カテゴリー別アーカイブ: Book

同じなのに何かが違う/「禅とオートバイ修理技術」ロバート・M・パーシグ著

同じ食材なのに、料理する人が違うと美味しさが変わったりする。
いわゆる「緑の手」を持つ植物を育てることが上手な人、
弾いてるうちにホールやスタジオのピアノを育ててしまう矢野顕子とかね。

食材だったり植物だったりピアノだったりに、
それに対する敬意や愛情が、手から乗り移るのかもしれないし、
その人の持つ気のような、目には見えない何かが働きかけるのだろうか?

旅行記のような、難しい哲学書のような不思議な本、
「禅とオートバイ修理技術」にこんなエピソードがある。

語り手(著者)は自分のオートバイを修理工場に持ち込んだのだけれど、
オートバイは直るどころか台無しにされて戻ってきた。
嫌な予感はあった、
騒々しい音楽が鳴り響く工場、
若い修理工に乱雑に扱われている道具。
技術も工程も同じなのに、あがりが違うのは何故なのだろう?
世界には、目には見えない価値や質があるのかもしれない…。
以来、自らの手でオートバイを修理するようになる。

騒々しい他ごとで頭がいっぱいのとき、心が入る余地を作ってみよう。
目の前のことを乱雑に扱ってしまいがちな日常だけれども、
自分が手にするものに、自分の気のようなものが乗ることを意識するだけでも、
同じ日常でも、価値や質が代わってくる。

「禅とオートバイ修理技術 価値の探求」
ロバート・M・パーシグ
めるくまーる

「サンダードッグ 9.11 78階からの奇跡の脱出劇」マイケル ヒングソン著

崩壊寸前のワールドトレードセンタービルから生還した、マイケルとロゼール。
マイケルは、ビルの78階にある自分のオフィスでテロに遭遇する。
焦げた匂いが充満し、ビルの照明も消えてしまったなか、
暗闇の非常階段を、マイケルは多くの人を誘導し降りていく。

いかにマイケルとロゼールが、多くの人を助け奇跡の脱出を果たしたのか?
物語は、脱出の様子を縦軸に、マイケルの半生も織り交ぜ進む。
ちなみにロゼールは、マイケルの盲導犬。
そう、マイケルは全盲の視覚障害者なのだ。

マイケルがロゼールに指示する言葉「前へ!」(go)は、
彼の人生を物語るキーワードとして散りばめられている。
ビルの奇跡の脱出劇と、
彼がいかに生きてきたのか、まるで奇跡のような半生は、
どうなるの?とハラハラしたり感動したりと、臨場感たっぷりに語られる。
マイケルとロゼールが地上へと降り立った時に、二つの奇跡の物語は完結する。

私は読み終わった跡、マイケルとロゼールみたいに泥のように眠った。
そして、サンダーに指示する「go」に、しばらくマイケルを思い浮かべた。
君は、君なりにできることを、君のペースでやっていけばいいのさ。
階段を一段一段、前へ進んでいくようにさ…。
そうか、奇跡って、ひとつひとつの小さな勇気の積み重ねだったんだね。

さて、本のタイトル「サンダードッグ」の由来は、
ロゼールが雷が苦手な犬だから。
うちのサンダーもね、サンダーって名前だけど、
唯一苦手なのが雷なのよ。

*「サンダードッグ 9.11 78階からの奇跡の脱出劇」
マイケル ヒングソン・著
燦葉出版社/2011

なぜ「互いの眼差しのなか」にいると元気になるのか/「覚醒のネットワーク」上田紀行・著

30年近く前になるだろうか、私が持ち歩いては読んでいた本。
物が多いと、幸せになるどころか不幸になっていくことを教えてくれた。
世間や誰かのせいにし続けると、自分がどんどん無力になる仕組みも知った。
いま思えば、私の暮らしや考えの原点になっている本かもしれない。

なかでも興味深いのが、スリランカのある伝統儀式の話。
出社拒否のサラリーマンのお父さんや、突如ふさぎこんでしまった若者など、
病院に行ったけどどうも…、という症状は、
スリランカでは、昔からこう考えられてきたという。
「人々の眼差しの中から外れてしまった人は、悪魔の視線に捕まってしまう」。

