月別アーカイブ: 2016年2月

3月26日 日本カウンセラー学院名古屋サテライト校 開講のお知らせ

カウンセラーのトレーニングを受けてつくづく思うのは、
カウンセラーってBuddy(バディ)に似ているなぁ…ということです。
バディとは、スキューバダイビングの用語で、
二人で協力して海に潜るパートナーシップのこと。
そしてその相棒を指します。

カウンセリングでは、クライエントさんがご自身の心の奥深くを見つめます。
それは海を深く潜っていくようなものです。
カウンセラーは一緒に潜るバディ、パートナーです。

クライエントさんがどこまで深く潜っていけるのかは、
じつはバディによるところが大きいのです。
バディであるカウンセラー自身が、自分の心の奥深くに潜った経験がないと、
クライエントさんは無意識にその先に進むことを止めてしまいます。

またカウンセラーは、心の奥深くに潜る怖さや大変さも
見にしみている必要もあるのです。

…と、こんな風に常々おっしゃっているのが、
私のカウンセリングの恩師である内海早織先生です。
内海先生は作業療法士として、心と身体に障害をお持ちの方と向きあわれている
現役の医療従事者でもいらっしゃいます。養成もされていました。
また、福祉においても専門歴をお持ちです。

こうも言います。
心理カウンセラーの大切な在り方は、
「なによりまず自分の中を奥深く見る覚悟」
覚悟という表現には、それに対する敬意や畏怖がベースにあると感じます。

さて、私が信頼を寄せる内海早織先生が講師を担当されます
心理カウンセラー養成校の春季クラスが、3月26日(土)から開講します。
ただいま受講生の申し込みを受け付けているそうです。
この日本カウンセラー学院名古屋校(現・名古屋サテライト校)は、私の母校です。

内海先生が担当されるクラスが開催される場所は、
名古屋駅からはほど近く、
そして桜通線「国際センター」駅の出口を出て横を向いて10歩、
先生が開業されているカウンセリングルームが入っているビルの一室になります。

心理カウンセラーを目指したい方、
自分の心を見つめたい方に、おすすめいたします。

詳細はこちらのサイトをご覧ください
名古屋サテライト校│
心理カウンセラー養成・資格取得スクール 日本カウンセラー学院

http://www.therapy.jp/gakuin/campus/detail-nagoya/

内海早織先生のカウンセリングルームHP
ピースフルマインド・オーシャン

http://peaceful-mind-ocean.com/top

自分の中の「いちばん身近なパートナーシップ」 「責任をとる」ってどういうこと?④

すべての現象は、自分のなかの「何か」が投影している。
さて、「何か」って何?
自分の思い癖や、自分を苦しめるなじみの感情や
先入観や、自分で作った人生のシナリオ等々です。

この「何か」の原因が存在します。
それは、トラウマやカルマなどと呼ばれているものです。
ギスギスした世の中だなと刷り込まれた原因は何か?どんなトラウマがあったのか?
じつは、この原因さがしには果てがありません。

私がいろいろなセラピーやヒーリングを体験していた三十代の頃、
あることに気がつきました。
トラウマやカルマ、癒されていない前世さがしオンリーで解決しようとすると、
再び「無力な自分」に戻ってきてしまうのです。

トラウマやカルマなど、根本的な記憶はすべて、
内なる子ども(潜在意識・インナーチャイルド)が所蔵しています。
それは現生だけでなく、いくつも生まれ変わってきた過去生、
動物だった頃や、植物や鉱物だった意識さえもデータを蓄えていると言います。
…気の遠くなりそうなお話ですね。

ちなみに、顕在意識の私たちが把握できるデータ量は、
潜在意識の内なる子どもが把握している量の、
何万分の一にすぎないと言われています。(諸説あります)
そんな私たちが、電車で遭遇したケンカの原因である、
トラウマやカルマや記憶を「これです」と特定することは難しい。

知っているのは内なる子どもであって、
私たちが知っているのは、
「ケンカが起きた事」と、
「ギスギスした世の中だと思った」という事実だけ。
そして私たちができることは、
「ギスギスした世の中だ」という思い込みを手放すこと。
(もちろん、ケンカがおきた事自体は変えることはできません。)

大切なことは、互いの役割を知ることです。
原因は内なる子どもが知っていますから、信頼してまかせましょう。
内なる子どもが望んでいるのは「一緒に手放してほしい」なのです。

私たちの役割は、
内なる子どもが見せてくれたことに感謝して、手放すこと。
この、自分の中のいちばん身近なパートナーシップを忘れない。
これが「責任をとる」ということなのです。

(おわり)

