カテゴリー別アーカイブ: psychology

なかよしだもの シンクロとミラーリング

なにかのはずみで、
サンダーの後頭部と、私の顔がぶつかってしまいました。
こういう時はサンダーの「石頭」の勝ちです。
私は少しだけ口の中を自分の歯で切ってしまいました。

唇の裏の、ほんのわずかな傷ですが、
口の中だと、食べるときに痛いのしみるの大変ですね。
おかげで?、食事量がセーブできてますけど、
大好きなビタミンCのフルーツがいちばん痛くてしみるのは悲しい。
何事もなく食べることってありがたいことだなあと、
実りの秋に思うのでした。

さて。最近サンダーと動きがシンクロしているようで、
たとえばヨガマットの上に私が寝ころぶと同時に、
サンダーが大きく寝返りをうってゴツン!なんてことも。

カップルや仲良しさんどおしは、
互いに動きが似てくる、シンクロすることってありませんか?
これは無意識に皆さんやっていることなのですが、
心理学ではボディシンクロニー現象といいます。
また、親しみをアップさせるために意図的に動きをシンクロさせるテクニックを
「ミラーリング」といいます。
ミラーリングのミラーは「鏡」です。
相手が身を乗り出してきたら、
こちらも同じように身を乗り出すとか、
さりげなく同調した動きを意識的におこなうと、
相手はリラックスして、あなたへの親しみ度がアップしますよ。
いつしか相手も、あなたに合わせてくれるようになったりして、
「なんか知らないけど、いい時間だったなぁ」となるかも。
気の合う仲間って、まさに無意識にこれができているんですね。

また仲良しさんは、声のトーンやスピードや喋り方が似てくるもの。
インタビューの達人は、相手の喋りを似せるのも達人だったりしますね。

…犬もおんなじ?
欠伸(あくび)はうつってるなぁ。

ライナスの毛布 私の半纏(はんてん)

幼い子が、お気に入りのぬいぐるみや毛布などを
片時も離さないということがあります。
それはフカフカだったり、あたたかだったり、
触れていると安心を感じるもの。

成長過程で、お母さんから物理的に離れるプロセスは、
子どもにとって本能的な悲しみや恐れがあります。
もちろん、個人差や程度の差はあれ、
お母さんの替わりになるものと一緒にいたい。
それがライナスにとって毛布であり、
クリストファー・ロビンにとってぬいぐるみのクマ公であったりするわけですね。

今日、母から聞いてはじめて知ったのですが、
私の場合は「綿入れ半纏」だったそうです。
親戚のお手製で、本絹の着物をリサイクルした本格派?で、
私がしゃぶって傷んでは、カットして小さくなり、
ついに半纏は「片袖だけ」の姿になってしまったとか。
…覚えてないわー。

お母さん→毛布、ぬいぐるみや半纏へと、愛着の対象がうつり、
次第に「お母さんと離れていても平気」という境地になり、
自然と毛布や、ぬいぐるみや半纏とも距離がもてるようになります。
なので無理に取り上げないこと。

「取り上げようにも無理だったわよ」とは母の弁。
そこまで執着していても、本人は覚えてないものなんですね。

しかし、母子分離の記憶は、
哺乳類である人間は無意識に持っている。
「内なる子ども」をケアすることについて、
また別の回で。

「こぼさないでね」と「しっかり持ってね」の結果はこう違う

ある実験の話。
幼稚園児が、水がいっぱいに入った容れ物を運ぶ、というもの。
かけた言葉によって、結果にこんな違いが。

『「こぼさないでね」と声をかけると、
たいていの子どもが運ぶ途中で水をこぼし、
「しっかり持ってね」と声をかけると、
ほとんどの子供が最後まで水をこぼさず運べた。『

脳は「○○しないでね」という、
打消しの表現を認識するのは苦手なのだそう。
たとえば「旗ふり」のひっかけ遊びのようなもので、
「赤 上げないで
白 上げない」
もぉ、旗を上げてしまいそうになりませんか?

「廊下は走らない」と、
「廊下はゆっくり歩こう」。
おなじことを表現している貼り紙でも、
言葉のチョイスひとつで、
受ける感覚が違いますね。

心のギアが空回りしているような感じや、
思わしくない結果が現れていたら、
誰かに、そして自分自身にも、
どんな言葉をチョイスしているのかチェックするタイミングです。

好きの反対は嫌いではなく無関心?②

今回は脳からみる「好きと嫌いは紙一重」のお話です。

認知症の方から、それまでとても可愛がられていた人、心が近かった人は、
「財布を盗んだ」など、妄想の対象になることが時にあります。
また怒りや嫌悪を向けられることも。

脳研究の黒川伊保子さんによると、
好きと嫌いはどちらも、情動を刺激される相手に、
とっさに抱く反応という点で似ている。
しかも脳の中では「好き」と「嫌い」は近い場所であるといいます。

