月別アーカイブ: 2016年3月

間違えられようがない

「最近は見かけなかったので、どうしていたのかしらと思っていました。」
見知らぬ人に声をかけられたことがあった。

…えーと、どなただったかな?
これが近所であれば、不思議なことではないのだけれど、
家から相当に離れた地下鉄の車両の中である。

私がポカンとしていると、女性は説明してくれた。
私とサンダーが、地下鉄を利用しているところに、
しょっちゅう遭遇していたそうだ。
一年半、週に二日、地下鉄を乗り継いで、
リハビリセンターの視覚障害者の訓練に通っていたので、
きっとその時だったのだろう。

しかし、訓練も終わって一年以上は経ったときの話である。
顔の覚えがよい人だなぁ…。
驚いたけれど、すぐに納得。
そもそもサンダーと一緒だから、間違いられようがないよね。

けっこう見られているし、
覚えられているんだ。
…ありがたいなぁ。

5年の月日が流れても

東日本大震災から5年。
私の両親は宮城出身である。

幸い皆が無事であったけれど、
親戚たちと連絡がとれたのは、
たしか一週間は後だっただろうか。

唯一、電話がつながらないことが、
僅かに現実を感じさせたけれど、
親戚に送る缶詰や日持ちのする食べ物を箱詰めしながらも、
遠くで起きた余りのことと、
いまここの日常の普通さが、
どうにも「心が追いつかない」感覚だったことを思い出す。

何年か過ぎて、親戚から当時のことを聞いたことがあった。
報道されていたような美談ばかりではなかったのだな…と、
なんとも言いにくそうに語っていたことも思い出す。

昔も今も支えているのは荒子衆

当ルームのある荒子は前田利家の出身地。
利家とともに加賀へ移った家臣団は、
荒子の衆、荒子衆と呼ばれ、
前田家を支え、頼りにされていたそうだ。

さて、荒子は盛り上がっている。
前田利家にちなんだ
荒子公園の前田利家 梅園を、
名古屋一の梅園にするべく、地域の人ががんばっているのだ。
梅の大先生をお招きして、梅のすべてを教えてもらい、
地域の人がお手入れをする。
寄付や篤志家の寄贈で、実に見事な梅の木が植えられている。

そして荒子観音の円空市。
毎月第二土曜に立つ朝市は、
*追記・2016年11月より毎月第一日曜日になりました。*
地元の新鮮な野菜や果物、ハンドメイドの服飾雑貨が並び、
気の利いたフードスタンドも揃う。

どちらのイベントにも、
揃いの「荒子衆」と背中にプリントされたハッピやウインドブレーカーを着た、
地域のみなさんが支えている。

荒子公園と荒子観音にでかける私とサンダーは、
正調名古屋弁で声をかけてもらうことがある。
先日の梅園の開会式で、まわりから聴こえる声ときたら、
河村たかしがあちこちに…。
山田昌がここにも…。
なんで声まで似ているのか。

*河村たかしさん←名古屋市長
*山田昌(やまだまさ)さん←名古屋を代表する女優
「まあ一本、まあ一本と、たいがいにしとかなかんよ!
今晩のおかずがわやなってまった。
鎌倉さんもいかんわ。うますぎるもん。」
(名古屋のご当地CM、「鎌倉ハムKウインナー」より)

病気はターニングポイントでもある

私は難病や思い病気の人たちと、お会いする時期があった。
多くの方が口にしていたのは、
「病気で人生が変わった」とか、
「自分を変えてくれた」ということ。
そして、もう「以前の自分」に戻れないだろう、とも言う。

また、ご家族も言う。
「仕事人間だった夫を、仕事から取り戻した」
「私も変わった」

病気をきっかけに変わっていく人がいる。
生活を見直したり、
生き方を変えていったり、
同じ人?と思うくらい変わったり。
ことさら難病や重い病気は、
劇的なターニングポイントの役割があるのかもしれないなぁ…。
私はそう思ったものでした。

しかし、なんて荒療治なの?
これも大きな愛なのかしら…。

病気は贈り物なのかもしれない

「それは、目の病気がなかったら命を落としていたかもしれないね…」
ある人に言われたことを思いだした。
私はというと、そうかもしれないと思ったのでした。

実際にその可能性はあったのかもしれない。
毎晩、遅くまでの残業と、休日がほとんどない生活。
仕事中に、右腕が痺れてきたと思ったら動かなくなって、
同時に過呼吸も起こし、緊急搬送されたこともあった。

日本で多くの人が、ハードな勤務をしているなか、
私が離れることができたのは、目の病気のおかげだったかもしれない。

そして仕事以外では、やり出すととまらないところもあった。
たとえば、本を読みだすと止まらなくて朝が来る。
趣味を拡げ、とことんやるまで気がすまない。
自分探しや自分磨きの風潮にあせり、がんばる。

心を占めていたのは、「もっともっと」という思い。
それが健全で自然なものなら、とても素晴らしいと思うのだけれど、
どうも私は、満たされなさや、
自分自身と向き合う時間ができるのを避けていたようだ。

何はともあれ、そんな私のブレーキ約を果たしたのは目の病気。
病気は贈り物とよく言われるけれど、
たしかにそうかもしれないなぁと思うのでした。

香りや匂いも地図になります

今日の名古屋は20℃を超えてポカポカの陽気です。
上昇する気温のせいで、空気が湿気を含むこんな日は、
とたんに街の匂いが賑やかになります。

洋菓子屋の砂糖とバターが焦げる匂い。
パン屋のパンが焼ける匂い。
喫茶店のコーヒーの香り。
バーガーショップのポテトを揚げる匂い。
お、フライドチキン…。
みんな食べ物の匂いだがね~!

