カテゴリー別アーカイブ: お片付け

年末の大掃除はしません

以前の私は「年末大掃除派」だったのだけれども、
あるとき気がついたのでした。
なにも年末じゃなくても、気候のよろしい時期に、
のんびり小分けしてやればいいじゃない?

夏は網戸を洗いながら水浴びして、
晴れた秋空にカーテンを干して、
気持ちのいい陽射しと風の日は、窓と窓枠を拭いて…。
あら、爽快で楽しいではないですか。
しかも、冬以外の季節の方が、汚れも落ちやすいような。
(ただし、冷蔵庫内の掃除は、寒い冬がいいです。
庫内の冷蔵品を出しても溶けにくいので)
年末以外にちょこまか掃除するという人が増えているそうですが、
これは楽チン、なるほど納得の実感なのでした。

まとめて一気に、しかも完璧にとは、そりゃ腰も気も重くもなろうもの。
以前の私は、こんな感じだったなぁ。
お陰様で、そんな体力も視力もなくなったので、
今やチョコチョココツコツ主義。
この変わりよう、老化やハンデも悪くないなと思うのでした。

「フランス人は10着しか服を持たない」/「服を買うなら、捨てなさい」

どちらもベストセラーでロングセラーの本。
遅ればせながら、サピエ(音声図書)で読む。
そして、ただいま服をお片付け中である。

二冊に共通する内容はいくつかある。
たとえば、「お洒落な人は服が少ない」。
自分は何が好きで、何が似合うのか知っているので、
しっくりこない物は持とうと思わないから。

そこで服の整理を始めたのだけど、
誰ですか、あんまり服を持っていないってブログに書いたのは。
保管場所が分散しているから分からないけど、随分多いじゃないか。
これは認識違いだったなぁ。

そしてもう一つ気がついたことは、
気に入った服ほど着ていないこと。
まるで一軍を温存するために二軍を使うような、
もったいないから着るのは先延ばしというのか。
次第に「いま着たい」気持ちは薄れ、体型は変わり、
やがて服はさほど着ることなく寿命を迎えるのだった。
あれ?もったいないのはどっちなのかしら?
これって「いまを生きていない」感じがするなぁ…。

ここまで書いて思いだしたことがある。
二十代に校正の仕事をしていたときのことだ。
「いつも同じ服着てる」と同僚に言われたことがあった。
私は気に入った服を、週二回三回はを着ていたのだ。

この一言が原因だったのかは分からないけれど、
その後は服のバリエーションを気にするようになり、
かくして、お気に入りほど着る頻度が減っていった。
そして、お洒落に自信がなくなって、
どんどん服や靴ばかりが増え、
増えたというのに、お洒落とは遠ざかっていったのだった。

いま思えばなんてことない一言だけれど、
ひそかに「お洒落好敵手」と思っていた相手だけに、
余計にこたえてしまったのかも。
そして、あの頃はDCブランドブームを経て、
「お洒落な人は服をたくさん持っている」という風潮が始まった時代だったのだ。

…わぁ、そうだ、そうだったなぁ。
よかった。思いだせて。
なんだか気が楽になった感じ。

二冊の本に共通して書いてあることだけれど、
ミニマムなワードローブ、ミニマムな暮らしを目指すことは、
自分は何が好きで、何がしっくりくるのか見つめる作業だ。
よく言われることで、私も実感することだけれど、
お片付けはとてもパワフルな、「いまを生きる」レッスンだ。

ちなみに、フランスの一般的なクローゼットのサイズは、
幅が1メートル満たないのだとか。
私の部屋の作りつけのクローゼットと同じサイズではないですか。
引っ越した時、あまりのクローゼットのコンパクトさに途方に暮れたけど、
今では「なんてラッキー!」と喜んでいる。
このサイズのクローゼットに納まるほどの、
「一シーズンに10着」を目指してチャレンジだ。
ちなみに、上着類・下着や靴下・靴・バックなどはカウントしないそう。
この数、「実際にそうなのかも」というリアルさと、
「これならできるかも」という目安が感じられるのだった。

・「フランス人は10着しか服を持たない」
ジェニファー・L・スコット ・著/大和書房

・「服を買うなら、捨てなさい」
地曳 いく子・著/宝島社

お片付けと脳年代

お片付け仲間の友人と話していて、
ああ、そうだなぁと思ったことがある。
「物と空間、
どちらにより価値を置くかで、違ってくるね。」

物を大切にしていると物が減らないけれど、
空間を大切にするようになったら、物が減ってきたよね、
これは私も実感するところ。
どちらにフォーカスするのかで、物の量は随分と変わってくる。

20代、30代だった頃の私は、
物がたくさん並んでいることに喜びを感じていたけれど、
40代の今は、空間って贅沢だなぁ、と思う。
価値観がまるで変わってしまったことに自分でも驚く。
なにせ愛読誌はモノ・マガジンだったのだ。

