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吉田きしめんと荒子城とサンダーの前世?/3月2日と3日は荒子公園の梅まつり

名古屋といえば「きしめん」。
きしめんナンバーワンは、「吉田きしめん」だと私は昔から思っている。
麺にコシがあって、ころ(冷し)なんかは最高に美味しい。

そんな吉田きしめん愛が引き寄せたのだろうか、
偶然にも、吉田きしめんの製麺所近くに引っ越ししてきたのだ。
古くから大ファンな私が、以前見たサイトやグルメ番組で憶えているのは、
地下水が良くて豊富なので、荒子に製麺所を構えたことと、
製麺所は荒子城跡近くにあるということだった。
荒子城は、前田利家の生まれ育った城だ。

引っ越ししてきた当初、父や母が製麺所を探しに行ったのだが、
城跡のまわりが、路幅は狭いわクネクネしてるわ迷路みたいだわで、
「こりゃ迷子になるわ!」と、製麺所を一回では見つけることができなかったのだ。
城の辺りの道が狭くて迷路になっているのは、
敵の襲来を待ち伏せしたり、城の防御の時間かせぎのためだったのだろう。

サンダーと荒子城へ初めて行った時、不思議なことがあった。
まるで迷路のような道を、一回ですんなり行って帰ってきたのだ。
うろ覚えの私が支持を出す前に、サンダーは道が分かっている感じで、
「コッチでござるよ」とスタスターっと私を先導していく。
断っておくけれど、先導はアイメイトには無い行動である。
アイメイトは支持を聞いてから動くよう訓練されているからだ。
こんなことは後にも先にも他に無い。

きっと、サンダーの前世は前田利家の馬だったのでは?と家族で笑ったものだ。
ラブラドールの毛並やパツパツの筋肉は、馬に似てなくもないし、
サンダーは馬面で、馬具のようなハーネスも背負ってるし。
それに、私はサンダーをブラシするのが好きで、
日々の世話も全く苦にならないので、
私の前世は「お馬番」ということになっている。
お馬番は冗談としても、
住んでいる土地も、出会う人も、そしてサンダーも、
偶然を装って、何かのご縁で私は引き寄せられているのだろう。

さて、話が長くなったが、吉田きしめんが食べられる荒子店が、
荒子観音向いの、荒子公園入口にオープンした。
今まで名駅のエスカ店まで食べに行ってたので嬉しいなー。
しかし荒子店、予定地の看板が立ってから三年!私は待ちに待ったんである。
この荒子店を出てすぐが荒子公園の梅園で、
今年は2日と3日、梅まつりが開催される。
ちなみに、梅まつり会場の屋台でも、
吉田麺業のきしめんは、一杯100円で食べられる。
(今年は、「花より麺」の記事になってしまった)

*「荒子公園 梅まつり」3月2日 3日
梅園には梅の木が100本。地元で有名な梅の名所。
円空市も同時開催。青空マーケットも楽しい。
・地下鉄東山線高畑駅から東へ徒歩約10分
  ・あおなみ線荒子駅から南西方面に徒歩約8分

*吉田麺業 荒子店
TEL 052-355-7003
営業時間 飲食11:00~15:00  物販9:00~17:00
定休日 月曜日  第2・第4火曜日

カッコイイ人たち

迷子の5歳の女の子が保護されて、
無事に親と再会したというニュースを読む。

女の子を保護したのは女子中学生三人で、
部活の夜間練習に向かう途中に、路上で泣いている女の子を見つけたという。
夕暮れ時だ。
「どうしたの?」と、大泣きしている女の子に声をかけると、
「ママに置いてかれちゃった」とやっとのことで返事が返ってきた。
よくよく聴けば、どうやら買い物中に母親とはぐれたらしい。
三人は泣きじゃくる女の子をあやしながら交番に連れて行くと、
交番には母親がいた。
母親も探しまわったのだろう、交番で待っていたのだ。
…良かった良かった!
朝一番に読んだニュースだったこともあって
花粉のせいなのか分からないが目が潤む。

私は保護されるレベルの迷子にはなったことはなくて、
おチビだった頃の外出は、父といつも手をつないで歩いていたそうだ。
母によると、すこし成長してからの私は、
つかず離れず好きなところへアチコチ行っては戻って来る子だったらしい。
それでも、はぐれそうになる心細さは憶えている。

大人になって、親の心境も想像できるようになったこともあって、
迷子になった女の子の気持ちと、
探す母親の気持ちを想像して目と鼻の奥がツーンとなった。
この気持ち、私だけじゃなくて、かつて子どもだった大人はそうだろう。
実際にはぐれた経験はもちろん、心理的にもだけど、
はぐれた記憶のない子は、きっといない。

