少女マンガ論の傑作、「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」で
著者である橋本治は、マンガ家・大島弓子を、
「ハッピイエンドの女王」と称していた。
ハッピイエンドといっても、単純なハッピイエンドではない。
だって「現実」は変わっていない結末もあるから。
しかし、主人公たちの「意識の変化」がハッピイエンドなのだ。
大島作品の主人公たちは、世間や世界、自分に対しても違和感を抱いている。
自分とは何者なのか?
世界はなぜ閉ざしているのか?
絶望や葛藤のなか、自問し続ける。
混沌として混乱している。
思えば私もそうだったかもしれない。
鳥は鳥に
人間は人間に
星は星
風は風に
(大島弓子「綿の国星」より)
私は私になるのだ。
他の誰かになろうとしていたことに気がついたら、
自然はありのままの景色を見せてくれた。
そんな瞬間を描いた、「綿の国星」のモノローグが美しい。
思いは うつりかわり うつりかわり かげろうのよう
ひとつの事を 考えようとしても もう次の考えにうつってしまいます
外のけしきが 一日一日と うつりかわってゆくからです
おばけのような桜が おわったとおもうと 遅咲きの八重桜
すみれや れんぎょう 花蘇芳
黄色い山ぶき 雪柳
なんとすごい なんとすごい季節でしょう