カテゴリー別アーカイブ: お片付け

なんだっけ?

キジバトの声がする。
デーデ ポッポ ポーの、
首にスカーフを巻いているような、おしゃれな鳩だ。
ラブコールの歌声は、夏が近くなったと教えてくれる。

そこで、サンダーとおしくらまんじゅうをしながら衣替え。
何故おしくらまんじゅうかというと、
サンダーが至近でぎゅうぎゅうと覗くから。(せまいんだけど)
コレナニ?
…な、なんだっけ?

私は服をたくさん持ってはいないのだけれど、
それでも、こんなの持っていたっけ?と、
しばし考え込むことがある。

私は目が見えないので、
触って「ああ、これね」となるのだった。
ああ、君、またよろしく。
という感じ。

ちなみに同じ服の色違いの場合は、
たとえば洗濯表示のタグに、切り込みを入れたり、ステッチを入れて
自分で触って区別できるようにしているのだった。

しかし、「ああ、これね」となるのは、
よく着ている服で、
結局、先シーズンに袖を通すことのなかった服や、
もう何年も着ていない服は、
「なんだっけ?」なのだった。

使われることなく「なんだっけ?」は、
どうも心苦しいものだなぁ。
しかも「こんなの持っていたっけ?」とは。
そして見ないふりでもされようものなら。

すべてが「ああ、これね」になるのも無理だけど、
「なんだっけ?」の割合が下がっていくと、
心が軽くなるものだなぁ。

私がほんとうに欲しいものは

昨年からテディベア(クマのぬいぐるみ)を探していた私。
いままであまり興味はなかったのに、なんだか欲しくなったのです。

本当に気に入ったベアと暮らしたい思いからか、テディベア探しは難航しました。
「これかな?」と自分と相談してもどうも違うみたい。
どのベアにも「No」。
私は探すことをやめて、探していたことも忘れていました。

先日ようやく判明しましたよ。私の内なる私が欲しかったのは、
チューバッカでした。
…クマじゃなかったの?! てっきりクマが欲しいのかと。

スターウォーズの人気キャラクターの一人であるチューバッカ。
私の一番好きな登場人物だけど、なぜにチューバッカ?
あらためて調べてみたら、なるほどと思いました。(wikiより)

ウーキー族は、森林の素朴な生活を好む為、未開人扱いされ虐げられてはいるが、
誇り高く聡明で、また非常に義理堅い。
勇敢な戦士にして、長命で思慮深く、なにより名誉を重んじる。
その存在は畏敬を持って語られ、
ウーキー族を助ける事も、また助けられる事も、大変栄誉な事だとされている。

…この設定、北米先住民へのリスペクトを感じるのは私だけ?
私は深いところからホッとするのを感じて、チューバッカをお迎えしました。

物が増えてしょうがなかった頃、本当は何がほしいのか分かっていなかったな。
本当に欲しいのは物ではなく、象徴する「何か」だったりするものです。

TINY HOUSE

北米のタイニーハウス・ムーブメントが
日本にじわじわ拡がりはじめているそうです。
タイニーハウスとは、ボートハウスやツリーハウスを連想させるような、
小屋かな?という「ちいさな おうち」のこと。

ちいさなおうちをセルフビルド(自作)して、
限られたスペースを広く、わずかな愛用品と、
心豊かに暮らすというものだそう。
貧しくて、ではなく、豊かに暮らす選択としてなのですね。

家が小さいということは、維持費も光熱費もかからない。
物に支配されない。
建材をこだわっても、狭小なので高価にならない。
自分の好みと信念を凝縮できる。
なにより愛着が湧く。
エコなメリットも、クリエイティブの喜びもありますね。

アメリカといえば、広大な豪邸がステイタスで、
大量生産、大量消費のイメージがあります。
日本のように「ワンルームに住むのはあたりまえ」ではないお国柄で
自発的に暮らしのダウンサイジングを選択する人達が増えてくるというのが、
やはりアメリカの奥深いところです。