この私の価値観の変化、脳の年代変化かもしれない。
脳研究の黒川伊保子さんによると、
10代、20代は、なんでも吸収・インプットする脳で、
30代からは、そのインプットしたものを取捨選択し始める脳に。
40代になると、本質に興味を持つ脳になるそうだ。
…なるほど。
これは私のお片付けの道のりとピッタリくるなぁ。

ちなみに、50代半ばの脳は、
本質の答えや、人の資質など、
本質的な事を見抜く力がピークになるという。
老化によって、脳が「手抜き」するようになるからで、
経験から必要ないデータは折り畳み、
本質へとまっしぐら、ということらしい。

…いいな。
そうなりたい。なれるようにしたいな。
自分が老化していくのを嫌だなー、と思っていたけれど、
ちょっといいかもと思える、
自分の誕生月が終わる今日なのでした。

なんだっけ?

キジバトの声がする。
デーデ ポッポ ポーの、
首にスカーフを巻いているような、おしゃれな鳩だ。
ラブコールの歌声は、夏が近くなったと教えてくれる。

そこで、サンダーとおしくらまんじゅうをしながら衣替え。
何故おしくらまんじゅうかというと、
サンダーが至近でぎゅうぎゅうと覗くから。(せまいんだけど)
コレナニ?
…な、なんだっけ?

私は服をたくさん持ってはいないのだけれど、
それでも、こんなの持っていたっけ?と、
しばし考え込むことがある。

私は目が見えないので、
触って「ああ、これね」となるのだった。
ああ、君、またよろしく。
という感じ。

ちなみに同じ服の色違いの場合は、
たとえば洗濯表示のタグに、切り込みを入れたり、ステッチを入れて
自分で触って区別できるようにしているのだった。

しかし、「ああ、これね」となるのは、
よく着ている服で、
結局、先シーズンに袖を通すことのなかった服や、
もう何年も着ていない服は、
「なんだっけ?」なのだった。

使われることなく「なんだっけ?」は、
どうも心苦しいものだなぁ。
しかも「こんなの持っていたっけ?」とは。
そして見ないふりでもされようものなら。

すべてが「ああ、これね」になるのも無理だけど、
「なんだっけ?」の割合が下がっていくと、
心が軽くなるものだなぁ。

私がほんとうに欲しいものは

昨年からテディベア(クマのぬいぐるみ)を探していた私。
いままであまり興味はなかったのに、なんだか欲しくなったのです。

本当に気に入ったベアと暮らしたい思いからか、テディベア探しは難航しました。
「これかな?」と自分と相談してもどうも違うみたい。
どのベアにも「No」。
私は探すことをやめて、探していたことも忘れていました。

先日ようやく判明しましたよ。私の内なる私が欲しかったのは、
チューバッカでした。
…クマじゃなかったの?! てっきりクマが欲しいのかと。

スターウォーズの人気キャラクターの一人であるチューバッカ。
私の一番好きな登場人物だけど、なぜにチューバッカ?
あらためて調べてみたら、なるほどと思いました。(wikiより)

ウーキー族は、森林の素朴な生活を好む為、未開人扱いされ虐げられてはいるが、
誇り高く聡明で、また非常に義理堅い。
勇敢な戦士にして、長命で思慮深く、なにより名誉を重んじる。
その存在は畏敬を持って語られ、
ウーキー族を助ける事も、また助けられる事も、大変栄誉な事だとされている。

…この設定、北米先住民へのリスペクトを感じるのは私だけ?
私は深いところからホッとするのを感じて、チューバッカをお迎えしました。

物が増えてしょうがなかった頃、本当は何がほしいのか分かっていなかったな。
本当に欲しいのは物ではなく、象徴する「何か」だったりするものです。

TINY HOUSE

北米のタイニーハウス・ムーブメントが
日本にじわじわ拡がりはじめているそうです。
タイニーハウスとは、ボートハウスやツリーハウスを連想させるような、
小屋かな?という「ちいさな おうち」のこと。

ちいさなおうちをセルフビルド(自作)して、
限られたスペースを広く、わずかな愛用品と、
心豊かに暮らすというものだそう。
貧しくて、ではなく、豊かに暮らす選択としてなのですね。

家が小さいということは、維持費も光熱費もかからない。
物に支配されない。
建材をこだわっても、狭小なので高価にならない。
自分の好みと信念を凝縮できる。
なにより愛着が湧く。
エコなメリットも、クリエイティブの喜びもありますね。

アメリカといえば、広大な豪邸がステイタスで、
大量生産、大量消費のイメージがあります。
日本のように「ワンルームに住むのはあたりまえ」ではないお国柄で
自発的に暮らしのダウンサイジングを選択する人達が増えてくるというのが、
やはりアメリカの奥深いところです。

