人は他人からエネルギーを受け取れる事が科学的に証明されるかも/「聖なる予言」のこと

ドイツ研究チームによると、
植物は、他の植物からエネルギーを受け取っていることが分かった。
緑藻クラミドモナスは、光合成によるエネルギー不足の際、
近隣の植物性セルロースからエネルギーを吸収して成長している事が判明した。
(2016年 学術誌「Nature」に発表)

私はこのニュースをさほど気にとめなかったのだけれども、
これは、とてつもない大発見らしい。
植物同志でエネルギー交換するのが分かったという事は、
いずれ人間と植物の間でも、
また、人間と人間の間、人間と動物の間で、
エネルギー交換していることも判明するだろう、という事なんですって。

つまり、
自然の中にいる時や、動物と過ごすと元気になること、
それに、人と過ごすと元気になるとか疲れてしまうなんてことさえも、
そう遠くない未来に、科学的に証明されるかも、ということなのだ。

おー!それはすごい!
世界的なベストセラーで、冒険小説仕立てのスピリチュアル書、
「聖なる予言」ジェームズ・レッドフィールド・著 山川紘矢+山川亜希子・訳
に書かれている内容が科学的に証明されるの?と思うと私はワクワクする。

「「「聖なる予言」に、エネルギーについて取り上げている内容はと言うと、
人は植物からエネルギーを受け取っていること、
人は他人とエネルギーを与え合えもするし、奪い合いもすること、
(当ブログ「コントロールドラマ」をご参照下さい)
そして、人は自然や宇宙からエネルギーを受け取ることができることも。
わー、証明されるのいまから楽しみだな~。

「聖なる予言」は1994年(アメリカはもっと前)の出版だから、
もう、25年前の本になる。
私は当時、「聖なる予言」の内容に沿ったレッスンガイドブックである、
「聖なる予言 実践ガイド」(角川書店)まで買ったのに、
私の理解力も意識の段階も追いついていなかったのか、チンプンカンプン…。
というか、
読もうと手に取るも、なぜか読み進めることさえできなかったのだ。
「聖なる予言」は、その人のベストタイミングでしか出会えない本として有名で、
私は5年前にようやくその時が来たのだろう、
読むのは盲人用音声図書になってしまったけど、20年越しの感動が。
科学も私もようやく「聖なる予言」に追いついた、ということなのでした。
(今こそ読むべき本)

・「聖なる予言」
ジェームズ・レッドフィールド・著
山川紘矢 山川亜希子・訳
角川文庫

・「聖なる予言 実践ガイド」
ジェームズ・レッドフィールド
キャロル・アドリエンヌ
角川書店(現在は絶版)

たったの5分、自然が気分を良くする/そういうふうにできている

自然はいい。
…と分かってはいるけど、
自然の中に行くなんて、時間も労力もかかるし…。
そんな人には朗報かもしれない。

カナダの研究によると、
5分、自然に身を置くと、
人の気分は良くなることが分かった。
・出典(英文)

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/17439760.2018.1557242?journalCod

e=rpos20&

研究チームによると、
5分でも、それ以上の15分でも、
気分が良くなる効果は変わらなかったという。
しかも、気分を良くしてくれる自然は、
たとえば、近所の公園の木々や、並木道、庭先の植物など、
「ほんのささやかな自然」でも良いそう。
小さな公園のベンチに座って5分、
それだけでも気分を上向きにするには有効だったのだ。

…へーぇ。
そういえば私、並木道を歩くだけでも気分は晴れてる。
しかも、たったの5分でいいなんて、ハードルが低くていいね。
「1時間歩く」と思うより、
「5分歩く」と思う方が気が楽だし、始めやすい。
5分やったところで「じゃ、もすこしやろう」なんて、
散歩でも掃除でも宿題でも、よくある話だ。
「やりはじめるとヤル気が出てくる」という、作業興奮が脳にはある。
人間は、そういうふうにできている。