再び人々の眼差しの中に患者を戻す作業が、悪魔払いの儀式だ。
言葉の響きから恐ろしそうだけど、これが実に楽しそう!
この儀式は二部構成になっている。重要なのは一部よりも二部だ。

一部はシャーマンが患者をクタクタになるまで一晩じゅう踊らせる。
二部は、村中が総出の「かくし芸大会」なのだ。
患者を前に、替え歌あり、漫才ありの爆笑お楽しみ会で、
患者も村の人も大笑い。いつしか患者が人々を笑わせては皆が大喜びする。
こうして地域の人と互いに顔見知りになり、患者の症状は回復していく。

眼差しの中に入るということは、共同体の中に入るということ。
これは、なにも大げさなことじゃなくていい、と私は思っている。
近所の人とエレベーターで一緒になったなら「おはよう」と挨拶したり、
道行く知らない人と目が合ったなら、微笑んだり。
街で困っていそうな人に出くわしたら「どうしましたか?」と声をかけてみる。
他の誰かに眼差しを向けることは、誰かの為だけじゃない。
自ら眼差しの中に入っていくことで、自分も元気になるのでした。

「覚醒のネットワーク」上田紀行・著
カタツムリ社/1989年(現在は絶版)

雨はまだか/「園芸家12カ月」

ここの紫陽花がいちばん綺麗なのよ
ある朝、近所で立ち話した知らないオバチャンが言った。
仕事に向かう途中、紫陽花が咲いている花壇をいくつか見てまわることが、
この季節のオバチャンの楽しみなんだとか。
サンダーと毎日通る交差点の角の花壇なのだけれども、
ここらでいちばん綺麗な紫陽花だったとは知らなかった。

梅雨入りしたけれど、晴れの日が続いている。
サンダーをシャンプーしたし、
カーテンを洗ったし、
窓も拭いて、フローリングのワックスもかけた。
梅雨の中休みにやることが今年はもう終わってしまって、あとは雨を待つばかり。

今年は雨が少ないので、紫陽花が小ぶりらしい。
えっと、となりのラベンダーの上には少しで結構ですので、
紫陽花の上に雨、優先的に降ってもらえませんかね?
私は園芸家じゃないけれど、カレル チャペック風に天にお願いしたくなる。

「園芸家12カ月」
カレル チャペック・著/中公文庫

おかえりオザケン/「ボクの音楽武者修行」小澤征爾・著

ミュージシャンの小沢健二さんが、日本で音楽活動を再びはじめた。
なんと19年ぶり。
ネットでは、オザケンがオジサンになってる!とざわめいているけれど、
私は小沢さんの見た目が年相応になっていることが、なんだか嬉しい。
ニューヨークに渡り、世界の治安のよくない国々でも暮らし、旅をした小沢さん。
つるつるのタマゴのような顔のままだったら、こんなに待った甲斐がないじゃない?

叔父上の小澤征爾さんの若い頃に、小沢健二さんはそっくりだった。
顔のつくりも、はにかんだ笑顔も、色白で細身の体型も。
だから、小沢健二さんがもっと年を重ねた姿は、マエストロみたいになるのかな?

そういえば、小澤征爾さんの本「ボクの音楽武者修行」が、
なぜか家の本棚から三冊でてきたことがあった。
古い版は、大学でオケに入っていた姉のもの。一冊は知らずに私が買ったもの。
残りの一冊は知らない。それくらい面白い本だってこと。
クラシックに詳しくない私でも夢中になった、とびきりの冒険旅行記だ。

若き指揮者の卵が、貨物船で海を渡り、
スクーターに乗って、クラシックの本場ヨーロッパを巡る。
あてがあったわけじゃない。行き当たりばったりの旅。(今から60年前だ)
いくつもの街で暮らし、街の人と仲良くなり、
ホームシックにもなり(この処方箋がユニーク)
ついに指揮者の卵は、立派な指揮者になって日本に戻ってくる。

突き動かしたのは好奇心だけ。しかし、それで遠くまで行けちゃう。
遠くまでとは実際の距離とは限らない。心のなかも旅だろう。

そして小沢健二さんは帰ってきた。
私はニヤニヤしちゃって大変なのでした。(バンドの頃から大ファンなんだもん)