なるほど。しかし、そうは言っても、
理不尽に思える言動を受ける側は、
それまで可愛がられていた分ショックも大きい…。

黒川さんは著書の中で、こうも述べています。
「脳のわずかな誤作動で、
可愛くてしょうがない人に疑心暗鬼を抱くのは当然のように起こりうる。
もしも、あなたの大事な人が認知症になって、
あなたがその大事な人から疑心暗鬼の対象にされたとしたら…。
これは愛されていた照明と思おう。難しいことだが…。」
…なんともせつない。
しかし、これを思うと、また違う視点に立つこともできますね。

心理学でも脳においても、「好きと嫌いは紙一重」。
これは日常のあらゆる人間関係で起きることですよね。
強い情動の振り子は両極に振れてしまいがちで、
そんなやりとりの人間関係は、苦悩とあやうさがあるものです。
(それだけに気づきが大きく、けっして悪いものではありません)
かと言って、一見波風のたたない無関心な関係は、心に充足感がありません。
では、どうしましょう?
コツコツと信頼や敬意で積み上げた関係は、
お互いの心に充足感を与えあい、なかなか揺るぎにくいもの。
揺るがない関係を築く手助けは心理学の「技術」にあります。

*過去記事の
「優しさを伝える技術」、
「コントロールドラマ」、
「オキシトシンを考える」もご覧ください。

(おわり)

好きの反対は嫌いではなく無関心?①

好きの反対は嫌いではなく、無関心である。
よく言われるこの言葉、
どうも釈然としない人は多いでしょう。

言葉の上では、「好き」の反対は「嫌い」ですが、
人の感情はそうではないのです。

大好きだった人が大嫌いになったり、
大嫌いだったひとが大好きになったり。
心理学では、好きと嫌いは紙一重なので、
たとえば、小学生の男の子が、
好きな女子にわざといじわるしたりとか、
そんな意味不明なことが起きてしまうのですね。

好きという感情も、嫌いという感情も、
どちらも強い情動です。
情動がないのが無関心です。
なので、好き(嫌い)の反対は無関心なのですね。

けんかするほど仲がいいなんて言いますけど、
無関心でいられるよりは、
怒られたり嫌われてでも情動を受け取りたいものなのです。
なので、無意識に怒られるようなことや嫌われるようなことをしてしまう。
(詳しくは過去の記事「コントロールドラマ」をご参照ください)
しかし、そんなマイナスな気をひく方法も、やっている本人もしんどいので、
よりよくつきあう方法を学ぶ手助けが心理学です。

(続きます)

日本人にはこの一言? あるジョークからみる国民性

国別のジョークで、こんな小噺があります。
船上から乗客を海に飛び込ませる時の一言。

アメリカ人には、
「ヒーローになれますよ」
ドイツ人には、
「法律で決まっています」
イタリア人には、
「女性にモテますよ」
そして日本人には、
「みなさん飛び込んでいますよ」

どの国も、こんなステレオタイプの人ばかりじゃあるまいと思いつつも、
そうそうと、つい笑ってしまうのが国民性のイメージですね。
実際に会ってみて、イメージ通りだと「やっぱりね」で
違うと「なーんだ」で、
勝手なものだわ。

そのくせ自分は、
「やっぱりね」で行くのか、
「なーんだ」と外すのか
なんだかグラグラしてしまいそうなのが、
人目が気になる日本人といったとこなのでしょうか。

よくも悪くも、利用されるのが国民性。
なんとなく書きしるしておきました。

ストレスはいつもの習慣を引き起こす?

(前回「ネガティブな気分の時にジャンクフードを選ぶ理由」からの続きです。)
ストレスがたまったり、嫌な気分というネガティブな時は、
ジャンクフードや甘い物を選ぶ傾向があるという研究報告があります。
また、ストレスで暴飲暴食や喫煙という、
およそヘルシーではない行動に駆られもします。

しかし、ストレスは不健康な行動ばかりではなく、
健康的な行動も起こすことが分かってきました。

(南カリフォルニア大学:ウェンディ・ウッド教授の研究より)
「日常的にジャンクフードを食べている人は、
ストレスが溜まるとよりジャンクフードを食べるようになり、
日常的に健康的な食生活を送っている人は、
ストレスがたまると、健康的な食をより食べるようになる」というのです。
これは食生活だけではなく、
「普段ジムに通っている人は、
ストレスがたまると、よりジムに行く」という傾向も

つまり、人はストレスを感じると、
健康・不健康に関わらず、
「いつもの習慣を繰り返したくなる」ということなのだそう。

ストレスでお酒の量が増える人は、
普段からお酒を飲む習慣があるから、
ストレスでタバコの本数が増える人は、
普段からタバコを吸う習慣があるからなのですね。
いつもの習慣がストレスによって強化されるのなら、
普段からより健康的な習慣を身につけておけば、
ストレスを感じても健康は維持できそうですよね。
たとえば、普段から歩くことが習慣になっていたら、
ストレスがたまると歩きたくなる衝動に駆られるようになりますが、
同じ衝動でも健康というメリットがありますよね。
そして、自然の理や生命の本質にフィットしている習慣であれば、
穏やかさや清々しさが日常のベースとなります。

