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「そのまんま」の鏡

自分は匂いにはうるさい人なんです。
そう語る人の指先に、タバコと缶コーヒーがあって、
ムズムズするような、なんだか困ってしまったことが若い頃にあった。
こういう人、愛すべき人って言うのだろうなぁと思いながら、
まるで私の姿を見るようでムズムズしたのだった。

自分のことは、なかなか自分では気がつかないけれど、
他の人の姿を見て、自分を知ることがあるものだ。
こりゃ自分だ!と、イテテテテ!となったり、
反対に、自分が探していた何か美しい物に気がついたり。

良くも悪くも映し出す鏡は、他の人にとって自分もそうなのだけど、
じゃあ、お利口にしよう、とか、
ワルぶってみようか、とか、
なにも取り繕う必要はなくて、
「そのまんま」が、誰かにとって気づきの鏡になったりするものなのでした。
(愛すべき人って、そういうところがあるよなぁ)

人は人で変わっていく

この夏、懐かしい仲間と歌声に再会した私。
…まるで昨日のことみたい。

ある時期、気づきをシェアしあう合宿に
参加したり、手伝いに行っていたことがあった。
子どもからお年寄りまで、参加者の年代は様々で、
職業や経験も、国籍や宗教もバラバラなのに、
不思議な「偶然の出会い」が発生することがしばしばあった。

参加者全員で、時には小さなグループで、
感じたことや思ったこと、自分の抱えている悩みや願いなどを分かち合うのだが、
「昔の私と一緒だわ」とか、
「私のお母さんはこんな気持ちだったのかな」とか、
「まるで息子の姿のようだ」とか、
「この悩みは他人事と思えない」etc。

他の参加者に、自分や誰かをオーバーラップしては、
誰かの気づきが、また誰かの気づきを呼び覚まして、
他人の変化を、自分のことのように喜ぶ瞬間があるのだった。

気づきが気づきを促して、人は人で変わっていく。
私の「癒しとは何か」の原点なのでした。

ブーバとキキ効果/ボンゴとコンガの見分け方

突然ですが質問です。
以下のAとBの図形に、あなたが名前をつけるとしたら、
どっちが「ブーバ」で、どっちが「キキ」ですか?

A・ふっくらモコモコの曲線で囲まれたソフトな図形
B・ギザギザの突起で囲まれたシャープな図形

これは「ブーバ/キキ効果」と呼ばれる有名な心理テストで、
人種・性別・年齢・言語に関係なく、ほとんど大多数の人が、
「Aのモコモコがブーバで、Bのギザギザがキキ」と答えています。
人には、音と図形に類似性を持とうとする心の働きがあるのですね。

脳や感性の研究家の黒川伊保子さんによると、
口腔内の息の速さや、唇の感覚とリンクしているからでは、と。
たしかに、「ブーバ」と「キキ」と発音すると、
口の中で、ブーバはふくよかな膨らみが、キキは鋭利で固い感覚を覚えます。
音から受けるイメージって面白い…。

さて、15年ぶりにひょんなことから、
自分が使っていた打楽器が、手元に戻ってくることに。
あったことすら忘れていたのですが、
もう名前がどっちだったかも忘れてる…。
ボンゴだったかな?コンガだったかな?

そこで調べてみたら、
ボンゴっぽいほうがコンガで、
コンガっぽいほうがボンゴ。

つまり、叩くとボンと重い音がするのがコンガで、
叩くとコンと軽い音がするのがボンゴなのでした。
(あ、ボンゴだ!)

