禅の瞑想をすると、頭のなかの「理性のおしゃべり」が続かなくなります。
この「理性のおしゃべり」とは、どんなもので、なぜ続いてしまうのでしょうか?
あなたが仕事でミスをしたとします。
ミスをしたことは「現実」です。
では、この現実に、「だから」と意味づけと解釈をして、
次々と連想してみましょう。
※「仕事でミスをした」
だから私は無能な人間だ→
やっぱり私は成功できない→
父親譲りの失敗続き→
私はダメ人間だ→
だから生きる価値もない→
もう仕事は辞めるしかない→
辞めたら家族はどうなる?→
路頭に迷ってしまうはず→
そうなるとこれは不幸のどん底→
でも負けないで、がんばれ私→
でもまたミスをしてしまったら?→
やっぱり私はダメ人間→
…グルグルしてますね。
ちょっと大げさですが、こんなふうに思考は膨らんでループしがちです。
どこまでも続きそうで、どんどん現実と離れていきそう。
ギアが空回りで、手も足も出ない感覚。
この感覚をもたらす歪んだ考え方の癖を
心理学では「認知のゆがみ」といいます。
ときおりポジティブな面も顔を出しますが、振り子が戻ったということです。
なんだか疲れてしまいます。
そうなんです。
歪んだ考え方の癖はあなたからパワーを奪います。
現実に連想と意味付けと解釈をくっつけると、
頭も体も疲れてしまうんですね。
では、理性のおしゃべりを止めてみたらどうなるのでしょう?
続きはまた。