第二次湾岸戦争や長良川河口堰問題の頃だったから、
今から30年ほど前になる。
当時の私は、宮沢賢治の命日に行われる賢治祭りに通っていた。
今はどうだか分からないけれど、
夜の祭りが終わった後は、晴れている日は祭りの広場で、
雨の日は賢治の弟さんの清六さんのお宅で、
居残り参加者による座談会が行われていた。
私は学校の居残り授業とか、
部活の居残り練習とか大嫌いなんだけど、
この座談会というか雑談会には参加するようにしていた。
だって、楽しかったから。
自分みたいな人がいっぱいいて、何しろ話が早い。
話が早いとは、マシンガントークじゃなくて、話が通じるってことね。
その座談会には、日本各地から、海外の参加者もいた。
自然農の農家さん、天然酵母のパン屋さん、
作家、アマチュア天文家、
音楽愛好家、鉱石好き、学生さん、学校の先生、
市民運動してるママさん、お医者さん、海外を旅するバックパッカー…。
職業も年代もバラバラなんだけど、
でも、賢治的な統一感が「やっぱりね」なのだった。
そこで、皆で話しているうちに、
え、あなたの分野でも「おかしなこと」が起きているの?となる。
だんだん、なんだか変なんだよね、という疑問に皆が包まれる。
なんで、こんなに農薬を使っているんだ?
どうして人の口に入れる食べ物に添加物がいっぱい入ってる?
国が安全だと言っていた成分で、なぜこんなに健康被害が出ている?
薬害がなくならないのはなぜ?
わざわざ環境破壊するなんてどうかしてるんじゃないか?
政府や役人、大企業とか、
どうして国民に不利なことばかりするんだろ??
もしかして、世の中のシステムは、悪意によって動いているのだろうか…。
当時の私は、化粧品と食品添加物の消費者運動と、
市民の会で公害や薬害問題、原子力問題とか、関西空港の埋め立て問題とかやっていて、
大いなる謎ばかりだったのだ。
迷宮に入ってしまいそうな、底なし感から、
市民運動は2年でやめてしまった。
仕事も忙しくなり、賢治祭りにも足が遠のいたのでした。
なので、私は語るほどのことは何もしてないんだけど、
あの日々がなかったら、コロナとワクチンに何の疑問も持たなかったかもしれないし、
いま水面下で起きていることにも気づかなかっただろう。
世界的な市民革命のムーブメントに集まっている人々から、
あの座談会の参加者に似た何かを感じる。
正しい情報を分け合い、自分たちの理想の世界をイメージする仲間たち。
なんだかなつかしい魂たちに再会してる気がするのでした。