話を戻そう。
面白いのは、たとえ屋外へ出られなくても、身近に緑がない時も、
自然を想いだしたり、イメージするだけでも同様に、
気分が上向きになることが分かったのだ。
イメージの力ってすごい。
人間は、そういうふうにできているのだ。

自然が人間に及ぼす影響は計り知れないものがあるのだけれど、
謎解きをする研究が追い付いていないのが現状のようだ。
自然も、人間も、
「そういうふうにできている」ことしか分からない存在なのだった。
(なんて素敵)

「センス・オブ・ワンダー」レイチェル・カーソン著

大自然の中へ飛び込んだ人は、
その後の人生が変わってしまうことがある。
サーファーやダイバーやカヌーイストだったり、
登山者やハイカーやキャンパーが、
大自然のなかにいる時に抱く想いが、人を変容させるのだろう。

自然は時に荒々しい。
海は暴風は吹き大波は立つし、
山なら激流に切り立った崖もある。
テントから出ると降ってくるような満点の星、
はてしない荒野、
潜ると濃くなっていくグランブルーの前では、
ただただ圧倒されて、私は身ぶるいした。

この身ぶるいするような感覚は、
「センス・オブ・ワンダー」と呼ばれる、自然への畏敬の念だ。
驚きに満ちて、神秘的で、
どこか清々しくて、ピシっと背筋が伸びる感じ。

この、大自然への畏敬の念が、
人の心身の健康を一変させることが、最近の脳科学の研究で分かってきた。
トラウマや、人工的な刺激過多等による脳のストレスを取り除き、
本来のイキイキとした五感を取り戻すというのだ。

そういえば、私は若い頃、
一時的に離人症のような症状になったことがあった。
膜越しに世界を見ているようで、何を聞いても触っても現実感がない。
沖縄で言うところの「マブイが落ちた」だ。マブイとは、「たましい」のことね。
そんな私を再生してくれたのは、海であり山だったと思う。
白黒テレビがカラーになるように、
私の世界や五感はイキイキとしたものに変わっていった。
今は街暮らしなのだけれど、
公園の木々のざわめきや、
遊歩道の花壇の花の香り、
聴こえてくる小鳥のさえずりから、自然を感じては楽しんでいる。

さて。前書きが長くなった。
名著「沈黙の春」のカーソン女史の遺作である本書は、
本当に美しい贈り物のような一冊だ。
亡くなった姪の子である、幼いロジャーとともに森や海岸を散策するカーソンの、
自然の描写が詩のように美しい。
自然を前にしたロジャーの驚いたり喜んだりする様子は、
私たちが忘れている「センス・オブ・ワンダー」そのものだ。
「本当に美しいものは目に見えない」と、星の王子様は言ったけれど、
本当に美しいものは、美しさをみつける心だと、カーソンは教えてくれる。

・「センス・オブ・ワンダー」
レイチェル・カーソン著/新潮社

*再掲・加筆あり*「共感疲れ」を考えてみる

(2017年の記事を加筆し再掲します)

***ここから
東日本大震災から「共感疲れ」が知られるようになった。
自分が直接に被災したのではないのに、
被災された方の痛みや悲しみを自分のことのように感じて、
心や身体に不調がでる現象だ。

長いあいだ、共感する感性が大切にされてきた日本の社会では、
「感じる能力」が備わっている人も多く、共感疲れをおこしやすいという。
(ちなみに、共感力が要る職業のひとつであるカウンセラーやセラピストは、
この共感疲れを防ぐ技術を身につけます)

毎日のように、事件や災害の映像を目にする社会に生きている私たち。
自分の心のなかに「幼い子」がいることをイメージしてほしい。
私たちが映像を見て平気でも、心のなかの幼い子はどうだろうか?
幼い子は「今おきていること」と「過去おきたこと」は区別できるだろうか?
また、「ここでおきたこと」と「遠くでおきたこと」の区別は?
それから、「自分におきたこと」と「他人におきたこと」の区別もどうだろうか?