それから、無事に再開した場面を想像するだけで
私はもう、三人の娘っ子に、
この親子の家族でも親戚でもないのに感謝したい気持ちになった。
実際、お手柄の三人娘は感謝状を贈られたのだけれども、
「当たり前のことをしただけ」と、口を揃えて言ったのだ。
いやー、なかなかできることじゃないよ?
こんな時、遅刻したとしても、
「それは、いいことしたね」とほめてあげてほしいな。

私はサンダーと歩いていて、
親切にしてもらったり助けてもらったりすることがあるのだけれど、
お礼を言うと「当たり前のことをしただけ」と言う人は多い。
「だって、困ったときはお互い様だもの」と言うひともいた。

とっさの時に小さな親切ができる人の、なんとカッコイイことか。
私は講師をしている体験学習で、
街で出会ったカッコイイ人たちの話も必ずするようにしている。
そして、カッコイイ人って、
心細かったことも、困ったときに親切にされて嬉しかったことも
知っているからこそカッコよくなれるんだろうなと思うのでした。

多感な年頃

音楽の好みが形成される年齢のピークは、
女性が13歳、男性が14歳だそうだ。
出典(英文)
Opinion | The Songs That Bind – The New York Times

https://www.nytimes.com/2018/02/10/opinion/sunday/favorite-songs.html

多感な年ごろに聴いた音楽が、その後の人生の音楽の好みに影響を与えるらしい。
私は体験学習の講師をしているのだけれども、
ここのところ、中学二年生の子達とお喋りすることが続いた。
音楽を聴くのが好きだと言う子達に、どんな曲が好き?と聞いたりするのだけれど、
あー、このくらいの年齢に原形のようなものができるんだな、と思いながら、
そういや、自分はどうだったっけ?と想いだそうとしても想いだせない。
アニメに夢中だったことは憶えてるけれど、
当時は音楽あんまり聴いてなかった気がする。

でも、気になって、私が13歳だった1981年のヒット曲を検索してみた。
ルビーの指輪、奥飛騨慕情、トシちゃんに聖子ちゃん…。
うーん、ピンとこないなぁと思っていたら、
ヒット曲の中に、矢野顕子の「春咲小紅」があった。
うわぁ、そうだったそうだった!
テレビでアッコちゃんが歌ってる春咲小紅を、
息を止めてラジカセで録音したことも想いだした
それまで音楽に免疫がなかったこともあってガーン!
あんなに好きだったアニメに興味がなくなったのは、
アニメより音楽が好きになったからかもしれない。

しかし、だからと言って13歳で矢野顕子のファンになったわけでもなかった。
大ファンになったのは二十歳過ぎてからのことで、
蒔かれた種が咲くのは時間がかかるということかもしれない。

多感な頃に聴いた曲が、その後の人生に影響を与えるとしたら、
なにも、それは音楽だけではないだろう。
私は、体験学習で若い子達の前で話をする時、
何年か何十年か先に、
ふと想いだしてくれたらいいな、という気持ちでいるのでした。
(それが無意識のなせる業)

知っていたら、できることはある

大相撲春巡業で、
舞鶴市長を救命中の女性に、「土俵おりて」のアナウンスが。
このニュースを聞いて私が思ったのは、
咄嗟に救命措置できる人、そんなに少ないの?!だった。

20年ほど前に、両親と消防署で救命講習を受けたことがあった。
当時はまだЭИDは普及しておらず、ЭИDを使った内容は無かったけれど
人工呼吸と心臓マッサージのやり方を教えてもらった。
講習は盛況で、
揃いのウエアを着たスポーツサークルの人たちや、
中学生兄弟とその家族や、ママさん達が参加していた。

なので、講習の人気ぶりや、
あれから20年経っていることを考えると、
石を投げれば、救命講習を受けた人に当たるんじゃないかくらいには思っていた。
しかし、土俵上で倒れた市長さんを見て、
何もできず、ただ立っている男の人ばっかりだったとは。

もしかして、中には救命措置を知っている人はいたかもしれない。
何千人が見ている前では、とても勇気がいることだろう。
「「「誰かやるんじゃないか」
「誰もやっていないから、やらないでおこう」
そんな集団心理も働くもの。

サンダーと歩いていて、私も経験があるけれど、
たとえば、東京駅や名古屋駅のコンコースなど、
あまりにも大勢の人がいる場所のほうが、
助けを求めた時に、なかなか捕まらなかったりする。

それから、
あの場内アナウンスが問題だと思うのは、
救命措置をしている人は、周りの人に指示をする必要があって、
その声を邪魔してしまうからだ。

心臓マッサージを交代してもらったり、
マッサージの時間やテンポを測ってもらったり、
他に人を呼んでもらったり、
もちろん、119に電話してもらったりと、
そこに居合わせた人たちと、なんとかしなくちゃいけない。
ちなみに、私は救命講習で、居合わせた人への声掛けの仕方も教わった。

「知らなかったら、咄嗟にはできないけれど、
知っていたら、できることはあるよ。」
サンダーと体験学習をしている私は、
小学生や中学生に言うのだけれど、
ホント、そうだわ!

