、苦しんでいる人を見かけても、
「あそこに苦しんでいる人がいるが、
 あれは自己責任で、私が感じる必要はない苦しみだ」
と思うようでした。

ということは、
「自己責任」という考え方を人の心に叩き込むことによって、
まるで除草剤を撒くように、
雑草のように生えてくる「親切」という行いを、
根絶やしにすることができるはずでした。

けれど、人は、長いあいだ、
貧しい人や、死者や、動物たちの痛みを、
いつも感じとって、親切をして、生きてきたのでした。
その親切を失って、人がどうやって生きていくかは、
「自己責任」という言葉をつくった手下たちにも
わかりませんでした。

この手下たちは、自分たちのつくった言葉で、
人びとが右へ左へ動く様子を見るのが、
何より楽しいのでした。
そのことには、何だか異様な快感があるのでした。

さて、親切にかぎらず、灰色は、
人をまわりの者や自然とつなげてゆくものが、大嫌いでした。

「貧しい」国々でも、「豊かな」国々でも、
お金持ちたちの心こそ、念入りにあやつって、
「人がまわりの者や自然とつながっていること」を、
忘れさせなければならないと考えていました。

もし、「豊かな」彼女らや彼らが、
「生きとし生ける者は、みんなつながっている。
 それどころか、人は昔から、死んだ者たちとだってつながって、
 おなかの中で痛みを感じとって、
 助けあって生きてきた。」
と考えてしまったら…
「貧しい人や、死者や、動物への親切。
 ああ、本当に、腹が立つ!」
「人も、一人一人バラバラに切り離されて、
 人という集まりについての、
 本当の物語が、読めなくなってしまえばいい!」

そのためには、やはり、お金持ちや、
エリートたちの心から、
念を入れて、あやつるのが良いようでした。

灰色は、ひとりぼっちでおかねもちになっていく、
1万人に一人の人たちは集めては、
演説が得意な手下を使って、力強く語りかけました。

「お前たちは、勝利者なのだ!能力の高い人間なのだ!」

「豊かな」人たちは、外国語をちりばめた演説に、
熱心に聴き入っています。
それは、まるで、
あやしげな宗教にはまっている人たちの集まりのようでした。

「お前たちは、勝利者として、
 できる人間として、世界をリードしていく、
 選ばれた人間たちなのだ!」

演説をしている人は、人間の顔をしていましたが、
響いてくる声は、灰色の声なのでした。

「それが自然の法則というものなのだ。
 適者生存の法則、自然淘汰の法則といっている。
 種の保存のために、強いものだけが生き残るのだ。
 そして、お前たちが、未来をになう、強いものたちなのだ!」

熱心に聴いていたお金持ちたちから、
おそろしい音の拍手が鳴り響いて、
灰色はその様子を、満足そうに見守るのでした。

しかし、この演説が、
本当は大きなまやかしのもとに成り立っていることは、
演説を考え出した灰色自身が、一番よくわかっていました。

さて、この演説が行なわれていたホテルでは、
たくさんの人が働いていて、
その中の一人は、演説があった宴会場でお皿を片づけながら、
気味の悪い人たちの集まりだった、と思っていました。
そして帰り道に、さっき小耳にはさんだことを、
考えてみるのでした。

ダーウィンという人は、たしか
「生存に適したものが生き残る」
ということを言っていた人でした。

では人の場合、
「どういう人が生存に適しているのか?」
と考えると、どうもあの演説は、
とんでもないまやかしを語っていたような気がしてくるのでした。

気になって、ダーウィンという人の書いた本をめくってみました。
するとこの学者は、
「アリの脳は、おそらくこの世で、
 もっともすばらしいものである。
 おそらく、人間の脳よりもすばらしい。」
と記しているのでした。

それならば、そのすばらしい脳を持つアリたちが
どう生きているか、考えてみてもよさそうでした。

そこで、アリについての本をめくってみると、
驚いたことに、この星の上には、
ものすごい数のアリが住んでいて、
星に住む全部のアリの体重を足すと、
星に住む全部の人間の体重を足した重さよりも、
重いらしいのでした。

