幼い子が、お気に入りのぬいぐるみや毛布などを
片時も離さないということがあります。
それはフカフカだったり、あたたかだったり、
触れていると安心を感じるもの。
成長過程で、お母さんから物理的に離れるプロセスは、
子どもにとって本能的な悲しみや恐れがあります。
もちろん、個人差や程度の差はあれ、
お母さんの替わりになるものと一緒にいたい。
それがライナスにとって毛布であり、
クリストファー・ロビンにとってぬいぐるみのクマ公であったりするわけですね。
今日、母から聞いてはじめて知ったのですが、
私の場合は「綿入れ半纏」だったそうです。
親戚のお手製で、本絹の着物をリサイクルした本格派?で、
私がしゃぶって傷んでは、カットして小さくなり、
ついに半纏は「片袖だけ」の姿になってしまったとか。
…覚えてないわー。
お母さん→毛布、ぬいぐるみや半纏へと、愛着の対象がうつり、
次第に「お母さんと離れていても平気」という境地になり、
自然と毛布や、ぬいぐるみや半纏とも距離がもてるようになります。
なので無理に取り上げないこと。
「取り上げようにも無理だったわよ」とは母の弁。
そこまで執着していても、本人は覚えてないものなんですね。
しかし、母子分離の記憶は、
哺乳類である人間は無意識に持っている。
「内なる子ども」をケアすることについて、
また別の回で。