「ボクの音楽武者修行」
小澤征爾・著/新潮文庫

出かけるときに「港に帰ってくる」イメージをする/「ウニヒピリ」イハレワカラ・ヒューレン他・著

風のとても強い日が続いて、
アイメイトのサンダーと歩く私は頭がいたい。

…いや、実際に頭がいたいわけじゃなくて、
雨の日と同じくらい、風のとても強い日はいつもよりも気をつかうということだ。

耳を頼りに、匂いを地図にして歩いているというのに、
強い風で音が混ざっちゃって、匂いもどっかいっちゃう。
聴覚や嗅覚が人間より優れているサンダーだけど、
行先を示して操縦しているのは、耳も鼻も断然劣る人間のアタシだからねぇ。
こんな日は、出かける前からキンチョーするんだよな…。

…オーライ。
途中で風が危なくなったら帰ってきたらいいしさぁ。
道行く人が「信号変わったよ」なんて教えて助けてくれる街、
なんたって、私たちには頼もしいサンダーがいる。
もし何かあったらアタシに教えてくれる?
私は「内なる私(潜在意識ともいう)」と対話するのだった。
私とサンダーはチームであり、
私と内なる私も、またチームなのだ。

これから歩く道のりを思い浮かべて、「内なる私」に伝える。
だって考えてもみてよ、
幼い子が行先を聞かされないままどこかへ連れていかれたら可哀そうでしょ?
そして、「港に帰ってくる」イメージをして玄関を出る。
家は港のようなもので、毎日わたしたちは出航するのだ。

すると、私たちはまるで何事もなかったように、
「ただいま」と港に戻ってくるのでした。
イメージを省略して、「シーポート」(港のこと)とつぶやくだけでもオッケー。
Von・Voyage!(いってらっしゃい)

*参考書籍
・ウニヒピリ ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」
イハレアカラ・ヒューレン/サンマーク出版

「英雄の書」 黒川 伊保子・著

かつて出会った私の人生の先輩はこう言った。
いろんな経験をしたらいい。
とくに、失敗や上手くいかなかった経験は、後で宝物になるから、と。

私は社会に出たばかりの頃だった。
にもかかわらず、というかだからこそなのか、
傲慢としか言いようがない万能感と、
その反動で、卑屈としか言いようがない無能感に悩んでいた。
それを見かねて言ってくれたのだろうけれど、当時はよく分からなかった。
(というか反発すらした)

しかし、若いうちに一見ネガティブに思える経験、
失敗だったり、上手くいかなかったり、
悩んだりもがいたり、理由のない疎外感で孤独だったことは、
今では私の宝物になっているのは確かなことだ。

さて、今回ご紹介するのは、
悩み多き若かった私に、「ホラ読んでごらんよ」と手渡したい本である。
「脳科学とやらではさ、それは言えてるらしいよ」と付け加えよう。

著者は脳の研究者である
昔から「失敗は成功の母」なんて言うけれど、
脳の研究からも同じことが言えるそうだ。
そして、失敗や孤独が、いかに脳の成熟に大切であるかも書かれている。
著者の言う英雄とは何なのか?

いま悩み傷つき孤独だとしたら、
それは、英雄が荒野を歩みはじめている証だと著者は言う。
若い人に読んでほしい一冊。
そして、かつて若者だった人に。

*「英雄の書」
黒川 伊保子・著/ポプラ社

たき火にあたるサル 芋を洗うサル/「生命潮流」ライアルワトソン・著

冬至の今日から「たき火にあたるサル」が、
愛知県犬山市の日本モンキーセンターで始まった。

「たき火にあたるサル」は、1959年から。
職員が伊勢湾台風の倒木や流木でたき火をしていたら、
一匹の子サルが近づいてきて暖をとり始めた。
そして群れに広まったのだという。
その後、サルに焼き芋もふるまうようになり、(ボーナスかな?)
アッチッチの焼き芋をハフハフとサルがほおばる姿は、冬の風物詩に。

ふと、あの「百匹目のサル現象」を思い出す。
ライアル・ワトソン著「生命潮流」で有名になった、日本の幸島のサルの話だ。
あるサルがサツマイモを浜の海水で洗って食べ始めた。
砂や土が落ちるし、塩味もしてなんだか新しい味。
やがて他のサル達が芋を海水で洗って食べるようになったのだが、
芋洗い派が「ある程度の数」に達したところで、不思議なことが起きた。
とたんに島の群れ全体が芋を海水で洗うようになったのだ
そればかりか、海を隔てた他の島のサル達が、芋を海水で洗い始めたのだった。