これも、名古屋ウイメンズマラソン

高橋尚子、野口みずきを名古屋ウイメンズで、
有森裕子は犬山マラソンで、
沿道で応援してきたマラソン好きの母。

好きがこうじて、という訳ではないけれど、
母は名古屋ウイメンズに二大会連続出場した。
昨年は、31キロ地点を示す看板を持つ「看板ガール」で、
今年は、補給食のパンを切る「パン切りガール」だ。

帰宅した母は言う。
「提供品のPASCOのスティックパンを、
早々に切って並べて待ってたんだけど、
あたしたちレース配分、間違えちゃったの!
そもそも招待選手や実業団選手、レース中に食べないでしょ?」
選手は完走、パンは乾燥した、と。

さらに言う。
「途中までスティックパンを二等分か三等分に切ってたけど、
これは余りそうだねーと、
しまいには、切らずにまるっと一本を、
ハイ、どうぞ!」ってランナーに配っちゃった!」
あはは、大盤振る舞いだ。
遅いランナーはラッキーだったねー。

「トップランナーを見るのも楽しかったけれど、
市民ランナーと、やりとりするのも嬉しい」そうな。
そうね、最短を競うだけがレースじゃない。
人生と同じだと思うんだけど、
寄り道したり、立ち止まったりするのも醍醐味だ。
それから、
「大声で応援するって、こっちも元気が出るね」と言う。
…そだねー!

それでも残ってしまったスティックパンは、
PASCOさんが母たちボランティアに、
お土産に持たせてくれたそう。
土産話とPASCOのスティックパンを持って、
母は元気に帰ってきたのでした。

3月3日・4日 荒子公園 梅まつり

今年は梅の花が遅くてヤキモキしていたのだけれども、
ここ数日の陽気のおかげで、
ようやくポポッと咲きだしたみたい。

きのうサンダーと歩いていたら、
ふわぁと梅の香が詰まった空気の層に入った。
はー、いいねぇ…。
足を止めて、深呼吸した。
(サンダーよ、地面の匂いを嗅ぐんじゃありません)

*荒子公園 梅まつり*
3月3日・4日(無料)
(毎月第一日曜に荒子観音で開催している「円空市」が、
3月は、3日と4日に荒子公園で行われます)

・アクセス
市営あおなみ線「荒子」 徒歩8分
地下鉄東山線「高畑」徒歩10分

荒子公園梅園に梅250本
梅の見頃は、三月上旬から中旬

春に向かってムーブ!

尾張名古屋には四つの由緒ある観音寺がある。
荒子観音、甚目寺観音、竜泉寺観音、笠寺観音だ。
この四観音、名古屋城を四方から守るかのように建っているので、
「あの名古屋城を守っとるくらいだで、どえらいご利益あるがね!」と、
名古屋には、節分の日に四観音を巡る習わしがあるそうな。
なんで節分の日かというと、「明日が立春だからじゃないかしら」と私は思う。

四観音のひとつ荒子観音が近所にあって、
毎年のことだけど、お参りに来る人で荒子界隈は賑やかだ。
四観音を巡るツアー観光バスも次から次からやって来て、
さほど広くない境内は、お参りだ屋台だ豆まきだと祭のよう。
いや、一年で一番大きな祭なんだけどね。
近くのスーパーの恵方巻き特設売り場は、境内の豆まき並みに混んでいる。

お参りで来る人も、恵方巻きを買う人も、
朗らかというか、ちょっと浮かれてるというか、楽しそうな雰囲気なんだな。
なんだか、「ご利益ありましたね!」って言ってあげたい感じ。
お参りすること自体が、恵方巻きを食べること自体が吉というのではなくて、
ご利益やら幸せやら恵みやらに向かって動くことが吉なのだろう。

さて、明日は立春。春の兆しの始まりの旗印が立つ日だ。
旧暦でみると、今年は本格的な春の訪れは遅いのだけれど、
そんな年は、「春の兆しを積極的に見つけると吉」なのだとか。
(お部屋に花を飾るも良し)

いちばん大事なものは?

