カテゴリー別アーカイブ: お片付け

小さなことなんだけど

ようやくわが家は物が減り統一感が出てきた、と思う。
たとえば我が家の場合だけれども、
タオルやシーツを白や生成りの白色系の無地にすることだったりする。

…いやぁ、長い道のりだった!
なにしろ我が家は物が多かったからねぇ。
特にタオル。贈り物や引き出物でいただくことが多かった。
ある時期、毎月お届けしますという、タオルの頒布会にも入っていたので、
色や柄、織りや大きさ、バラエティ豊かにタオルが揃っていた。
これはこれで楽しかったし、どの家も所有物が今より少なかった時代だ。

しかし、さすが日本製のタオル、なかなかボロにならない!
サンダーのシャンプータオルや雑巾にまわしたりと、徐々に格下げさせて、
数年前にやっと、日常使いのフェイスタオルを統一して買えるようになったのだ。

タオルを統一すること、これが思った以上に良かった。
同じ銘柄のタオルだから洗濯の渇く速さも同じ、
厚みも同じだから収納に悩むこともなくなっているし、
使用感も一緒だから、どれにしようか迷うこともない。
あら快適。なんて心地いいのかしら。気分もいいな。
そうか、こういう小さなことも馬鹿にできないんだな、と思うのでした。

ありがとさん

ひょんなことから朝から片付け。
我が家では物を処分することを、「ありがとさんする」と言う。
このシーツ、ありがとさんする?
そうね、ありがとさんしようか。次のリサイクルに出すね、なんてね。

なので、片付ける作業は「ありがとさん」の連発になる。
古くなったもの、使えなくなった物、使わなくなった物に、
今まで役にたってくれて、楽しませてくれて、ありがとう。

幼い頃にもらったプレゼントは、もう持ってはいないのだけれども、
その想い出はいつまでも消えないでいる。

The Three Wise Men – Thanks For Christmas YouTube

知らないうちにたまってる「選択疲れ・決断疲れ」を減らすには

私たちは、毎日たくさんの選択と決断をしている。
大統領でも、庶民の私でも、日々同じ数ほどの選択と決断をしているという。
国や世界を左右するような重要事項と、
今日はどの服を着ようかなー、なんてことは、
脳の疲労度でいったら「おんなじ」なのだそう。

さて、取るに足りないことに、選択疲れや決断疲れをしていないだろうか?
机の引出を開けたらいろんなボールペンがいっぱいあって、
これはインクがない、こっちは書き味悪い、景品から使うか…
こんなことでも、脳は選択と決断の一つにカウントするのだ。
この調子でいったら、午後にも脳は疲れがたまって、
選ぶのが面倒になって、目にした物を衝動買をしたり、
普段なら選ばないようなことを、間違って決断してしまったり、
選ぶことも決めることも、ままならなくなったりもする。
…大統領だったら、これは困ったことになるなぁ。

仕事や子育て、勉強や趣味、創作やライフワークなど、
いま自分にとって重要だと思うことにエネルギーを注ぎたい。
大事な場面で、よりよい選択と決断をしたい。
自由な発想や、深い洞察をするために。
そんな人が始めているのが、お気に入りを決めて使うこと。定番化だ。

オバマは大統領の時、紺色のスーツがトレードマークだった。
スティーブ・ジョブズは、イッセイ・ミヤケの黒に近い濃紺のTシャツに、
リーバイス501とニューバランス993のスニーカーがお決まりだったのは有名な話。

ここまで究極に服を定番化をしなくても、なにも服に限ったことでもなくて、
いま持っている物を減らすことでも、脳の疲労度は違ってくるのでした。

その買い物の本当の目的を考えてみる

人は、用事はないけど一人になりに行く。
一人になりに行くというのが用事なのかもしれないけれど、
どんなに社交的な人や淋しがり屋さんだって、
一人になりに行く時間はあるものだ。

「ちょっとそこまで」なんて言って、フラリと出たりドライブしたり、
「一服してくる」なんて言って、喫茶店いったりタバコをプカリとしたりする。
家や会社に帰る前に寄り道したりね。

しかし、「ちょっとそこまで」の「ちょっと」はちょっとじゃ済まないわけで、
ついでに本やCDやスニーカーなんかを買っていたワタシ。
買い物の目的は、「一人になりに行くこと」だったかも!と気づいたら、
それからは不純じゃなくて純粋なる買い物をするようになって、
すると部屋に物が増えなくなったのでした。
(今はただ一人になりに、サンダーと出かけることもできるよ)

そのときめきは、ときめきなのか

こんなワードローブ、こんな毎日にしたくて片付けは続いている。
無雑作にパッと手にした服を着ても様になって、
そのまま出かけることができて、心地よくその日を穏やかに過ごす。

