「君は弥生人か縄文人か 梅原日本学講義」梅原猛・中上健次/著

梅原 猛さんが亡くなった。
私がうんと若かった頃、旅のお供の本は、
梅原先生の「君は弥生人か縄文人か」と、
「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」だった。
旅の行き先は、東北。沖縄。そして紀州。
縄文の名残を探しに、である。

「君は弥生人か縄文人か」はとにかく大好きで、
私はすっかり縄文人と縄文文化に魅せられてしまったのだ。
この本は、梅原先生と故・中上健次さんの対談をまとめたもので、
二人の対談中の写真の表情が本当に楽しそうだったのだ。
縄文を語ると、なにやら元気になるのではと、私は直感したのだが、
読み終えると、本当に元気になっていたのだった。

縄文時代は弥生時代よりも劣っていた、と教えられてきたが、
果たして本当だろうか?
文明や文化の度合いは、
高層ビルがいっぱい建っているとか、
領地がたくさんあるとか、
武器をいっぱい持っているとかじゃなくて、
自然を大事にするとか、
必要以上は欲張って持たないとか、
「見えない力」を感じ取る感受性なのではないか?
この対談本の初版は80年代、
日本はイケイケドンドンのバブル期だった。
だからこそ、この本のタイトルの、
「君は弥生人か縄文人か」は、とても大きな問いかけだった。

私は、自分のルーツが縄文人だったらいいなあ、
いや、先進的で高度な縄文分化が最盛期を迎えた地、
かつて日本分化の中心だった東北の出身なわけで、
だから、自分は縄文系に違いないわ~、なんて思ったのだけれど、
この本が言いたいのは、君のルーツがどっちか?じゃない。
そもそも、日本人は弥生と縄文、他にも様々な人種が混血しているのだ。

梅原先生は言う。
弥生人の技術に、縄文人の魂を持ち合わせよ、と。
ルーツが縄文人であろうとなかろうと、
「縄文人的」に生きることはできるはずなのだ。

・「君は弥生人か縄文人か 梅原日本学講義」
梅原 猛・中上健次/集英社文庫

・「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る」
梅原 猛・著/集英社文庫

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