まるで幼い子のような自分の無意識は、
今と過去、ココとソコ、自分と他人の区別がはっきりしていない。

たとえば、こういい聞かせるのもいいだろう。
「過去に遠いところで起きたことで、自分に直接あったことではないんだよ。
この痛みや悲しみは自分ではないんだ」と、
他と自己の区別をつけてあげるのだ。
そして、心を「いま・ここ・自分」に戻して、
ほら、安全でしょ?と落ち着かせてあげよう。

もし、理由の分からない疲れを感じている人がいたら、
テレビやネットニュースから距離を置いて、
自分の心と身体をケアする時間を持とう。
じゃあ、事件や災害のニュースから距離を置けない環境だったら?
スピリチュアルな精神科医で有名な越智啓子先生が、
2011年のメルマガで、たしか、こんな風にアドバイスされていた。
記憶を辿って書いてみるので、参考にしてみてください。

見るのが辛いのに、災害のニュースと距離が取れない時は、
復興や再生が現実化するイメージを持って、
被災された方(物)や、支援している人々に向けて、
祈りを送りながらニュースに接してみましょう。
祈りは相手に届くだけではなく、自分をも守ってくれます。
(おわり)

海と山のエネルギーの違いは?

よく言われることだけど、
海は浄化のエネルギーがあって、
山は充電のエネルギーがある。

そういえば、海辺にいると私は考え事ができなかった。
いや、自分をカラッポにしに行っていたのかもしれない。
ボーッと海を眺めては、波の音を聴くしかなくて、
いつの間にか頭も心もスッキリしていたものだ。
海は「リセット」や「アウトプット」を促すのかもしれない。

一方、山だけれども、
私がキャンプや山歩きに行っていた頃、
「仕事で疲れてヘトヘトだから来た」、と言う人に出会うことが多かった。
それなら、休みの日ぐらい家で寝ていても良さそうなものなのに、
「それが、山に行くほうが元気になるんですよね」と口々に言っていた。
私も山キャンプはよく眠れたなぁ。
山は「チャージ」や「インプット」してくれるのだろう。

海と山、同じ自然なのだけれど、
特性が違うので、使い分けると良いらしい。
何かもやーと滞っているような時は海へ、
体や頭を使ったのでヘトヘトの時は山へ、といった具合にだ。
海は、発散や放出を助け、
山は、活力を与えてくれる。

ここで重要なのはバランスで、
エネルギーは、出さないと入ってこない事を覚えておこう。
身体を動かしている方が疲れにくくなるのは、そんな理由だ。
そして、喉が渇いた時、水を飲み渇きを癒やすように、
古いエネルギーを出した後は、新たにエネルギーを入れていこう。
(海と山、いまの気分は?)

「イルカを追って 野生イルカとの交流記」ホラス・ドブス著

私がスキューバダイビングを始めたきっかけはイルカだった。
仏・映画「グラン・ブルー」を観たことと、
ドッブス博士の「イルカを追って 野生イルカとの交流記」を読んで、
イルカと一緒に泳ぎたいと思ったのだ。カナヅチなのに。

80年代に、何度目かのイルカブームがあって、
日本でも、イルカのスピリチュアル的な要素がクローズアップされた。
イルカセラピーとかアクアセラピーと呼ばれる、
心身に障害を持つ人への、イルカのヒーリング能力である。

実際に、海でドルフィンスイムを体験した方から聞いたのだが、
イルカは、心の傷ついた人や、身体に障害を持つ人に先に近づいていたそうだ。
そして、イルカみたいに潜ったり泳いでいる人のところへ行って一緒に遊び、
ふいに、じゃバイバーイと去っていったという。
イルカと過ごした後は、幸福感に満たされて、
皆の顔が笑顔で輝いていたそうだ。

なぜ、心の傷ついた人や身体の障害を持つ人が分かるのか?
イルカの発する超音波のせいなのか、
群れの仲間を気遣うイルカの習性によるものなのか、
いくつか説はあるけれど、実はよく分かっていない。