なぜ投影に気づくと人はイキイキしていくのか 「責任をとる」ってどういうこと?③

すべて起きる出来事は、自分のなかの投影である。
これは一見、とても厳しいことのように思えます。
自分のことならまだしも、他人のことまで「自分発」だなんて…。

しかし、すべては自分の投影であると気づいた人は、
不思議なことにイキイキしていくのです。

ではなぜ投影に気づくと人はイキイキしていくのでしょう。
他人のせいや世の中のせいにしているのは楽なことに思えます。
しかし、他人のせいや世の中のせいと、自分の外に責任を与えていると、
「自分は無力である」という思いを無意識に持ちます。
他人のせいにすればするほど、「無力な自分」が強くなっていくのです。

反対に、「自分の投影だ」と気づくと、
自然に相手が変わっていたり、環境が改善していったり。
あれれ?なんだこれは?
この経験で「無力な自分」の意識が外れます。
「無力な自分」という思い込み(思い込まされ)って、
人から生命力を奪ってしまうものかもしれませんね。

私(フムフム)が関わっていた気の療法は、
この気づきがまず大切であるとしていました。
実際、いろんな出来事は自分の投影だったと気がついたそれだけで、
その人の現実の状況が変わってしまった、
また、その経験が、無力な自分を脱して生命力を取り戻していったという、
そんなケースに出会ったものでした。
気づきってそれほどパワフルなんですね。

一見、楽そうに思える「人のせい」にするのと、
厳しそうに思える「自分の投影に気づく」こと、
楽なのはどちらなのでしょう。
これはパラドックスですね。

(続きます)

おきることは「自分の投影」 「責任をとる」ってどういうこと?②

心理学やスピリチュアルで使われる言葉、
「責任をとる」とは本来どういうことなのでしょう?
そして、何に対して「責任をとる」のでしょう?

それでは、こんな場面にあなたが遭遇したとしましょう。
あなたがたまたま乗り合わせた電車の車中で、
見知らぬ乗客どうしがケンカをはじめました。
あなたはどう思うでしょう?

「嫌だな。こんな状況に出くわして、なんて私は運が悪いんでしょう」
「これは、ギスギスした世の中の縮図だ」
「怖い。やっぱりキレる大人が多いのは本当だったんだ」
「程度の低い人たちだな。(私は違うけど)」
「どっちも悪いよ。」
私たちはつい、こんな風に相手をジャッジします。
「自分とは関係がない」という立場にいます。

しかし心理学やスピリチュアルでは、
「自分とおおいに関係がある」ととらえます。
「すべて起きる出来事は、自分の中からの投影である」と見るのです。

投影とは、あたかもスクリーンのように、まるで鏡のように
自分の中の「何か」が、現実となって映し出すことです。
たとえば先ほどあげたジャッジは、
自分が気づいていない「思い癖」かもしれません。
振り返ると、いつも繰り返されている出来事かもしれません。

「世の中ぎすぎすしている」と思っているとしたら、
「やっぱりそうだ」と確認させる現実が、
「お呼びですかー?」とやってくるという考え方です。
先にあげた例では、電車のケンカの場面として現れたということですね。

「この状況は、私のなかの何がそうさせたのだろう?
これは私に何を知らせているのだろう?」と
自分のことでもある、という立場をもつ。
これが「責任をとる」スタートです。

ちなみに、きちんとトレーニングを受けたセラピストやヒーラーであれば、
いま自分の内側で起きていることを観察することが身についています。
気づいていない自分の思い癖や、繰り返されるパターンを見ようとするのです。
これに気づかないままでは、クライエントさんに自覚なく投影してしまいます

こんな自分がいたなんて知らなかったよ。
「見せてくれてありがとう」です。
見せてくれたのは内なる子ども(潜在意識・インナーチャイルド)です。
(続きます)

「責任をとる」ってどういうこと?①

私は25年ほど様々な心理学やスピリチュアルのセミナーに参加してきたのですが、
ある言い回しが頻繁に出てきては、心のなかでひっかかりを感じたものでした。
それは、「責任をとる」という言い回し。

海外発メソッドでは、責任という言葉をあてはめざる得ないのかもしれませんが、
日本語の「責任をとる」にネガティブなイメージを私は抱いていたのです。
あなたが悪い
さあ、責任をとってください、という感じで。
過失や落ち度を認める(させる)ようで、どこかみじめで痛々しい。
自分で勝手にそんな意味づけをくっつけては、心の扉がピシャと閉じるように、
その抵抗感で先の理解が進まなかったのです。

しかし、ある視点をを意識してからは、
スッと心に入ってくるようになったことを憶えています。
ああ、責任をとるとはこういうことなのか…。
そんな私の経験を交えて書いていきましょう。

さて、心理学やスピリチュアルで登場するこのフレーズ、
「責任をとる」とは、いったいどんな意味なのでしょう?
何に対して「責任をとる」のでしょう?