この秋、二つの小学校で体験学習の講師をさせていただいた。
Э小学校の全5年生、B小学校の全4年生だ。

ゲーム感覚の目隠し体験をしたり、
私が日常で使っている、目の不自由な人の便利グッズに触れてもらったり、
サンダーと私が力を合わせ椅子をさがすデモンストレーションを見てもらったり。
そして今年は、私とサンダーの暮らしの様子を収めたムービーも初披露した。

小学校の体験学習で私が楽しみにしているのは、生徒さんからの質問タイム。
子どもらしい素直な質問は、心が洗われるよう。ほんと大好き。

たとえば、
「友達とどんなことをして遊びますか?」。
そうだよねー、目の見えない人は友達とどんな遊びするのか知りたいよね~。

「サンダーが病気になったらどうしますか?」。
私の目になっているサンダーに何かあったら…と、
私の身も案じてくれてるのも、よーく分かる。

そしてドキリとしたのは、
「いちばん大事なものは何ですか?」。
うわああ!そうねー、サンダーですと私は答えた。
そして、一番キミの大事なものは何ですか?と逆質問をしたら、
質問の主はしばらく考えてから、こう言った。
家族です

そうね、大事だよね。家族。
やられたなー、まいっちゃったなぁ。ジーンとしちゃった。

アタシも家族って答えたら良かったかなー?
家に帰って母に言ったら、
「次からは、家族とサンダーですって言えば?」ですと。
母よ、それじゃあ一番の答えになっていないのでは…。
(サンダーは家族です)

あの点字カレンダーは

「小鳩文化点字カレンダー」配布が始まっている。
この点字入りカレンダーは、視覚障害者の愛用者がたくさんいるのだけれども、
42年間、日本テレビ事業が無料で配布しているという。

日本テレビが何故?というのは、
テレビの恩恵を受けられない障害者の方々に、何か貢献できないだろうか?
そんな思いから始まったのだそう。
視覚障害者には、点字カレンダー無料配布、目の再生医療の助成などを、
聴覚障害者には、手話の普及活動の助成、聴覚障害児の学校の助成など、
目の不自由な人・耳の不自由な人の社会参加を、昔から支援している。

し、知らなかった!
私は、アイメイト協会の年に一度のアイメイトデーに参加した時に、
日本テレビの方のスピーチを聴いて、恥ずかしながら初めて知ったのでした。

日本テレビは、何十年も昔から福祉の理解を深めるラジオ番組を放送していて、
アイメイト協会とは、故・塩屋賢一(アイメイト協会創始者)が、
その番組にゲスト出演したことで長い御縁となったそう。
(アイメイト協会は、全国のたくさんの個人サポーターの皆様はもちろん、
いくつもの企業や団体さんからも支えられているのです。
ある団体さんからは卒業記念に、トーキング置時計と腕時計をいただきました)

欧米では、社会貢献の意識が高く、
積極的に社会へ貢献する企業や団体が多い。
日本でもそんな企業や団体さんは、人知れずあるのだけれども、
もっと知られていいのにと思う私なのでした。

どちらにフォーカスするのか

7月。
名古屋市社会福祉協議会の、福祉学習サポーター養成講座を受講してきた。
私は昨年も受講しているのだけれども、
講師の日本福祉大学 原田教授のお話は、毎年聴きたいほどなのだ。

さて、一般の人向けの福祉教育といえば、
障害を体験するタイプの、体験型学習が盛んに行われてきた。
高齢者疑似体験やアイマスク体験、車椅子体験を、
学校や職場、集まりなどで体験した人も多いのだけれども、
原田教授によると、思わぬことが進んでしまったという。
それは、高齢者や障害者への偏見や差別意識が、
水面下で静かに進んでしまったというのだ。

相手の立場を体験する、それは良いことじゃないの?
しかし、そればかりではないのも、人の意識の難しいところ。
高齢者疑似体験をして、「年寄りになりたくない」 「高齢者は役にたたない」
アイマスク体験をして、「見えないって不幸だ」 「盲人は何もできない」
そんな間違ったメッセージが刷り込まれていく危うさがある。
実施する側も、その危うさに気がつかないままに、
知ってか知らずか、困難さや怖さを強調してしまうこともあるだろう。
原田教授は、昨年の障害者施設で起きた痛ましい事件で
「よくぞやってくれた」という意見が少なからずあったことにも触れた。

福祉学習の新たなムーブメントを作っていきましょうと原田教授は語る。
たとえば、ひとりのお年寄りの、それまで歩んできた道のりを知ることだったり。
障害者と一緒に、趣味やスポーツを楽しんだり、共に何かを取り組んでみたり。
障害にフォーカスするのではなく、
「その人」にフォーカスする福祉学習だ。

これは、本当に大事なことだと私も思う。
不便だ、辛いという断片をただ知るのではなく、
その人が、どう生きているか 生きてきたのかに共感し、
自分の人生に、自分が生きている社会に、どう反映させるのか?
人にフォーカスするということは、
生きるということにフォーカスすることなのでした。