しかし、アーミッシュや、ネイティブ・アメリカンのホピ族のように
シンプルな暮らしを信念とし、
祈りと調和を大切にする人たちも共存していますしね。
驚くとともに、うなずける気もします。

意識が変わり穏やかになると、
もしかしたら、未来はSFの世界ではなく
牧歌的になるかもしれませんね。

すべてはうまくいっている/心とお片付けの関係は面白い

頭で考えるだけでは、なんともできないときがあるものです。
私は、そんな暗黒の時期が、それはもう長いことありました。

目が見えなくなりつつある時
デザインや校正や掛軸の仕事をしていたのに
ぜんぶ無駄だったな…と思うと、本当に悲しかったです。

しかしですよ、いまブログを書いていて、
レイアウトや字面のイメージがつくことは
とーっても役にたっているのです。
職人のときにそれまで苦手としていた
物の定位置を決めて戻すことや、
整理整頓が身についたおかげで、
目はみえなくとも、シンプルな暮らしで楽です。

悲しいこともつらいことも、出会いも分かれも、
ぜんぶ必要で、無駄なことなんてなかったなあと、しみじみ思います。

おもしろいのは、人生一切無駄なし!と実感できてからは、
無駄な物を買うことが減ってきたこと。
それから、お片付けをするようになってから、
人生に無駄なんてないんだなと実感できるようになったこと。
これはなにか関係あるかもしれませんね。

「なんとなく」の理由

なんとなくモヤモヤするなあ、
どことなく落ち着かないな、
なぜかイライラしたり、罪悪感がある。
考えてみても理由が分からないときは、お部屋や家をお片付けしてみましょう。

持っていたことすら忘れている物や、
もう使わないと分かっていながらも押し込んでしまいこんでいる物には、
悲しみや寂しさやいじけてしまった「気エネルギー」が
たくさんたまっているものです。

そのエネルギーを無意識で感じていても、まるで無視している状態なので
申し訳なさで罪悪感があるのです。
物が発するエネルギーに反応してイライラやモヤモヤしてしまいます。

もうお役目を果たしてくれた物や、
今の自分には、もうエネルギーがフィットしないなと感じた物は、
いままでありがとうとお礼を言って、解放してあげましょう。
空きスペースに新しい気が入って、光が当たります。
気持ちにどんな変化があるでしょう?

「天使」とツーカーになるレッスンは

押し入れに引き続き、天袋のお片付けをしました。
今回は、押し入れと天袋の中身をシャッフルして少々大がかりなことに。

それが、なんとスムーズ。はかどりましたよ。
おー、こうきたかー!という奇蹟的な収納で終了しました。
いやー、すごいね天使!

…というのはですね、
数日前の精神科医・越智啓子先生の講演会で
教えていただいたばかりの言霊(アファメーション)、
「わたしは天才 天使とツーカー♪」
を口づさみながらの作業だったからなのでした。

天使というとファンタジーな感じをうけるかもしれませんね。
自分の無意識(潜在意識)や、内なる知恵とツーカーな間柄になると、
直感やインスピレーションでアシストしてくれますよ、ということです。

天使がツーとサインをだしてくれても、頭で考えてばかりの詰め詰め状態では、
その微細なサインがキャッチできないので、こちらもカーとはいかないものです。
また、せかせかあせっていても、そのサインも逃してしまいます。

思考はひとまずお休みして、心に静けさと空き地を作りましょう。
そのレッスンが「瞑想」です。
統合医療のアンドルー・ワイル博士が、
「鬱のいちばんのくすり」と著書で言っている瞑想。
次回は瞑想についてのあれこれを。

お片付けと心に必要なのは「空きスペース」

昨日は家の押し入れのなかを、お片付け&フォーメーションチェンジしました。
そこそこ片付いてはいましたが、「できあがり」感がイマイチだった押し入れも
しっくりとまとまってきました。
「しっくり」が実感できる時は、使いやすさや見た目のすっきり感が揃いますね。

私は全盲ですが、お片付けは大好きです。
右のものを左に、左のものを右にと動かしているうちに、
物が居場所を教えてくれたりします。
ここで必要なのは、動かせる「空きスペース」です。
まず絶対量を減らすこと。

じつは、心のお片付けのプロセスも同じです。
まず、心のメモリーを減らして、
いろいろな感覚がキャッチしやすい「空きスペース」をつくります。

お家やお部屋の片付けがすすんでくると、
まるで気のような「ある感覚」をより感じる境目があるものです。
あれ、何かいい感じ。
反対に、今日は変な感じがするな、とか。
この感覚は、あなたの心や身体のセルフチェックに役に立ちます。