(続きます)

それぞれの「春」にはタイムラグがある

今日の名古屋は、雪になりそうな雨が降ったりやんだりしています。
立春の期間は「これから春の兆しが現れてきます」というもので、
つまりは「寒さの底」ということ。
寒くて当然、当然の寒さだもの。
うむ、よろしい。
しかし、寒いなぁ…。

はるは「光の春」が先で、
「気温の春」はその一か月は後というタイムラグがありますね。
海水温に至っては、気温とそのまた一か月のタイムラグがあります。
ダイビングやサーフィンをしている方はご存知だと思いますが、
海水温が一番低いのは3月、4月。
そして、海水温が一番高いのは9月、10月。
私がダイビングをしていた頃、
地上の気温と、海中温度のギャップにびっくりすることがしばしばありました。

ともあれ、光の春は喜ばしい。
やっぱりこの時期はワクワクするなぁ。
そして気温の春が待ち遠しい。
それよりも先に、
アマゾンで注文した、犬服のフリースベストが届くのが待ち遠しい。
どうやら中国からの直送便だったようで、
届くまで二週間~一か月かかるというのです。
気温の春が先か、国際郵便が先か。

ただでさえサンダーは換毛期が光の春とともにやってきているというのに。
しかも中国では(アジアほとんどですが)、
春節のロングバケーション中ではないですか。
これも当然のタイムラグだもの。
うむ、よろしい。
しかし、待ち遠しいなぁ…。

Calling you

旧正月に2つの「コール」を新調しました。
バードコールとエマージェンシーコール。
どちらも私が紛失して何年もたつアイテムです。

バードコールとは、鳥を呼ぶアイテム。
ワインのコルクほどの大きさの木筒に、
つまみがついた金属のネジが差し込んであって、
このつまみを左右に捩じると「キュキュ」と摩擦で音がします。
練習するとあたかも小鳥のさえずりのように音が出せるようになって、
小鳥とおしゃべりができるようになるという楽器。
これを以前、アクセサリー風に首から下げていたのですが、
どこかで本体の木筒が落下して、気がつくとネジだけになっていたのでした。

一方、エマージェンシーコールは、人を呼ぶアイテム。
ライフジャケット(救命胴衣)に必ず付いている、
あのオレンジ色のホイッスルです。
呼子笛、緊急笛とか救命笛という名前でも売られていますね。
これも、どこいっちゃったのかなー?

どちらも私が自然のなかに出かけるときに携行していたアイテムで、
一度もエマージェンシーコールは使うことなく済みました。
さあ、バードコールは近所の公園で楽しむぞー!
でも、エマージェンシーコールは使うことがありませんように。

このエマージェンシーコールが届いた次の日に、
台湾での地震のニュースが入りました。
救助を待つ人、救助をする人
互いの呼び声がどうか届きますように。

ファイアー!ロースター!マシュマロ!

マシュマロの話。
昔読んだアメリカのキャンプクッキングブックに、
デザートに焼きマシュマロが載っていました。
レシピは「串に刺したマシュマロをたき火であぶる」
たき火にお芋ではなくマシュマロか~。
野性的というか原始的というか、ただそれだけなのだけど、
なんとも憧れだったのです。

実際にトライしようとしたことがあったのだけど、
日本で売られているマシュマロは串刺しするには小さい。
串に刺したら、紅白の餅で作った正月飾りみたいになりそうで、断念しました。
マシュマロってメレンゲとゼラチンでできているから、
火であぶると溶けちゃうかも?
このレシピはマシュマロの大きさが肝に違いない。
その後アメリカを旅行した時に、スーパーで現地サイズを見たら、
これなら串に刺せるよねという、
日本のマシュマロよりも一回り 大きいマシュマロでした。

でもしかし、そんなものではなかったということを最近になって知りました。
コストコで「ファイアー・ロースター・マシュマロ」を買ってきたのです。
串に刺して直火であぶって食べる仕様の専用サイズ。
これが…。想像をこえていましたよ。
縦5センチ×直径5センチ。ちょうどドアノブサイズといったところでしょうか。
日本のマシュマロサイズの10倍かそれ以上ありそう!