この、よく分かっていない、
違う星から来たような謎の生物であるイルカと、
人間との交流を記録したのが本書、
「イルカを追って 野生イルカとの交流記」だ。
英・マン島に現れた野生のイルカ「ドナルド」と、
人々との遭遇と交流を、ドッブス博士は淡々と描く。
ドナルドを快く思っていない住人もいて、
危ない目に遭い、無邪気だったドナルドが少しナーバスになるのもリアルだ。
それでも、一貫して人間を信頼し愛するドナルド…。

昔は違う出版社の単行本だったが、
現在は集英社で文庫化されているようだ。
何回も読み返したくらい好きな本だったけれど、
結末がどうだったのか、流石に何十年も前なので思い出せない。
想いだすのは、当時の私はひどく孤独だったこと、
いや、実際に孤立していたわけでもなくて、
孤独感を持っていた、ということだ。
映画「グラン・ブルー」のジャックのように、
イルカなら分かってくれるんじゃないか、とさえ思っていた。

さて、私がイルカと泳ぐことができたかどうかだが、
失明してダイビングをやめたこともあって、
ついに実現できなかった。
ただ、小型艇の乗船中に、
船と同じスピードで泳ぎ、ジャンプするイルカの群れに遭遇したことはあった。
間近で自分の目で目撃できたのだ。子どもみたいに皆が大はしゃぎ。
もうね、最高にハッピーだった!

・「イルカを追って 野生イルカとの交流記」
ホラス・ドブス著/集英社文庫

不思議なこと

重金属製の歯の詰め物の害はまだまだ知られていないし、
歯の噛みあわせを治すと、心身の不調が改善することも余り知られてはいないが、
知っている人が全国から訪れる歯医者が博多にある。
私は、その歯医者で治療を受けたことがあるのだが、
たくさんの症例といい、提唱している理論と言い、
先を行き過ぎてる、とにかく不思議な歯医者なのだ。
人の歯の組成は、アメジスト(紫水晶)に最も近い、とかね。
しかし、これから書くのはその歯医者の話ではない。

福岡県西方沖地震の数週間後だったと思う。
先に書いた不思議な歯医者さんでの治療の合間に、
博多は某商店街にある、天然石の店に入った時のことだ。
女性の店長さんに、地震の被害はどうでした?と聞いてみたのだが、
「ええ、それがですね…。」、と困ったような顔をしている。
(当時まだ私は視力があった)
あ、聞いてはいけないこと言ったと私は後悔したのだが、
女性の店長さんは控えめに語りはじめた。

「大きく揺れたので、
大変なことになっているだろうと想いながら店へ向かいました。
商店街の酒屋さんでは、落ちて割れた酒瓶を掃除している姿も見ましたし、
近くのタワー式の駐車場の車も落下してました。
これは仕方ないと覚悟を決めて店のシャッターを開けたんですが、
…ゾーっとしました。
前の晩に店を閉じた時のままの光景だったからです。
天然石が、ひとつも動いていませんでした。」

ええ~っ?!
店内には天然席が大小いくつもあって、
カットされたものやタンブルは固定されて置いてあるわけでもないし、
球体の水晶玉は小さな座布団に乗っけただけだ。
一番驚いたのは、店に大きな天然石のオブジェが一対あって、
これがコケたり、落ちて割れなかったこと。
だって、腰高ほどの円柱の天辺の窪みに、
ボーリング玉サイズの天然石の玉がポンと置かれただけなのだ。

「逆に怖かったです。
なんともなかったので。
ただ、壁のカレンダーだけがパタと落ちていて、
それに、天上から落ちたホコリが床にびっしり積もっていたので、
確かに地震の形跡はあったのですが…。」

…不思議なことってあるんですね。
きっと、石の皆さんが、意志を持ってですね、
皆で手をつないで踏ん張ってくれたんでしょうね。
と私は冗談ぽく答えたのでした。

実は、水晶好きには、こういうことはよく知られている。
阪神淡路の時に、水晶は無事だったという話は聞いたことがあった。
水晶は地球が育てた子どものようなものなので、
不思議なんだけど不思議でもないよな、と私は思うのでした。