失敗を乗り越えるのは成功体験①

15年ほど前になるだろうか、
兵庫県の三木市にあるホースランドパークで馬術大会を見た時のこと。
(ちなみに、まだ視力があるときです)

人馬一体って、こういうことなのねー。
馬が美しいステップをふむ、まるでダンスしているような馬場競技と、
バーをフワリと跳び越える障害競技を見たのだが、
あれ?と謎に思ったのが障害競技。
(なにせ何年も前の記憶なので、正確ではないかもしれないが)

跳躍で馬がバーを落とした場合、
そのペアの演技自体が終了した直後に戻って行って、
失敗したバーをクリアするまでジョッキーが跳ばせていたことだ。
クリアしてから、次のペアが出走していた。

この謎、先日のリオ五輪で解けたのだ。
馬は賢く、繊細で臆病なところもあるので、
失敗体験で終わると、馬はその体験を憶えていて、
次の機会にあきらめて、跳べなくなってしまう。
だから、バーをクリアした成功体験で終わらせるのだとか。

…へぇー、そうだったのか。
私も似たような経験がある。
ジョッキーじゃなくて馬の気持ちなんだけど、
目の見えない日常は、いくつものバーがあるようなものだ。

ここで思いだしたのは、
入会していたスキューバダイビングクラブのインストラクターさんの体験談だ。

インストラクタートレーニングのダイビング中にパニックになった。
やっとの思いで浮上して陸にあがっていた私を、
師匠は「俺とすぐ潜れ!」と命じたのです。鬼かと思いました。
でも、おかげで今があります。
あの時、泣いて怖がる私を掴んで、
「お前は二度と海に潜れなくなってもいいのか!?」の師匠の言葉は忘れません。

…命を預かるインストラクターさんの、命がけの克服話だ。
これは極端な荒療治で、
もちろん心理カウンセリングの世界では、こんな極端で無茶なことはない。
いくつも段階をふんで、
クライエントさんに小さな成功体験を積んでもらうのは言うまでもない。

失敗というバーを乗り越えるのは、
怖さをを喜びに変えるのは、
やはり成功体験なのかもしれない、と思ったのでした。

自分の気持ちに気が付き、相手にも伝わる「Iメッセージ」とは

外国の方は自己主張が上手いなぁ、と思ったことがある。
とくに嫌だと思うことを断る、何か交渉するなどだ。
自分の主張をはっきりと、しかもスマートに。
言った側も言われた側もサバサバ。

その点、日本人は少し自己主張が苦手だったりする。
自信がないからというよりも、
そもそも何を主張したらいいのかすら、よく分からないのではないか。
これは、日本語と他の外国語の構文の違いもあるようだ。

例えば英語だと、
私は嬉しい、私は悲しい、私は怒っている、など
「私は○○。なぜなら○○だから」
というように、「私の主語」のIの直後に動詞がくる。
冒頭に自分の意見や意志、感情から始めなきゃいけない構文なので
「えーっと、私の考えは?」
私の感情はどうかな?」と、常に意識しているようなもの。

対して日本語は、冒頭に自分の意見や意志、感情から始まる構文になっていない。
なので、自分の意見も意志も感情も、常に意識することが少ない。
文章の最後に動詞や、イエスノーがくることもあり、
主張自体もやや弱くも曖昧にもなる。
しかも、周りに合わせるのが美徳とされる社会なので、
自分はどう思っているの??
私は何を感じているの??
なんだか自分でもよく分からないことになりがちなのだ。

ではどうしたら、自分の思っていること、感じていることを、
スマートに伝えることが上手くなるのだろう?
じゃぁ、英語を話せばいいの?ではない。
日本語でも「ある言い方」を習慣にしたらいいのだ。

それは、「私、思うんだけど…」を前置きして始める会話。
まず私という主語をはっきりとさせると、
あなたの(一個人の)考えなのですねと、
相手の心に届きやすくなる。
これは心理学の「Iメッセージ」というテクニック。

反対に「相手の心に届きにくい言い方」は、
「あなた」から始まる「youメッセージ」である。
これは攻撃的な言い方なので、相手に拒絶されやすい。
例えば、「あなたは無神経な人ね」と言うよりは、
「私はあなたにないがしろにされているように思えて悲しい。」
と言われたほうが受け取りやすい。
そして言う側も本心が伝わるものだ。

「私は」の主語の後に、「思うんだけど」を続けると、
自分がいま何を思っているかフォーカスするし、
思ったこと以外は続けられない構文になる。
他にも「私の考えですが…」や、
「私の感じたことですが…」と前置きして会話を始める。
自分が何を思ったり感じているのかイマイチ分からない人にお奨めの習慣です。

このコミュニケーションは過去から? 「今ここ」から?