さて。マシュマロは美容効果があるそうです。
主な原料のゼラチンは、体内で分解されてコラーゲンとして吸収されるので、
お肌にいいそうです。
マシュマロ10粒で、一日のコラーゲンが補えるとか。
(このファイアー・ロースター・マシュマロは一粒でいいってことですね。)

ちなみに友人によると、
アメリカには「スモア」なるマシュマロデザートがあるのだとか。
パイ皿(耐熱皿)にマシュマロを敷きつめてオーブンで焼く。
焦げ目がついた熱々のトロトロのマシュマロを、
グラハム(全粒粉)ビスケットやクラッカーでディップのようにすくって食べる。
キャンプやBBQでは直火であぶった熱々のマシュマロを、
グラハムビスケットでサンドして食べる。
板チョコもはさむと、焼きマシュマロの熱でチョコも溶けて美味しいそうな。
まさにサムモア(もっとちょうだい)なスモア、
アメリカでは定番BBQメニューなのだそう。

「マシュマロを焼いて焦がさずにはいられないのね、アメリカの人は。」と友人。
ファイアー・ロースター・マシュマロの「尺のおかしい大きさ」は、
そんなニーズから生まれたのですね。
日本食と和菓子の繊細さも好きですが、
アメリカンクッキングの大雑把さや大味も、
私はこよなく愛しているのです。

立春ダヨ! サンダーの換毛期がやってきた

いよいよサンダーの換毛期がはじまったようです。
毎日のブラッシングタイムで、抜ける古い毛の量が増えてきました。

サンダーはラブラドールレトリバー。被毛がダブルコート構造になっています。
表面が剛毛(オーバーコート)で、
その下にフカフカの柔らかい毛(アンダーコート)が生えているのです。
このアンダーコートの量を冬に備えて増やし、夏が来る前に減らしちゃう。
犬の自前の調節機能、よくできてるなぁ!
お洋服の中綿みたいなアンダーコートの生え変わりが換毛期です。
シーズンは大きく春と秋。それ以外でもプチシーズンある感じがします。

ラブラドールは短毛種なので、換毛ケアは楽なのではと思っていました。
しかしブラッシングで毛が取れる取れる。面白いくらい。
短毛種でこれほどのボリュームなら、さぞかしっ長毛種は…。
しかしですよ、短毛種の犬のほうが、毛の生え変わりの換毛サイクルが短いので
長毛種よりも換毛期の抜け毛が多くなるそうです。
…な、なんですと!
くるくる巻き毛のゴールデンレトリバーよりも、
つるっとした一休さんのようなラブラドールレトリバーのほうが
換毛期の抜け毛が多いだなんて!
見た目じゃ分からないものですね。

もう換毛期? ちょっと早いんじゃないの?
お陽さまの量が増えてきたけど、まだまだ気温は低いのになぁ。
それが犬の換毛期のスイッチは、気温ではなく日照時間なのだそうです。
植物みたいだなぁ。短毛種の犬は特にそうなんですって。
立春ダヨ! (お知らせありがとう)

鬼に投げキッス

節分や昔話では悪役の鬼。
私はどうも鬼という存在に哀愁を感じてしまう。
豆で追われた鬼はどこいくんだろ?
小さい頃にぼんやりと考えたこともあったっけ。

ずいぶん前に奈良県の天川村にある天河神社を訪れたとき、
柿坂神酒之助(みきのすけ)宮司にこんな話をうかがいました。

天河神社では節分の豆まきは、
「福は内、鬼も内」というのが古くからの習わしなのだそう。
この日、宮司さんのお宅では、お湯を張った盥(たらい)と、
お布団を一式ご用意しておく。
追われて行き場のない鬼の宿というわけ。
盥のお湯は、足裏を濯いで寛いでね、という心遣いから。
そして翌朝、盥の水は量が減っていて、
盥の底に数粒の砂が沈んでいるのだとか。
お布団にもへこみがあって、
つまり、鬼が足を洗って布団で休んだ形跡があるんですって。
へぇえ~!(ちょっとコワイ)
…なんだか懐が広いなぁ。
鬼というのは自分の投影でもあるんだよ。
そんな意味のことも宮司さんはおっしゃっていた。

自分のなかの「鬼」を追い出したり否定したり無いことにしたり。
なくそうとすると継続して、
抑え込むと暴発したり、
無くなったと思ったらゾンビのように蘇って。
これはまさに鬼というに相応しいなぁ…。

しかし案外、豆投げて追い出すよりも、
盥の湯とお布団ご用意してしまうくらいの逆転の発想が、
心理学やスピリチュアルでも正解だったりします。

心の鬼は、いわば愛情と認知の飢餓状態。
あなたの存在を認めます。愛しています。
すると鬼の存在理由がなくなって、手放すことができるということ。
…愛して認める、これができれば苦労しないのですがね。

こんな時、スピリチュアルな精神科医で有名な越智啓子先生なら、
きっとこう言うでしょう。
鬼に豆を投げるのではなく、
投げキッスをするのよ!