吉田きしめんと荒子城とサンダーの前世?/3月2日と3日は荒子公園の梅まつり

名古屋といえば「きしめん」。
きしめんナンバーワンは、「吉田きしめん」だと私は昔から思っている。
麺にコシがあって、ころ(冷し)なんかは最高に美味しい。

そんな吉田きしめん愛が引き寄せたのだろうか、
偶然にも、吉田きしめんの製麺所近くに引っ越ししてきたのだ。
古くから大ファンな私が、以前見たサイトやグルメ番組で憶えているのは、
地下水が良くて豊富なので、荒子に製麺所を構えたことと、
製麺所は荒子城跡近くにあるということだった。
荒子城は、前田利家の生まれ育った城だ。

引っ越ししてきた当初、父や母が製麺所を探しに行ったのだが、
城跡のまわりが、路幅は狭いわクネクネしてるわ迷路みたいだわで、
「こりゃ迷子になるわ!」と、製麺所を一回では見つけることができなかったのだ。
城の辺りの道が狭くて迷路になっているのは、
敵の襲来を待ち伏せしたり、城の防御の時間かせぎのためだったのだろう。

サンダーと荒子城へ初めて行った時、不思議なことがあった。
まるで迷路のような道を、一回ですんなり行って帰ってきたのだ。
うろ覚えの私が支持を出す前に、サンダーは道が分かっている感じで、
「コッチでござるよ」とスタスターっと私を先導していく。
断っておくけれど、先導はアイメイトには無い行動である。
アイメイトは支持を聞いてから動くよう訓練されているからだ。
こんなことは後にも先にも他に無い。

きっと、サンダーの前世は前田利家の馬だったのでは?と家族で笑ったものだ。
ラブラドールの毛並やパツパツの筋肉は、馬に似てなくもないし、
サンダーは馬面で、馬具のようなハーネスも背負ってるし。
それに、私はサンダーをブラシするのが好きで、
日々の世話も全く苦にならないので、
私の前世は「お馬番」ということになっている。
お馬番は冗談としても、
住んでいる土地も、出会う人も、そしてサンダーも、
偶然を装って、何かのご縁で私は引き寄せられているのだろう。

さて、話が長くなったが、吉田きしめんが食べられる荒子店が、
荒子観音向いの、荒子公園入口にオープンした。
今まで名駅のエスカ店まで食べに行ってたので嬉しいなー。
しかし荒子店、予定地の看板が立ってから三年!私は待ちに待ったんである。
この荒子店を出てすぐが荒子公園の梅園で、
今年は2日と3日、梅まつりが開催される。
ちなみに、梅まつり会場の屋台でも、
吉田麺業のきしめんは、一杯100円で食べられる。
(今年は、「花より麺」の記事になってしまった)

*「荒子公園 梅まつり」3月2日 3日
梅園には梅の木が100本。地元で有名な梅の名所。
円空市も同時開催。青空マーケットも楽しい。
・地下鉄東山線高畑駅から東へ徒歩約10分
  ・あおなみ線荒子駅から南西方面に徒歩約8分

*吉田麺業 荒子店
TEL 052-355-7003
営業時間 飲食11:00~15:00  物販9:00~17:00
定休日 月曜日  第2・第4火曜日

カッコイイ人たち

迷子の5歳の女の子が保護されて、
無事に親と再会したというニュースを読む。

女の子を保護したのは女子中学生三人で、
部活の夜間練習に向かう途中に、路上で泣いている女の子を見つけたという。
夕暮れ時だ。
「どうしたの?」と、大泣きしている女の子に声をかけると、
「ママに置いてかれちゃった」とやっとのことで返事が返ってきた。
よくよく聴けば、どうやら買い物中に母親とはぐれたらしい。
三人は泣きじゃくる女の子をあやしながら交番に連れて行くと、
交番には母親がいた。
母親も探しまわったのだろう、交番で待っていたのだ。
…良かった良かった!
朝一番に読んだニュースだったこともあって
花粉のせいなのか分からないが目が潤む。