今夜は名古屋港の花火大会だ。
毎年いそいそと母は出かけている。
私とサンダーはお留守番である。

出かけはしなくても、家から花火の音は聴こえる。
我が家にやってきたばかりの頃のサンダーは、
かわいそうなくらい花火の音に怖がっていた。
しかし、昨年からは眠っていたり、私とじゃれていたりして、
年々、気にならなくなってきているようなのだ。

サンダーが花火の音に慣れてきた、というのもあるけれど、
私の捉え方も変わってきたのかもしれない。
サンダーが怖がるのを期待しなくなったのだ。

怖がる以外の反応が現れることを
オッケーにしたと言うほうがしっくりくるだろうか。
「この人はいつもこう」と相手に、
「私ったらいつもこう」と自分にも、
過去に起きたレッテルを貼り付けていると、
ご期待に応えてくれるのが無意識の素直で従順なところ。

どんな姿を見せてくれるのかなぁ、とワクワクしていると、
過去から出発ではない、
「今ここ」から出発する、
今の純粋な姿を見せてくれるものなのだった。

このコミュニケーションは安心から? 恐れから?

相当に前のことになる。
私が通っていたスポーツジムのスタッフさんの話だ。

えっと、ここでそれを言っちゃマズイよ?!というようなことを、
その人は相手に言ってしまうことが多かった。
端から見ていてヒヤヒヤするし、
私も言われてモヤモヤした。

その人は悪気があるわけでも、状況が分からないのでもなく、
親しみを深めたい、その一心だということは肌で感じるのだが、
聞き流すにも、受け流すにも、
笑ってスルーするにもコンディションというものがある。
限りなく失言に近い、ギリギリのコース球だ。
私が疲れているときは避けきれず、もろに命中した。
リフレッシュするつもりでジムに通っていたのに、
なんだか気疲れしてしまい、いつしか足が遠のいたのだった。

その人は明るく饒舌な社交家なのに、
何故か違和感を感じてしまうのが不思議だった。
その後にスピリチュアルや心理学を学んで、
「安心」から出発する、「充たしあうコミュニケーション」と、
「恐れ」から出発する、「奪い合うコミュニケーション」があることを知った。

二つの違いは「自己肯定感」によるところが大きい。
自己肯定とは、自分に対する愛や信頼のことで、
自分への愛や信頼が貯まったタンクが、ひとりひとりの心にある。

このタンクの所蔵量を増やし、キープする方法は、
安心から出発する、満たしあうコミュニケーション。
恐れから出発する、奪い合うコミュニケーションを自分が採用する限り、
心のタンクは目減りするばかり。
だから、他人のエネルギーを奪うことに必死になってしまう。
(当ブログ「コントロールドラマ」をご参照ください)

そうか。あのスタッフさんは恐れていたのかも。
親しみを深めたいというのは、
親しまれていないのでは…という不安の裏返しだったのか。
今だったら、どう言えるかな。
そして、自分にも似た要素があるなぁ…と気がついたのだった。

いま私のコミュニケーションは、
安心から出発しているだろうか?
恐れから出発しているだろうか?

「水を飲んでも太る」の口癖に何が起きているのか?

ビワ、桃、すもも、プラム、梅、さくらんぼ
これから、水気たっぷりな果物のシーズンです。

梅雨を梅の雨とはよく言ったもので、
雨が降った翌日には、
梅の実が明らかに一回り大きくなっている。
その育ちぶりに惚れ惚れしたものです。

いや、惚れ惚れしている場合じゃないわ。
「私は水を飲んだだけで太るの」
巷でよく耳にする言葉、
私もつい言いそうになるフレーズです。
もし、この言葉が口癖になっているとしたら、
なんとなく言っているとしたら(思っていなくても)、
細胞レベルに何が起きているのでしょう?

