カテゴリー別アーカイブ: アイメイト(盲導犬)と暮らす

アイメイトといつでもどこへでも 盲人の社会参加に尽力 佐藤 憲さん死去

アイメイト使用者の大大先輩の、
佐藤 憲さんがお亡くなりになりました。

私はアイメイトと電車やバスに乗ったり、
アイメイトを連れてホテルやレストランに入ることができます。
しかし、そんな当たり前に思えることは、
ほんの数十年前の日本では、全く当たり前のことではありませんでした。

こうして私とアイメイトが、好きな時に行きたいところへ行けるのも、
佐藤さんが奥様とともに尽力されてきたおかげなのです。
佐藤さんの行政に対する尽力がなければ、
現在のように公共交通機関を
盲導犬同行で利用できる環境になっていなかったかも知れません。

以下は、佐藤さんのインタビュー記事です。
アイメイト協会サイトからの転載になります。
(ご冥福をお祈りいたします。)

****ここから

アイメイト60年史・証言③ 
佐藤 憲さん
(アイメイトの社会参加に尽力 )

佐藤憲さんは、大ベテランの使用者です。
1頭目の『アニタ』とペアになったのは
40数年前の1970年のことです。

その当時は、アイメイトといえども、
電車やバス、飲食店やホテルでも
”犬はお断り”と言われることがほとんどでした。

そんな時代に、
アイメイトといつでもどこへでも自由に出かけられるように
先陣を切って社会に働きかけたのが佐藤さんです。
地元の石川県でバス乗車を実現した後、
上京して個別の交渉から、
業界団体や国会議員を通じた働きかけを積極的に行いました。

さらに、佐藤さんに続いて多くの使用者や支援者が啓発活動の輪を広げた結果、
現在では、アイメイトと一緒に公共交通機関を利用して外出したり、
買い物や外食、旅行を楽しむことが当たり前になってきたのです。

しかし、今も入店拒否は珍しいことではありません。
先駆者の佐藤さんの言葉には、
今の時代にも通じる教訓が込められています。

【盲人と犬に対する差別が根強い時代に】』

私がアイメイトを持とうと思ったのは、
「犬なんて冗談じゃねえや」と方々で言われるような時代。
皆が嫌がる犬を連れて、
図書館でもホテルでもどこへでも入って歩くということを、
誰も考えなかったですよ。
私自身も「犬なんかに命を預けられるかなあ。
まあいいや、ペットとして面白いや」
なんて、とりあえず
塩屋賢一さん(アイメイト協会創設者、日本の盲導犬育成のパイオニア)
に会うだけ会ってみようというくらいの気持ちで上京したんです。

それで練馬の訓練所で塩屋さんと話をしているうちに意気投合。
そのまま歩行指導を受けたわけです。
昭和45年の8月。暑い夏でした。
練馬大根の畑の縁をね、とっとことっとこ歩いていると、
すれ違う人たちから「犬が来たあ」と怖がられたり、
「めくらが犬で歩くなんて冗談じゃねえや。歩けるわけねえや」
なんて声も聞こえてきました。

【妻の熱意がきっかけに】

4週間の歩行指導が終って、石川県の自宅にアニタと一緒に帰りました。
通勤に使いたい、
地域の活動や旅行にも一緒に行きたい。
でも、いざ動こうとすると全然使いものにならんのです。
犬と一緒では、バスは乗せない汽車は乗せない、
タクシーは乗せない。これは困ったなあと。
一方、家内はアニタに本当によく愛情を注いでくれました。
「犬っていいなあ」と言ってね。

そのうちに、石川県にもう一人使用者が誕生しました。
その人もやっぱり、バスに乗せてもらえなかった。
雨の日も歩いて職場に通うほかなかったんです。

そうしたら、家内が
「あの犬雨でベッタベタになって歩いとる。かわいそうに」って、
本人よりも犬を哀れんでね。
「この犬のためにもぜひ乗せてやって」と家内がバス会社に交渉に行きました。
担当者は話を聞く前から「だめだだめだだめだ」と。
「ダメでもいいからなんとかしてやってほしい。
障害者を助けるつもりで。仕事に行けなければ食べていけないんです」
と今度は泣き落し。
そうしたら最終的には
バス会社が運転手一人ひとりと交渉して乗せてくれるようになった。
家内は「やっと一ついいことができた」と喜んでいましたよ。

【アニタと一緒に説明して回る】

そうやって家内が一生懸命になるもんですから、私もやらざるを得ない。
アニタと上京して運輸省(当時)や
日本観光連盟、レストラン協会、そしてホテルなどを個別に回った。
「これは私の目だから」と、アニタが私の指示に従う様子を見せながら、
乗車や入店の交渉を一つひとつやっていきました。