しかし、アーミッシュや、ネイティブ・アメリカンのホピ族のように
シンプルな暮らしを信念とし、
祈りと調和を大切にする人たちも共存していますしね。
驚くとともに、うなずける気もします。

意識が変わり穏やかになると、
もしかしたら、未来はSFの世界ではなく
牧歌的になるかもしれませんね。

すべてはうまくいっている/心とお片付けの関係は面白い

頭で考えるだけでは、なんともできないときがあるものです。
私は、そんな暗黒の時期が、それはもう長いことありました。

目が見えなくなりつつある時
デザインや校正や掛軸の仕事をしていたのに
ぜんぶ無駄だったな…と思うと、本当に悲しかったです。

しかしですよ、いまブログを書いていて、
レイアウトや字面のイメージがつくことは
とーっても役にたっているのです。
職人のときにそれまで苦手としていた
物の定位置を決めて戻すことや、
整理整頓が身についたおかげで、
目はみえなくとも、シンプルな暮らしで楽です。

悲しいこともつらいことも、出会いも分かれも、
ぜんぶ必要で、無駄なことなんてなかったなあと、しみじみ思います。

おもしろいのは、人生一切無駄なし!と実感できてからは、
無駄な物を買うことが減ってきたこと。
それから、お片付けをするようになってから、
人生に無駄なんてないんだなと実感できるようになったこと。
これはなにか関係あるかもしれませんね。

「なんとなく」の理由

なんとなくモヤモヤするなあ、
どことなく落ち着かないな、
なぜかイライラしたり、罪悪感がある。
考えてみても理由が分からないときは、お部屋や家をお片付けしてみましょう。

持っていたことすら忘れている物や、
もう使わないと分かっていながらも押し込んでしまいこんでいる物には、
悲しみや寂しさやいじけてしまった「気エネルギー」が
たくさんたまっているものです。

そのエネルギーを無意識で感じていても、まるで無視している状態なので
申し訳なさで罪悪感があるのです。
物が発するエネルギーに反応してイライラやモヤモヤしてしまいます。

もうお役目を果たしてくれた物や、
今の自分には、もうエネルギーがフィットしないなと感じた物は、
いままでありがとうとお礼を言って、解放してあげましょう。
空きスペースに新しい気が入って、光が当たります。
気持ちにどんな変化があるでしょう?

「天使」とツーカーになるレッスンは

押し入れに引き続き、天袋のお片付けをしました。
今回は、押し入れと天袋の中身をシャッフルして少々大がかりなことに。

それが、なんとスムーズ。はかどりましたよ。
おー、こうきたかー!という奇蹟的な収納で終了しました。
いやー、すごいね天使!

…というのはですね、
数日前の精神科医・越智啓子先生の講演会で
教えていただいたばかりの言霊(アファメーション)、
「わたしは天才 天使とツーカー♪」
を口づさみながらの作業だったからなのでした。

天使というとファンタジーな感じをうけるかもしれませんね。
自分の無意識(潜在意識)や、内なる知恵とツーカーな間柄になると、
直感やインスピレーションでアシストしてくれますよ、ということです。

天使がツーとサインをだしてくれても、頭で考えてばかりの詰め詰め状態では、
その微細なサインがキャッチできないので、こちらもカーとはいかないものです。
また、せかせかあせっていても、そのサインも逃してしまいます。

思考はひとまずお休みして、心に静けさと空き地を作りましょう。
そのレッスンが「瞑想」です。
統合医療のアンドルー・ワイル博士が、
「鬱のいちばんのくすり」と著書で言っている瞑想。
次回は瞑想についてのあれこれを。

お片付けと心に必要なのは「空きスペース」

昨日は家の押し入れのなかを、お片付け&フォーメーションチェンジしました。
そこそこ片付いてはいましたが、「できあがり」感がイマイチだった押し入れも
しっくりとまとまってきました。
「しっくり」が実感できる時は、使いやすさや見た目のすっきり感が揃いますね。