そんなにたくさんのアリたちが、この星の上で働いていて、
この星の環境を壊しているかというと、全く反対で、
アリたちが働くと、土や、他の動物たちや、植物たちの、
ためになっているのらしいのでした。

アリたちの働き方について考えてみました。
ある種類のアリたちは、
仲間から栄養分を求められると、
かならず、自分が半分消化した栄養分をあげて、
お互いを助けあって生きているらしいのでした。

少なくともアリの脳は、
「他のアリがお腹を空かせているのは、
 そのアリの自己責任」
などという考え方はしないようでした。

そうやってアリたちは、
何百万年も星と共存共栄してきたのでした。
「俺たちの数が増えすぎてしまったから、
 星の環境を壊すのが当たり前なのだ」などと、
人間たちのように開き直る様子もありません。

そんなアリの脳を、ダーウィンという人は、
「すばらしい」と言っているのでした。

そこで、給仕さんは、アリの脳が
「この世で一番すばらしいもの」
だというダーウィンの考えと、彼の言う
「適者生存の法則」「自然淘汰の法則」
を合わせて考えてみました。

ダーウィンの思う「すばらしい」方向に、
人の脳が進化したとすると、
人は、アリたちのように、
まわりの者や自然のためになって、お互いを助けあう、
そんな生き方・働き方ができるようになっていくはずでした。

そして、そんな人たちが、
お互いを助けあう気持ちのない、
まわりの者や自然につけこむことばかりに長けたひとたちを、
やっつけていく、というのが、
人にとっての、本当の「ダーウィン流の進化」
のように思えるのでした。

そうなると、
あの宴会場に集まっていた「勝利者」たちと、その一味こそ、
「種の保存」の妨げになる、
質の悪い、劣った、淘汰されるべき者たち…。
その彼らを退治していくのが、
人にとっての
「ダーウィン流の進化」…。

給仕さんは、ここまで考えると、
「いかんいかん、ひどいことを考えている。
 あの宴会場に集まった人たちは、
 まるで催眠術にかかったような眼をしていた。
 きっと、何かに取り憑かれているだけで、
 本当は他の人と、似たり寄ったりの人たちに違いない。」
と、やさしい心にもどって、家に帰ろうとするのでした。

しかし、家に帰る途中で、あの演説を思い出していると、
またまた腹が立ってくるのでした。

あの宴会場で演説をしていた人は、
「強いものが勝つのだ」
「弱肉強食が自然のおきてなのだ」と、
ライオンや虎や鷹の例をさかんにあげていました。
しかし、ライオンも虎も鷹も、みんな絶滅寸前ではありませんか。
そんな動物たちの生き方を真似してはいけません。

争いよりも協力することの得意なカモなどは、
たくさんの子どもを連れて泳いでいるのを、
世界のどこの池でも見かけるのでした。

給仕さんの中には、
謎が解けるような気持ちもありました。
それは、革命というのはこうやって起こってきたのだろう
という気持ちでした。

「革命家」とよばれる人たちの中には、残酷な支配者を倒そうと、銃を持って立ち上がった人たちがいました。

あるいは、戦争ばかり仕掛けていた国に、
もうそんなことはやめろと、
体を張って立ち上がった人たちがいました。

あるいは、核爆弾や、化学兵器による暴力を止めるには、
毎日の暮らしのなかにある、
差別や偏見の暴力から止めなければならないと、
真剣に、熱心に、あきらめずに考える人たちがいました。

そうやって、人びとは確かに、
種の保存のために、生存に適した行動を考えて、
みんなではげましあてきたようでした。

そして、生存に適さない、暴力が好きな人たちを淘汰しようと、
いつも頑張ってきたように思えるのでした。

すると、ふと、どこかの町にいたときに、
時間をつぶしに入った珈琲屋のことを思い出すのでした。

「あれは、どこの町だっけ。
 確か、灰色がどうとか、
 太った男の子と、靴を履いていない女の子が話していた。
 今度の休みの日には、あの店を探して、行ってみよう。」

この男の子と、女の子が誰だかは、もうおわかりかもしれません。

そのうさぎときららは、飛行機に乗って、
南の大陸にある、銅山の国の首都の「平和市」に
着いたところです。

きららが、大きな旅行用の竹籠をしょって、
裸足で、元気よく、平和市の目抜き通りを歩いていきます。
うさぎはその後ろから、緑色の大きなリュックサックをしょって、
履き込んだ黒い革靴を履いて、ついていきます。