なぜなら、その反対だったからねー。
毎日なにを着るのか悩んで、そのわりに気に入らなくて、
なんだか落ち着かない一日を過ごすこともあった。

まず、選ぶのに悩むほど服をたくさん持っていた。
暗闇でパッと手にした服を着たら、とんでもないことになる確率が高かった。
なぜなら私は柄物が好きだったのだ。シャツはチェックかボーダー。
ボトムに柄パンツもあったし、スニーカーは珍しい色柄をコレクションしていた。

目が悪くなって、あるグッズを買おうか考えたことがあった。
便利グッズに色を音声でおしえてくれるマシンがある。
服に当てると色を判別して「青デス」なんておしゃべりしてくれるのだけど、
チェック柄のシャツなら、当てるところによって青だったり白だったりする。

そうまでして柄物を着たい? 心の声はノー。
そもそも洋服を「ときめく」で選ぶと柄物ばかりになっていたのだけれども
そのときめきは、ときめきだったのか今にして思うと少々あやしい。
単純に柄物って、目に入る情報量や刺激が多いからね、
その刺激によるドキドキが「ときめいてる!→好き」になっていたような。

そんなわけで、柄物は厳選して少なくなり、服の量も減った。
すると「おー!いいじゃん!」なのでした。(これが、ときめきかも!)

注文の多い洋服選び

洋服の片付けをしながら、私は心に誓った。
次から買う服は、じっくり選ぼう…。

毎日のことだもの、自分が心地よくなる服がいい。
…いや、それじゃあボンヤリしすぎてるか。
じゃあ、自分が心地よくなる服って?
自分にインタビューして、時空にリクエストしてみる。

まず家の雰囲気は、静かなカフェのようにしたい。
白を基調にして、ウッディで素朴なボートハウス風がいいな。
家にいる時間も長いから、部屋の景色に自然と溶けこむような服、
アイボリー色のサンダーと並んで馴染む色がいいな。

それに、お肌が敏感なお年頃だから天然の素材を選びたい。
洗濯担当のアタシとしては、洗濯が難しくない素材がいい。
リラックスした着心地で、しかもほどよくフィットして動きやすく、
流行はちょっぴり気になるし、変わらない良さも素敵なこと。
着ていてうれしくて、くつろげる服。
そうだ、私はくつろぎたいのだ!

…ところで、そんな服あるのかね?
それが、あったのだ。リクエストがぜんぶ適う服が。
去年の春に友人が教えてくれたのが、
仏デザイナーのルメール氏とユニクロがコラボしたコレクションだった。

同じ服でもこうも違うの? 私は驚いてしまった。
おしゃれや洋服に詳しくない私でも、着た瞬間で違うってことは分かる。
聞けばカッティングが素晴らしくて、絶妙なニュアンスカラーが素敵なんだとか。
デザインってすごい!

「インタビュー」と「リクエスト」って、してみるものだ。
そして、私はくつろぎたかったのね。

片付けで自分の変化に気付いたりもして

大掃除は既に済ませている私が、
年末は何をして過ごすのかというと、
普段の掃除はもちろんのこと、お片付けなのでした。
しかし、片付けは年中のようにやっているので、
特別に年末だからという感じでもないのだけれど。

ただ、一年という区切りで、
この一年、これは使ってなかったなーとか、
いや、一年どころか何年も使ってないぞ、なんて。
これは捨てるかと、最大の捨て時が年末(あるいは年度末)。

そして、去年末に捨てるに迷って、とりあえず残した物でも、
今になっては、「なんで残しておいたんだろ?」と、
恒例の「一年保留しても結局は捨てる」なのでした。

なので、年末の片付けは自分で自分に驚くことが多い。
それだけ一年という時間は、人に変化をもたらすということなのだけど。

年末の大掃除はしません

以前の私は「年末大掃除派」だったのだけれども、
あるとき気がついたのでした。
なにも年末じゃなくても、気候のよろしい時期に、
のんびり小分けしてやればいいじゃない?

夏は網戸を洗いながら水浴びして、
晴れた秋空にカーテンを干して、
気持ちのいい陽射しと風の日は、窓と窓枠を拭いて…。
あら、爽快で楽しいではないですか。
しかも、冬以外の季節の方が、汚れも落ちやすいような。
(ただし、冷蔵庫内の掃除は、寒い冬がいいです。
庫内の冷蔵品を出しても溶けにくいので)
年末以外にちょこまか掃除するという人が増えているそうですが、
これは楽チン、なるほど納得の実感なのでした。

まとめて一気に、しかも完璧にとは、そりゃ腰も気も重くもなろうもの。
以前の私は、こんな感じだったなぁ。
お陰様で、そんな体力も視力もなくなったので、
今やチョコチョココツコツ主義。
この変わりよう、老化やハンデも悪くないなと思うのでした。

