東日本大震災から5年。
私の両親は宮城出身である。
幸い皆が無事であったけれど、
親戚たちと連絡がとれたのは、
たしか一週間は後だっただろうか。
唯一、電話がつながらないことが、
僅かに現実を感じさせたけれど、
親戚に送る缶詰や日持ちのする食べ物を箱詰めしながらも、
遠くで起きた余りのことと、
いまここの日常の普通さが、
どうにも「心が追いつかない」感覚だったことを思い出す。
何年か過ぎて、親戚から当時のことを聞いたことがあった。
報道されていたような美談ばかりではなかったのだな…と、
なんとも言いにくそうに語っていたことも思い出す。