なぜ「互いの眼差しのなか」にいると元気になるのか/「覚醒のネットワーク」上田紀行・著

30年近く前になるだろうか、私が持ち歩いては読んでいた本。
物が多いと、幸せになるどころか不幸になっていくことを教えてくれた。
世間や誰かのせいにし続けると、自分がどんどん無力になる仕組みも知った。
いま思えば、私の暮らしや考えの原点になっている本かもしれない。

なかでも興味深いのが、スリランカのある伝統儀式の話。
出社拒否のサラリーマンのお父さんや、突如ふさぎこんでしまった若者など、
病院に行ったけどどうも…、という症状は、
スリランカでは、昔からこう考えられてきたという。
「人々の眼差しの中から外れてしまった人は、悪魔の視線に捕まってしまう」。

再び人々の眼差しの中に患者を戻す作業が、悪魔払いの儀式だ。
言葉の響きから恐ろしそうだけど、これが実に楽しそう!
この儀式は二部構成になっている。重要なのは一部よりも二部だ。

一部はシャーマンが患者をクタクタになるまで一晩じゅう踊らせる。
二部は、村中が総出の「かくし芸大会」なのだ。
患者を前に、替え歌あり、漫才ありの爆笑お楽しみ会で、
患者も村の人も大笑い。いつしか患者が人々を笑わせては皆が大喜びする。
こうして地域の人と互いに顔見知りになり、患者の症状は回復していく。

眼差しの中に入るということは、共同体の中に入るということ。
これは、なにも大げさなことじゃなくていい、と私は思っている。
近所の人とエレベーターで一緒になったなら「おはよう」と挨拶したり、
道行く知らない人と目が合ったなら、微笑んだり。
街で困っていそうな人に出くわしたら「どうしましたか?」と声をかけてみる。
他の誰かに眼差しを向けることは、誰かの為だけじゃない。
自ら眼差しの中に入っていくことで、自分も元気になるのでした。

「覚醒のネットワーク」上田紀行・著
カタツムリ社/1989年(現在は絶版)

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