あるホテルでは、
「うちはいいホテルじゃないので、
あなた方のお世話をしてあげられない。ダメだ」と言われてね。
それで私は
「何か事件が起きた時には、
夜中でも自分で対処するからいっぺん泊めてみなさい」と言い返しました。
「じゃあ泊まってみますか」ということになって、
次の日には
「ああ、食事も問題ないし、おしっこも大丈夫。
いやあたいしたもんだ」と。
それからは、そこをよく利用するようになりました。

国会議員の力も借りました。
同郷の奥田敬和衆議院議員に事情を説明したら
「なんとかしたいなあ」と言ってくれて、
運輸大臣になった時に当時の国鉄、飛行機、バスの自由乗車や
最初は装着が義務付けられていた口輪の撤廃に力を注いでくれました。
やがて後援会活動も活発になって、
多くの方の力が結集されていきました。
長年にわたるそういう積み重ねがあって、最終的には
「塩屋さんはアイメイトを作る人、佐藤は認めさせる人」と、こうなったんです。

【見えないことを意識しなくていい生活を】

目が不自由でも、杖も持たず、
人に頼らず、
自分の考えで行きたい所へ行きたい時間に行けるように、
私は後輩のためを思ってやってきたつもりです。
アイメイトを持つ人は、訓練してくださった犬を大事にしてほしい。
犬が言うことを聞かない時には、それなりの理由があります。
だから、犬を叩いたり、みっともない行動を取ったりしないようにしてほしい。
そして、見えないということを意識しなくていい生活を目指してください。

【自分はアイメイトを認めさせる人 佐藤 憲】

アイメイト55周年記念誌『視界を拓くパイオニア』(2012年発行)より

****転載おわり

ありがとう サンダー

歩くとよく、互いに足をふんじゃって、
ぎこちないダンスを踊るような私とサンダーだったのです。
そういえば、
互いに足をふまなくなったのは、いつの頃からだったのだろう?

私たちがペアになったのは、7年前の秋でした。
そして、この秋、サンダーが引退することになりました。
サンダーは病気もケガもなく、
無事に引退を迎えることができてホッとしています。

早い時期、まだまだ元気なうちに引退させよう
これは、私がサンダーにはじめて出会った時に、
心に誓ったことでした。

四六時中サンダーと一緒だったので、
離れ離れになるのは、とても悲しいですが、
離れていてもずっと一緒、という思いや、
虹の橋を渡ってまた会える、なんて確信のようなものもあったりします。

サンダーの引退と同時に、
二頭目のアイメイトとの訓練がはじまります。
また、互いに足をふんじゃうような、
ぎこちないダンスのはじまりなのでした。

カッコイイ人たち

迷子の5歳の女の子が保護されて、
無事に親と再会したというニュースを読む。

女の子を保護したのは女子中学生三人で、
部活の夜間練習に向かう途中に、路上で泣いている女の子を見つけたという。
夕暮れ時だ。
「どうしたの?」と、大泣きしている女の子に声をかけると、
「ママに置いてかれちゃった」とやっとのことで返事が返ってきた。
よくよく聴けば、どうやら買い物中に母親とはぐれたらしい。
三人は泣きじゃくる女の子をあやしながら交番に連れて行くと、
交番には母親がいた。
母親も探しまわったのだろう、交番で待っていたのだ。
…良かった良かった!
朝一番に読んだニュースだったこともあって
花粉のせいなのか分からないが目が潤む。

私は保護されるレベルの迷子にはなったことはなくて、
おチビだった頃の外出は、父といつも手をつないで歩いていたそうだ。
母によると、すこし成長してからの私は、
つかず離れず好きなところへアチコチ行っては戻って来る子だったらしい。
それでも、はぐれそうになる心細さは憶えている。

大人になって、親の心境も想像できるようになったこともあって、
迷子になった女の子の気持ちと、
探す母親の気持ちを想像して目と鼻の奥がツーンとなった。
この気持ち、私だけじゃなくて、かつて子どもだった大人はそうだろう。
実際にはぐれた経験はもちろん、心理的にもだけど、
はぐれた記憶のない子は、きっといない。

それから、無事に再開した場面を想像するだけで
私はもう、三人の娘っ子に、
この親子の家族でも親戚でもないのに感謝したい気持ちになった。
実際、お手柄の三人娘は感謝状を贈られたのだけれども、
「当たり前のことをしただけ」と、口を揃えて言ったのだ。
いやー、なかなかできることじゃないよ?
こんな時、遅刻したとしても、
「それは、いいことしたね」とほめてあげてほしいな。

私はサンダーと歩いていて、
親切にしてもらったり助けてもらったりすることがあるのだけれど、
お礼を言うと「当たり前のことをしただけ」と言う人は多い。
「だって、困ったときはお互い様だもの」と言うひともいた。