私は保護されるレベルの迷子にはなったことはなくて、
おチビだった頃の外出は、父といつも手をつないで歩いていたそうだ。
母によると、すこし成長してからの私は、
つかず離れず好きなところへアチコチ行っては戻って来る子だったらしい。
それでも、はぐれそうになる心細さは憶えている。

大人になって、親の心境も想像できるようになったこともあって、
迷子になった女の子の気持ちと、
探す母親の気持ちを想像して目と鼻の奥がツーンとなった。
この気持ち、私だけじゃなくて、かつて子どもだった大人はそうだろう。
実際にはぐれた経験はもちろん、心理的にもだけど、
はぐれた記憶のない子は、きっといない。

それから、無事に再開した場面を想像するだけで
私はもう、三人の娘っ子に、
この親子の家族でも親戚でもないのに感謝したい気持ちになった。
実際、お手柄の三人娘は感謝状を贈られたのだけれども、
「当たり前のことをしただけ」と、口を揃えて言ったのだ。
いやー、なかなかできることじゃないよ?
こんな時、遅刻したとしても、
「それは、いいことしたね」とほめてあげてほしいな。

私はサンダーと歩いていて、
親切にしてもらったり助けてもらったりすることがあるのだけれど、
お礼を言うと「当たり前のことをしただけ」と言う人は多い。
「だって、困ったときはお互い様だもの」と言うひともいた。

とっさの時に小さな親切ができる人の、なんとカッコイイことか。
私は講師をしている体験学習で、
街で出会ったカッコイイ人たちの話も必ずするようにしている。
そして、カッコイイ人って、
心細かったことも、困ったときに親切にされて嬉しかったことも
知っているからこそカッコよくなれるんだろうなと思うのでした。

多感な年頃

音楽の好みが形成される年齢のピークは、
女性が13歳、男性が14歳だそうだ。
出典(英文)
Opinion | The Songs That Bind – The New York Times

https://www.nytimes.com/2018/02/10/opinion/sunday/favorite-songs.html

多感な年ごろに聴いた音楽が、その後の人生の音楽の好みに影響を与えるらしい。
私は体験学習の講師をしているのだけれども、
ここのところ、中学二年生の子達とお喋りすることが続いた。
音楽を聴くのが好きだと言う子達に、どんな曲が好き?と聞いたりするのだけれど、
あー、このくらいの年齢に原形のようなものができるんだな、と思いながら、
そういや、自分はどうだったっけ?と想いだそうとしても想いだせない。
アニメに夢中だったことは憶えてるけれど、
当時は音楽あんまり聴いてなかった気がする。

でも、気になって、私が13歳だった1981年のヒット曲を検索してみた。
ルビーの指輪、奥飛騨慕情、トシちゃんに聖子ちゃん…。
うーん、ピンとこないなぁと思っていたら、
ヒット曲の中に、矢野顕子の「春咲小紅」があった。
うわぁ、そうだったそうだった!
テレビでアッコちゃんが歌ってる春咲小紅を、
息を止めてラジカセで録音したことも想いだした
それまで音楽に免疫がなかったこともあってガーン!
あんなに好きだったアニメに興味がなくなったのは、
アニメより音楽が好きになったからかもしれない。

しかし、だからと言って13歳で矢野顕子のファンになったわけでもなかった。
大ファンになったのは二十歳過ぎてからのことで、
蒔かれた種が咲くのは時間がかかるということかもしれない。

多感な頃に聴いた曲が、その後の人生に影響を与えるとしたら、
なにも、それは音楽だけではないだろう。
私は、体験学習で若い子達の前で話をする時、
何年か何十年か先に、
ふと想いだしてくれたらいいな、という気持ちでいるのでした。
(それが無意識のなせる業)