私は全盲ですが、お片付けは大好きです。
右のものを左に、左のものを右にと動かしているうちに、
物が居場所を教えてくれたりします。
ここで必要なのは、動かせる「空きスペース」です。
まず絶対量を減らすこと。

じつは、心のお片付けのプロセスも同じです。
まず、心のメモリーを減らして、
いろいろな感覚がキャッチしやすい「空きスペース」をつくります。

お家やお部屋の片付けがすすんでくると、
まるで気のような「ある感覚」をより感じる境目があるものです。
あれ、何かいい感じ。
反対に、今日は変な感じがするな、とか。
この感覚は、あなたの心や身体のセルフチェックに役に立ちます。

逃げやすい家 我が家の片付け物語⑤

10年前から始まった、我が家の片付け物語、
第一次コンセプトは、「地震があったら逃げやすい家」でした。
…住まいのコンセプトがこれはあんまりだという気もしますが、
この時は本当にこれだったんですね。

耐震性が心配な家に、二階に荷物が多い。
そして一階も二階もすぐに逃げれるかというと、導線がちょっと怪しい。

いくら耐震補強をしても、荷物が多いままではなんにもならないですよね。
足腰を鍛えるまえに、まず背中の荷物を減らすこと。
瞬発力と跳躍力を磨くより、部屋の障害物をすっきりさせること。

瞬発力も跳躍力も自信満々ではない、
当時60代の両親と、目が不自由になりつつあった私ですから、
以前は分からなかったものが見えてくるものです。
自信満々って、案外もろかったりしますものね。
まず安全を確保しよう、ここからスタートでした。

(シリーズ続く)

真面目な無意識 我が家の片付け物語④

朝ごはんの後に、秋物と冬物の衣類を入れ替え。
以前は衣替えが大仕事でした。

いくつも衣装ケースを掘り出す。よっこいしょと運ぶ。
ひっぱりだす、押し込むという、
たかが衣類を出し入れするだけなのに、疲労困ぱいでしたから。
どうしてもおっくうになります。面倒です。なかなか決心がつきません。

この状況から無意識は知らず知らずにこんなメッセージを受け取っ手いました。
「人生はおっくうで面倒なものでなかなか決心がつかない。そして疲れる。」
無意識は真面目です。
ちゃんとそんな現実を引き寄せてくれました。

以前は自分の部屋にごちゃごちゃと物があふれていました。
目が見えにくくなっていたので、つまづいたり倒したりします。
そして無意識はこんなメッセージを受け取ります。
「私はごちゃごちゃで何事にもつまづいてまわりに迷惑をかける」
ただでさえ障害者になって自己評価が下がっているのに、
一瞬一瞬こんなメッセージを刷り込まれたらたまったものではありません。
しかし表面意識は鈍感ですから、気にも停めません。
私は起きたまま気絶していたのか?というぐあいでした。

(シリーズ続く)

無意識は知っていた 我が家の片付け物語③

中越地震をきっかけに始まった、我が家の片付け物語。
はじめは単に地震対策でした。

元我が家は収納スペースが二階に多くあって、
なんでもかんでもとりあえず邪魔なものは、
あまり考えずにそこに入れてしまっていました。
一階より二階の方がより重量があるという、
家が頭でっかちな状態です。
これはバランス悪い。不安定です。
しかも耐震基準法の施行前に建てた木造二階建てです。
いかにも危ないではありませんか。このままでは倒壊のおそれありです。
なのに地震がくるまでは全く思っていなかったのですね。
ぜんぜん平気だったからこその有様です。
ようやく地震でその現実にハッとしたわけです。

しかし無意識は常にそのメッセージを受け取っていたのでしょう、
いつも漠然とした不安感があり、心は不安定だったからです。

(シリーズ続く)