「フランス人は10着しか服を持たない」/「服を買うなら、捨てなさい」

どちらもベストセラーでロングセラーの本。
遅ればせながら、サピエ(音声図書)で読む。
そして、ただいま服をお片付け中である。

二冊に共通する内容はいくつかある。
たとえば、「お洒落な人は服が少ない」。
自分は何が好きで、何が似合うのか知っているので、
しっくりこない物は持とうと思わないから。

そこで服の整理を始めたのだけど、
誰ですか、あんまり服を持っていないってブログに書いたのは。
保管場所が分散しているから分からないけど、随分多いじゃないか。
これは認識違いだったなぁ。

そしてもう一つ気がついたことは、
気に入った服ほど着ていないこと。
まるで一軍を温存するために二軍を使うような、
もったいないから着るのは先延ばしというのか。
次第に「いま着たい」気持ちは薄れ、体型は変わり、
やがて服はさほど着ることなく寿命を迎えるのだった。
あれ?もったいないのはどっちなのかしら?
これって「いまを生きていない」感じがするなぁ…。

ここまで書いて思いだしたことがある。
二十代に校正の仕事をしていたときのことだ。
「いつも同じ服着てる」と同僚に言われたことがあった。
私は気に入った服を、週二回三回はを着ていたのだ。

この一言が原因だったのかは分からないけれど、
その後は服のバリエーションを気にするようになり、
かくして、お気に入りほど着る頻度が減っていった。
そして、お洒落に自信がなくなって、
どんどん服や靴ばかりが増え、
増えたというのに、お洒落とは遠ざかっていったのだった。

いま思えばなんてことない一言だけれど、
ひそかに「お洒落好敵手」と思っていた相手だけに、
余計にこたえてしまったのかも。
そして、あの頃はDCブランドブームを経て、
「お洒落な人は服をたくさん持っている」という風潮が始まった時代だったのだ。

…わぁ、そうだ、そうだったなぁ。
よかった。思いだせて。
なんだか気が楽になった感じ。

二冊の本に共通して書いてあることだけれど、
ミニマムなワードローブ、ミニマムな暮らしを目指すことは、
自分は何が好きで、何がしっくりくるのか見つめる作業だ。
よく言われることで、私も実感することだけれど、
お片付けはとてもパワフルな、「いまを生きる」レッスンだ。

ちなみに、フランスの一般的なクローゼットのサイズは、
幅が1メートル満たないのだとか。
私の部屋の作りつけのクローゼットと同じサイズではないですか。
引っ越した時、あまりのクローゼットのコンパクトさに途方に暮れたけど、
今では「なんてラッキー!」と喜んでいる。
このサイズのクローゼットに納まるほどの、
「一シーズンに10着」を目指してチャレンジだ。
ちなみに、上着類・下着や靴下・靴・バックなどはカウントしないそう。
この数、「実際にそうなのかも」というリアルさと、
「これならできるかも」という目安が感じられるのだった。

・「フランス人は10着しか服を持たない」
ジェニファー・L・スコット ・著/大和書房

・「服を買うなら、捨てなさい」
地曳 いく子・著/宝島社

お片付けと脳年代

お片付け仲間の友人と話していて、
ああ、そうだなぁと思ったことがある。
「物と空間、
どちらにより価値を置くかで、違ってくるね。」

物を大切にしていると物が減らないけれど、
空間を大切にするようになったら、物が減ってきたよね、
これは私も実感するところ。
どちらにフォーカスするのかで、物の量は随分と変わってくる。

20代、30代だった頃の私は、
物がたくさん並んでいることに喜びを感じていたけれど、
40代の今は、空間って贅沢だなぁ、と思う。
価値観がまるで変わってしまったことに自分でも驚く。
なにせ愛読誌はモノ・マガジンだったのだ。

この私の価値観の変化、脳の年代変化かもしれない。
脳研究の黒川伊保子さんによると、
10代、20代は、なんでも吸収・インプットする脳で、
30代からは、そのインプットしたものを取捨選択し始める脳に。
40代になると、本質に興味を持つ脳になるそうだ。
…なるほど。
これは私のお片付けの道のりとピッタリくるなぁ。

ちなみに、50代半ばの脳は、
本質の答えや、人の資質など、
本質的な事を見抜く力がピークになるという。
老化によって、脳が「手抜き」するようになるからで、
経験から必要ないデータは折り畳み、
本質へとまっしぐら、ということらしい。

…いいな。
そうなりたい。なれるようにしたいな。
自分が老化していくのを嫌だなー、と思っていたけれど、
ちょっといいかもと思える、
自分の誕生月が終わる今日なのでした。