二人は、久しぶりに、大好きな友達のクィルに会えるので、
うれしくて、どんどん歩いていきます。
知らない国の町についた人は、みんなが、
いつもより3割くらい速いスピードで
歩いてしまうのかもしれません。

クィルという女の子は、
うさぎやきららと同じ町に住む、
「珈琲と本・あひる社」というお店を
溜まり場にしている仲間でした。

あひる社の常連たちが、クィルの姿を見かけなくなったのは、
何週間も前のことでした。
クィルはどこに行ったの、
ときららやうさぎに尋ねた常連たちは、
あのぼさぼさの、砂色の髪の毛をした女の子は、
銅山の国にいるということを知るのでした。

「ああ、銅山の国か。
 沼の原では、もうすぐ水のことで、
 大きな動きがあるかもしれないね。」

あひる社の常連たちは、
店においてある、手づくりの雑誌や、手づくりの本を広げては、
お茶や珈琲を飲みながら、
いつもお喋りをしています。
そのせいで、大きな新聞やテレ・ヴィジョンが伝えない、
世界の人びとの動きを、
みんながよく知っているのでした。

「クィルは平和市にいるんだ。
 平和市なんて町の名前、胸が痛いよ。
 きっともともとは、違う名前で呼ばれていたのに、
 占領した人たちが、平和とか自由とか希望とか、
 土地の風景も思いつかない名前をつけた町…。」

何日かたって、クィルからあひる社に届いた手紙には、
きららの推測したとおり、
平和市という名前は、四百五十年ほど前に、
当時の大帝国からやってきた侵略者たちによってつけられたこと、
それまでは「黄金の谷」とよばれていた土地であったこと、
そこは本当に、谷を流れる川から、
黄金が採れる土地だったことなどが書かれていました。

侵略や占領は、いつも、
その土地の言葉に対する侵略や占領でもあって、
侵略された土地の言葉は、切り裂かれて、
犯されて、血祭りに上げられてしまうのだ、と続けていました。

「けれど、いのちのない名前がつけられたとしても、
 そこで子どもたちが生まれて、友だちができて、
 商店街で恋をして、病院で亡くなって、
 という風に時が流れる。
 すると、いのちのない、冷たい名前にも、
 土地の霊が、いのちを与えていくのだと思う。」

読み終わると、
最近ボトルにつめられてうられている水の名前が
気になっているのだが、ときららに話しはじめるのでした。

ああいう水のボトルには、
「天国の水」とか、
水をくみ上げた場所の自然を謳い上げるような名前がついている、
というのでした。

けれども、そんな場所なら、
休みの日にその水のくみ上げ工場に行ってきて、
「あのボトルのくみ上げ工場に行ってきた。
 いや自然がすごいのなんのって。」
という人がいるかというと、
まずいない、というのでした。

そして、どうもあの水の名前は、
知ってか知らずか、結果的に、
「水をくむためにぶち壊したものの名前」に
なっている気がする、というのでした。

つまり、天国のような自然をぶち壊してくみ上げ工場をつくったら
「天国の水」、
そしてそれと同じように、
人びとが平和に暮らしているところに攻めこんでいって、
平和をぶち壊すと「平和市」になるような気がしてならない、
まちがっていて欲しいのだが、
と言うのでした。

さて、今、きららとうさぎは、クィルが待っているはずの、
平和市の商店街の通りをめざして、歩いていきます。

平和市は、谷あいの町でした。
この町の人たちは、みんな背が小さくて、
顔には、小さな、すてきな笑顔が浮かんでいます。

その笑顔は、ただすてきなのではなくて、
なにか、秘密の合図と暗号があって、
一つの合図で、みんなが一斉に銃を持って立ち上がりそうな、
そんな、危険なすてきさなのでした。

きららとうさぎが、
目的の商店街のある通りを見つけて、角を曲がっていきます。

「あっ!」

きららが声をあげて、立ち止まります。
うさぎも、すぐ同じものを見て、

「すごいっ!」

とびっくりしています。
(つづく)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>