とっさの時に小さな親切ができる人の、なんとカッコイイことか。
私は講師をしている体験学習で、
街で出会ったカッコイイ人たちの話も必ずするようにしている。
そして、カッコイイ人って、
心細かったことも、困ったときに親切にされて嬉しかったことも
知っているからこそカッコよくなれるんだろうなと思うのでした。

備忘録・懐中電灯のメンテ/互いに想像しなくちゃ

家の懐中電灯を買い替え。
田舎に住んでいたし、キャンプで使っていたので、
懐中電灯の類は日常必需品だったけど、
今は都会住まいで夜も明るいし、
キャンプもしないし、懐中電灯の出番がなくなってしまった。

出番がないということは、メンテも忘れるということで、
ガスランタンやヘッドランプや水中ライトも含めて数はあったものの、
電池の液漏れで壊れていたり、錆てしまったり、豆球が切れたりして、
ほとんどが使い物にならなくなっていた。

私は中途失明の全盲なので、懐中電灯は要らないと言えば要らない。
いや、あっても使わないアイテムなので、
この際、もう無くてもいいやと思っていたのだけれど、
よくよく考えたら(考えなくてもだけど)、
家族や家に来た人とか、自分以外の人には必要なものなのよね。

目の見えない人を想像しましょう、と言うけれど、
目の見えない人も、目の見える人のことは忘れがちになるんだな。
もし、夜に停電したら?
健常者の人には、急な真っ暗闇は大変だろう。

先日、家の置き時計が電池切れになっていた。
一般的なアナログ時計で、
これも、ついついメンテを忘れてしまうアイテムなのだけれど、
そういえば懐中電灯はどうなってるのかしら?ってことになって、
懐中電灯を買い換えしないといけないことが分かったのだ。

それで、この度、
部屋の数だけ懐中電灯と、
停電すると自動で灯りがつくという、壁のコンセントに差し込む保安灯も買った。
今の懐中電灯の豆球はlИDなんだなぁ!
普段よく使う単三電池仕様にしたけれど、
軽いし、まずまずの明るさのようだ。
しかも、電池も長持ちになってる!
(メンテは忘れずに)

しぼんだり ふくらんだり

大通りの交差点でのこと。
信号待ちで男の人に声をかけられたのだけれど、
どうにも言葉が聞き取れない。
こういう時は、目が見えてないと困ってしまう。

その人の口調と、
何かを繰り返して言っている様子から、
私は(からまれちゃった)と思って、
「すみません…」と言い、
信号が早く変わるのを祈りながら、
下を向いてサンダーと立っていた。

空気のしぼんだ風船みたいにションボリしていたら、
次の瞬間に言葉を聞きとれた。
振り絞ってやっとな音で、
「わ・た・れ・ま・す・よ」と。
その人は私に、
信号が変わったことを教えてくれたのだ。

アッ!と、
自分の早とちりに気づいて、
何度も「ありがとうございます!」と、
お礼を言って道を渡った。
なんだ、いい人だったじゃないか。
しぼんだ風船は急に元に戻る。

しばらく歩いていて気づく。
発声の機能に難しさがある人だったんだ。
さっきは「まだ渡れません」的なことを言ってくれてたのかな?
聞き取れなかった口調は、
発声や呼吸の問題からなのかもしれないし
しつこく思えたのは、
私が聞こえてない(聞き取れてない)のを見てのことだったのだろうか。
新美南吉の「ごん狐」の、
ごんに謝る兵十のような気持ちになって、
シュンと下を向いてしまう。

おそらく、あの人、
発声が難しい故に、誤解されたりしちゃってるんだろうな。
というか、私、誤解しちゃってたし…。
さらにシュンとなる。

もちろん、私の臆測でしかなくて、
確かなことは、その人にしか分からないし、
思い込みと実際は、
かように食い違うもの。
確かなことは、
声をかけられて聞取れなかったけど、
最終的には聞き取れた」ということだけ。

しかし、
声が出しにくくても、
たとえ誤解されちゃいそうでも、
その人は声をかけてくれたんだと思うと、
ありがたさで一杯になって、
プウウと、
しぼんでいた私の心は、また膨らんだのでした。
(感謝は、まるで魔法)

「入店お断り」に思う事

盲導犬を育成するアイメイト協会(東京練馬)によると、
現在アイメイトを使っている235名を対象に、アンケートを実施した結果、
回答のあった119名のうち、6割を超す人が、
昨年4月から今年2月までの期間、アイメイトを連れていることを理由に、
入店や施設の利用、乗車を拒否された経験があることが分かった。

私の場合だけれども、
入店等を拒否された経験は、今まで何度もある。
もちろん、入店できた店は、それ以上に沢山ある。
行きつけのマッサージ屋や美容室、飲食店には、
もう6年になるだろうか、サンダー同伴で通っている。