さて、こんな街の匂いや香りは、
アイメイトと歩く私には、大事な「地図」になります。

荒子観音 円空市

追記・円空市開催は、2016年11月より毎月第一日曜日になりました。

当ルーム近くにある、円空仏で有名な荒子観音で、
毎月第二土曜日(追記・第一日曜に変更)に「円空市」という朝市が立ちます。

ハンドメイドの雑貨やアクセサリー、手作りジャム、地元の朝採り野菜が並び、
焼き立てPIZZAやメキシコ料理など、地元のお店が揃います。
朝市というよりは、おしゃれなマルシェ?

昨年冬からスタートした円空市ですが、
とても賑わっている模様。
そして盛り上がる予感。

市民ランナー情報サイトの、「名古屋ランナージャーナル」に、
円空市を目指して走る「お買いものラン」が紹介されていました。

昨年、私とサンダーは、知らずに荒子観音へいつものように出かけたら、
突然(突然じゃないですけど)円空市が立っていました。
美味しそうな匂いのするなか、
誘惑に負けずに完走したサンダーは偉かったねぇ。
(私は誘惑に負けましたけどね)

荒子円空市公式サイト

http://enkuichi.com/

春は変化がダブルでやってくる

人がソワソワしたり、眠くもなる芽吹きの時に、
人が新しい場所に、根を下ろす準備がはじまる3月。

春は、身体と環境のダブルの変化の時期です。
身体は陽気とともに緩みはじめ、
冬から春の身体へと変化します。
学校、職場、地域活動など、
本人の環境の変化だけでなく、それを支えるご家族の生活も変化するもの。

人間は安定を好む生き物であり、
変化はストレスにもなる、と言われています。
また、変化に対応する「順応力」も備えてもいます。

ここでストレスと上手くおつきあいして、順応力も底上げしたいもの。
このアシストは自律神経が鍵になります。
自律神経を整える生活を、心にとめておきましょう。

この時期気をつけたいのは、「食生活」と「睡眠」。
冬にたまった毒素を解毒している肝臓が、オーバーワークにならないように
食べ過ぎと、お酒の飲み過ぎは控えてあげましょう。

春は、身体末端への血流がアップするとともに、
脳への血流配分がやや落ちるので、
昼間に眠くなったり、ボーッとしたりします。
少し体を動かして血流と脳内物質をアップ。
昼寝はごく短時間にして、夜の睡眠に差し障りがないように。

…はい。
私、食べ過ぎて口内炎が頻発しておりますし、
眠うございます。
自らに言い聞かせるのでした。

いまさらですが一億総活躍

活躍したくても…という人たちを見てきたからかもしれないけれど、
この言葉は私、なんか居心地悪いなぁ…。

活躍という言葉を「役に立つ」というニュアンスにしているかもしれない。
わたし自信が、視覚障害になって
「人の役にたたない」という思いこみが、
長いこと辛かったのは確かなこと。

役にたつという「思い」は、ときに人を苦しめる。
実際、知り合いの中途視覚障害の方で、
看護士や介護士など、援助する職業だった方は特に、
もともと「誰かの役にたちたい」という思いや願いがあるので、
その葛藤は大変なものに思える。

しかし、徐々に分かってくるものもある。
何か言葉を交わしたり、ただ微笑んだり、相手を思って祈ったり、
穏やかな心地でただ居る。
そんな在り方の人が、すごいレベルで「役にたっている」のではないか?

しかし、この一億総活躍という言葉は、
見るたび(聴くたびですが)、
私はどうも、お腹が重たくなる感じがする。
そしてザワザワとした気分になるのは、「気のせい」なのだろうか?

はたらくおじさん

「はたらくおじさん」という小学生の教育番組が昔あった。
人間のタンちゃんと、犬のペロくんが、気球にのって、
働く人のところにいって、その仕事のあれこれを教えてもらう。
私は子どもの頃、この番組が好きだったなぁと思いだした。

楽しかったな。いろんな仕事や職業があったっけ。
なかでも、職人っていいなぁ、って思ったような気がする。
いま思うと、その頃はまだ「横文字」な職業があんまりなかったような。

そして、意外や意外、この番組が自分に影響を与えていたかもと気がついた。
私が校正の仕事をしていたのは、某就職情報誌と、某アルバイト情報誌だった。
いろんな仕事があるんだなぁ、と本当に面白かった。
某カレーショップの欄で、フランチャイズ店数がどんどん増えていったり。

やがてバブルの余韻はすっかり影をひそめ、
その某情報誌も、電話帳ほどあった厚みもペッタンコになり、
いつしか私はリストラとなった。

そしてその某就職情報誌をみて、
某カレーショップの本拠地近くにある会社に就職し、
掛軸をつくる表具師になったのだった
…おもしろいなぁ。

今でもいろんな職業の人の「その職ならではの視点」を聞くのが好きだ。
お世話になっている鍼灸院でも、美容室でも動物病院でも、
へぇえ!と思うことが多い。楽しい。
語るうちにその人がイキイキしてくるのも、またいい。