ストレスはすべてなくすのは不可能ですし、
ストレスを感じない生活というのも無理があります。
ストレスと上手くおつきあいをするために、
健康的な習慣を身につけるのがよさそうです。
ポイントは、「無理なくできることから」。
はじめから大きな目標ではなく、
ハードルを下げて、無意識に行動できるようにすること。
習慣とは無意識の行動です。
無意識を味方につけてみませんか?
(おわり)

ネガティブな気分の時にジャンクフードを選ぶ理由

ストレスがたまったときや、嫌な気分のときに、
スナック菓子などジャンクフードを食べてしまう、
カロリーたっぷりのスイーツに手が伸びてしまう、
なぜヘルシーとはいえない行動をしてしまうのでしょうか?
その心理は?
今回は、気分と選ぶ食べ物の関連についてお送りします。

出典元(英文)How your mindset about the future may impact your eating habits

http://www.udel.edu/udaily/2014/feb/foods-moods-021214.html

ポジティブな気分・ネガティブな気分のとき、
ヘルシーな食べ物とジャンクフードのどちらを選ぶ傾向にあるかを調べたところ、
ポジティブな気分のときは、物事を長いスパンでとらえ、
年齢を重ねても元気でいるという将来の良いイメージや
健康や栄養といった抽象的なことを重視してヘルシーな食べ物を選び、
ネガティブな気分のときは、物事を目先でとらえ、
快楽といったすぐに得られる具体的な感覚を重視して
ジャンクフードのほうを選ぶ傾向にあることが分かったそうです。
また、ストレスで甘い物やジャンクフードに手が伸びそうになったら
将来的な良いイメージを思い浮かべる、
それが難しいなら、食べることで快楽を得るのではなく、
友達と話しをしたり、好きな音楽を聴いたりするといい」とのこと。

私の経験ですが、
体調がいい時はヘルシーな食べ物を、
体調がいまいちな時はスナック菓子や甘い物を好む傾向がありました。
体調の悪さもストレスなので、
ストレスでまたジャンクフードを食べるという悪循環になっていたようです。
また、ジャンクフードを食べることで
強制的にダウンさせて休養させるという
もしかすると無意識の働きもあったかもしれません。
その後、ヘルシーな食べ物を選ぶ習慣をとってからは
この悪循環はほとんどなくなりました。
(続きます)

物質主義者と、そうでない人の違い

「タフツ大学の研究」
物質主義的価値観に重きを置く人は、
物質主義に重きを置かない人に比べて、
個人としての幸福度や精神の健康度が低いという結果が。
関連が報告されているのは、
・生活満足度の低さ
・不安、抑うつ症状・パーソナリティ障害
・頭痛などの身体症状
・自己愛や反社会的行為

「Journal of the Academy of Marketing Scienceに掲載された研究」
愛情・友情よりも物質が大事な人は、
そうでないひとよりもストレスが大きい。
また、ストレスに対する反動として
買い物依存症になり、衝動買いをするが、
それはストレスをさらに増大させ、幸福感を損なっている可能性が。
これは、物質主義者の自尊心
(自己の価値を認める、自信をもつ、自己を敬うなどの感情)が、
非物質主義者に比べて低いからではないか、とのこと。

楽しくないからやめたんだよ

浅丘ルリ子さんと小林旭さんのこんな会話がありました。
かつてカップルだったお二人が長い年月を経て舞台で共演したときの対談です。
「楽しみだった酒もタバコもよくやめる事が出来たね。」と浅丘さんが言うと、
「楽しくないからやめたんだよ。」と小林旭さんは答えます
楽しくないからやめたんだ、という小林さんの一言に、
私は「ああ、これは真実だよなあ」と思ったものでした。

楽しくないからやめるといっても、
じゃあ楽しくない職場をやめましょうとか、
楽しくない結婚生活を終わりにしましょうということではなく、
楽しくないちいさな習慣からやめてみましょう、ということなのです。
結果的に職場や結婚生活を、続けることになっても終えることになっても
より自分らしい自分に出会っているはずです。

ほんとうに自分が楽しい、心地いい週刊とはなんだろう?
頭がそう思っていても、身体や、内なる自分が喜んでいないのなら
それは偽物の楽しい週刊かもしれません。

これは楽しくないなあ、心地よくないなあと自覚して、私がやめた習慣は
髪が寝癖のままでパジャマのまま過ごすこととか、
テレビをつけることとか、
いつまでも機嫌が悪いままでいるとか、
甘いものを食べ過ぎとか、
物であふれた部屋で平気でいるとか、etc
それはもうほんとうに些細なことでした。

しかし、些細なちいさな習慣を変えることが、
大きな人生の流れを変えることだったと身をもって知りました。
それまでは大きな流れを変えようとするばかりで、
ちいさな習慣をないがしろにしていたのです。

じゃあほんとうに楽しいこと、心地いいことを選んでいくと…。
早ね早起き 適度な運動 正しい食生活
もう昔から言われているような習慣に
自然となっていたというわけです。