じゃあ、私が安心して利用するケースは?と言うと、
いくつか特徴があるような。
まず、有名だったり、公共性の高い施設。
(たとえば、帝国ホテルや神戸ポートピアホテル)
それから、外資系の店。
(たとえば、コストコやイケア)
また、大手のチェーン。
(たとえば、マクドナルドやモスバーガー、ミスタードーナツなど)
ズバリ分かりやすいのは、盲導犬の募金箱が置いてある店。

もちろん、有名じゃなくても、外資じゃなくても、
それに、大手でなくて、募金箱がなくたって、安心して入れる目安はある。
個人経営なら、「地域の人に愛されている」店だ。

サンダー同伴の入店を拒否されてしまった店が、
その後に、閉店や撤退が続いたことがあった。
これは単なる偶然なのだけれど、
店に客の気配はなく、入店を酷い口調で断られたことを思うと、
単なる偶然なのかどうか分からなくなる。

余談だけれど、
県外の協会の盲導犬なので、愛知県の補助が受けられなかった私は、
サンダーの育成支援を高野山にサポートしていただいたのだけれども、
アイメイト協会によると、モスバーガーの選択もあったとか。
もしかすると、サンダーの正式名は、
「モスバーガー・サンダー号」になったかもしれないのだ。

こういう社会活動を、「売名だ」と言う人がいたけれど、
愛されている店や企業には、理由があるんじゃないかな、
そう私は思うのでした。

三太かい?

5年ほど前になるだろうか、
サンダーと地下鉄に乗っていたら、隣の席のおばあさんに声をかけられた。
奄美か九州の訛りの、穏やかな可愛いらしい声だ。

どこまで行きなさるのかね?
はぁ、そうかね、お気をつけて。
…ところで、この犬の名前は何ていうのかね?
サンダーです、と私が答えると、
おばあさんは、ほぉ、三太かい?と言った。
知り合いと同じ名前だとも。

か、かわいい…。
間違ってるんだけど、もぉなんか全て可愛くて、
おばあさんとサヨナラするまで、アタシはサンダーを三太と呼んだ。

オットリサン

ラブラドールレトリバーは、ハイパーなタイプとオットリなタイプがあるという。
前に読んだ犬の事典のような本に、そう書いてあった。
顔や目の表情が豊か、ラブラドールは無駄吠えも少ない犬種だとも。
へぇー、うちのサンダーは、間違いなくオットリなタイプなのだろうなぁ。

家で私が食事している時に、トコトコやってきて足元で眠ることがあるけれど、
ラタトゥイユのナスがサンダーの腹の上にボタと落ちても起きなかった。
私がナスを拾い、やっとワワワ!とサンダーは慌てて起きて、
降ってきた幸運を逃したことに気がついたくらいだ。
なんちゅうオットリさんなの!?

人間の食べもの、犬のオヤツの類も
今までサンダーは与えられたことがない。
サンダーが食べているのは、ドックフードと食後のビオフェルミンだけ。

これには理由があって、
拾い食いや盗み食いを覚えないように、
何か食べて腹を壊すことのないように、
メタボや虫歯にさせて、犬の健康を損なわないようになのだ。
おかげでサンダーは健やかさを保っている。

まいにち同じドックフードで、サンダーは満足なのだろうか?
と私は思ったこともあったけれど…。
イエーイ! ヒャッホー!
毎食、サンダーは喜びを全身で表してペロリ。
犬ゴハン前だけは、オットリサンもオットリ返上なのでした。

その後のルンバとサンダーは

お掃除ロボのルンバのルーツは地雷探査機なのだとか。
生活の道具として活躍する我が家のルンバちゃんに
ああ、平和なんだな~と思う。

ルンバにチョッピリぎこちない態度だったサンダーは、
いまやルンバにすっかり慣れた。
ルンバが何度も近づいてきてツンツンされても平気で眠っているサンダーの姿に、
こりゃ平和だなああ~、!!と、
しみじみ嬉しくありがたく思うのでした。

サンダーを見て一言

「四六時中アナタと一緒で幸せそう」と言われたことがあった。
誰かと一緒にいることが、この方の幸せなんだろうな。

「なんだかアナタのお子さんみたいですね」と言った方、
まわりの人を、子のように大事にされているのでしょう。

サンダーに向かって、
「ボクうれしいね、オカーサンの役にたてて」と言ったオバチャン、
誰かの役にたてることが、何よりの喜びなんだろうな。

もしかしてもしかして?
私はサンダーといる時、知らない人に声をかけてもらうことが多いのだけれども、
サンダーにご自身を重ねあわせているんだろうか??
いつもじゃないんだけど、
ふと、そんな思いがよぎる時があるのでした。