どうもこの理由は解明されていない(資料も少ない)けれども、
そんなことあるかもしれないよな(だって生物って謎ばっかだもん、)。

さて、愛知県犬山の日本モンキーセンターでは、サル同志がかたまって暖をとる
いわゆる「サル団子」も見ることができます。(これは各地の風物詩ですね)
しかし、たき火にあたるサルはここだけ!なのです。(それも謎)

「生命潮流 来たるべきものの予感」
ライアル・ワトソン著/工作舎

「11人いる!」 萩尾望都・著

突然ですが質問です。
アクシデントやトラブルに遭った時、
「成功する人」や「成長する人」は、以下のどちらのタイプだと思いますか?

①思いがけないことが起きた時、自分以外(他人や周囲)のせいにしがちだ
 (他責・他罰的)
②思いがけないことが起きたとき、自分のせいにしがちだ
 (自責・自罰的)

答えは①と②の「どちらでもない」。
たとえば、「部下のせいだ」と責任を押し付けるのでもなく、
「私が悪い」と必要以上に自らを責めることもしない。
「じゃあ、どうしたらいいのか」にフォーカスするタイプ。

たとえば宇宙飛行士だったら?
自分や他の乗組員の命に関わるようなアクシデントに遭遇した時、
「あなたの整備が悪かったからよ!」 「なんだとー!」とか、
「なにもかも、この俺が悪いんだ」と言っている場合ではないはず。
きっと乗組員全員が「じゃあ、なにをどうするか」に集中するでしょう。

今回ご紹介するのは、40年前に発表されたSFマンガで、
度重なるアクシデントやトラブルに遭いながら、成長していく若者たちの話です。
舞台は外部との通信すらシャットアウトされた、閉ざされた宇宙船。
宇宙大学の最終試験に、様々な星からやってきた10人がシップに乗り込みます。
合格条件は、10人全員で53日を無事に生き延びること。
なのに10人のはずが、気が付けば11人いる!

誰が11人目なのか疑心暗鬼のなか、次々と宇宙船にトラブルが襲います。
おまけに育った星も違えば、文化も習慣も価値観も(見た目も)皆バラバラ。
メンバーの諍いも次々と発生する始末。さて、どうなる?

いづれは故郷の星の未来を担うことになる、
まさに「希望の星」の彼らに、
必要な要素は何か?を丁寧に、そしてスリリングに描きます。
そして私たちにも、「大きな船の乗組員」であることを思い起こさせるのです。

「11人いる!」
萩尾望都・著
小学館文庫

「海からの贈物」アン・モロウ・リンドバーグ・著

著者がこのエッセイを書いたのは49歳、と最近になって知った。
サピエ(視覚障害者音声図書)で読み返す。
私がこの本をはじめて読んだのは、22か23歳、
来年には当時の著者と同じ齢になる。

書かれた60年前のアメリカは大量消費社会で、
著者は妻として母として、都会で煩雑な毎日を送っていた。
ちなみに夫君は、あのリンドバーグ。
著者も名パイロットだった。

家族と離れてひとり、小さな島のヤドカリみたいな家での休暇の日々を綴る。
ほとんど何も置かれていない家に、
その中を風と日光と松の木の香りが通り抜ける。
ここで暮らすのに必要な物はあまりに少ないと気づき、
浜辺で拾った貝殻たちと対話しながら、
枯れていた心の泉が、いつしか充たされていく。
女には一人の時間が必要なのだ、と。
自分の内部に目を向ける時間が、である。
同年代に比べて、自分の時間が多い私だけれども、
気がつくとネットやなにかしらで、せっかくの時間から気を散らしていた。

若い頃に読んで気がつかなかったのだが、
こんなに、ミニマムな暮らしを考える話だったなんて。
昔は詩的な描写と重厚な文章を観賞していただけだったのかな。
いま読むと、自分も浜辺に佇んでいるかのように生々しく感じる。
ある種の本は、自分の内面に目を向けることを助ける。
これはそんな本だ。

*「海からの贈物」
アン・モロウ・リンドバーグ
吉田健一・訳
新潮文庫