「恐怖に支配されると一番危ないところに追いやられる」 マドモアゼル・愛YouTube

恐怖に支配されると一番危ないところに追いやられる – YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=InWSATaPv4I

愛先生による動画概要
私たちが教わることの多くは、自然が与える可能性の大きさよりも、恐怖の大きさについてです。

学校や両親と、また親友や兄弟姉妹たちと、私たちは意見が異なる争いにまで発展することがあります。争いの内容は様々ですが、その根底にあるのは、自分として生きたい思いVS恐怖の防衛との争いのように見受けられます。

そんな生き方をしていたら将来どうなるの、、、こんな学校しか入れなかったら将来はないわよ、、、いつまで結婚しないつもりなの、、、なんでこんなに安定している会社を辞めるの、、、、こうした日常どこにでもあるような争いは、大体はふたつの理由によるものです。

安定を望む、、、と言えば聞こえはいいかもしれませんが、要するに不安に耐えきれないということが一つの理由。

一方の自分の生き方を通すには、不安を克服しなければならない、きわめて大げさな構造がこの世にはあります。安全な生き方を求める両親、夫、妻、兄弟姉妹、親友、周囲、は、自由に生きようとする人に立ちはだかります。

その争いは一般的でどこにでもあるように見られるものの、深刻な亀裂まで生み出します。生き方の違いから、親両親と離れ、親友を失い、兄弟姉妹との断絶にまで及ぶことは決して珍しくありません。

どう生きようが個人の自由だと思うものの、世間一般は意外にそうではなく、執拗に安全を押し付けようとします。自分が自分をあきらめて生きている人の群れは、個人的に生きようとする人が許せなくなるのでしょう。許してしまうと、自分をふがいなく感じてしまうので、どこまでも人の生き方にこだわるのかもしれません。

では、周囲の体制に身と心を捧げば、本当に自分や家族を守れるのでしょうか。そうでないところに時代は来ているように思います。

恐怖に従って皆と同じ道に進めば、激しい競争から抜けられず、勝者はわずかという人生を送ることになります。まして、皆と同じ選択によって命すら守れないような状況が生じる可能性すらある時代でもあります。

恐怖を刺激され、その防衛のために自分の人生を明け渡すことは、今となってはもっとも危険な生き方にすら思えます。しかし、周囲は両親はそれを進めるのです。この問題から目を背けて生きていくことに問題はないでしょうか。

本日は春分です。あの世とこの世、見えない世界と現実世界の接点に当たる日、何が本質なのかについて、それぞれ考えるのにふさわしい日となっています。

#12時06分春分#恐怖支配は悪の手法#孤独を覚悟すると人が集まる

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