口から出る言葉は、自分の細胞レベルも聞いています。
「アタシたち、水飲んで太るわ!」
細胞レベルはどこか素直で従順なところがあるのです。

じゃあ、「私は水を飲んでも太らない」
という口癖にしよう、もいただけないです。
よくよく最後まで聞いていない、小さな子のようなところがあるので、
「太らない」と語尾が打消しの表現は苦手です。

「私は水を飲んでも太るの」と
いつものように言っているなと、自分で気がついたら、
もとい!訂正します!と
「私は水を飲んでもスマート」と言い直してオーケーですよ。

さて、そろそろ梅雨入りです。
果実は育ち、緑はより鮮やかになっていきます。

「ひとりの主観が、もうひとりを呼び覚ます」糸井さんと矢野さん

先日ご紹介しました、
糸井重里さんと矢野顕子さんの対談連載が、
佳境に入ってきて、私はワーオ!ですよ。

矢野さんは糸井さんを、
矢野の脳の延長であり、
矢野の外部装置と例えるほどに信頼しています。

そもそも「これいいよねー」とか、
「これ美味しいよね」という感覚も似ているお二人。
言葉で表現するよりも音で表現するほうが得意な矢野さんが、
言葉で伝えきれないこと、感覚的にしか伝えられない何かを、
糸井さんは「こんな感じ?」と言葉で確認します。
矢野さんは「あー、そうそう、それそれ!」となるのです。
まさに私が思っていること、感じていることはそういうことなの
ときに矢野さんの言葉で、糸井さんが「それそれ!」となり、
共鳴して増幅するかのよう。
お互を引出しあう、なんて幸福な関係なのでしょう。

お二人は「誰とでもこんなわけにはいかないよね」と言います。
そもそもお二人の感覚(言語感覚も)が似ていますが、
それよりも「これは大きいな」と私が思うことは、
矢野さんが主観(自分の思ったこと・自分の感じていること)に、
一瞬一瞬にとても素直で正直だということ。
そういえば、矢野さんはライブで一度として同じ演奏はないなぁ。

思ったことや感じたことに素直で正直というのは、
じつはなかなかに難しいと私は思うのです。
感情だったら、たとえば悲しみを怒りと捉え違いをしたり、
いろんな感情が立ちあがっているのに、
ひとつに囚われて他を見逃してしまいがち。

そして、思ったこと感じたことを適切に表現するのも難しいもの。
矢野さんは「相手に失礼のない伝え方をします」とおっしゃるのですが、
相手に、というそれ以前に、
ご自身のなかの、内なる声や感覚に、失礼のないように接している。
こんな矢野さんを前にしたら糸井さんも、
内なる糸井さんの声や感覚に素直で正直にならざる得なのですね

さて、このお二人の関係は、
心理カウンセリングのエッセンス、すっごーくあるのです。

連載五回目・「ひとりの主観が、もうひとりを呼び覚ます」
矢野顕子は糸井重里の言葉をどうやって歌にするのか? – ほぼ日刊イトイ新聞

http://www.1101.com/yano40/2016-05-16.html

4月9日 日本カウンセラー学院名古屋サテライト校 春クラスはじまります

4月9日 土曜日より、
日本カウンセラー学院名古屋サテライト校の、
春クラスがスタートします。

講義は隔週土曜日に、2コマずつになります。
一年を終えると、
日本臨床心理カウンセリング協会の認定資格試験を受けることができ、
臨床心理カウンセラーの資格を取得できます。

担当講師は私の恩師でもある、内海早織先生です。
クラス開催場所は、アクセスのよい名古屋駅近く。
ユニモールを国際センター方向に歩くと、名古屋駅から10分、
地下鉄では、桜通線「国際センター」出口すぐ横。
先生の開業されているカウンセリングルームの入ったビルの一室です。

なお、4月23日の3回目・4回目の講義からの合流もできるそうです。
内海先生からのメッセージです。
「ご興味をお持ちの方、まだ間に合います。
当ビルから望む、桜通りのお花見兼ねて、
説明会にお越しになるのはいかがですか?」

*日本カウンセラー学院

https://www.therapy.jp/

*内海先生HP

http://peaceful-mind-ocean.com/info/1138463